紫陽草や帷子時の薄浅黄
(あじさいやかたびらどきのうすあさぎ 松尾芭蕉)
日本の雨の季節をいろどる紫陽花。「七変化」ともよばれて、その蕾を薄緑、淡黄、白と色を変えつつ成長させ、雨にうたれて浅黄、藍、瑠璃色に染まってゆきます。一方、帷子は、生絹や麻布で仕立てた夏用の単衣(ひとえ)のきもので、「端午より九月朔日に至るまでこれを着る。端午には浅葱色を用ひ、七夕、八朔(=旧暦の八月一日)には白帷子を用ふ。近代士庶人の通例なり」(『和漢三才図会』より)とあるように、青から薄青、さらに白へと、時とともに色を浅くしていったそうです。
すると、どうでしょう。紫陽花は薄浅葱から瑠璃色へ、帷子は青から浅葱を経て白へ‥
両者の色がたがいにすれ違いながら同色に出会う時期は、
これはほんの短い期間のことだろう。陰暦五月、そのつかの間の
時空を薄い浅葱色に染める印象を、芭蕉は言っている。そこに、
片や深まってゆく色の、片や浅くなってゆく色の行方を見守っている
ところが甚だしゃれていて、これは、春の桜狩は端山から奥山へ、
秋の紅葉狩りは奥山から端山へと必ず考えた日本人の
伝統的美意識にかなっている。
(安東次男著 『蕉風俳諧の色』より)
花ときものの色のゆきかう交差点で、芭蕉の句は詠まれました。梅雨のうっとうしさをひととき忘れさせてくれる涼しげな趣のある句ですが、人が帷子を着る時節に、紫陽花が帷子の色と同じく薄浅葱色(淡青色)の花を咲かせている─ と受けとめるだけでは、一時の色しか見えてこないのです。
『奥の細道』の冒頭で、「月日は百代の過客にして行かふ年も又旅人也」と、ゆく年とくる年を「行かふ」と表現した俳諧師・芭蕉の非凡さを、『蕉風俳諧の色』の著者・安東氏はこの句をかりて鋭く指摘します。いま、わたしたちは帷子とともに、何か大切なものを失ってしまったのかもしれません。
「SAMURAI BLUE 2006」とペインティングされた旅客機に乗り、フランクフルト経由で日本 ─ オーストリアを往復しました。日本はこれから秋の白風の吹くまで、ジャパン・ブルーに染まるでしょう。紫陽花は日ごとに花のまりを大きくしながら、雨のふりそそぐのを待っています。
参考文献/ 大岡信編 『日本の色』 朝日選書139
※ 「新ブログ開設のお知らせ」も読んでくださいね↓
帷子は女人や武士の着る夏の単衣を言うとともに、埋葬する遺骸に白帷子を着せることもあるようです。つまり、時には「旅立ちの衣装」でもあるわけです。
歳月と旅人は「行き交ふ」とした芭蕉は、奥の細道の最後でまた舟に乗り、「蛤のふた見にわかれ行く秋ぞ」と詠んでいます。人間は死ぬまで旅を続ける。人と人とは行き違うばかりで、同じ場所に留まることはないと言うことなのでしょうか。
紫陽花は年々歳々花をつけるでしょうが、年々歳々人は必ずしも同じではない、と言えるのかもしれません。その紫陽花も、雨に洗われながらいずれは色褪せて行きます。せめて私達の心が、いつまでも色褪せずにあるにはどうすればよいのか。私にはよく分かりません。「紫陽花」と「(経)帷子」の詩です。
「紫陽花」(ある詩人の独白) 堀口大学
ばらだから褪せもしようさ
紫陽花だ 雨に色ます
ばらだから香りも失せようさ
紫陽花だ 匂いはいらぬ
青ざめた丸顔だって?
その代わり 頬は散らない
赤いばかりが色かってんだ
青いのも花の色だよ
雨ふれば平気でぬれる
風ふけば平気でゆれる
蝶もこないが 毛虫もつかぬ
刺なんか元より不要
丸腰ものんきなものよ
葉のつやで元気が知れる
花期だって比較にならぬ
三倍も五倍も長い!
