先天性の水頭症、ガレン大静脈瘤、そして海綿状血管腫の治療を続けながらがんばっている、ひろきの成長記
ひろ君の成長記
テレワーク終了
5月いっぱいでテレワークを終了しました。
新型コロナの騒動もやっと緊急事態が解除され、我が家も平時の生活が戻りつつあります。
三密を避ける生活の中にあっても、いつも平安でいられたのは私たちクリスチャンの特権。
どんな時であっても、神様の守り、神様の愛に包まれているという安心感がいつもあります。
この安心感、奥ばあちゃんにも感じてもらいたい。
私たち大人は、自分を持ちすぎているので自分に縛られている。もっと心をオープンにしたら色々な縛りから解放されて生きやすくなる。しかも霊の目、霊の耳、霊の心が開かれ、天から与えられる素晴らしい能力が開花するのだ。
私もまだまだ自分を持ちすぎている。最近お友達とラインで星の王子さまの話になった。子どものように素直でありたい。

教会は花盛り。教会のガーデンチームが撮ってくれました。
新型コロナの騒動もやっと緊急事態が解除され、我が家も平時の生活が戻りつつあります。
三密を避ける生活の中にあっても、いつも平安でいられたのは私たちクリスチャンの特権。
どんな時であっても、神様の守り、神様の愛に包まれているという安心感がいつもあります。
この安心感、奥ばあちゃんにも感じてもらいたい。
私たち大人は、自分を持ちすぎているので自分に縛られている。もっと心をオープンにしたら色々な縛りから解放されて生きやすくなる。しかも霊の目、霊の耳、霊の心が開かれ、天から与えられる素晴らしい能力が開花するのだ。
私もまだまだ自分を持ちすぎている。最近お友達とラインで星の王子さまの話になった。子どものように素直でありたい。

教会は花盛り。教会のガーデンチームが撮ってくれました。
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テレワーク
今日からテレワークになりました。
新型コロナの脅威から職場でテレワークの勧めがあり、新しいノートパソコンが与えられた。そのノートパソコンと元々職場で使っていたDisplay1台を持ち帰り、私のテレワークがスタートした。

奥ばあちゃんの部屋をつくる為に畳間にあったひろ君の勉強机をリビングに移動していたので、その机が私の作業場となった。ひろ君の机、周りもひろ君の小物に囲まれていると、ひろ君と一緒にいる気がして幸せな気持ちでお仕事が出来ています。
教会も、インターネット礼拝になっていて、大勢で集まることを止めている。
お兄ちゃんの大学もゴールデンウィーク明けまで休校。
家にいても同じようにお仕事が出来、礼拝も受けられる私は恵まれている。親子で一日一緒にいられるこの貴重な時間を大切に使いたい。一緒に昼食を食べたり、お仕事が休みの日は一緒に畑もして、会話も沢山出来たらいいな。
新型コロナの脅威から職場でテレワークの勧めがあり、新しいノートパソコンが与えられた。そのノートパソコンと元々職場で使っていたDisplay1台を持ち帰り、私のテレワークがスタートした。

奥ばあちゃんの部屋をつくる為に畳間にあったひろ君の勉強机をリビングに移動していたので、その机が私の作業場となった。ひろ君の机、周りもひろ君の小物に囲まれていると、ひろ君と一緒にいる気がして幸せな気持ちでお仕事が出来ています。
教会も、インターネット礼拝になっていて、大勢で集まることを止めている。
お兄ちゃんの大学もゴールデンウィーク明けまで休校。
家にいても同じようにお仕事が出来、礼拝も受けられる私は恵まれている。親子で一日一緒にいられるこの貴重な時間を大切に使いたい。一緒に昼食を食べたり、お仕事が休みの日は一緒に畑もして、会話も沢山出来たらいいな。
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奥ばあちゃんの84歳のお誕生日会

