海上撮影家が見た上海2

上海で撮影活動をしている海原修平のBlog。「海上」とは上海の逆で、新しい上海という意味。更新は不定期。

上海で一番長く住んだ新華路付近へ

2024-04-15 | 写真日記

10年住んだ新華路の名前のない裏路地 思えばここが一番住みやすかった

 

最寄駅は虹橋路駅

 

虹橋路駅前は再開発でビルだらけ

 

人が少な過ぎる

 

パクられ中

 

2003年に2年間だけ住んでいた古いマンションが奥に見える

 

猫の店員が

 

宋園路

 

古羊路

 

時間調整のために、私が2003年から2年間と2010年から10年間住んだ地下鉄"虹橋路駅"から近い新華路付近を歩いてみた。21年前のこの地域は国営工場跡地で、その頃は民間に安く貸し出しローカルの小さな市場などがあり、とても好きな場所だった。その後、この区域は立ち退きが始まり長期間更地になり数年前には高層ビルが建ち並ぶオフィスビル街に大変身。この付近の昔の面影を知っている日本人も今では少ないだろうな。新型コロナと経済の影響もあり、このオフィス街が現在どのくらい稼働しているのか分からないが、人が少な過ぎるオフィス街になっているようだ。この虹橋路駅のある凱旋路から右に曲がり虹橋路に出て宋園路に向かい古羊路方向へ向かった。この古羊路は、かつて日本の飲食のメッカといわれていた場所だが、突然の退去命令で絶滅日本村と言われていた場所。

毎日のように昼も夜も酒と飯を誘われていて、昨日の夜も元アシスタントのスタジオで昔の仲間二家族と昔のスタッフと酒盛り。本日の昼は、"孔乙己酒家本店"で飯と酒を。この本店の老板曰く、今後本店が再開発でどうなるか分からないので、20年以上前から続くこの店を見ておいて欲しいとの事。そうなんだよね、再開発って突然通達が来るんだよね、この国は。

☆2020年の3月7日に私は上海に再入国したが、その後に発給済みビザがすべて無効になり、上海に戻れない外国人が激増した。という事で、私はとてもラッキーだったと言える。その時のブログ→コレ  ここから隔離生活の第一歩を経験し、その後もホテル隔離や自宅隔離、そして2ヶ月のロックダウンを。

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする