先天性の水頭症、ガレン大静脈瘤、そして海綿状血管腫の治療を続けながらがんばっている、ひろきの成長記
ひろ君の成長記
ひろ君の四つ葉のクローバー
ひろ君が2年生の時に学校の先生と一緒に作って、ママにPresentしてくれた四つ葉のクローバー、ひろ君の入院中、水かけする人がいなくて枯れかかっていましたが、みごと復活してくれて元気に育っています。ハレルヤ

ひろ君が3年生の時のPTAバザーでパパが買った多肉植物、小さな缶でもすくすく成長してくれるので、時々株分けして庭のあちこちで元気に育ってくれてます。
写真は缶のままの多肉植物と、ひろ君のクローバー
と、ひろ君が小さいときにパパとひろ君は車で休憩してお兄ちゃんと2人で行ったドリームセンターで貰った蘭(こっちは何年経ってもなかなか成長しませんが…)

どれも、ひろ君との大事な想い出なので、大切に育てよう


ひろ君が3年生の時のPTAバザーでパパが買った多肉植物、小さな缶でもすくすく成長してくれるので、時々株分けして庭のあちこちで元気に育ってくれてます。
写真は缶のままの多肉植物と、ひろ君のクローバー


どれも、ひろ君との大事な想い出なので、大切に育てよう

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
胎の中のひろ君
ひろ君のことを毎日、思い出してはパパと話している。そんな中で思い出したこと。
「ひろ君はいつも可愛かったよね」と話している中で、ひろ君がママのお腹の中に居る時から可愛かったことを思い出した。
37週0日が帝王切開の日、その前日、「親族を呼んでください。生まれてくる赤ちゃんのことをご両親だけでは無く皆さんに知っていてもらいたいので」と産婦人科Drに促され、祖父祖母、姉妹も一緒に説明を受けた。
(その時の記事はコチラ→http://blog.goo.ne.jp/sei_002/e/4e9fa120265df20415f42edd66f3e159)
Drが深刻な話をしている最中、説明で使われたひろ君の写真がとても可愛かったので、パパとママは不安だらけの中だったが「赤ちゃん可愛いね」と小声で話した。
その時の写真が、医学雑誌に載ったひろ君の手術の症例に入っていたことを思い出し、本棚から出して、パパと一緒に胎児のひろ君に再会した。やっぱり可愛い
その写真 可愛いけど、腫瘤もとっても大きい。

出生前にガレン大静脈瘤として診断され、出生後に心不全を起こした新生児は、治療が難しく予後も悪いと言われていた。前置胎盤で至急帝王切開で出産しなければならないときに、専門医の方が出張で帰ってきた翌日に出産することにし、実際に出産後、心不全を起こしたが、病院側が準備を整えていたチーム医療のおかげで、手術は成功し、元気に2週間で退院することができた。
難しい手術を成し遂げた病院のスタッフと、それを乗り越え元気に成長したひろ君に改めて感謝しています。
「ひろ君はいつも可愛かったよね」と話している中で、ひろ君がママのお腹の中に居る時から可愛かったことを思い出した。
37週0日が帝王切開の日、その前日、「親族を呼んでください。生まれてくる赤ちゃんのことをご両親だけでは無く皆さんに知っていてもらいたいので」と産婦人科Drに促され、祖父祖母、姉妹も一緒に説明を受けた。
(その時の記事はコチラ→http://blog.goo.ne.jp/sei_002/e/4e9fa120265df20415f42edd66f3e159)
Drが深刻な話をしている最中、説明で使われたひろ君の写真がとても可愛かったので、パパとママは不安だらけの中だったが「赤ちゃん可愛いね」と小声で話した。
その時の写真が、医学雑誌に載ったひろ君の手術の症例に入っていたことを思い出し、本棚から出して、パパと一緒に胎児のひろ君に再会した。やっぱり可愛い

