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天国のひろ君へ

天国のひろ君、ひろ君が神様の元に行って今日で一年だね。
天国はどんなところですか?
お花がいっぱいで、神様の祝福の泉が湧き、苦しみ悲しみ悩み、病も無く、平安で、イエス様と共に賛美とこの世の平和、御国をこの地に下ろす為に祈っているのでしょうか?
それに加え、母さんがいつも「ひろ君、これこれとりなしお願いね!」とひろ君にとりなしの祈りのお願いばかりしているので、祈るので忙しくしているかな?
天国では、大人も子供も天国に行った年齢に関係なく若者になっているとも聞いたことがあります。
成人になったひろ君はどんな姿をしていますか?
天国に旅立った時のまだまだあどけなさが残る可愛いひろ君の姿が鮮明なので、大人になったひろ君を想像出来ません。
この1年、ひろ君を思わない日はありませんでした。でも、日常のひろ君の夢はたまに見るけれど、天国のひろ君は出てきたことがありません。
神様、天国のひろ君を私に見せて下さい。夢に出させて下さい。


ひろ君がママとパパの子供として生まれて来てくれて、初めて我が家に来たときに、植えてから5年目にして初めて咲いた桜、去年枝を大きく剪定したので今年は咲かないかなと思っていたのですが、いつもより遅めで咲きました。




ひろ君が、ぼくはイエス様と一緒で幸せだよ!と言っている様です。
ひろ君、有り難う❤
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2017年を振り返って

 2017年がもう少しで終わろうとしている。この一年、色々なことがあって、あっという間の一年だった。

去年の今頃はひろ君が入院しこれから先どうなるのか全く見通しがつかず心配しながらの年越しだった。それでも年明け状態が良くなりティルトテーブルやベッド上での自主トレに励み、外泊も出来て、リハビリ病院に転院しようかという話も出た程だった。12歳の誕生日会は外出して学校でお誕生日を祝ってもらうことも出来た。それから2月11日の急変まではずっとパパ、ママ、病院の先生方を安心させてくれた。
急変したその日、パパが「ひろ君の心が父さんに入ってきた!」と急に神様を信じ、2月18日にひろ君、パパ、ママ3人で病室内洗礼を受けクリスチャンに。そして、2月23日にひろ君召天。
急変から召天するまでの12日間、ひろ君はみんなの為に頑張ってくれた。すばらしいお友達、すばらしい先生方に囲まれていたことをママ、パパが知ることが出来たし、ひろ君によって縁遠くなっていた人と人との結びつきがあったり、何よりひろ君がパパを生まれ変わらせてくれた。
23日は、パパが仕事から帰るのを待ってから自立呼吸低下、それでも身内や先生方、教会の方々がひろ君の所に来る時間をしっかり作ってくれてから召天した。
11日の急変以降、全く目を開かなかったひろ君が、天国に行く直前、教会の方が「君は愛されるために生まれた」を歌って下さっている中、しっかり目を開き目頭に涙をためていた姿は今でもはっきり覚えている。

12月に入院してから毎日の様に教会の家族の方がお昼にお弁当を持ってきてくれて、ひろ君の大好きな讃美歌を歌ってくれたことで、教会の家族の無償の愛を切に感じることも出来た。
3月に入ってからパパと一緒に教会に行くようになり、パパがどんどん変わっていった。神様を真ん中に置くとこれまでの夫婦関係とは全く違う、心から話し合える関係が持てるようになった。また、夫婦喧嘩をした時も、お互いに相手を非難するのでは無く、自分の何処が悪かったのかを喧嘩の経緯を振り返って考えることが出来るようになり、次第に喧嘩の回数も減ってきた。

