青水無月の風光に響き合う美しい絵画のお話です。
アンドレ・ブラジリエ(1929年~)というフランスの画家がいます。この画家の絵との出合いはいつだったのか、もう忘れてしまったけれど、ずいぶん前から好んで鑑賞しています。
特徴はご覧のとおり、大胆な構図にやわらかなフォルム、鮮やかなブルーとグリーン、草原の風を感じる詩的な作風です。題材は馬(あるいは乗馬)、音楽、そして奥さまのシャンタル夫人を描いたものが多く、わたしは馬と夫人を描いた絵が好きです。
現在、東京郊外の美術館にてこのブラジリエ展が開催されており、招待券をいただいて出かけたところ、うれしい発見がありました。故・東山魁夷画伯(1908~1999年)が、生前にこの画家と親交があったというのです。画伯のほうがブラジリエの構図と色に感銘を受け、それからふたりは親しくつきあうようになったようです。そういえば、ブラジリエのブルーとグリーンを通りぬけると、画伯の絵の青と緑に容易にたどりつくではありませんか。タッチや色調は異なるにもかかわらず‥ です。
若い時分に西洋の絵画を学ぶべくドイツとオーストリアに留学した画伯は、晩年に夫人とふたりでふたたびその地を訪れます。また、画伯はモーツァルトの音楽をこよなく愛しました。64歳の一年間に作成された18枚の連作「白い馬の見える風景」(※)には、中欧の神秘的な湖や森が美しい天上の音楽を奏でるように描かれています。大自然の中を自由に駆ける白馬の姿─ それはきっと、モーツァルトの音楽、そしてブラジリエの絵との出合いがすくなからず影響しているにちがいない。‥
フランスと日本の画壇を代表するふたりの画家の間に育まれた友情と幸福に、思いをはせています。
※ 東山魁夷の白馬の連作については下記が詳しいのでご覧ください。
ブラジリエの「川面に映る馬」(当記事上の絵)と画伯の「水辺の朝」を
あわせて見ると、ブラジリエとの交流が想像されます。
→ 美の巨人たち 「白い馬の見える風景」
ブラジリエと東山魁夷の出会い、とても興味深く読ませていただきました。
父の影響で小学生の頃に「白い馬の見える風景」に出会いました。「白馬の森」の絵はがきを買ってもらって机の上に飾り、ふとした日常の隙間に眺めているのが好きでした。一頭きりで描かれていてもそこに孤独の翳りはなく、風景に溶け込みながらも確かな魂を抱いて立っている。そんな凛々しさやしなやかさに惹かれたのだと思います。
ブラジリエのブルーとグリーンも、透明感のあるしなやかさに満ちていると感じました。
出会いは大きな流れの源ですね。互いの魂が呼びあい、出会うべくして出会った二人の画家。感動しました。
リンク先の「美の巨人たち」のページも読みました。白い馬はきっと、人の見る風景の其処此処に常に佇んでいるのでしょうね。見えるか見えないか、それは心の眼によるのかもしれません。
一瞬、「あら?東山画伯のかしら?」と思うほど、雰囲気が似ていますね。優しく響く。
私が住んでおります香川にも、東山魁夷せとうち美術館ができ、瀬戸内海の穏やかな風景とともに、画伯の絵を楽しむことができます。お好きだったという、「ピアノ協奏曲第23番イ長調K.488第二楽章」はとても静かに、心にしみてくる響きですね。画集や画伯の本を読むときには、いつも聞いております。
思いがけず、画伯の交流された方をご紹介いただきありがとうございました。
魁夷の作品ではこれらの他に緑の季節を描いたものがかなり多く、「山峡雨晴」「夏山白雲」「青い山峡」など私はそれらを観るたびに、山頭火の「分け入っても分け入っても青い山」の句が思い浮かびます。或いは、「この旅、果てもないつくづくぼうし」。勿論、魁夷と山頭火の生き様は全く異なりますので、私の独断と偏見に過ぎませんが。それともう一つ。雪月花さんはご存じでしょうが、「道」と題する魁夷の作品が私には最も印象に残っています。「まつすぐな道でさみしい」。これこそ山頭火の句にぴったりである、と一人で感じ入っております。話が横道へ逸れて申し訳ありません。
ブラジリェの「川面に映る馬」は、私も東山画伯の絵?と思ってしまいました。深い魂の交流があったことを窺い知ることができます。
画伯の画集には、心に響く詩のような文が添えられてあります。「心の奥にある森は、誰も窺い知ることは出来ない」と・・・。
ブラジリェの画集見てみたくなりました。展覧会は、ちょっと遠すぎるので^^
ブラジリエの青で統一された絵、素敵ですね。
東山魁夷の絵に雰囲気が似ているなぁと思ったのですが、
「ブラジリエと東山魁夷の出会い」についての記述があり、
おぉぉ!とうなってしまいました。
雪月花さんの記事はとても学びが多いので感心して
おります。いつもありがとうございます(^^)
ザルツブルクからウィーンへの移動は三時間の汽車の旅でした。車窓に流れるのは、どこまでもつづく丘と森、その翠緑を映すせせらぎと湖水、点在する村とちいさな教会。そんな絵画のような風景の中に、ふいに白馬が現われて、風をおこしながら疾駆するのを想像するのはたやすいことです。ブラジリエの馬も画伯の馬も、画家の祈りをのせて世界各国を自由に駆けてゆきます。この世に青く美しい自然がある限り。
