鎌倉 佐助の風街便り

陶芸、街歩き、クルマ、オーディオ・・。思いのまま徒然に

しきたりと神事に触れて小正月、冬空に炎見上げて「摂氏2度」寒っ!

2014-01-15 12:26:47 | エンタメ
ふと気がつけば、年が明けて早や半月…。わが家からほど近い鶴岡八幡宮でも10余日前の「松の内」においては、このような感じで

初参りの方々が近郊の各所から詣でて大賑わいの様相を呈していました。

そして、睦月1月も半ばを迎え、新成人を祝う「成人式」を経て、世の中 ならびにウチの陶芸教室においてもようやく「いつもどおり」の日常のペースを取り戻してきたような感があります。

されど、されど…。「行く川の流れは絶えずして、しかも本の水にあらず」というか「諸行無常」が世の常。ワタシが住むここ佐助の地においても例外ではなく、そこかしこに「いと可笑し…」な事が目白押し。

たとえば昨日は、ご近所に家を建てるお宅の上棟式に際して、今となっては懐かしき「餅撒き」の儀式が行なわれました。ご近所ではあらかじめポスティングや「クチコミ」等で「餅撒き」が大いに話題となっていた故、式典開始時刻午後4時半前にはご近所のチビッ子や大人の皆さんがまさに「鈴なり」の態。
 
この棟を施工する工務店さんの方々の「それでははじめますよ~!」という声を合図に紅白のお餅やお菓子が天空から舞い降り、居合わせた一同が「ワーッ」という声とともにお餅に手を伸ばす光景は「懐かしき昭和」の光景そのもの。期せずしてワタシと同世代の方々からは「棟上げの『餅撒き』かぁ。懐かしいなぁ」との声が上がっていました。

自らの子ども時代をふり返っても、近所の「餅撒き」のたびに友人達とともに収穫したお餅の数を競っていた記憶があります。あらためて指折りかぞえれば、それはまさに半世紀も前のこと。つくづく、「昭和は遠くなりにけり…」。

「餅撒き」の儀式が終了し、三々五々帰路に就く方々の中には、あらあら、お見知りおきの方々が、そこにもここにも。

地元自治会にて日頃お世話になっている役員さんからは「えっ、倉田さん、お餅受け取れなかったの? じゃあ、ワタシが受け取ったお餅の一部、譲りますよ。縁起モノだからね」ということで、丸餅をいただき、思わず「ありがとうございます!」。
 
家へ戻る道すがら、ご近所のお店仲間「ブンブン紅茶店」さんの奥さんとご長男を見つけては、「餅撒き、楽しい、楽しい!」と大笑いしつつ、初春の夕暮れが過ぎていくのでした。

そして今朝方、1月15日 小正月…。

ウチの同居人さんともども「えいやっ!」と勇気をふるって朝6時半に家を出発し、鶴岡八幡宮での「左義長神事」に参列と相成りました。この「左義長神事」とはお正月の松飾り等をお焚き上げする神事で、一般的には「ドンド焼き」と呼ばれています。

朝7時前、鎌倉駅西口を経て小町通りから八幡宮方面へ。
 
あと数時間もすれば鎌倉散策の人々であふれる小町通りも、さすがに朝7時前とあって人っ子一人見当たりません。若宮大路の段葛まで来てようやく、八幡宮へ向かう人の姿がぽつぽつと。

朝7時から八幡宮境内の源平池のほとりにて、三人の宮司さんの仕切りのもと「左義長神事」が厳かに取り行なわれました。傍らにいた参拝の方によると「気温2度…」という凍てつく寒さの中、約20分ほどのお祓いや祝詞等を経て、神事はクライマックスへ。

積み上げられた松飾に宮司さんが火を点し、ほどなく大きな炎が冬空に向かって赤々と舞い上がっていきます。


この炎からは10メートルほど離れたところに居たのですが、頬、手足、そしてカラダ全体がじんわりと暖められていくことが感じられます。松飾を燃やす炎のチカラを存分に受け、あらためてお正月気分から通常モードへと本格的にリセット! といったところでしょうか。

「左義長神事」終了後、お供物として供されていた蜜柑をいただいて、なぜか子供の頃のように妙に嬉しくて嬉しくて。
 
式に臨んでいた人々も、いつまでもなごり惜しそうに早朝の境内で燃え尽きていく炎を見守っていました。

八幡宮からの帰り道、同居人さんからの「今日は小正月。家に戻ったら、邪気払いと無病息災を願って小豆粥ですよ」との声…。

思えば昨年は4月に乗り合わせていたクルマが追突事故に遭い、腰や足、指先までカラダのあちこちがギシギシと悲鳴をあげた一年でした。今年はそのようなアクシデント無きよう、例年以上に「平穏に」との思いを込めて、小豆粥を食させていただきます。

そろそろお昼、リビングにも小豆が煮える香りが漂いはじめてきました。それでは間もなく、小豆粥 

「心して、いただきます…」。













コメント
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