その写真 可愛いけど、腫瘤もとっても大きい。

出生前にガレン大静脈瘤として診断され、出生後に心不全を起こした新生児は、治療が難しく予後も悪いと言われていた。前置胎盤で至急帝王切開で出産しなければならないときに、専門医の方が出張で帰ってきた翌日に出産することにし、実際に出産後、心不全を起こしたが、病院側が準備を整えていたチーム医療のおかげで、手術は成功し、元気に2週間で退院することができた。
難しい手術を成し遂げた病院のスタッフと、それを乗り越え元気に成長したひろ君に改めて感謝しています。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
2月27日 出棺式
2月27日(月)に出棺から召天式までが執り行われた。その出棺式の記録。
少し仮眠をとっただけで両目が腫れぼったいパパママの顔と比べ、ひろ君の顔は病院から自宅に帰って来た木曜の夜から全く変わらず清らかな寝顔だった。
ママが準備をしている間、早々と着替え終わっていたパパはずっとひろ君の傍に居た。
ママもお兄ちゃんも準備が整い3人でひろ君の傍に。ひろ君と楽しく過ごした12年間を思い出しながら4人で最後の家族写真を撮った。
ありがたいことに、忙しい出勤前にも関わらず学校の先生方が何人か、ひろ君にお別れを言う為に来て下さった。
担任の先生も朝一で来て、一旦学校に戻り、火葬に間に合うように葬斎場にも来て下さり、火葬が終わるまでずっとひろ君の近くに居て下さった。感謝です。
7:45 出棺式
家族、親戚と教会の方々が来て下さっての出棺式。前夜式と同じように椅子が並べられ、キーボードが置かれ、ひろ君の横に牧師先生が立った。黙祷をして、牧師先生のお祈り、讃美歌を歌った。

そして一人ひとり献花。ひろ君の顔以外は全てお花で埋めつくされ棺がお花でいっぱいになった。
8:30 自宅出棺
家族、兄弟の男子6名とお兄ちゃんのお友達も加わって棺を自宅から車に移動。お兄ちゃんのお友達、小学校からの幼馴染でひろ君ともよく遊んでくれた。新聞の告別式欄を見て手伝いにきてくれたのだ。お兄ちゃん、お友達に恵まれたね。
ママはひろ君の遺影を持って車へ。
ひろ君が、大好きだった学校やお友達、先生と最後のお別れがしたいだろうと思い、自宅を出てから火葬場に行く前に学校に寄りたかったのだが、朝の出勤時間、道も混んでいるし、学校の駐車場も丁度登校時間と重なる為混雑しているだろうとの思いで断念。
運転手さんが「棺の窓を開けていいですよ」と言って下さったので、ずっとひろ君の顔を見ながら語り掛け、「学校に寄れなくてごめんね」と謝った。
後から先生に聞いた話。学年のお友達みんなでひろ君が来るかと玄関前で待っていたとのこと。お友達の想いに感謝だ。
9:45 火葬前式
葬斎場はとても綺麗な所で暗いイメージは全く無かった。車からひろ君を下し建物の中へ。自宅に来られなかった親戚の方がひろ君の到着を待っていてくれた。
個室に通され、そこで棺の窓を開け、ひろ君の顔が見えるようにして、牧師先生の熱いお祈り、「いつくしみ深き」、「おどろくばかりの」、「父 御子 御霊の」等の讃美歌を皆で歌った。

10:00 火入れ
火葬の入り口まで行けるのは家族のみ。他はロープが張られた外側でひろ君を見送ってくれた。
パパとママの2人で着火ボタンを押した。数秒経ってゴォ~と音がした。

