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今日から霜月。月めくりの暦も残すところ二枚となりました。年賀はがきの発売が始まりますので、どんな絵柄にしようかしらと考えています。
先日はみなさまの書棚の本や本にまつわるお話を紹介してくださり、有難うございました。おかげさまで深く広い本の森の散策を楽しみました。今後もお気軽にみなさまの本のことなどをコメント欄にお寄せください。
十一月三日は旧暦の九月十三日、後の月見の日です。仲秋の東京はあいにくの雨月でしたけれども、後の月は拝むことができるでしょうか。
仲秋と十三夜に、おだんごなどの供物をのせるわが家のうつわは「銀彩月明半月皿(ぎんさいつきあかりはんげつざら)」です。先日、手づくりのうさぎまんぢう「月兎」をのせましたのはこのお皿です。ふだん使いのうつわはシンプルな土もの(陶器)が多いのですが、季節ものの色絵皿などは暮らしのアクセントとして取り入れて楽しんでいます。
古書店で山下景子さんの『美人のいろは』(幻冬舎刊 ※)という本を見つけて読んでいましたら、今年の十三夜にふさわしい、きれいな言の葉を拾いました。「落葉衣(おちばごろも)」─ 本には「木の間からもれる月の光。それが衣服に影を落として、落ち葉の模様を描いている‥ それを落葉衣と呼びます」とあります。落葉の季節に迎える十三夜にぴったりの季語と思いませんか。
「落葉衣」を詠んだこんな和歌があるそうです。
秋の夜の月の影こそこのまよりおちば衣と身にうつりけれ
(『後撰集』 よみ人しらず)
十三夜は外でお月見をするのもよさそう。落葉の散りかかる木々の下をただよいながら、木の間から後の月を仰ぐ‥ 落葉衣を身にまといつつ。
また、果てしなくすすき野の広がる武蔵野の月夜に詠まれた衣もあります。かつて、歌枕の武蔵野には衣を打つ砧(きぬた ※)の音がひびいていました。
さ夜ふけてきぬたの音ぞたゆむなる月を見つゝや衣うつらん
月見をしながら衣を打っているのだろうか、砧の音がとぎれがちのようだ
(『千載集』 仁和寺後入道法親王覚性)
冷たく、氷のような月のかかる夜に、武蔵野の村にさびしくひびきわたる砧の音。和歌や能の世界においては砧を打つのは女性ときまっていますが、遠く離れている恋人への想いをこめた砧の音は、さえぎるもののない荒涼とした武蔵野をさまようばかりだったのではないでしょうか。
落葉衣も、想い人を偲ぶ衣も、あはれが身にしむ秋の月夜ならではのものだったのですね。
唐衣(からころも)なれにしつまをしのぶ夜はかたぶく月の影にうつろふ
(雪月花)
よいお月見を‥
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※ 『美人のいろは』は雪月花のWeb書店で紹介しています。
※ 砧は、麻・楮(こうぞ)・葛(くず)などで織った布や絹を木槌(きづち)で打って柔らかくし、
つやを出すのに用いる木または石の台のことです。また、それを打つことや打つ音のこと。
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月の衣、和の響のある言葉ですね。
今回ご紹介の「美人のいろは」山下景子様著は、是非近々に読ませていただくことになるでしょう。
自分のブログでは、雑なことばかり投稿しておりますが、実は私どものブランド名が「いろ波」と申します。
正式には、「自分の色を楽しむ無地染め 彩遊姫 いろ波」として、吉天選定色で色無地のきものを別染めいたしております。季節の色や、心に残る色が絹の輝きと共に映えるのは、仕事冥利につきる喜びでございます。
そんなことで、福田喜重先生の個展も、銀座に出て観賞させていただきます。
いつも幅広い和の美と文化をご紹介いただき感謝いたしております。
落葉衣のほかに「月」と結びつく言葉を『美人のいろは』から拾ってみました。「片月(へんげつ)」「月の鏡」「月映え」「月夜影」「月明かり」「月華(月花)」「月色(げっしょく)」「水月(すいげつ)」「月読み(つくよみ)」「月の雫」‥ 「月の鏡」は満月のことですけれども、月に照らし出されるわが身を詠んだ歴史上の人物の歌もありました。
直からぬ心をかくす我が影に厭わず照らす月ぞ恥ずかし
(太田道灌)
うつすとも水も思わずうつるとも月も思わず広沢の池
(新撰組・近藤勇)
