雪月花 季節を感じて

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初心

2007年02月08日 | 筆すさび ‥俳画
 
 毎月一回の俳画の稽古も今月で五回目。毎回、画題のお手本とは別に、先生のはがき絵をひとりに一枚ずつくださいます。先月は、「帰 初心」と賛のある産衣を着けた赤子の絵で、拝見したとたん、わたしは声にならない声を上げてしまいました。「無垢」という言葉が絵に成ったもの‥ こう言葉で説明すると、絵から伝わるものが軽々しくなってしまうのですが、批判を覚悟で告白すれば、「あの横山大観の『無我』を超えている」とさえ思いました。

 その後、何度も何度もこの絵を写しました。でも、どうやっても先生の赤子にたどりつけない。賛の代わりに、赤子の視線の先に咲き初めた紅梅を添えてみたのですが、赤子をなんとか描けたと思えば梅が不自然だったり、梅が描けたと安堵すれば赤子の表情がちっとも初々しくない、という失敗の繰り返し。さすがに疲れてきて、そろそろ集中力が切れそう‥と感じ始めたころ、力が抜けたせいか、ようやく今回の絵が成りました。それなら、もうひとつ描けたら納得がゆくかもしれない、とつづけましたところ、これ以上のものはもうできませんでした。そこで筆をおきました。ですから、この絵は未完です。この画題は今後も描きつづけるつもりです。


 先生にとって「帰 初心」でも、わたしはまだその「初心」すら身についていません。いわゆる「かたち」に拘泥しない俳画において、「初心」とは書くよろこび、向上しようという気持ちの充満であり、それが横溢して絵に表れるまで稽古することと考えます。そうして初めて、「初心忘れず」といえるのではないでしょうか。

 そんなとき、『俳画手引』という本を書店で偶然見つけましたのです。著者の赤松柳史(故人)という名をどこかで聞いたと思い、調べましたら、なんとわたしの先生のお師匠さまでした。「やれやれ、これではいけない」と、赤松先生がわざわざわたしを訪ねてくださったのでしょうか。有難いことです。
 本には、こうあります。

 うぶうぶしいものには何をやっても 美しさが感じられる‥
 道を極めての童心、道を完成した後の無我、そしてそのような心に
 よってなる稚拙は、俳画として、われわれの最も尊ぶところである。


 先生の赤子の絵は、まさにこのようなものです。わたしの下手な説明など、まったく不要なことでした。‥‥


 もし、みなさまがこの拙画に何かを感じてくだされば恭悦です。

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  一筆箋


※ 『俳画手引』 は さくら書房 で紹介しています。
 
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