今日、奥ばあちゃんの84歳のお誕生日会をK叔母が催してくれた。
去った2月11日にいとこ会を兼ねて奥ばあちゃんのトゥシビー祝いがあったのだが、K叔母は旦那さんが寝たきりで24h介護の為、出席出来なかった。
母の誕生日が2月10日だったこともあり、叔母は、母のお誕生日会を我が家でと誘って下さったのだ。
母は叔母の家になかなか行きたがらなかった。元気だった叔母の旦那さんがずっと寝たきりになってしまったのを見るのがつらくて足が遠のいていたのだ。
でも今回、叔母の誘いに母が行く気になってくれた。
叔母の家には愛が溢れている。叔母は知らなくても神様が守ってくださっているように思う。この愛を母も感じてくれたかな。
みんなで、生前父が大好きでよくpianoを弾きながら歌っていた「荒城の月」と「君は愛されるために生まれた」をpiano伴奏で歌った。
奥ばあちゃん、神様は奥ばあちゃんも愛して愛してやまない存在としてこの世に生まれさせ、辛い時は傍に寄り添い、嬉しいときは共に喜んでくれているよ。
奥ばあちゃん、お誕生日おめでとう!
k叔母さん、愛のおすそ分けありがとうございました。

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ミニ断食
父さんと二人でひと月ほど前からミニ断食を始めている。
きっかけは、父さんの悔い改め。何について悔い改めたのかは聞いていないので分からないが、その悔い改めをする為にある日、昼食を摂らなかったそうだ。その日、昼食を摂らずとも不思議とお腹が空くことは無く何か満たされた気がした、とのこと。
そして、浮いた昼食代を飢餓の国の子供たちの為に支援献金することを思いついたそうだ。
父さんの思いはこうだ。
・飢餓の国の子供たちの支援について前から興味があった。
・昼食代全部を献金するわけではなく、一部節約にも回して献金する。
・朝夕は普通に食べる。
・食事を摂らない時間に、食事に困っている人たちの気持ちを分かち合う。
それを聞いて、私も賛同。一緒にミニ断食、実行することにした。
私は週3でお仕事をしていて昼食はいつもお弁当を持って行っているので、仕事が休みの週2回、プチ断食することにした。今日はお昼食べたらこれぐらいの出費かな~と思う金額を献金袋へ。献金袋は小銭だらけだが、無理せず自然体で出来る支援だ。
ミニ断食を始めてから、私の身体に変化がある。これまでは帰宅後の夕食準備をする時間帯になると、よく、お腹が空いて低血糖状態(冷や汗、だるさ、気持ち悪さ)になる為、まずはお菓子をつまんで一休みしてから、夕食準備をしていた。
それが最近、お腹が空いて気持ち悪くなることが無くなった。体の中もデトックスされ、心も洗われ、健康体になってきたかも。
きっかけは、父さんの悔い改め。何について悔い改めたのかは聞いていないので分からないが、その悔い改めをする為にある日、昼食を摂らなかったそうだ。その日、昼食を摂らずとも不思議とお腹が空くことは無く何か満たされた気がした、とのこと。
そして、浮いた昼食代を飢餓の国の子供たちの為に支援献金することを思いついたそうだ。
父さんの思いはこうだ。
・飢餓の国の子供たちの支援について前から興味があった。
・昼食代全部を献金するわけではなく、一部節約にも回して献金する。
・朝夕は普通に食べる。
・食事を摂らない時間に、食事に困っている人たちの気持ちを分かち合う。
それを聞いて、私も賛同。一緒にミニ断食、実行することにした。
私は週3でお仕事をしていて昼食はいつもお弁当を持って行っているので、仕事が休みの週2回、プチ断食することにした。今日はお昼食べたらこれぐらいの出費かな~と思う金額を献金袋へ。献金袋は小銭だらけだが、無理せず自然体で出来る支援だ。
ミニ断食を始めてから、私の身体に変化がある。これまでは帰宅後の夕食準備をする時間帯になると、よく、お腹が空いて低血糖状態(冷や汗、だるさ、気持ち悪さ)になる為、まずはお菓子をつまんで一休みしてから、夕食準備をしていた。
それが最近、お腹が空いて気持ち悪くなることが無くなった。体の中もデトックスされ、心も洗われ、健康体になってきたかも。
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私の証
今日の主日礼拝で私の証ビデオが流された。
証とは、神様に出会って私はこう変えられました!、と神様から頂いた恵みを伝えるものだ。
私の証と言っても、その大半はひろ君のこと。その証を聞きに両親や私の姉妹も来て下さり、「今日の礼拝はひろきの追悼会みたいだったね」と奥ばぁちゃんが言ってくれる程、牧師先生が沢山ひろ君のことをお話しして下さった。その証の原稿のまま。
私は教員の両親の元、一男三女の3番目として生まれ、親からの愛情を沢山受けて育ちました。