泣いているママに叔母が「なんで泣いているの、ひろきは天国行って神様と一緒に幸せになっているんでしょ。泣くことないじゃないの!」と言。クリスチャンでは無い叔母の口からそんな言葉が出ることにビックリした。初めて牧師先生のお話を聞いたはずの叔母でもそう思ってくれるのが嬉しかった。くよくよしてはダメだ!気持ちを切り替えなくてはと思った。
牧師先生が召天式の準備があるからと建物を出る時に一緒に外に出ると、中に入れなかった教会の方々が大勢待っていて下さった。我が事の様に一つ一つを大事に大事に思って下さる霊の家族、本当にありがたい。
収骨までの待ち時間の間、親族は控室で休憩、昼食を摂った。
11:50 収骨
2ヶ月間の闘病生活でかなり瘦せたひろ君なので、骨がバラバラに砕けていないか心配だったが、綺麗に残ってくれていた。パパ、ママから始めて、親族皆で交互にお骨を壺に納めた。お骨は下から上に向かって納めて行き、最後に頭部が残った。
頭はパパとママの2人で納めると決めていた。割れた頭蓋骨を一つ一つ丁寧に壺の中へ。その時に、ひろ君の動静脈瘤の治療の為に使ったプラチナコイルが残っているかもしれないと、頭蓋骨の裏側を丁寧に探した。骨にくっつきそうになってるコイルを見つけた時はとても嬉しかった。このコイルは、ひろ君が0歳から2歳までの間に4回に渡って、脚の付け根の動脈からの脳血管内治療(コイル塞栓術)で埋められたコイルの一部。ひろ君が頑張った勲章なのだ。骨から剥がせる分を剥いで大事な宝物にしようと持って帰った。

ひろ君の壺には、下記の御言葉が彫られてある。
「神のなさることは、すべて 時にかなって美しい。 神はまた、人の心に 永遠を与えられた。」伝道者の書3章11節
パパママが牧師先生と一緒にひろ君に一番ふさわしいと思って選んだ御言葉だ。
ひろ君が私達の子供として生まれてきてくれたこと、生まれた時、これまでの成長過程での周りとの関わり、天に召された時、全ては神様が一番良い時を選んでなさって下さり、更にひろ君はパパを神様の元に導いてくれたのだ。
神様とひろ君に感謝!
ひろ君が天に召されて今日で丁度2ヶ月。おじぃばぁちゃんが慰労会をと皆で寿司屋へ。北海道直送の美味しい寿司を沢山ご馳走になった。おじぃばぁちゃん、ありがとうございました。
少し仮眠をとっただけで両目が腫れぼったいパパママの顔と比べ、ひろ君の顔は病院から自宅に帰って来た木曜の夜から全く変わらず清らかな寝顔だった。
ママが準備をしている間、早々と着替え終わっていたパパはずっとひろ君の傍に居た。
ママもお兄ちゃんも準備が整い3人でひろ君の傍に。ひろ君と楽しく過ごした12年間を思い出しながら4人で最後の家族写真を撮った。
ありがたいことに、忙しい出勤前にも関わらず学校の先生方が何人か、ひろ君にお別れを言う為に来て下さった。
担任の先生も朝一で来て、一旦学校に戻り、火葬に間に合うように葬斎場にも来て下さり、火葬が終わるまでずっとひろ君の近くに居て下さった。感謝です。
7:45 出棺式
家族、親戚と教会の方々が来て下さっての出棺式。前夜式と同じように椅子が並べられ、キーボードが置かれ、ひろ君の横に牧師先生が立った。黙祷をして、牧師先生のお祈り、讃美歌を歌った。

そして一人ひとり献花。ひろ君の顔以外は全てお花で埋めつくされ棺がお花でいっぱいになった。
8:30 自宅出棺
家族、兄弟の男子6名とお兄ちゃんのお友達も加わって棺を自宅から車に移動。お兄ちゃんのお友達、小学校からの幼馴染でひろ君ともよく遊んでくれた。新聞の告別式欄を見て手伝いにきてくれたのだ。お兄ちゃん、お友達に恵まれたね。
ママはひろ君の遺影を持って車へ。
ひろ君が、大好きだった学校やお友達、先生と最後のお別れがしたいだろうと思い、自宅を出てから火葬場に行く前に学校に寄りたかったのだが、朝の出勤時間、道も混んでいるし、学校の駐車場も丁度登校時間と重なる為混雑しているだろうとの思いで断念。
運転手さんが「棺の窓を開けていいですよ」と言って下さったので、ずっとひろ君の顔を見ながら語り掛け、「学校に寄れなくてごめんね」と謝った。
後から先生に聞いた話。学年のお友達みんなでひろ君が来るかと玄関前で待っていたとのこと。お友達の想いに感謝だ。
9:45 火葬前式
葬斎場はとても綺麗な所で暗いイメージは全く無かった。車からひろ君を下し建物の中へ。自宅に来られなかった親戚の方がひろ君の到着を待っていてくれた。
個室に通され、そこで棺の窓を開け、ひろ君の顔が見えるようにして、牧師先生の熱いお祈り、「いつくしみ深き」、「おどろくばかりの」、「父 御子 御霊の」等の讃美歌を皆で歌った。