神様のことを知っていく中で、ひろ君がどれだけ神様に愛され神様と共に生きてきたかを知ることが出来、これまで神様を全く知らなかった私達だったが、それでもひろ君のおかげで日々、今日も朝が迎えられたことを喜び、一日一日をひろ君と一緒に楽しんでそして濃密に生きることが出来た。
ひろ君に感謝。ひろ君と一緒に過ごした12年間に感謝、ひろ君を私達夫婦に授けて下さった神様に感謝です。

ひろ君は天国で地上にいた時よりずっとずっと幸せになっている!ということを信じることが出来ても、ひろ君が傍にいない寂しさは全然消えていない。「生きるのに時があり死ぬるのに時がある」との聖書の御言葉があるが、ひろ君の召天も神様の時であったのだと、それを握ろうとしているけれどまだ握りきれていない。
ひろ君が何を思って天国に行ったのか、ひろ君の思いが分かればそれを完全に握ることが出来るかもしれない。神様に問い続ければきっと神様は教えて下さる!それを信じて問い続けていこう。

来る2018年、目指す生き方となる御言葉。
第一コリント13章4節~8節
「愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、傲慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。愛は決して絶えることがありません。」

パパと教会に行くようになってから、自己中心になっていないか、愛が足りていなかったのでは、人を裁いていないか等、気づくようになったがまだまだだ。この御言葉をしっかり握り、神様と似た者へと近づいて行きたい。
仕事も、神様が共にいることを感じながら頑張って行こう。
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召天者合同記念会

 11月23日、召天者合同記念会があった。

クリスチャンは法事が無い。その代わり年に1回、教会で召天した方々を偲ぶ召天者合同記念会が行われる。
ひろ君が召天してから初めての会だったので、ひろ君がお世話になった学校の先生方や主治医の先生にも声かけしていた。
当日、親戚の叔父叔母、学校の先生方、そして主治医の先生、多くの方が来て下さり、とてもとても嬉しかった。
クリスチャンなっているのは、夫と私だけ。
でも、この召天者記念会に来て下さった方々は、ひろ君は地上での生を全うし、今は病気や困難が何もないパラダイスの天国に神様と共にいるんだということを、信じることはできなくても、そうかもしれないと思ってくれたのではないかと思う。
少なくとも、夫と私が今、悲しみの中にいる訳ではなく、神様の愛を感じ、ひろ君が天国から私たちのことを見守ってくれていて、いずれは天国で再会できる!という望みを持っていて、前向きに生きていることはわかってもらえたのではないか。

両親、叔父叔母、そして先生方、ひろ君や私達のことを思って時間を作って来て下さり、本当にありがとうございました。
ひろ君も天国から、先生方のお一人お一人、学校のこと、地上であった色々なことを思い出し、懐かしみ、感謝していると思います。

記念会が始まる前の礼拝堂


記念会が終わって茶話会(軽食が用意された)


納骨堂の前で先生方と
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ひろ君の作ったピタゴラ

 ひろ君が2年生(2013年1月)の頃の動画
https://www.youtube.com/watch?v=GCpJRMQ_oNE

ひろ君のクリスマスプレゼントにお兄ちゃんが、おじぃばぁちゃんと一緒にひろ君の喜びそうな物をと選んだマーブリング。
ひろ君、「ピタゴラスイッチだ!!」と大喜びで、毎日、クルクル玉を転がして遊んでいた。
この時も、学校から帰ると直ぐに遊びだした。
お兄ちゃんが作ってくれたのだが、「僕が作ったんですよ!」と得意顔なところがとっても可愛い。
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ひろ君のビー玉遊び

 ひろ君が1年生の終わり頃の動画です。
https://www.youtube.com/watch?v=hYl5LKmUEf0

未だ視床出血後のリハビリ入院中、外泊をしておじぃちゃん宅に遊びに行った時の動画。
この頃、お兄ちゃんもひろ君もビー玉が大好きだった。
そして、お兄ちゃんはよくボードでひろ君の為にビー玉転がしを作ってくれた。
外泊中の楽しいひと時。懐かしい。