何でも出来る両親を尊敬する一方、地域はもちろん、学校でも教員のほとんどが両親のことを知っていて、家でも学校でも親の管理下にあるような気がして窮屈さを感じていました。父親が仲間から慕われ、我が家は教員仲間や役場職員がよく集まっては飲み会の場となっていました。
そんな中で私は、教員、公務員のような狭い世界で生きるのではなく、もっと広い世界に出ていくんだ!と小さいころから思っていました。
希望の大学、希望の就職先、そして夫と知り合い結婚しました。自分は一歩下がり相手を立てる、そんな夫の家族は、これまでの私の人生観には無い人間性でした。
それでもこの頃の私は、自己中心、自分が一番、自分は何でも出来る、自分が正しい、と思っていて、何か良くないことが起きた時はまず周りから疑ってかかるのが常。
職場では上司に正義感を振りかざしてたてつき、後輩にはフォローするどころか人前で怒鳴ることも多々。飲み屋のお姉さんと喧嘩をして「勘定はいらないから出て行って」と店を出されたこともあり、夫の友だちと喧嘩をして「もう、家に友達連れてこられないな」と夫にボソッとつぶやかれたこともあります。
やがて長男が生まれ、長男はとてもやさしい子に育ってくれました。「ぼくは、相手が喧嘩してきても反撃しない」と言う長男に、私は「男なんだから、やられたらやり返しなさい!」と教えていた、子供の思いに寄り添えない母親でした。
次男拓己は、先天性の脳血管障害を持って生まれ12歳で天国に召されました。
妊娠中、拓己の障害が分かってから深く悲しみましたが、拓己が私達の元に生まれてくる意味が必ずあるはずだ!と信じて出産に望み、出来る限りの治療をお願いしました。
治療は続きましたが、拓己はいつでも明るく素直で前向き、とてもおしゃべりになり、いつも周りを癒してくれる大きな存在でした。拓己が6歳の冬に脳の血管腫からの出血で体にまひが残り、それからは出血、回復の繰り返しが続きました。対処療法しか治療が無い中でしたが、努力で状況は変えられる、道はあるはずだ、私が拓己を元気にするんだ、との思いが強くあり、また拓己は自分で元気になる力が絶対にあるはずだ!との思いもあり、全力で拓己をサポートしていました。しかし、出血する度にどんどん元気がなくなっていく拓己を見てとてももどかしさを感じていました。
そんな時、拓己のヘルパーさんとして家に来てくれた霊の家族によって導かれ教会へ。
教会に行くと拓己がとても喜びました。拓己が生き生きと楽しそうに賛美する姿を見て、ココには拓己の大好きなものが沢山あると思い、2人で通うようになりました。
しかし、教会に行くようになってもこれまでの私を変えたいとは思わず、教会の方々に起こった数々の奇跡の証を聞いて、私が神様を信じることで拓己が完全に癒される!との思いで、必死で神様を信じようと努力し、拓己が元気になることをいつも願っていました。
拓己の入院中、家族以上に教会の方々がお弁当や差し入れを届けて下さり、熱く祈って下さったことで、神様の無償の愛とはこういうことなのかと思うようになりました。
去年の2月11日の朝、拓己が急変し自発呼吸が出来なくなりました。医者から人工呼吸器をつけるかどうかの決断を迫られましたが、教会の皆さんの熱い祈りのおかげで、自発呼吸できるようになり一命をとりとめました。その日に、拓己の周りで色々な不思議が起こり、夫が救いを受けました。それから一週間後、親子3人で病床洗礼を受け、23日の召天の時は、夫が仕事を終え病室に戻るのを待っていたかのように、夫が来て直ぐに自発呼吸低下、それでも2時間以上持ちこたえ、皆が集まる時間を作ってくれました。
教会の方々も大勢来て下さり、拓己の大好きだった “君は愛されるために生まれた”を歌って下さっている時、意識の無かった拓己が大きく目を開き、周りを見て、目頭から涙がこぼれ、愛に包まれながら眠るように安らかに天国に召されたのを目の当たりにしました。
それから夫と一緒に教会に通うようになり、療育クラスで学んでいくうちに次第に私の気持ちも変わってきました。拓己が完全に癒されるのが奇跡ではないんだ。拓己は生まれる前から神様と共にいてずっと奇跡を見せ続けていたんだ。そして拓己がどんな困難にあっても前向きで笑顔でいられたのは、拓己自身が神様の愛を感じて生きていたからなんだと。それに気づいてからは、自分が一番、自分が正しいと思う気持ちが無くなりました。
それでも私の癖で、まずは否定から入る。御言葉や神様が起こしてくれた奇跡も、まずは否定し、否定が崩された時に初めて信じる。そんな自分の破れ口があることに気づいてからは、神様の恵みを素直に受け取り、神様の御言葉を素直に受け取ろうと心をオープンにすることが出来ました。
夫とも、以前は行動を共にすることはほとんど無く、会話の無い夫婦、会話をすると喧嘩ばかりで全く夫の心が読めない関係でしたが、今では2人の間に神様がいます。神様に感謝です。夫と心ひとつとなった今、教会のカルチャーである聖歌隊や三線、ガーデニングのご奉仕にも携わり、毎日、神様が良くして下さっていることに感謝し、神様の私達への愛を感じながら、心満たされて過ごすことが出来ています。拓己の居ない寂しさはまだまだありますが、その寂しさも夫と半分こし合っています。