10:00 火入れ
火葬の入り口まで行けるのは家族のみ。他はロープが張られた外側でひろ君を見送ってくれた。
パパとママの2人で着火ボタンを押した。数秒経ってゴォ~と音がした。

泣いているママに叔母が「なんで泣いているの、ひろきは天国行って神様と一緒に幸せになっているんでしょ。泣くことないじゃないの!」と言。クリスチャンでは無い叔母の口からそんな言葉が出ることにビックリした。初めて牧師先生のお話を聞いたはずの叔母でもそう思ってくれるのが嬉しかった。くよくよしてはダメだ!気持ちを切り替えなくてはと思った。
牧師先生が召天式の準備があるからと建物を出る時に一緒に外に出ると、中に入れなかった教会の方々が大勢待っていて下さった。我が事の様に一つ一つを大事に大事に思って下さる霊の家族、本当にありがたい。
収骨までの待ち時間の間、親族は控室で休憩、昼食を摂った。
11:50 収骨
2ヶ月間の闘病生活でかなり瘦せたひろ君なので、骨がバラバラに砕けていないか心配だったが、綺麗に残ってくれていた。パパ、ママから始めて、親族皆で交互にお骨を壺に納めた。お骨は下から上に向かって納めて行き、最後に頭部が残った。
頭はパパとママの2人で納めると決めていた。割れた頭蓋骨を一つ一つ丁寧に壺の中へ。その時に、ひろ君の動静脈瘤の治療の為に使ったプラチナコイルが残っているかもしれないと、頭蓋骨の裏側を丁寧に探した。骨にくっつきそうになってるコイルを見つけた時はとても嬉しかった。このコイルは、ひろ君が0歳から2歳までの間に4回に渡って、脚の付け根の動脈からの脳血管内治療(コイル塞栓術)で埋められたコイルの一部。ひろ君が頑張った勲章なのだ。骨から剥がせる分を剥いで大事な宝物にしようと持って帰った。

ひろ君の壺には、下記の御言葉が彫られてある。
「神のなさることは、すべて 時にかなって美しい。 神はまた、人の心に 永遠を与えられた。」伝道者の書3章11節
パパママが牧師先生と一緒にひろ君に一番ふさわしいと思って選んだ御言葉だ。
ひろ君が私達の子供として生まれてきてくれたこと、生まれた時、これまでの成長過程での周りとの関わり、天に召された時、全ては神様が一番良い時を選んでなさって下さり、更にひろ君はパパを神様の元に導いてくれたのだ。
神様とひろ君に感謝!
ひろ君が天に召されて今日で丁度2ヶ月。おじぃばぁちゃんが慰労会をと皆で寿司屋へ。北海道直送の美味しい寿司を沢山ご馳走になった。おじぃばぁちゃん、ありがとうございました。
コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )
十字架が来ました

我が家に十字架がやって来た。
ひろ君の部屋が聖霊様に満たされ、いつでもひろ君が帰って来られる場所になって欲しい。
これまでも、小さな赤い十字架を前にしてお祈りしていたが、りっぱな十字架が来たことで、もっと威厳のあるひろ君の部屋になってくれると願っている。
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
再会
今日、やっと離れていた友人に会えた。
3年間、夫の異動で遠くに行っていた彼女がやっと戻ってきて、ひろ君に会いに来てくれた。
学生時代からずっと一緒で、ひろ君がお腹にいた頃には頻繁に話を聞いてもらって心配もしてもらったかけがえのない友人だ。これからまた、ちょくちょく会えるようになったのがとても嬉しい。
今日が丁度、仏教で言う49日に当たる日。おじいばあちゃんも来てくれた。
お花やひろ君の大好きな食べ物で、ひろ君の祭壇が賑やかになった。