「経帷子」 野口米次郎
『君 経帷子(きょうかたびら)を持つて来るには少々早すぎるね、』
かう僕は死にいつた。 死は妙に微笑した。
『ほんの仮縫にですよ』 と死は僕に答へた。
『其処が余り緩るすぎやせんかね、 また此処が堅すぎる。
第一 僕はこの色合が気に入らぬ。
なにはさて置いても、多少スタイルが無くてはね。』
死は軽蔑(あざわら)ふ大きい笑を洩らした、
そしていつた、『御常談ものですよ、
これはあなたの生の着物を
一寸ひつくり返へしたのみぢやありませんか。』
つい先日、福岡県「筥崎宮献茶式」に出かけ
境内の花園で「土佐の暁」という紫陽花を
求めてきました。
会のたび花剪る 今日は額を剪る 虚子
紅額、淡青色など・・・
長崎も「あじさい祭り」開催中・・・
「京楽點画」 吉井 勇
京住みのゆゑにかあらむ回顧癖
つのりてゆくをあはれとも見つ
紫陽花忌とは多佳女忌のことなるか
あはれあはれと思ひ目つぶる
今日もまたわれは通りぬ
そのむかし狩野元信すみけるところ
夏ちかき京の逵(つむじ)に往き逢ひし
祇園老妓のものの言ひやう
わが留守に粽(ちまき)の壽司が届きゐぬ
京のひと日はかくておもしろ
拗ねものの無腸翁(むちゃうおきな)のざれ書きの
文字を愛でつつ京住みぞする
出雲路の旅にて得たるぼて茶碗
見つつしあれば慵(もの)うからむか
去年食(こぞは)みし豆飯の味
おもひつつ八幡法師に消息をする
夕ぐれまでに片附けものをする妹(いも)の
うしろ姿も梅雨曇りして
世を去りし祇園蘇小(ぎおんそせ)のいくたりを
思ひ出しぬ夜半の寝覺めに
> 道草さま、
いつも道草さまからいただく詩や句は、道草さまのたどられてきた人生の深みや味わいをそのまま反映しているように感じられます。有難うございます。白帷子は死に装束だったとは知りませんでしたけれども、白は再生を意味する色でもあるようです。人生の初めと終りの色であり、それはまた連続した色であり、人生の表裏の色でもあるのでしょうか。
> magnoriaさん、お久しぶりです。
須山雄子さんの『紫陽花の貴婦人』、なんて美しい色の文章なのでしょう、感激しました。有難うございます。成熟した女性にこそふさわしい瑠璃色のジュエリーなんて、ほんとうに憧れます。このたびザルツブルクとウィーンの街を訪れて、人も街も成熟しているとつくづく実感したのですけれども、この中欧に輝く宝石のような街を優雅に歩くご婦人にこそ似合いそう。いまの自分にふさわしい色がどんな色なのか、意識して生きてゆくことも大切なのですね。
> uragojpさん、
お茶花には、やはり甘茶や山紫陽花が清楚で好もしいですね。紫陽花もたくさんの園芸種が開発されておりますが、わたしの名と同じ「プリンセス・クミコ」というオレンジ色(?)の花があることを母から聞きました。いったいどんな花なのか、残念ながらまだ実物に出合っていないのですけれども‥。でもでも、無類のパン好きだったり、モーツァルトが日々の暮らしの友だったり‥、お茶の世界の外にいらっしゃるときのuragojpさんのお暮らしぶりに触れることができてうれしいです ^^ 新ブログのほうではそんなお話をもっと伺えるでしょうか。楽しみです。
野山の青葉もすでに茂り、梅雨とはいっても日によっては夏のような暑さです。
六月からの茶趣は「涼一味」につきますね。
茶人は、晴れてもよし、雨もまたよしと、その時季を楽しんでいます。窓外の雨滴声を聴きながら一服の茶を喫するのも風流なことです。
また六月にのみ使われるお菓子「水無月」があります。小麦粉に砂糖を入れ、小豆を散らし蒸し上げたものですが、それを三角に切り、いかにも氷室から切り出した氷のような涼やかさを賞味するものです。
薄茶席の床に花を挿してみました。
掛物・一雨潤千山
香合・傘
花入・手付籠
花 ・額紫陽花 蛍袋 刈萱
紫陽花の八重咲くごとく やつしろに をいませわが背子 見つつ偲はむ (万葉集 橘諸兄)
訳・(アジサイが八重に咲くように、いつまでも栄えておいで下さい、あなたよ。アジサイを見ながら偲びましょう。)
平茶碗に薄茶を点て一服頂くのも雨中の風情を感じさせてくれますね。
紫陽花は咲き始めから、落花まで「七変化」いろいろな美しさでかなり長い間楽しませてくれますね。今年も近くの紫陽花寺に行くのが楽しみです。雨の季節も楽しまなくてはね。
雪月花さんのブログ再開を心待ちにしておりましたら、ウィーン・ザルツブルグ旅ブログが生まれていて、素敵なお土産をいただいた気分です。
私の母方祖父は孫から見れば怖い昔気質の人でした。その祖父の形見分けに母がもらったのが、母の結婚式に着用したという浅葱色の麻のきものでした。ずっと箪笥にしまい込まれていたものを、私のきもの開眼がきっかけで発掘し、母に頼み込んでスーツに仕立ててもらいました。
どうしても消えないシミは目立たないスカートの後ろ身頃にと、苦心して縫い上げてもらった麻のスーツ。今や母も目も手先も衰え、ミシンから離れてしまいましたので、宝物となりました。
盛夏の一時、袖を通します。生前は親しむことの無かった祖父ですが、今はとても身近に感じられます。
雪月花さんのエッセイを拝読して、亡き人の思い出にしばし浸りました。ありがとうございます。
しとしととそぼ降る雨に耳を澄ましていると、自然の恵みに包まれる喜びを感じられる歳になりました。
紫陽花の七変化を存分に楽しみたいと思います。
とても素敵な色合いに、心癒されました。
私の紫陽花の色は、涙色なのですが、此処に寄せていただきこの色に出会い、少し和みました。
ジューン・ドロップ。本当は柿の落花を言うらしいですが、私には紫陽花の中心にある小さい花
(花びらはガク?とか)がいつもジューン・ドロップ。そして涙に見えていました。
でも、今日は優しさに癒されました。有難う御座います。
「紫陽花の浅黄のままの月夜かな」 鈴木花蓑
京都洛北の詩仙堂の額あじさい、素敵です。