自己中心、自分が一番だった私に、心優しい夫を与えて下さり、優しい長男を与えて下さり、そして次男拓己は、私と夫が神様の元に行けるようにと神様が与えて下さり、拓己を通して神様と共に歩む生き方を見せて下さり、神様の召しを全うして拓己は天国に召されたんだと、今では心からそう思えます。だから私も神様の召しに立っていこうと思います。
今の私がいるのは、教会の霊の家族の存在があります。舞台に立つ子供たちを見ては拓己を思い出し寂しさで礼拝堂にいられなくなった時もあり、拓己にしてあげられるのにしてあげなかった後悔が心の底から沸き上がり胸が張り裂けそうになった時もあり、そんな思いをストレートにぶつけても、霊の家族はひるむことはありません。
御言葉で答えを下さり、一緒に思いを共有して下さり、抱きしめて下さり、とりなし祈って下さる、そんな霊の家族の皆さんに支えられ、やっと今の強さにまで至っています。
素の自分をさらけ出しても、その全てを受け入れ愛で包んでくれる所、それが教会です。
拓己が生まれてきてくれて、神様が教会に導いて下さった今なら分かります。
障がいを持つお子さんのいるお父さんお母さん、あなたのお子さんは素晴らしい神の栄光の子供です。神様が特別にあなたを選んでその子を地上に送って下さいました。その子と心を合わせてみて下さい、その子から神様の愛を感じることがきっと出来ます。
神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。
伝道所の書3:11
私はまだ変えられ途中ですが、神様を受け入れた今、神様が私をどんどん神と似た者へと変えていって下さいます。
なかなか変えられない私を忍耐し祈り続けて下さった先生方、霊の家族の皆さん、本当にありがとうございました。私はここまで変えられました!
神様に感謝します!ハレルヤ!!
証とは、神様に出会って私はこう変えられました!、と神様から頂いた恵みを伝えるものだ。
私の証と言っても、その大半はひろ君のこと。その証を聞きに両親や私の姉妹も来て下さり、「今日の礼拝はひろきの追悼会みたいだったね」と奥ばぁちゃんが言ってくれる程、牧師先生が沢山ひろ君のことをお話しして下さった。その証の原稿のまま。
私は教員の両親の元、一男三女の3番目として生まれ、親からの愛情を沢山受けて育ちました。
何でも出来る両親を尊敬する一方、地域はもちろん、学校でも教員のほとんどが両親のことを知っていて、家でも学校でも親の管理下にあるような気がして窮屈さを感じていました。父親が仲間から慕われ、我が家は教員仲間や役場職員がよく集まっては飲み会の場となっていました。
そんな中で私は、教員、公務員のような狭い世界で生きるのではなく、もっと広い世界に出ていくんだ!と小さいころから思っていました。
希望の大学、希望の就職先、そして夫と知り合い結婚しました。自分は一歩下がり相手を立てる、そんな夫の家族は、これまでの私の人生観には無い人間性でした。
それでもこの頃の私は、自己中心、自分が一番、自分は何でも出来る、自分が正しい、と思っていて、何か良くないことが起きた時はまず周りから疑ってかかるのが常。
職場では上司に正義感を振りかざしてたてつき、後輩にはフォローするどころか人前で怒鳴ることも多々。飲み屋のお姉さんと喧嘩をして「勘定はいらないから出て行って」と店を出されたこともあり、夫の友だちと喧嘩をして「もう、家に友達連れてこられないな」と夫にボソッとつぶやかれたこともあります。
やがて長男が生まれ、長男はとてもやさしい子に育ってくれました。「ぼくは、相手が喧嘩してきても反撃しない」と言う長男に、私は「男なんだから、やられたらやり返しなさい!」と教えていた、子供の思いに寄り添えない母親でした。
次男拓己は、先天性の脳血管障害を持って生まれ12歳で天国に召されました。
妊娠中、拓己の障害が分かってから深く悲しみましたが、拓己が私達の元に生まれてくる意味が必ずあるはずだ!と信じて出産に望み、出来る限りの治療をお願いしました。
治療は続きましたが、拓己はいつでも明るく素直で前向き、とてもおしゃべりになり、いつも周りを癒してくれる大きな存在でした。拓己が6歳の冬に脳の血管腫からの出血で体にまひが残り、それからは出血、回復の繰り返しが続きました。対処療法しか治療が無い中でしたが、努力で状況は変えられる、道はあるはずだ、私が拓己を元気にするんだ、との思いが強くあり、また拓己は自分で元気になる力が絶対にあるはずだ!との思いもあり、全力で拓己をサポートしていました。しかし、出血する度にどんどん元気がなくなっていく拓己を見てとてももどかしさを感じていました。
そんな時、拓己のヘルパーさんとして家に来てくれた霊の家族によって導かれ教会へ。
