海上撮影家が見た上海2

上海で撮影活動をしている海原修平のBlog。「海上」とは上海の逆で、新しい上海という意味。更新は不定期。

元宵節は春節の最終日

2023-02-07 | 写真日記

火鍋は冬の定番

 

この日の酒はビールのみ

 

元宵節は茹でた団子を食べる習慣があり、この日は私の好きな胡麻団子

 

2023年の春節は1月22日から始まり2月5日の最終日は元宵節を祝う日で、この日は茹でた団子を食う習慣がある。という事で、1月21日春節前の大晦日に招待してくれた古い上海人の友人の家で再び鍋を囲んだ。鍋には二つのスープがあり、一方は必ず四川の辛いスープが既に上海でも定番になっている。前世紀の上海で日本のおでんが人気になる前に、この家族が経営していた虹口区の"面大王"では、おでんは冬の定番料理になっていた。既に亡くなってしまったが、1993年まで日本で料理職人として働いていたオーナーの陳建平が、日本から上海に持ち込んだのが上海でのおでんの始まりだ。

みんなで飯を食っていると、突然この家族の友人が一人入って来た。私は彼とは会った事はないが、彼は私の事をよく知っていると聞きびっくり。聞くと、彼は文廟の"孔乙己酒家"の今のオーナー家族と親しいので、作品も含め私の過去の素性を全部知っているそうだ。嬉しい反面、これはある意味怖いよね。

1999年の暮れに、上海のTVで私の事を紹介してくれた番組があった。その翌日に旧城内で撮影していると、知らない住民みんながニコニコしながら挨拶をしてくれ撮影に協力的になったのを今でも覚えている。当時はネットなんて無い時代なので、TVや新聞は重要な情報収集手段でもあり娯楽でもあったので、夜はみんなTVを付けっぱなしにしていたのだ。今はネット時代なので、良い事も悪い事も瞬時に伝わり、リンクされればアッという間に広がってしまいネット上から消えない怖さがある。

今のネット時代は、情報発信は個人で自由に出来る。特にYouTubeで発信している人で、名の売れている人は顔も名前も覚えられているので、普通に街を歩いていても気付く人は多いし、国民全員がスマホを持っているので知らないうちに写真に撮られる怖さもある。

☆1月21日春節前の大晦日ブログ→コレ

以下は作り話 

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↓ここからは作り話↓ ドリフターズの、もし〇〇が〇〇だったら風に 

もし風俗嬢がカメラ女子だったら

Z氏は名の知れた写真家で、ネットや雑誌にもよく登場するその道では有名人。Zが地方ロケに行った際に地元で接待を受け呑んだ後ホテルに向かう途中、ライカを片手に街を歩きながらスナップ写真を撮っていた。その時、一匹の黒い猫と出会い追いかけ撮影しているうちに、赤やピンクの照明やネオンが眩しい色街に迷い込んでしまった。Zは色事に随分ご無沙汰していた自分に気付き、彼の息子もすでに戦闘状態に突入していた。よし、今回の仕事は無かった事にしようと決め、酔いも手伝い猫が佇んでいる前の店へ衝動的に突入。受付で入浴料を支払い迎えてくれた子は若くて美人タイプだが、目が合った一瞬彼女の眉が少し上がったのをZは見逃さなかった。

途中省略 

Zは久しぶりでもあり、彼女のテクニックに悶絶し残り時間30分を残し撃沈。行為の後に、彼女の一言で彼の使い込まれたElmarit-M 90mm f2.8(初代ブラック)ほどの息子は一瞬のうちに6時半状態に。嬢「私は写真が趣味でいつもカメラを持ち歩いているんですぅ」Z「エッ?!!」 嬢「もしかして、あなたは有名な写真家のZさんですよね!!」 Z「アッ エー  まぁそうですが・・」嬢「やっぱりぃ、いつもYouTubeや雑誌で写真を拝見してますぅ」Zはどう会話して良いのかわからず出た言葉は「ところでどんなカメラを使っているの?」彼女のバックから出て来たカメラは、Leica M11にAPO-Summicron-M 50mm f2 Asph付きで、ボディとレンズで200万円オーバーのセットだった。嬢「でもこのレンズはシャープ過ぎて私には何となく合わないんですぅ、何かお勧めのレンズありますかぁ?もっとフワッとした写真が撮りたいんですぅ」Z「だったらSummarit 50mm f1.5が良いかもね」と言い、Zはたまたま持っていたSummarit 50mm f1.5を彼女のM11にハメて渡した。彼女はその場で開放で試写し、部屋にこもった湯気の影響もありフワっとした画像を見て歓喜乱舞状態にになり、嬢「コレなんですぅ、私が撮りたかった写真は!!」この日Zは、面が割れている事の怖さを思い知った夜だった。そして、後になって分かったが、あの黒い猫は店が飼っていた有名な猫で名前はポン子と呼ばれていて、猫を見るとカメラで追いかける現代人の性を知っていた店長が子猫の頃から徹底的に訓練したポン引き猫だったのだ。

☆「この仕事は無かった事にしよう」というのは、カメラマンが前々から欲しかったカメラやレンズを買う時によく使う言葉なのだ。

☆面と名前が割れていると、こんな事がある確率は今後も相当高くなるかもね。最近は、カメラ女子が相当増殖しているから怖いよ。

 

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人が戻ってこない上海市内のモール

2023-02-05 | 写真日記

上海市内のとあるモール内は、ほとんど人がいない

 

二日前に浙江省の工場へ行き、トラブル問題解決方法を話し合う。その後、上海市内に戻り軽く飯を食うためにモールへ向かうと閉めた店が多く、人もほとんど見ない。春節は完全に明けていないのも理由だろうが、それにしても人が少なすぎる。