毎日、ひろ君の祭壇を見ながらパパと話をしている。法要というものは無いけれど、月命日は大切にしたいなと思うし、こうやって毎日、祭壇を前にひろ君のことを考えながらお祈りすることが、神様やひろ君に繋がることだと思っている。
ひろ君が入院前にパパと頑張っていた型はめと、ひろ君を助けてくれたエンシュアDrinkと、学校や学童でひろ君が使っていた三角鉛筆

3年間、夫の異動で遠くに行っていた彼女がやっと戻ってきて、ひろ君に会いに来てくれた。
学生時代からずっと一緒で、ひろ君がお腹にいた頃には頻繁に話を聞いてもらって心配もしてもらったかけがえのない友人だ。これからまた、ちょくちょく会えるようになったのがとても嬉しい。
今日が丁度、仏教で言う49日に当たる日。おじいばあちゃんも来てくれた。
お花やひろ君の大好きな食べ物で、ひろ君の祭壇が賑やかになった。

毎日、ひろ君の祭壇を見ながらパパと話をしている。法要というものは無いけれど、月命日は大切にしたいなと思うし、こうやって毎日、祭壇を前にひろ君のことを考えながらお祈りすることが、神様やひろ君に繋がることだと思っている。
ひろ君が入院前にパパと頑張っていた型はめと、ひろ君を助けてくれたエンシュアDrinkと、学校や学童でひろ君が使っていた三角鉛筆

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
2月25,26日 お家で
前夜式を終えてから2日間の記録
金曜日が前夜式で、土曜日曜はひろ君とずっと一緒に過ごした。
この2日間の間に、ひろ君と関わりのあった先生方やデイサービスの方々、相談支援の方々、ひろ君のお友達のお母さん方等、大勢の方がひろ君に会いにきて下さった。ひろ君がこんなに大勢の方に愛されて幸せな12年間だったのだとホントに実感することが出来た。
ママパパの両親、兄妹も朝から来てくれて、料理を作ったり、ひろ君に会いに来てくださった皆さんの接待をしてくれた。
今年カジマヤー(98歳)のひろ君のひいばあちゃんも車椅子で会いに来てくださった。
お客さんが去って、夜はひろ君とパパとママとお兄ちゃんの4人。
ひろ君はこの2日間の間でも、全然顔色も変わらず肌つやもピチピチのままで、いつもの寝てるひろ君の様だった。
ひろ君の霊は既に天国に行っているのに、肉体はココにある。しかも元気な時のひろ君と全く変わらない肉体で。
頭では理解していたのだが、ひろ君は未だココに居るのではないかと思う気持ちも強くあった。
日曜日の夜は、明日には出棺して火葬されひろ君の体が無くなるのかと思うと、ココにいるひろ君が愛おしくて愛おしくてずっと傍に居たかった。
パパと一緒にひろ君の傍で、これまであったことを色々話したりひろ君に話しかけたりしていたが、明日は朝早い出棺で午後に召天式と長丁場になるので少しは休まないとと思い、ママはソファーに横になった。
でもパパは「朝までひろ君の傍にいる!」と全く動こうとせず。何とかパパを説得してパパはやっと1hぐらいは寝ただろうか。
今日から受難日だそうだ。
今日の礼拝で、私達を愛してやまない主の御心の通りに生きることの大切さを教えてもらった。
ひろ君が神様と共に人生を歩んできただろうことは、ひろ君の召天後に牧師先生や教会の霊の家族からのお話で次第に分かってきたが、一度目の急変の後、寝たきりになっていても、大切なパパを神様の元へ導いてくれたり、神様のことを考えたことも無かった人に神様がいるのだと思わせてくれたりと、主の御心を行っていたのだと、今日切に分かった。
ひろ君、ありがとう! ひろ君のようにママとパパも神様の御心の通りの生き方をしないとね。
金曜日が前夜式で、土曜日曜はひろ君とずっと一緒に過ごした。
この2日間の間に、ひろ君と関わりのあった先生方やデイサービスの方々、相談支援の方々、ひろ君のお友達のお母さん方等、大勢の方がひろ君に会いにきて下さった。ひろ君がこんなに大勢の方に愛されて幸せな12年間だったのだとホントに実感することが出来た。
ママパパの両親、兄妹も朝から来てくれて、料理を作ったり、ひろ君に会いに来てくださった皆さんの接待をしてくれた。
今年カジマヤー(98歳)のひろ君のひいばあちゃんも車椅子で会いに来てくださった。
お客さんが去って、夜はひろ君とパパとママとお兄ちゃんの4人。
ひろ君はこの2日間の間でも、全然顔色も変わらず肌つやもピチピチのままで、いつもの寝てるひろ君の様だった。
ひろ君の霊は既に天国に行っているのに、肉体はココにある。しかも元気な時のひろ君と全く変わらない肉体で。
頭では理解していたのだが、ひろ君は未だココに居るのではないかと思う気持ちも強くあった。
日曜日の夜は、明日には出棺して火葬されひろ君の体が無くなるのかと思うと、ココにいるひろ君が愛おしくて愛おしくてずっと傍に居たかった。
パパと一緒にひろ君の傍で、これまであったことを色々話したりひろ君に話しかけたりしていたが、明日は朝早い出棺で午後に召天式と長丁場になるので少しは休まないとと思い、ママはソファーに横になった。
でもパパは「朝までひろ君の傍にいる!」と全く動こうとせず。何とかパパを説得してパパはやっと1hぐらいは寝ただろうか。
今日から受難日だそうだ。
今日の礼拝で、私達を愛してやまない主の御心の通りに生きることの大切さを教えてもらった。
ひろ君が神様と共に人生を歩んできただろうことは、ひろ君の召天後に牧師先生や教会の霊の家族からのお話で次第に分かってきたが、一度目の急変の後、寝たきりになっていても、大切なパパを神様の元へ導いてくれたり、神様のことを考えたことも無かった人に神様がいるのだと思わせてくれたりと、主の御心を行っていたのだと、今日切に分かった。
ひろ君、ありがとう! ひろ君のようにママとパパも神様の御心の通りの生き方をしないとね。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
2月24日 前夜式