道灌の歌は、まっすぐなこころを持たないわが身にも、月は等しく光を照らしてくれている、という自戒をこめたもの。近藤の歌は「月影剣」の極意を水月(水に映る月)に託し、剣は自然と同じように無心であるべきものとして、免許目録にこの歌を記していたそうです。
> 吉天さん、おはようございます。
山下景子さんは、著書のほかにメールマガジンも配信されています。月~金曜日まで毎日ひとつずつ、日本の美しい言の葉を紹介したコラムを届けてくださいます。下記のページに詳細があります。
「夢の言の葉」
http://plaza.rakuten.co.jp/yumenokotonoha/
「夢の言の葉」メールマガジンの申込みはこちらから
http://www.mag2.com/m/0000130676.html
吉天さんのお仕事は染色だったのですね! 平安時代に洗練を極めた美しい日本の色への魅力は尽きないのですけれども、古人の感性と技を現代によみがえらせ、伝えるお仕事をされているなんてすばらしいです。「いろ波」というお名まえには、吉天さんのどのような色への思いがこめられているのでしょう。いろいろと想像してしまいます ^^
福田喜重氏は刺繍だけでなく染色においても一級のお仕事をされるそうです。御作を拝見するのは今回で二度目になるのですが、どのような美の世界が広がっているのかほんとうに楽しみです。後日、吉天さんのご感想などぜひ聞かせてください。
> 紫草さん、おはようございます。
素人の拙い歌に丁寧な解釈を添えてくださり恐縮しています。コメントを拝見して、穴があったら入りたい気持ちになりました ^^;
恥を覚悟してお話ししますと、『伊勢物語』の中の、かの有名な「かきつばた」を詠んだ歌、
唐衣着つつなれにしつましあればはるばる来ぬる旅をしぞおもふ
の返歌のつもりで創作いたしました。ですから、まったく想像の世界です。「からころも」は「なれ(慣れ)」を引き出す枕詞の役目とともに、遠く離れた夫への思いがつのる夜も、夫のためにしつらえた衣も、西へかたむく月とともにむなしくうつろってゆく‥ そんな意味をこめました。つまらぬ言葉遊びの歌とお思いになって、ご笑納くださいませ。
‥ちなみに、わが夫は今日も元気に出勤いたしました。午後は早退させて、モーツァルトのコンサートに同伴させます ^^
落葉衣、いい響きですね。古人の感性は素敵です。山下景子さんの本「美人の日本語」は持っています。「美人のいろは」も読んでみたくなりました^^
私は、最近夜のお散歩、1時間くらいしています。夫とmomoと3人?で。それとお月様と一緒に。
歩きながらお月様を眺めております。一日一日と姿を変える様を観て、人生と重ね合わせて満ち欠けしながら生きてゆくのもいいもの・・・なんて秋の感傷に耽ったりしております^^
霜月、こちらも朝晩寒くなってきました。
秋の夜長、モーツアルトいいですね。楽しんできてくださね。
聞けば、落葉を愛でる風習は我が国だけだとか。落葉掻き或いは落葉掃きそして落葉焚き。昔、風呂の焚きつけに拾って入れた落葉籠。公園の中にはせせらぎが流れていて、気紛れに浮かべてみたのは落葉舟とでも言うのでしょうか。
明日の三日は十三夜。少し遠出して、落葉衣の風情を楽しむのも佳しと。縁起の良い「十三夜様」を拝むと成功するとの言い伝えを、今更ながら成就を願うことも無いので、後の月を愛でながらの月見酒も許される・・・と思うのですが。
「洛北大原行」 木下利玄
晩秋の一日思ひ立ちて、京都より大原の奥を訪ぬ
おし黙る一人の歩み昼たけて八瀬大橋を渡りけるかも
先づ三千院へ
大原の三千院に行きつきて靴ぬぎたれば汗ばみ冷えつ
小坊主の後より入りつ往生極楽院浄らにつめたみ虔ましもよ
山の堂しゞまの深みに物言ひしあとの幽けさ身を省みる
山もとづたひに寂光院へ
寂光院の床ふむにつべたみそゞろに見る阿波の内侍のはりぼての像
お堂出づれば只今の間に日はかくれ雨の粉ちれり大原の峡に
庵室の障子あけてみれば日はかげり又日は照るも大原の峡に
庵室の障子に午后の日あかるく山の底冷え膝に感ずる
庵室の障子あかるき午后にして茶を汲む尼の頬の紅きこと
寂光院の尼の頬あかき午后にして日は照り雨の粉ちりにけり
峽小田は大方苅られ大原山黄葉残る木々を渡る風あり
女院の山のみさゝぎ夕照れり京都へのかへりをいそぎて拝す
帰るさ
月夜になり昼間あるきし三里のみちつゆけくあかるし俥にてかへる
月夜にゆく道のかたはらの槙林しめらにさやぎて又しづまりつ
