Blog of SAKATE

“燐光群”主宰・坂手洋二が150字ブログを始めました。

インフルエンザに罹るとがん細胞が死ぬ?

2014-01-30 | Weblog
インフルエンザが流行っているようだ。
俳優諸氏には、本番や稽古で周囲に迷惑を掛けないようにということで毎年予防注射を打つ者がいる。だが、そのシーズンに流行が予想されるインフルエンザは一種類とは限らない。ある意味、きりがない。
私は予防注射を打たない。子どもの頃に学校で強制されて以来、予防で打ったのは海外で危険地区に行くときに義務づけられた黄熱病の予防注射だけである。どこかで、そういう注射が自分には合わないという気がしている。
漢方に詳しい人にそれに類したサジェッションは受けたかも知れないが、誰に言われたからということもなくそうしていた。
最近よく聞くのが、薬や予防注射は製薬会社が儲けることが主眼で、必ずしも効くという保証があるわけではない、むしろ副作用が心配であるということだ。がん細胞は低体温時に繁殖し、死滅するのは39度台だという。つまり、インフルエンザに罹って39度台の高熱が出ると、がん細胞は死んで、身体は浄化されるのだそうだ。そういう意味では薬を使って体温を下げたりせず、覚悟を決めて受け止めた方がいい、という意見があるのだ。
ものは考えようというか。だが、これを信じて自分からインフルエンザに罹ろうとする人が出てきてはまずいだろうとも思う。
真偽はわからぬまま、冬もまっさかり、一年で一番冷え込む時期に突入している。風邪を引かぬように気をつけて過ごしたいとは思う。

さて、たまにはこうして、ふだんの仕事や活動に関係ないこと、どうでもいいことを呟きたくなる。

何か観るべき映画はないかとよく聞かれるのだが、それほど観ているわけではない。
ただ、最近観た映画では、やはりプライアン・デ・パルマの『パッション』が一番だ。高度な特撮も高尚なテーマもなく、三十年前と変わらないといえる手法。だがとにかく引き込まれる。映画館で観るべき。ヒッチコックの『めまい』方向の作品が好きな人には、こたえられまい。
三十年も前だが、川村毅・第三エロチカの『ジェノサイド』という「映画についての劇」で、女優役の深浦加奈子の「デ・パルマが二流だとは思わないわ」という台詞があるのだが、一流とか二流とかを越えて、デ・パルマは「一つのジャンル」なのだ。
深浦はじっさいに映画が好きで、映画の話ばかりしていた。亡くなって五年半になる。テリー・ギリアムの『バロン』を観に行ったときのことなど周期的に思い出す。あの日は新宿三丁目の日本酒を薄めて出すのが有名な飲み屋で飲んだのだった。『バロン』はユマ・サーマンの意味不明に美しすぎる美少女ぶりが印象的な映画でもあった。最近どうしているんだろうテリー・ギリアム。あの頃の演劇人は彼の『未来世紀ブラジル』の話ばかりしていたな。(と思ったら、彼が新作を作っていることがわかった http://www.bleedingcool.com/2014/01/28/official-trailer-for-terry-gilliams-zero-theorem%E2%80%8F/)
ともあれ、私の世代にとって、クローネンバーグとデ・パルマは、とにかく別格だ。
うまく説明できない。そして、とにかく、新作に触れるたび、励まされるのだ。
ヒッチコックの『めまい』も最近どこかの映画館で上映されたらしい。「午前10時の映画祭」というリバイバルシリーズが始まって、かつての名作をスクリーンで見直している人たちがいるらしい。
その手のリバイバルを各映画館が自主的にもやるようになっている。羨ましい気もするが、朝の9時半から新宿バルトでアンゲロプロスの映画を日替わりでやっていると聞いても、なかなか行く気はしない。
アンゲロプロスの映画は全部は観ていないが私が好きなのは『狩人』だ。