この日の夜が前夜式。
自宅で行うため駐車場を確保しなくてはならなかった。ご近所に掛け合って空き地を2ヶ所貸して貰えた。1ヶ所は草が茂っていたのだが、おじぃと姉が草刈り機で刈り取ってくれて10台以上も停められるスペースが開けた。お兄ちゃんも手伝い頑張ってくれた。
ひろ君は帰ってきてからそのままベッドに居た。
ベッドのある部屋はリビングからひと続きになった畳間。ベッドを退かして式が行えるようにする必要があった。
昼間に葬儀屋さんが来て、ひろ君をベッドからお布団に移動。重いベッドをパパと一緒に2Fに上げるのもして下さった。
これでひろ君のスペース確保。葬儀屋さんがお花や十字架で祭壇を作ってくださり、やっとひろ君の落ち着く場所が出来た。
夕方、教会の方が来て軽食を手際良く用意して下さったおかげで、悲しみに浸ることが出来、とても有難かった。
キーボードやマイク、椅子等、前夜式で使う備品が次々に運ばれスタンバイされた。
前夜式
教会の方々、親族、お友達が来てくださり部屋いっぱいになった。皆着席。ママとパパがひろ君の一番前の席。ひろ君の横に牧師先生が立った。
キーボードで奏でられる賛美歌で始まり、牧師先生の熱い祈り、そしてひろ君が教会で楽しく過ごした様子やひろ君への想いを牧師先生が語って下さった。ママとパパは涙が止まらなかった。後ろからすすり泣く声も沢山聞こえた。
式の中で詩篇139編のメッセージが読まれた。
その詩は、神様は私が立つのも座るのも知っておられ私の思いを遠くから読み取られる。私を母の胎のうちで組み立てられ、胎児の私を見られ、私の人生の全てを書物に書き記した。という内容だ。
ひろ君を妊娠中に、ガレン大静脈瘤だと分かったことも神様の導きあってこそだったのだろう。ガレンだと分かった後で「お腹の中で亡くなることもある、この世に出ても生きられるかどうか」と言われていた。ひろ君は、お腹の中に居る時からずっと神様に護られ神の奇跡は起こっていた。それに、ひろ君と一緒に一日一日を大切に、濃厚な12年間を過ごすことが出来たのも、出産時の試練、その後に起こった試練、があったからこそだと今なら思える。
納棺
納棺は親族の男性5名で行われた。ひろ君をお布団から丁寧に棺の中へ。
お祈りの後、一人一人献花。次々に花が添えられ、牧師先生がさりげなく花の向きや場所を整えて下さり、棺の中のひろ君はまるで御花畑に埋れている様だった。
前夜式がこんなに温かいものだとは思ってもいなかった。やること一つ一つがとても丁寧で、教会の中で式が行われているような威厳さがあった。そう思ったのは家族だけではなかった。
前夜式が終わって皆で軽食を食べた。その時の親族の声、「ひろきにとって、とても良い選択をしたね、教会式で良かったよ」、「牧師先生のお話はとても具体的で分かり易かった。ひろきも喜んだろうね」等々。教会での長い説教もしっかり聞いていたひろ君、初めて聞く人にとっても耳に入りやすく心を打つ内容なのだ。
ひろ君は今頃、イエス様のお話を直に聞いているだろう。
学校の先生が入院中貸してくれて、病室に来る度に多くの先生が読み聞かせしてくれた絵本、「これ、ひろ君にあげる