「落葉衣」のひびきもいい・・・
「美人の日本語」は手元において時々ひもどいています・・・「美人のいろは」も興味あります。
「武蔵野」の蓋置きを使い、ゆく秋を楽しみ、やがて初冬をむかえる準備も・・・・
明日は「初もみじ」をテーマにしたお茶会をいたします。お茶会デビューの生徒さんたち、今日の予行から
緊張の様子でした。地元の文化祭の気楽なお茶会です
。美味しいお菓子にお茶で心をこめておもてなししたいです。
> みいさん、こんにちは。
三人(?)家族みんなでお月見の散歩だなんて、食いしん坊のわが家よりずっと風流なお暮らしぶりです‥(笑 momoちゃんの目に、月はどんなふうに映るのでしょうね。
『美人のいろは』は、和歌、俳句、古典文学や詩の一節などが数多く添えられています。ぜひ読んでみてくださいね。『美人の日本語』よりも知らなかった言葉がたくさん収録されていて勉強になりました。
昨夜は、ウィーン交響楽団によるモーツァルトとマーラー、アンコールにシュトラウスを聴きました。モーツァルトとマーラーという、まったくちがうタイプの作曲家の音楽に一度に触れて、新鮮な驚きと発見がありました。
> 道草さん、
深秋の古都の逍遥、十三夜に月見酒‥ いいですねぇ、京都へ向けて新幹線に飛び乗りたくなります(笑
二日前、夕ひばりさんの住む町までドライブしました。東京の奥座敷にある梅の里で、山紫水明、多摩川の清流を抱く渓谷の美しいところです。吉川英治が疎開し、川合玉堂が愛した山里です。山は黄葉が始まっていて、道路に沿ってつづく北山杉を思わせるような繊細な杉林は蔦紅葉の紅が目に鮮やかでした。わたしは、自然欠乏症になるときまってこの町へ出かけます。夕ひばりさんと、いつかこの町でお会いしたいと思っています ^^
あのこころない放火事件ののち、寂光院はどうなりましたでしょうか。一族滅亡という女院の深い哀しみが、千年の後もそこにただよっている気がしてなりません。
西の山の麓に一宇の御堂あり。すなはち寂光院これなり。
古う作りなせる前水、木立、よしあるさまの所なり。
「甍破れては霧不断の香をたき、枢(とぼそ)落ちては
月常住の灯をかかぐ」とも、かやうの所をや申すべき。
‥‥
思ひきや深山の奥に住まひして雲居の月をよそに見んとは
いにしへも夢になりにしことなれば柴の編み戸も久しからじな
(『平家物語』 大原御幸、女院死去より)
> uragojpさん、
炉開きとなり、お忙しい日々を送られていることと思います。「武蔵野」の蓋置きにはすすきがゆれているのでしょうか。
昨日はテーブル茶道の二回目のお稽古でした。立礼なので風炉はそのまま使用していましたけれども、花器、菓子器などそのほかのお道具は冬のものに変わり、花に照り葉が添えられました。今年は温暖化のせいか椿の花が遅いようです、と先生が心配されていました。主菓子は銀杏、干菓子は栗せんべい。お菓子も秋の色ですね ^^
文化の日はお茶席の世話でまたお忙しいことでしょう。盛会をお祈りしております。
ところで、山下景子さんの「美人の日本語」は私の愛読書のひとつだったのですが、「美人のいろは」が出版されていたのですね。知りませんでした。早速買います。ありがとうございます。
お返事がたいへん遅くなりました。絵をほめていただいてうれしいです、有難うございます。でも‥ これは水彩画なんですよ ^^ゞ 俳画は次回のせる予定です。
『美人のいろは』をご紹介してよかったです。内容も『美人の日本語』より充実していると思います。
バタバタしていて、月のことや、落ち葉のことを感じる余裕がありませんでした。
連休が終わり、ホッと一段落。
落葉衣をイメージする秋の句を見つけました。
嵐吹く三室の山のもみぢ葉は 龍田の川の錦なりけり
(百人一首 能因法師)
奈良に「みむろ」というとっても素朴で美味しい最中があります。知り合いに頼んで送ってもらって食べたくなるほど大好きです。
・・・秋は、つい食欲の方にいってしまい、体重計が恐ろしやです。お茶うけも錦色のもみぢの葉がありますよね。
そろそろ木枯らしが吹く頃となりそうです。
3日に上野に行ってきたのですが、黄昏時のお月様がとっても美しく輝いていました。
月は思い人を偲ぶ、最高の道連れですね。
どうして、にわかに「和」が注目され始めたのか…?
(一過性の流行?)
本物のインテリジェンスを持つ<雪月花>様の、お考えを教えて下さい。
(深夜に、窓を叩く風の音…バカだなあ、お前は…)