早く家に戻りたかったので、日本人なら誰でも知っている日系の豚骨ラーメン屋に行くと客はほとんどいなくて、スタッフはワンオペ。つまり、一人で料理を作り一人でフロアーも見なければならない。オーダーしたラーメンもひどくて、これならあの上海で歴史ある熊本の日本のラーメン屋の方が数段美味い。チャーハンも作り置きしているのがすぐにわかるほど不味い。一人で頑張っている若いネーチャンには敬意を表するが、もう絶対に行かない店に。

日系のラーメン屋が長続きしないのはよくある話で、一度撤退して再度独資で開店した店もある。日本のうどん屋2社が撤退したが、これは新型コロナの影響だけではない。開店当時は良いが、その後に少しずつ手抜きが始まり、そして誰も客が来なくなるというパターンも多い。

☆こちらの歴史ある熊本のラーメンが上海で流行った頃は、私にとっては行かない店だった。その後、少しずつオペレーションも含め良くなった。この日行ったラーメン屋より今は数段美味いと思うよ。

 

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中国での食事マナー

2023-02-03 | 遠い記憶-上海 オールドレンズ

上海蟹

 

空になった便は床へ

 

過去の画像から

前世紀に作品撮影で上海に通い始めた頃に驚いた事のひとつは、ローカルの店での食事のマナーだ。今もローカルの飲食店で飯を食っていると、自分の皿の横のテーブルの上が骨や殻の残飯置き場になる。これは、口から出した物は、皿に置くなという意味だ。こんなマナーなので、上海蟹を食う時は想像出来るよね。このマナーは日本人から見ると信じられないと思うが、これが当たり前だったので私もそれに従ってきた。でも、最近は若者を中心にマナーに変化が見られるようだ。

日本では箸は横置きだが、こちらでは縦置きが基本で箸を横に置く時は食べ終えたという証になる。大皿料理を取り分ける場合、自分の使っている箸で取るのが基本だが、最近は取り箸やレンゲが付いてくる店も増えた。酒はビールや紹興酒や白酒が多いが、ワインをあえて選ぶ人も増えた。ビールはあえて冷えたビールと言わなければ常温のビールが出てくる。乾杯は一度だけでなく、食事中に何度もあると思った方が良いので注意が必要。そして、呑み干した酒の空き瓶は床に放置するのだが、最近は店のスタッフに言えば空便を回収してくれる店が多い。酒の呑めない人は、その事を告げれば強要はしないが、最近の都会の若い人達は酒もタバコも飲まない人が相当増えた。

出された大皿料理は残すのが基本と言われているが、それは結婚式などに招待された場合なので、親しい人達との食事では関係ない。まぁ、細かいルールはさらにあるが、ルールなんて地域と時代に沿って変化しているので周りを見て真似すれば良い。最後に、店で食った時の勘定は誘った人か年長者が支払うので、割り勘なんて文化は中国にない。なので、次回の食事でお返しすればそれで良いのだ。

私は昔の上海料理が嫌いだった。老上海料理は、醤油ベースで甘く濃い味の料理が多かった。だが、10年以上前から上海も徐々に変化し、他都市の料理の味付けが加わり洗練されてきた。私が好きな中国料理は今も広東料理やが四川料理が好きだが、四川の激辛料理だけは気をつけた方が良いね。下手したら、次の日にケツから噴火が起きるからね。でも、食いたくなるんだよね。

☆ここで書いた事は、地元の普通の料理屋での話。

 

コメント (2)
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上海衡山路のバーで

2023-02-01 | 遠い記憶-上海 オールドレンズ

ミュージシャンのジムおじさん

 

オーナーの隆

 

オーナーの隆

 

過去の画像から

春節が明け上海の街は少しずつ元気を取り戻してきた。天気のよい日は老人達も積極的に外に出て日光浴をしている人が増えたが、全員マスクは手放さない。街を歩いているとマスク無しの人も増えているが、おそらくコロナに感染し完治した人達だろうな。小さな店は従業員がまだ戻ってない店も多く、2月1日から営業開始の店も多い。これは、鉄道や航空運賃が高いピーク時を外す目的もあるし、3年間帰省出来なかったスタッフへの配慮でもある。

画像は私が週に2回ほど通い呑んだくれていた上海衡山路の"Le Garçon Chinois"だ。この店は週末にライブステージがあるので、欧米人の客や外資に勤める中国人も多く、常連は閉店後もオーナーの隆と呑んだくれていたのを思い出すが、集団で騒ぐ欧米人や中国人はひとりも居なかった。私が日本村付近のバーに行かなかったのは、店の中に入ると日本人しかいないのが理由のひとつ。日本人オーナーの居酒屋の一部は、学生のノリが忘れられず集団で大声出して騒ぐ駐在員の奴らが多く、他の客や店のスタッフも顔を顰めるほど醜く思っていたが、当の日本人達は迷惑をかけているという意識は一切無し。呑み屋で群れて大声で騒ぐ若い日本人は最悪というのは、こちらでは昔から有名だった。

このバーで2012年の反日デモの時期、私の隣で食事をしていた知り合いのイギリス人親子の会話が聞こえてきた。中学生の娘「どうして日本と中国は仲が悪いの?」父親「隣に日本人がいるので自分で聞いてみなさい」と。隣にいたのは私だが、質問が来なかったので私も答えなかった。この"Le Garçon Chinois"は、衡山路の都市開発に引っかかり閉店し、現在はオーナーの生まれ故郷の高知市菜園場で営業を続けている。

☆この頃は、Canonのデジカメ+Canon FD50mm f1.4+補正レンズ付きアダプターを常時持ち歩いていた頃。

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