教会に行くと拓己がとても喜びました。拓己が生き生きと楽しそうに賛美する姿を見て、ココには拓己の大好きなものが沢山あると思い、2人で通うようになりました。
しかし、教会に行くようになってもこれまでの私を変えたいとは思わず、教会の方々に起こった数々の奇跡の証を聞いて、私が神様を信じることで拓己が完全に癒される!との思いで、必死で神様を信じようと努力し、拓己が元気になることをいつも願っていました。
拓己の入院中、家族以上に教会の方々がお弁当や差し入れを届けて下さり、熱く祈って下さったことで、神様の無償の愛とはこういうことなのかと思うようになりました。
去年の2月11日の朝、拓己が急変し自発呼吸が出来なくなりました。医者から人工呼吸器をつけるかどうかの決断を迫られましたが、教会の皆さんの熱い祈りのおかげで、自発呼吸できるようになり一命をとりとめました。その日に、拓己の周りで色々な不思議が起こり、夫が救いを受けました。それから一週間後、親子3人で病床洗礼を受け、23日の召天の時は、夫が仕事を終え病室に戻るのを待っていたかのように、夫が来て直ぐに自発呼吸低下、それでも2時間以上持ちこたえ、皆が集まる時間を作ってくれました。
教会の方々も大勢来て下さり、拓己の大好きだった “君は愛されるために生まれた”を歌って下さっている時、意識の無かった拓己が大きく目を開き、周りを見て、目頭から涙がこぼれ、愛に包まれながら眠るように安らかに天国に召されたのを目の当たりにしました。
それから夫と一緒に教会に通うようになり、療育クラスで学んでいくうちに次第に私の気持ちも変わってきました。拓己が完全に癒されるのが奇跡ではないんだ。拓己は生まれる前から神様と共にいてずっと奇跡を見せ続けていたんだ。そして拓己がどんな困難にあっても前向きで笑顔でいられたのは、拓己自身が神様の愛を感じて生きていたからなんだと。それに気づいてからは、自分が一番、自分が正しいと思う気持ちが無くなりました。
それでも私の癖で、まずは否定から入る。御言葉や神様が起こしてくれた奇跡も、まずは否定し、否定が崩された時に初めて信じる。そんな自分の破れ口があることに気づいてからは、神様の恵みを素直に受け取り、神様の御言葉を素直に受け取ろうと心をオープンにすることが出来ました。
夫とも、以前は行動を共にすることはほとんど無く、会話の無い夫婦、会話をすると喧嘩ばかりで全く夫の心が読めない関係でしたが、今では2人の間に神様がいます。神様に感謝です。夫と心ひとつとなった今、教会のカルチャーである聖歌隊や三線、ガーデニングのご奉仕にも携わり、毎日、神様が良くして下さっていることに感謝し、神様の私達への愛を感じながら、心満たされて過ごすことが出来ています。拓己の居ない寂しさはまだまだありますが、その寂しさも夫と半分こし合っています。
自己中心、自分が一番だった私に、心優しい夫を与えて下さり、優しい長男を与えて下さり、そして次男拓己は、私と夫が神様の元に行けるようにと神様が与えて下さり、拓己を通して神様と共に歩む生き方を見せて下さり、神様の召しを全うして拓己は天国に召されたんだと、今では心からそう思えます。だから私も神様の召しに立っていこうと思います。
今の私がいるのは、教会の霊の家族の存在があります。舞台に立つ子供たちを見ては拓己を思い出し寂しさで礼拝堂にいられなくなった時もあり、拓己にしてあげられるのにしてあげなかった後悔が心の底から沸き上がり胸が張り裂けそうになった時もあり、そんな思いをストレートにぶつけても、霊の家族はひるむことはありません。
御言葉で答えを下さり、一緒に思いを共有して下さり、抱きしめて下さり、とりなし祈って下さる、そんな霊の家族の皆さんに支えられ、やっと今の強さにまで至っています。
素の自分をさらけ出しても、その全てを受け入れ愛で包んでくれる所、それが教会です。
拓己が生まれてきてくれて、神様が教会に導いて下さった今なら分かります。
障がいを持つお子さんのいるお父さんお母さん、あなたのお子さんは素晴らしい神の栄光の子供です。神様が特別にあなたを選んでその子を地上に送って下さいました。その子と心を合わせてみて下さい、その子から神様の愛を感じることがきっと出来ます。
神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。
伝道所の書3:11
私はまだ変えられ途中ですが、神様を受け入れた今、神様が私をどんどん神と似た者へと変えていって下さいます。
なかなか変えられない私を忍耐し祈り続けて下さった先生方、霊の家族の皆さん、本当にありがとうございました。私はここまで変えられました!
神様に感謝します!ハレルヤ!!
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我が家にピアノがやって来た
ずっと欲しかったピアノが我が家に来た。

