このシアルダーはいろいろなことを自分に学ばさせてくれた場所である。
それまでの自分はプレンダンのなかでの事しか知りえなかった。もちろん、その日々も大いなる意味を自分の内側に芽生えさせ育ませてくれた。
しかし、その施設のそとに出て初めてその施設の意味やマザーのしてきたことの深さとその痛みが身に沁みるように分かってきた。
施設の患者たちの一人ひとりにどのような日々が以前あり、痛み苦しみ孤独のうちにその命を保ってきてかのなかに身を置くことによって、マザーが感じえていたものに近い何かを感じて来れたように思う。
祈りがなければ、歩くことすら不可能のように感じるときを何度も味わってきた。しかし、現実の不条理を知ることばかりでは決してなかった。
生きる人間の健気さ、信仰の美しさ、それは今まで感じたことすらなかったものを限りないほど、このうちに刻み込んでくれた。
純粋に命を感じた。純粋に神さまを感じた。
自分を育ててくれたかえがえのない場所がシアルダーだった。
すぐに雨は上がった。
レストランを出て、ディスペンサリーに行くため、駅のそとに出ると夕日が差していた。
雨を降らせた厚い雲は流れ、白い雲がまだそっと空にある。雨上がりの涼しい風がほんとうに心地良く吹いている。空気中にあった目に見えない汚れたものが地上に落ち、大地に交わる。カルカッタでこの雨上がりのひと時が嬉しい。深く呼吸が出来る喜びを身体が感じている。
目に映るものも、それまでとは違って、水を与えられた木々たちのようにその色を増し、活き活きとすべてが美しく見える。神さまからのご褒美のような美しい夕焼けに自分も包まれていた。
{つづく}