この日の記事はコチラ→2泊の外泊
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1分ひろ君

 ひろ君の1分動画を再生リストにしてYouTubeにUPしました。
https://www.youtube.com/watch?v=4rMsTmPBvCY&list=PLBLK2YBY-DqqA635biMQj_jqobpI5ug8r


召天式の前、教会から「召天式でひろ君の写真や動画を流したいので、あれば送って下さい」と言われ、ホームビデオからピックアップした動画です。
Lineで動画を送るのに時間制限があり1分程度の長さまでしか送れなかった為、1本1本がとても短いですが、ひろ君の可愛さが出てるかなと思います。

動画内容は以下の通り
・保育園の音体フェスティバル(年長さん)
↓↓↓視床出血以降
・ピタゴラスイッチ(2年生)
・朝ごはん
・バランスボールでドリブル(4年生4月)
・ボタン掛け
・「ヤッホッホー なつや~す~み」
・ひろ君の読み聞かせ「こぐまちゃんのほっとけーき」
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ひろ君の主の祈り

 ひろ君の主の祈りをYouTubeにUPしました。
https://m.youtube.com/watch?v=SLHwzZ8u9DE

2016年6月9日に撮ったものです(6年生 天国に行く8ヶ月前)。
あの頃は、毎朝起き抜けにベッドから足をおろし上半身を起こしてから、ひろ君と一緒に主の祈りを暗唱して、それから立ち上がっていた。
元々、詩的な文章が好きなひろ君、毎日一緒に暗唱しているうちに丸々覚えてしまい、自ら進んで暗唱するようになっていた。
しかも、リズム感抜群のひろ君はこの祈りに独特のリズムを付けて。

【主の祈り】
天にまします我らの父よ。
願わくは御名をあがめさせたまえ。
御国を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を今日も与えたまえ。
我らに罪を犯す者を我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。
我らを試みにあわせず、悪より救い出したまえ。
国と力と栄とは、限りなく汝のものなればなり。
                 アーメン

教会に行きはじめて6ヶ月のお父さんは、この祈り、未だ覚えていません。
「ひろ君、主の祈り、覚えていたんだ。すごいなぁ~」と感心していました。
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同級生との思い出

 ひろ君の入院中、学校の先生が朝の会でのお友達の「ひろき、おはよう!」のMessageをLineで届けてくれていた。こちらからはその日のひろ君のBedサイドでの院内学級の様子を送ったりと、Lineでのやり取りが毎日楽しかった。
ひろ君が召天した日も朝一でMessageが届き、こちらからは日中の授業の様子を夕方Lineで送っていた。

翌朝、担任の先生はひろ君が天国に行ったことを話さなくてはならなかった。
子供だちは悲しんだ中でも、ひろ君からのLineを見たい!と言ったので、先生は見せたそうだ。
更に、天国に居るひろ君へお手紙まで書いてくれて、それを色画用紙に貼って、届けてくれた。
手が思うように動かせない子も、一生懸命書いてくれていた。

入院中の1月に一度、ひろ君の誕生日会をしてくれる日に学校へ登校したので、そのことを書いてくれた子が何人もいた。

「ひろきへ 十本アニメをしてくれてありがとう、ずっと一日ありがとうございます。いつまでも仲まだよ。」

「ひろきへ、3年間ありがとう ひろきが亡くなったと聞いた時はとてもびっくりしました ひろきがいなくなっても ひろきと作った思い出は絶対に消えません いままでほんとうにありがとう じゃあまたね」

「ひろきへ 4ねんかんありがとう これからもいっしょの友だちだよ」

「ひろきへ 1月のたん生日会に来て良かったし私たちもひろきに会えて良かったよ ひろきが10本アニメが好きなことを初めて知ったよ。ひろきが入院してから私たちでビデオレターを送ったら返事くれたりビデオレターを送ってくれてお母さんとひろきありがとうございました。みんなでがんばるからゆっくりねむってね。今までありがとう」