DIAPASON 132C 1984年1月購入
このピアノ、我が三姉妹が学生時代、隣家に住んでた頃に両親が買ってくれた大切な思い出のピアノだ。
3人が家を出た後は兄の家族が住み、子供が小さい頃は弾いていたピアノだが、その子供達も独立し家を出てからはピアノを弾く人も居ず物置がわりになっていた。
そのピアノを今回、母の配慮で譲り受けることに なった。
ピアノ引越し専門の業者さんにお願いし、ピアノを台車で隣家から我が家へ移動。
調律師さんが調律もしてくれて、ピアノが甦った。
一年前から通っていたVoice Lesson。8月からはピアノも 教えて貰っている。教会で歌っているworshipsongのコード弾きだ。
本物のピアノが我が家に来たのも、神様の恵みだ。
母に感謝、兄夫婦に感謝、神様に感謝します。

DIAPASON 132C 1984年1月購入
このピアノ、我が三姉妹が学生時代、隣家に住んでた頃に両親が買ってくれた大切な思い出のピアノだ。
3人が家を出た後は兄の家族が住み、子供が小さい頃は弾いていたピアノだが、その子供達も独立し家を出てからはピアノを弾く人も居ず物置がわりになっていた。
そのピアノを今回、母の配慮で譲り受けることに なった。
ピアノ引越し専門の業者さんにお願いし、ピアノを台車で隣家から我が家へ移動。
調律師さんが調律もしてくれて、ピアノが甦った。
一年前から通っていたVoice Lesson。8月からはピアノも 教えて貰っている。教会で歌っているworshipsongのコード弾きだ。
本物のピアノが我が家に来たのも、神様の恵みだ。
母に感謝、兄夫婦に感謝、神様に感謝します。
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お酒やめました
2週間ほど前のこと。
職場の飲み会に行ったパパを、お迎えコールでいつもの様に迎えに行った。
ご機嫌で車に乗り込むパパ。一次会を途中で抜けて一人、2年ぶりに以前よく行っていたミュージックバーへ行ったとのこと。そこでバーのオーナーであるご夫婦に「表情がとても優しくなりましたね。以前とは全然違います」と言われたそうだ。
クリスチャンになってからのパパ、表情がどんどん優しくなっている。滅多に会わない人からもその違いがわかるほどなんて、パパから神様の愛が現れているのかも。
神様、感謝します。
今日のブログの核心はここから、
家に帰ってきたパパがいきなり「もう、お酒はやめる!」と宣言。一人二次会は飲み納めの為のものだった様だ。
パパがやめるならと、私も決心。
するとこれまで、週末や、祈祷会や教会のカルチャーで帰宅が遅くなった時に欲しくなっていたビールが、飲みたい!という気持ちが全然起きなくなった。
まだ断酒2週間だが、お酒を飲んでいた時間を有効に使うことが出来るし、なにより、ビールにはつまみが付き物、寝る前に飲食しなくなったことでお腹の脂肪が少し減った気が。それに、我慢しよう~と余計なストレスを抱えなくてよくなった。
いいことずくめです。
私たちを変えてくれた神様、感謝します。
職場の飲み会に行ったパパを、お迎えコールでいつもの様に迎えに行った。
ご機嫌で車に乗り込むパパ。一次会を途中で抜けて一人、2年ぶりに以前よく行っていたミュージックバーへ行ったとのこと。そこでバーのオーナーであるご夫婦に「表情がとても優しくなりましたね。以前とは全然違います」と言われたそうだ。
クリスチャンになってからのパパ、表情がどんどん優しくなっている。滅多に会わない人からもその違いがわかるほどなんて、パパから神様の愛が現れているのかも。
神様、感謝します。
今日のブログの核心はここから、
家に帰ってきたパパがいきなり「もう、お酒はやめる!」と宣言。一人二次会は飲み納めの為のものだった様だ。
パパがやめるならと、私も決心。
するとこれまで、週末や、祈祷会や教会のカルチャーで帰宅が遅くなった時に欲しくなっていたビールが、飲みたい!という気持ちが全然起きなくなった。
まだ断酒2週間だが、お酒を飲んでいた時間を有効に使うことが出来るし、なにより、ビールにはつまみが付き物、寝る前に飲食しなくなったことでお腹の脂肪が少し減った気が。それに、我慢しよう~と余計なストレスを抱えなくてよくなった。
いいことずくめです。
私たちを変えてくれた神様、感謝します。
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教会マルシェ
偶数月の第4週は教会でマルシェを開いている。
手作りアクセサリー等の小物の販売

