きわめて私的な話で恐縮なのですが、昨日9月14日はワタシの父の命日…。今から17年前の2006(平成18)年のこの日の夜、入院していた病院で79歳の生涯をそっと閉じました。その年の初夏に急激に体力が低下して診察を受けた結果、癌に侵されて「余命3か月」の診断を受けて急遽入院し、本当に3か月で逝ってしまいました。ワタシが子供のころから友達のように接してくれたとても大切な父が癌で「余命3か月」と知らされた時、自分でも驚くくらい冷静に受け止められた記憶があります。そしてただただ「なんとか苦しまぬように…」と願うのみでしたが、担当医師の「お父さんは体力が落ちていますので苦しむことなく逝かれます」との言葉通りの穏やかな最期でした。
振り返ると、父の病状が「余命3か月」と知らされた時にワタシが動揺することなく受け止め、そしてすぐに「最期は苦しまないように」と冷静に願うことができたのも、癌という病いの特殊性に基づいているような気もします。今日の医学の進歩はめざましいものがありますが、「癌で余命数か月」との診断を受けた場合、その状況から回復に至るのは困難の極みといえるのではないでしょうか。もしも父が癌ではなくて他の病いで「余命数か月」との宣告を受けたとしたら、ワタシは父の回復を願って可能な限りの治療を受けてもらう道を選んでいたかもしれません…。
なにはともあれ、葬儀の場に飾り付けた遺影はこちら。
考古学を生業としていた父に指導を受けた方が遠い昔に撮った一枚です。生ビールのジョッキをしっかり握ってます。お酒と考古学と人を愛した父を偲ばせる一枚として、今もって語り継がれている写真でもあります。
あの2006年はどのような一年だったのかと思い起こしてみると、スポーツ界では2月にイタリアのトリノで冬季五輪が開催されて女子フィギュアスケート競技で荒川静香さんが「イナバウアー」で金メダルを獲得。そして1か月後の第1回WBC世界野球選手権大会で王貞治監督が率いてイチロー、松坂大輔両選手を中心に構成された日本代表が初代王座に。そして夏の高校野球・甲子園大会ではハンカチ王子と人気を博した齋藤祐樹投手を擁する早稲田実業が深紅の優勝旗を手にしました。サッカーシーンでは6月にドイツでワールドカップが開催され、もちろん日本代表も出場しましたが、惜しくも1次リーグで敗退…。
広く世の中に目を向けてみると、父が亡くなった9月に安倍晋三氏が首相となり、そして同じ月に秋篠宮悠仁様が誕生しています。
あらためてふり返ってみると、そのいずれも昨日のことのように鮮明に記憶しています。そして今、安倍氏はこの世には無く、悠仁様はコロナになってしまいました。時の移ろいは極めて速く、そしてなんともさまざまなことが日々起こります…。
ともあれ父の命日に合わせて、わが家のルーツの地である福島県会津の菩提寺にお墓参りに行きたいところではありますが、諸般の事情に基づきひと足先に夏の終わりの8月末に会津に向かいました。
これまでにもこのブログにアップしたことがありますが、ワタシの家の菩提寺は福島県喜多方市の北の端の熱塩という地にある曹洞宗の示現寺というお寺です。
お墓はこのお寺から石段をかなり登った森に囲まれた地にあります。
考古学を生業としていた父は会津にお墓詣りに来るたびに会津若松をはじめとする飲み屋さんで地元の方々とお酒を酌み交わしながら倉田の家のルーツを聞き込みしていました。その結果、江戸時代初期から数え数えてワタシは倉田家の19代目ということが判明しています。
お墓参りで「墓マイル」が貯まるのかどうかはさておき、ルーツの地・熱塩で泊まった宿は、遠い昔から縁戚関係にある「山形屋」さん。紅葉の季節になると多くの宿泊客の方々でいっぱいになる人気のお宿です。
宿から望む夕刻の西の空
たぶん、ウチの先祖もこの夕刻の空を拝んでいたのでしょうか…。
一夜明け、昨夕 暮れゆく夕陽を眺めた西の窓は一面の青空。
ふりかえれば今からちょうど半世紀前の初夏に父方の祖父が亡くなり、8月にこの地をはじめて訪れて納骨の儀に臨んだ時も、見事な夏空が広がっていました…。
東京で生まれ育って20年を経て、全ての基準が「東京」だったワタシにとって、森と田畑が限りなく広がる会津が自分自身のルーツの地であることが即座に受け入れられず、祖父の納骨の儀がただただ困惑続きだったことを記憶しています。
そして幾多の時を経た今、毎年のようにお墓参りをして来たゆえか、ルーツの地として会津がとても懐かしい場として昇華? しています。一日たりとも、生活の場として暮らしたことも無いのですが、これも「血」のなせる業といえば良いのでしょうか…。
とにもかくにも、ルーツの地・会津でのお墓参りを経て、次なる地での出会いは次の機会に続きます…。