「ひろきへ ずっと一日の学校、来てくれてありがとうね(たんじょう会)!! ぼくたち 大好きだからね。」

「ひろきへ 本当はみんなに、会いたいけど六年生でがんばるからね。応えん しているから。」

「ひろきへ いつもありがとう これからも よろしく」

お友達の心温かいお手紙、ひろ君の部屋に貼っていつも眺めている。ひろ君も天国から見てくれているだろう。お友達、ありがとう!
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ひろ君の残したこと

 今日の礼拝で、ある霊の家族が、ひろ君の召天式で生き方を変えたと証して下さった。
その方は、礼拝で何度も賛美が始まると車いすから立ち上がり舞台前に歩み出て喜んで賛美するひろ君の姿は見ていた。でも、ひろ君の過去については全く知らなかったそうだ。
その方が、ひろ君の召天式でご奉仕して下さり参列もして下さったことで、ひろ君がこれまで何度も命の危険を乗り越え、何度も手術を乗り越え、でも進行性の病の為に少しずつ状態が悪くなっていくにも関わらず、決してマイナス思考になることなく生きている今を心から喜び楽しみ、礼拝では神様と一緒にいると思わせるほど生き生きと賛美していたことを知った。
その方はシングルマザーで保護を受けていたそうだが、ひろ君の生き様を知ったことで、小さな子でもこんなに一生懸命生きている、大変な中でも一日一日を大事にし生を喜んでいる家族がいる、私もマイナス的な生き方をしてはいられない前を向いて生きよう!と思い直し、保護を受けないで生きていく道を選択したとのお話しだった。
ひろ君、大きな神様の働きをしてくれたね、ありがとう
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2月27日 召天式

 2月27日(月)出棺式を終えてそのまま召天式へ。
 収骨を終えて、それぞれの車で召天式会場へ向かった。パパとママは2人、自家用車で移動。ママが骨壺を持って助手席に座った。お兄ちゃんは幼馴染のお友達も一緒におじぃの車で移動した。
 教会に着くと、式の準備は全て整っていて、礼拝堂の扉の手前には、事前に教会の方に渡しておいたひろ君のアルバムやブログ本が、来る方が見やすいようにレイアウトされて置かれていて、召天式に出席しようと早めに教会に着いた方々が手に取って見てくれていた。

 親族には休憩用の個室が用意されていて、お茶を飲みながら少しの時間休むことが出来た。
 召天式の時間となり礼拝堂の中へ入ると、いつも礼拝で牧師先生が立つ壇上にお花に囲まれ笑顔いっぱいのひろ君がいた。

舞台に向かって真ん中の一列目に家族が座り、親族から順々に座っていった。
 14:00 召天式が始まり、全員で黙祷。その後、聖歌隊による「いつくしみ深き」の合唱があった。それから、牧師先生が壇上に上がり祈祷。ひろ君のこれまでの生い立ちと教会でひろ君がとても楽しそうに賛美し先生の説教をくりくりした大きな目で真剣に聞き入っていた様子、ひろ君は生まれる前から神様が愛してくれた神の栄光の子供で、神様と共に歩んだ12年間だったこと。天国はとても素晴らしいところで、ひろ君は天国に居て、病気や障がいから開放され元気いっぱいになってお花畑を駆け回り大好きなイエス様と共に賛美し私達を見守っていてくれていること等をお話しして下さった。
 その後、聖書朗読があった。
 コリント人への手紙第一 13章
 「愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。
愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてをがまんし、すべてを信じ、全てを期待し、すべてを耐え忍びます。
愛は決して耐えることがありません。こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。」
 朗読してくれたのは、ママとひろ君を教会に導いてくれたひろ君がとってもとっても大好きだった恩人のヘルパーさんだった。
 それから、牧師先生のメッセージ。この教会が聖書の学びを中心としたプロテスタントの教会で、これまで社会的にどんな働きをしてきたか、神様がいかに皆さんを愛しているか等を熱く語って下さった。