パンや総菜の販売

野菜の販売

今回は慶佐次のサンフーズ港川ファームさんから冬瓜、モーウイ、パイナップル等沢山の提供もあり、野菜コーナーも盛りだくさんとなった。港川さん、ありがとうございました。
そして新たな試みとして、父さんがカブト、クワガタの販売コーナーを設けた。(カブトは見て欲しいとの思いから1匹だけ)

他にも、子供服、大人洋服、靴、バック等、沢山の種類を格安販売している。
マルシェで販売をしながらも、交わりの中で神様の恵みを沢山感じることが出来た。
父さんのクワガタも、子供達(一部大人も)がとても喜んでくれたので良かったナ。「来年の8月マルシェでもまた販売しよう」と父さん言。捕まえる楽しみが倍増したね、父さん!
手作りアクセサリー等の小物の販売

パンや総菜の販売

野菜の販売

今回は慶佐次のサンフーズ港川ファームさんから冬瓜、モーウイ、パイナップル等沢山の提供もあり、野菜コーナーも盛りだくさんとなった。港川さん、ありがとうございました。
そして新たな試みとして、父さんがカブト、クワガタの販売コーナーを設けた。(カブトは見て欲しいとの思いから1匹だけ)

他にも、子供服、大人洋服、靴、バック等、沢山の種類を格安販売している。
マルシェで販売をしながらも、交わりの中で神様の恵みを沢山感じることが出来た。
父さんのクワガタも、子供達(一部大人も)がとても喜んでくれたので良かったナ。「来年の8月マルシェでもまた販売しよう」と父さん言。捕まえる楽しみが倍増したね、父さん!
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教会のカルチャー
パパと二人で教会に行くようになってもうすぐ一年半、教会の療育クラスを終え、今、カルチャーを楽しんでいる。
それは聖歌隊と三線だ。パパの三線を買って、いつでも練習出来るようにと、パパが三線かけを取り付けてくれた。