> 珈名さん、
画伯の白馬は「一頭きりで描かれていてもそこに孤独の翳りはなく、風景に溶け込みながらも確かな魂を抱いて立っている」‥ほんとうにそのとおりですね。主題ではないのに、白馬は観る者のこころに一瞬にして棲みつく。美しい自然の中で生が躍動する悦び、水のほとりで憩うひととき。生とはかくあるべきという画伯の願いなのでしょうか。
> moka616さん、はじめまして。
「灯台下暗し」で、木々の存在にわたしは気づいていませんでした。ブラジリエはなぜ森をへだてたこちら側から見た馬を遠景として描いたのか─ そのことを考えてみることはよいことでしょう。森の中の画家の存在もたしかに感じられます。手もとにこの絵の絵葉書があるので、もう一度見つめなおしてみます。有難うございました。
> neigeさん、お久しぶりです。
おや、と思うほど画伯の絵に通じるものがありますよね。そのことに、なぜこれまで気づかなかったのか‥、自分の眼の不確かさを嘆いています。せとうち美術館のことは、コメントをくださったみいさんから聞いています。近くなら今すぐ行ってみたい。
‥ちょうどいま、わたしの部屋にモーツァルトの「ピアノ協奏曲第23番 イ長調 K.488 第二楽章」が流れてきました。雨音にとけあう音色、悲痛な旋律への甘やかな陶酔─ 永遠に続いてほしい時間です。
> 道草さん、
話が横道に逸れるだなんて、とんでもない。画伯の絵は山頭火の句そのものではないですか! 驚きました‥目からウロコです。画伯と山頭火は、生き様がちがうなんてこととはまったく無縁の世界の、美の原点を共有しているのではないでしょうか。実は、以前から道草さんがコメントに残してくださる山頭火の句がとても気になっていて、最近古書店で『草木塔』を求めました。本日は朝から読書日和の恵雨、その本をひらくことにいたしましょう。
ブラジリエの複数の馬と、画伯の一頭の馬。このこともぜひ考えてみます。有難うございました。
> みいさん、
みいさんとは共通する話題が多く、毎回お話しするのが楽しみです ^^ わたしも絵だけでなく、絵に添えられた画伯の言葉や著書も、みなさんにおすすめしたいなと思います。白馬はいつも画伯の清んだ心象風景に現われたのだろうけれど、観る者のこころもようを映す鏡なのかもしれませんね。
> むろぴいさん、
ブラジリエの絵を見てすぐに東山魁夷の絵と結びついたなんて、鋭いですね! わたしは美術館の解説を読むまで気づかなくて、自分の絵を観る眼をなさけなく思います。本日の友常先生の講義は「日本の色」でしたね。前回今回と、色をテーマに書いてきたのでとても気になります。またも伺えなくて残念なのですが、この先中野サンプラザで行われる折にいつか必ず参加しますので、よろしくお願いいたします。
東山画伯?と思い、続けてコメントを読み、又感激しました。東山画伯の絵はもう好きで好きで。絵と人柄に尊敬の念。
余談になりますが、私は奈良の高校を卒業しました。其の時の名物校長の植栗伊右衛門先生が教師になって初めて、神戸で少年の東山画伯に出会われました。其の時の話を何回も何回も聞かせて下さいました。それ以後、東山画伯に熱中しています。尊敬(なんておこがましいけれど)しています。校長先生の追悼文集の表紙に東山画伯が絵を描いてくださいました。
今日は、又、知らない東山画伯のエピソードを知りました。ますます感激。
今夜は、東山画伯の画集を眺めて幸せな眠りにつきます。有難う御座います。
あっ!アンドレ・ブラジリエの絵も好きです。こうやって素晴らしい物に出会える。幸せです。
梅雨の晴れ間の今日、都内の美術館まで出かけて、画伯の「緑潤う」を見てまいりました。雨景を描いた日本画ばかりを集めた展示会だったのですが、画伯の絵を見るなり、他の絵は目に入らなくなってしまって‥ この修学院離宮を描いた一枚の絵を見るためだけに出かけたようなことになってしまいました。
ささ舟さんのおっしゃるとおり、画伯の緑と青に「吸い込まれる」思いでした。絵葉書も買い求めたのですが、色や奥ゆきは原画でなくてはいけませんね。その点、画伯の小画集『京洛四季』(新潮文庫、絶版)は、原画に限りなくちかい色を出しています。絶版であることが残念です。画伯のほうがブラジリエより年長で、白馬のモチーフもブラジリエに出会う前から試みていたそうなのですが、連作は晩年のものですから、ブラジリエの馬との出合いが、連作に何らかの影響を与えたと十分に考えられると思っております。
花ひとひらさんは、画伯を身近に感じるエピソードをお持ちなのですね! 画伯の真摯なお人柄が伝わるような貴重なお話を伺えてうれしかったです。有難うございました。絵の中に人は描かれていなくても、あたたかな目で対象を見つめる画伯がいつもそこにいると感じるから、観る者はみな惹かれるのですよね。
画伯の絵のことばかりになってしまったけれど、ブラジリエの絵は、機会がありましたら奥さまのシャンタル夫人を描いたものを見ていただきたいです。とても美しいご婦人です。ブラジリエは彼の芸術のすべてを夫人に捧げているのだと思えます。