映画といえば今月は廣木隆一監督の還暦パーティーの二次会に顔を出した。懐かしい顔、顔。廣木監督は八十年代と少しも変わらない。ように見える。私たち八十年代から九十年代前半の身内は、なんとなく端っこにいたな。
そう、作家の坂東眞砂子さんが亡くなった。舌がんの手術を受けてから、一年持たなかったという。廣木監督の仕事で彼女の『蟲』の脚色シナリオを書いた。結局映画化は実現しなかった。虫の話なので、廣木さんとプロデューサーの成田さんと、野郎三人で「寄生虫博物館」へ取材に行ったりしたことも思いだす。廣木監督のために書いたシナリオは他にもあるが、映画化は実現しなかった。かなり変化球のモノばかりやろうとしたからだろう。
後年、坂東さんは猫を増やさないために子猫を崖から落として殺していることを新聞のコラムで発表し、騒ぎになったこともあった、と聞く。どういう気持ちでそうしたのかは私は知らない。ただ、作品を見る限り、彼女なりに、生きものに対する「畏れ」を、充分に持っていたはずだとは思うのだが。
幾多もの、「まぼろしの映画」がある。

日本での映画の公開本数は昨年が新記録の多さだったという。「小さな映画」の隆盛と、シネコンの増加のせいなのだろうなと思う。
相変わらずシネコンをどうしても映画館のように思えないという感想はあるが、画面が大きくていいと思うこともある。
仕事で岡山へ行くことが増えた。子どもの頃とは違う街になりつつある。駅前に大きなイオンが建つ。市街地初のシネコンも入る。
「でっかいイオンなんて田舎にしか建たないんだぞ、イオンが駅前にある都市なんてあり得ないんだぞ」と、岡山では自虐ネタの対象となるであろう。

岡山といえば、最近、B級グルメブームに乗って、あれこれ取り沙汰されている食べ物がある。デミグラスソースのカツ丼、えびめし、その二つは子どもの頃からあった。日生の「カキオコ」はまだ食べたことがない。
そして、「岡山ラーメン」というジャンルができているようだ。私が子どもの頃には概念としては、なかった。好きなラーメン屋はあった。「新雅」という店だった。この話はすると長くなるのでやめておこう。最後に岡山に行ったときには駅前にできていた「小豆島ラーメン」を食べた。魚介系。替玉が無料だった。というか、昔にはなかった替玉のできる店があるのにも驚かされる最近の岡山ラーメン事情なのだった。

麺類といえば、ぺヤングの焼きそばの真っ赤なパッケージの辛い方、あれはなぜあんなに辛いのだろう。二度目の挑戦で、やはり理不尽な辛さと思った。普通に商品として流通できているのが不思議だ。
「Lee」という辛いカレーのシリーズの「×30倍」の辛さのものでも平気な私だが、ぺヤングの赤い焼きそばには、まいった。ヘンな汗をかく。

汗といえば、券をもらったので成城のスポーツジム併設の「温泉」に入った。湯は真っ茶色であった。久しぶりにサウナというものにも入る。身体にいい感じが少しもしない。

映画の話に戻ると、話題作『ハンナ・アーレント』も観た。ちょっと焦点の定まらない感じがした。勝手にいろいろ感想を持つだけだが、映画としての昂揚をまったく狙わないみたいなところがヨーロッパ的な何かなのだろう。登場人物いくらなんでもタバコ吸い過ぎ。

芝居は本当にあまり観ていなくて、誘ってくださる方もいるのに不義理ばかりしている。
一番最近には、「ろりえ」という劇団の『鬼』を観た(写真)。まだ上演中である。
http://rorie.jp/nextstage.html
この劇団は〈日本の問題〉というイベントにも参加していたが、あのとき参加全作品を観て全演出家とのアフタートークに出た私が、その中でベストだと思った。
新作『鬼』は、おそろしくシンプルで屈折している。突っ込みどころ満載。前半うるさすぎだが理由はあった。がさつだが迷いはない。「ぶれない」ための仕組みが整ったところで、力を抜いて観客のみぞおちを狙う。要は、芝居の中盤に、娘が母親にある言葉を言ってしまったことから起きる喪失について描きたかったのだと思うが、『ハンナ・アーレント』の中で言及される「悪の凡庸さ」のように、その言葉の象徴する「他者を傷つけることの容易さ・薄さ」が、後半の静謐の中にざわざわとした印象を残す。こういう確信犯は、あるようで、なかなかない。
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