 それから、皆で「驚くばかりの恵み」を賛美。
 「驚くばかりの恵みなりき この身の汚れを知れるわれに
恵みはわが身の恐れを消し まかする心を起こさせたり
危険をもわなをも避け得たるは 恵みのみわざと言うほかなし
御国に着く朝いよよ高く 恵みの御神をたたえまつらん」
 遺族代表挨拶はパパが行った。舞台下の中央に立ち、出席者に向かって挨拶をした。
 教会の皆さんが歌った特別賛美はひろ君の一番好きだった「君は愛されるために生まれた」と「勇気を出して」の2曲だった。勇気を出しての歌詞にはとても励まされ、ひろ君がいなくなった悲しみに留まってばかりいてはダメだ、勇気を出して一歩踏み出そう、と思えるようになった。
 その後、頌栄「父 御子 御霊の」
 「父 御子 御霊の 大御神に とこしえ 変わらず 御栄えあれ 御栄えあれ アーメン」
 後、お祈りをして、献花。家族から始め、献花をした後は脇に並んで、献花して下さった参列者一人ひとりにお礼の握手をした。この時、ひろ君がお世話になった保育園の先生方、これまで関わって下さった学校の先生方、発達センターの先生方、装具屋さん、福祉事業所の方々等、大勢来て下さっていたことがわかり感謝感謝でいっぱいだった。平日にも関わらず、ひろ君のことを覚えていて下さり足を運んで下さった皆様、本当にありがとうございました。
 献花の列も終わりに近づいた頃、学校を終えてお父さんお母さんと一緒に来てくれたひろ君の同級生が2人。ひろ君の遺影の前で大泣きするも、「クラスの皆でひろ君に渡したいと思って作った」と、大きなクラフト用紙のお手紙を渡してくれた。画用紙いっぱいにひろ君へのメッセージやひろ君の大好きな10本アニメが描かれていた。そのメッセージには「一緒にいてとっても楽しかった、ありがとう」、「いつまでも友達だからな」、「みんなで頑張るからね」等など、お友達の想いがとても有り難い。
 式が終わり礼拝堂を出るとそこには軽食が準備されていた。

茶話会の意味が分かって居なかったので教会の方にご迷惑をかけてしまったかもしれない。大勢の方が残って下さって軽食をつまみながらひろ君の思い出話しや近状報告をし合った。この場で、大泣きしていたひろ君のお友達もひろ君が天国に行って今頃元気に飛び跳ねているということを納得してくれて、ニコニコ顔で帰ってくれた。とっても可愛い子供達、この子達との関係はいつまでも保っていたいと切に思う。

 遺族代表挨拶
「私達の子供として生まれて来てくれてありがとう」
 拓己は脳血管奇形と水頭症を持って生まれましたが、それを乗り越えるように明るく周りに癒しを与えてくれる子に育ちました。
大きな目で見つめ心からの感情を言葉や身体で表現する姿に、私たち家族はいつも喜び拓己自身もそれを喜んでいる様でした。
これまで何回もの手術・治療にも寡黙に立ち向かい、良くなって欲しいという私たち家族の気持ちに応えようとしていました。
 小学1年生の秋に脳内の血管腫による視床出血で4ヶ月入院し、右半身に麻痺が残り、それからも血管腫との戦いは続きました。それでも拓己はこれまでの性格は変わらず、私たちは病気に向き合いそれを克服し充実した毎日を送る気持ちを持ち続けていました。
 学校や学童では日々の学習や行事を通して拓己は先生やお友達との心の結びつきを深めていったと思います。また教会との出会いがあり拓己と母は新たな居場所としていきました。
 2月に急変があり、その間で私たち家族は拓己の短いが充実した人生と周りの人達の拓己に対する想いを充分に感じました。
拓己の天国への旅立ちを祝福し全ての人に深く感謝しお礼申し上げます。
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