納棺後

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
献花のデンファーレ

召天式に献花して頂いたデンファーレ、ひと月経った今も元気です。
献花して下さった一人一人のひろ君への想いが込もっているからかも。
感謝です。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
2月23日 我が家に帰宅
召天当日の記録
21時07分 召天
召天直後、牧師先生,副牧師先生が到着。熱いお祈りをして下さった。廊下にも大勢の方がひろ君の召天を見守って下さっていた。
話し合い
今後のことを直ぐに決めなければならず、パパと相談して全て教会式でやってもらおうと決めた。ひろ君を家に連れて帰るのは葬儀屋さんにお願いすることにした。教会の方があちこちに連絡をとって調整して下さった。
病院側から霊安室を使うかどうか聞かれた。ひろ君を早く家に連れて帰りたかったので「家に帰ります」とパパが返答。病院で入浴を済ませてから帰ることにした。
入浴
ひろ君がいつも入浴している時と全く同じように、ひろ君をストレッチャーに乗せ浴室へ。パパ、ママ、看護師さんの3人で丁寧に身体を洗った。暫くベッド上での清拭だったので久しぶりのシャワーだった。入浴させる前はまだ温かかったひろ君の身体、入浴させると冷たくなった。入浴後はひろ君の普段着である長袖Tシャツとジャージにお着替えして、ベッドに戻った。
帰宅
葬儀屋さんが病室に到着。ベッドからストレッチャーにひろ君を移し、真っ白な掛け布を掛けて、顔には布をかぶせず病室を出た。Drと看護師さんがひろ君の傍にずっと付いていて下さり、建物を出て車に乗って病院を後にするまで見送って下さった。
帰宅後、いつもひろ君,パパ,ママの3人で寝ていたベッドにひろ君を寝かせた。おじぃばぁちゃん、お兄ちゃんが早めに帰宅し家の中を片付けていてくれたので、とてもスッキリ整理されていて、ひろ君をスムーズにベッドに運ぶことが出来た。
ドライアイスで周りを囲まれたひろ君の身体は冷え冷えだが、表情は全く眠っているのと変わらなかった。
ひろ君の身体はココにあるのにひろ君自身は天国に行っていることが信じられなかったパパは、2~3時間もひろ君にくっついて添い寝していた。ママはドライアイスが溶けないかヒヤヒヤだった。
牧師先生のお話し、そして優しくうっすらと笑みを浮かべているようにも感じられるひろ君の顔を見ていると、牧師先生が仰って下さったように、ひろ君は生まれる前から神様と共に居て、これまで多くの奇跡を起こし、皆に多くの癒しを与え、そして人生をやり抜いたからこそ、今、神様に召され、全然苦しむこと無く天使が迎えにきてくれて天国に行ったのだと、ホントにそうかもしれないと思えた。
でも、もう少し生きていて欲しかった。一度目の急変があってからパパと、「ひろ君が寝たきりでもいいよね。耳は聞こえているはずだから」とよく話していた。でも、神様にとっては今がその時だったのだ。
牧師先生が、ひろ君が召天した直後に病室に入ってこられたのも、神様の何かしらの意図があったのかもしれないと思う。
21時07分 召天
召天直後、牧師先生,副牧師先生が到着。熱いお祈りをして下さった。廊下にも大勢の方がひろ君の召天を見守って下さっていた。
話し合い