左がパパので右が私の。私の三線はだいぶ前に義父からの頂き物。大活躍してくれています。お父さんありがとうございます。
全く三線を触ったことの無かったパパが、三線のカルチャーで少しずつ指を覚え、曲を覚え、今では工工四も読めるようになっている。ハレルヤ!
先日、枝教会のオープン祝会でパパが三線初デビュー。パパ、おめでとう!
それから、私は以前から聖歌隊の練習にもなるからとボイスレッスンを受けているのだが、レッスンの先生の勧めで最近から歌だけでなくピアノも習い始めている。目的はセルでの賛美(ワーシップ)の伴奏が弾けるようになることだ。
注文していたキーボードが今日届いた。

YAMAHAのPORTATONE 61鍵だ。購入前から鍵盤が少ないのが気になっていたが伴奏を弾く分には問題ないとのことで値段の安さもあり購入。
早速、今練習中の"いのちの光"と"カム・ホーリー・スピリット"を弾いてみた。いい感じ(^^♪
三線に賛美の伴奏、教会生活がどんどん楽しくなっています。神様の愛を感じ日々喜んでいる父さん母さんを、ひろ君も天国で見て喜んでくれているだろう。父さん母さんを神様に近づけてくれたひろ君、本当にありがとう!
それは聖歌隊と三線だ。パパの三線を買って、いつでも練習出来るようにと、パパが三線かけを取り付けてくれた。

左がパパので右が私の。私の三線はだいぶ前に義父からの頂き物。大活躍してくれています。お父さんありがとうございます。
全く三線を触ったことの無かったパパが、三線のカルチャーで少しずつ指を覚え、曲を覚え、今では工工四も読めるようになっている。ハレルヤ!
先日、枝教会のオープン祝会でパパが三線初デビュー。パパ、おめでとう!
それから、私は以前から聖歌隊の練習にもなるからとボイスレッスンを受けているのだが、レッスンの先生の勧めで最近から歌だけでなくピアノも習い始めている。目的はセルでの賛美(ワーシップ)の伴奏が弾けるようになることだ。
注文していたキーボードが今日届いた。

YAMAHAのPORTATONE 61鍵だ。購入前から鍵盤が少ないのが気になっていたが伴奏を弾く分には問題ないとのことで値段の安さもあり購入。
早速、今練習中の"いのちの光"と"カム・ホーリー・スピリット"を弾いてみた。いい感じ(^^♪
三線に賛美の伴奏、教会生活がどんどん楽しくなっています。神様の愛を感じ日々喜んでいる父さん母さんを、ひろ君も天国で見て喜んでくれているだろう。父さん母さんを神様に近づけてくれたひろ君、本当にありがとう!
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全養育クラス卒業
教会では養育システムがあり、3つのセミナーと各10回からなる4つのクラスがあり、続けて受講すれば約一年間で全クラスが終わるようになっている。
ひろ君が天国に行った後、3月からパパと一緒に教会に通うようになり、パパの初めてのセミナー受講が去年の5月、それから二人一緒に養育クラスを進み、今日が卒業式だった。
教会には聖歌隊、フラダンス、ゴスペル、三線など色々なカルチャーがあり、養育クラスが終わって余裕が出来たからか、パパが「三線をする!」と新たなチャレンジ。一緒に聖歌隊に入っているが、三線はママだけだった。これからは三線も一緒だ。
神様が私達二人をどのように変えてくれるのか、どのように用いて下さるのか、自身のそしてパパのこれからの変化が楽しみになってきた。神様の召しに立つ変えられたパパママを見たら、きっと天国のひろ君も大喜びしてくれるだろう。早くそんな日が来ますように。
ひろ君が天国に行った後、3月からパパと一緒に教会に通うようになり、パパの初めてのセミナー受講が去年の5月、それから二人一緒に養育クラスを進み、今日が卒業式だった。
教会には聖歌隊、フラダンス、ゴスペル、三線など色々なカルチャーがあり、養育クラスが終わって余裕が出来たからか、パパが「三線をする!」と新たなチャレンジ。一緒に聖歌隊に入っているが、三線はママだけだった。これからは三線も一緒だ。
神様が私達二人をどのように変えてくれるのか、どのように用いて下さるのか、自身のそしてパパのこれからの変化が楽しみになってきた。神様の召しに立つ変えられたパパママを見たら、きっと天国のひろ君も大喜びしてくれるだろう。早くそんな日が来ますように。
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