今後のことを直ぐに決めなければならず、パパと相談して全て教会式でやってもらおうと決めた。ひろ君を家に連れて帰るのは葬儀屋さんにお願いすることにした。教会の方があちこちに連絡をとって調整して下さった。
病院側から霊安室を使うかどうか聞かれた。ひろ君を早く家に連れて帰りたかったので「家に帰ります」とパパが返答。病院で入浴を済ませてから帰ることにした。
入浴
ひろ君がいつも入浴している時と全く同じように、ひろ君をストレッチャーに乗せ浴室へ。パパ、ママ、看護師さんの3人で丁寧に身体を洗った。暫くベッド上での清拭だったので久しぶりのシャワーだった。入浴させる前はまだ温かかったひろ君の身体、入浴させると冷たくなった。入浴後はひろ君の普段着である長袖Tシャツとジャージにお着替えして、ベッドに戻った。
帰宅
葬儀屋さんが病室に到着。ベッドからストレッチャーにひろ君を移し、真っ白な掛け布を掛けて、顔には布をかぶせず病室を出た。Drと看護師さんがひろ君の傍にずっと付いていて下さり、建物を出て車に乗って病院を後にするまで見送って下さった。
帰宅後、いつもひろ君,パパ,ママの3人で寝ていたベッドにひろ君を寝かせた。おじぃばぁちゃん、お兄ちゃんが早めに帰宅し家の中を片付けていてくれたので、とてもスッキリ整理されていて、ひろ君をスムーズにベッドに運ぶことが出来た。
ドライアイスで周りを囲まれたひろ君の身体は冷え冷えだが、表情は全く眠っているのと変わらなかった。
ひろ君の身体はココにあるのにひろ君自身は天国に行っていることが信じられなかったパパは、2~3時間もひろ君にくっついて添い寝していた。ママはドライアイスが溶けないかヒヤヒヤだった。
牧師先生のお話し、そして優しくうっすらと笑みを浮かべているようにも感じられるひろ君の顔を見ていると、牧師先生が仰って下さったように、ひろ君は生まれる前から神様と共に居て、これまで多くの奇跡を起こし、皆に多くの癒しを与え、そして人生をやり抜いたからこそ、今、神様に召され、全然苦しむこと無く天使が迎えにきてくれて天国に行ったのだと、ホントにそうかもしれないと思えた。
でも、もう少し生きていて欲しかった。一度目の急変があってからパパと、「ひろ君が寝たきりでもいいよね。耳は聞こえているはずだから」とよく話していた。でも、神様にとっては今がその時だったのだ。
牧師先生が、ひろ君が召天した直後に病室に入ってこられたのも、神様の何かしらの意図があったのかもしれないと思う。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
天国へ
ひろ君、天国へ凱旋しました。
2017年02月23日 午後09時07分 大勢の方に見守られる中で、安らかに旅立ちました。
詳しいことは落ち着いてから徐々に記録していこうと思っています。
ずっとひろ君の為に、私たち家族の為に、応援・お祈りして下さった皆様、有難うございました。
2017年02月23日 午後09時07分 大勢の方に見守られる中で、安らかに旅立ちました。
詳しいことは落ち着いてから徐々に記録していこうと思っています。
ずっとひろ君の為に、私たち家族の為に、応援・お祈りして下さった皆様、有難うございました。
コメント ( 3 ) | Trackback ( 0 )
« 前ページ | 次ページ » |