Blog of SAKATE

“燐光群”主宰・坂手洋二が150字ブログを始めました。

「九月、東京の路上で」まぼろしの冒頭シーン

2018-08-11 | Weblog

八月五日に初演の上演を終えたばかりの「九月、東京の路上で」だが、じつは、上演されなかった「まぼろしの冒頭シーン」がある。

イントロダクションということになっているが、「前説」「前口上」といわれるものに、近い。ドキュメント的な演劇なので、現実と地続きという感じを出したくて、設定したのである。

上演時間が長くなりすぎるのと、やはりスキッとダイレクトに内容に入った方がいいという判断でカットしたのだが、この上演を撮影してくれた姫田蘭さんにあらかじめ台本を読んでいただいていたのだが、「どうしてカットしたの?!」と繰り返し言ってくださるのと、スズナリの野田さんから「過去のスズナリについて語られたその部分を知りたい」というご要望もあって、ここで特別に公開させていただくことにした。

読んでおわかりになるように、当初の予定では日替わりで出演者が喋ることになっていたが、そのアイデアは割と早い時期に「無理だろうなあ」ということになった。というのは、それだけ「九月、東京の路上で」の内容そのものが始まってからが、たいへんだったからなのだ。その後、いちおう、当初のトップバッターとして構想していた、さとうこうじさんに、そのままやっていただくという案に落ち着いたが、やはりなくしてしまったのである。翻弄されながらも、ちゃんと台詞を覚えてくださったさとうこうじさんには、感謝しかない。

その「まぼろしの冒頭シーン」は、以下の通りである。

 

 

              ※ イントロダクション ※

 

         さとうこうじ、客席通路を、来る。

         客席の前の端の方に、立つ。

         しばらく、立っている。

         客が鎮まるまで待つ。

         鎮まらなければ、片手を斜め上に挙げて、その姿勢をキープ。

         客が鎮まるまで待つ。

         それでも鎮まらなければ、それはそれで仕方がない。

         その場でぶつぶつ喋り始める。

 

さとうこうじ ……まあ、そういうことでやってみようということなんで、こうして出てきたわけなんですが、うん、必ずしも納得しているわけじゃないんですよ。ええと、いいですか、喋って。あ、こうして立ってみたら言いたくなっちゃいますね、「まもなく開演です、トイレはロビー奥突き当たりです。突き当たりといっても、幕の向こうじゃないですから、手前を右側に入って下さい」。幕の向こうは楽屋なんです。楽屋といっても、四畳半、和室。アパートみたいだなあと思ったら、アパートだったんですってね、スズナリって。で、一九八一年、スズナリがオープンしたときには、まだ、立ち退きが終わっていなくて、二人、住んでたみたいなんです。今の楽屋に。坂手さんが言うには、ロビーにいて、開場して、いらっしゃいませ、って声をかけると、申し訳なさそうに俯いて、自分の部屋に入っていく若い男の人がいて、ということだったみたいです。そんなふうに住人が住んでいたわけですから、とうぜん、ロビーは二十四時間開放されてて、坂手さんとか、当時の演劇人は、呑んでて終電がなくなったりすると、こっそりロビーに泊まったりしてたみたいです。その頃、スズナリで『淋しいのはお前だけじゃない』ってドラマの収録が行われていて、ロビーで寝ていた坂手さんが女の人の悲鳴で目を覚ますと、目の前に、わりと有名な女優の、……Mサンがいて、「人がいる!」って、逃げてったらしいんです。朝一番の収録だったんですねえ。言っちゃまずかった? まあ、もう時効ですよね。ああ、こっそりっていうと、某劇団が仕込みが追いつかなくて、搬入口の鍵をこっそり空けておいて、夜中に入って仕込みを続けて、それがバレちゃって何年間か出入禁止になったことがあるらしいです。燐光群じゃないですよ。もう今は活動していない劇団らしいですけど。……ああ、それから。……あ、そうか、携帯電話等、音の出るものは、電源からスイッチをお切り下さい。ああ、言っちゃった。

 

         しばらく黙る。

 

さとうこうじ ……こんにちは(こんばんは)。さとうこうじです。本日はご来場ありがとうございます。あ、今日は場内係をするってことじゃなくて、出演者です。最初は日替わりで毎日別な役者が喋るっていうことになってて、今日だけです。今日だけだといいんですけど。全部で二十ステージありますから、出演者が十五人なんで、誰かがあと五ステージぶん、やらなきゃならないんですよね。俺になるのかなあ。まあせめてあと一回で終わるなら、それでもいいんだけど。

 

         さとうこうじ、後ろ手に持っていた本を出してみせる。

 

さとうこうじ ……はい。これです。「九月、東京の路上で」。原作。原作ってことになってますよね。「九月、東京の路上で」、「加藤直樹」。「1923年関東大震災 ジェノサイドの残響」。

 

         さとうこうじ、本を捲って、見る。

 

さとうこうじ ……でね、坂手さん言うんですよ。稽古初日に。今度は大丈夫だ。本はある。はい。これですから。「九月、東京の路上で」。本はあります。ありました。稽古初日から。確かに。原作。でもこれって原作でしょ。そしたら坂手さん、「今度は原作通りにやるって言っただろ」って。いや、原作通りって。

 

         さとうこうじ、いったん本を自分から離して遠ざける。

 

さとうこうじ ……坂手さん曰く、台本通りにやる演劇があるなら、原作通りにやる演劇があっていい。台本通り、……それ普通でしょ。……いやいや、例えばサイモン・マクバーニーは台本通りじゃなく原作をもとに劇を作っていったんだ。「エレファント・バニッシュ」も「春琴」も。聞いてない? ……えっと、なんか、聞いたことはありますよ、原作を元に俳優が自分たちでシーンを作るみたいな? なんか初日の三日前までどんどん変わっていって、ラストシーンも本番中日過ぎてから変わったとか。え、そんなふうにやるんですか。……とりあえず原作通りやってみようよ。……いいですよ。本はある。はい。稽古初日から。確かに。原作。いや、原作通りって……。

 

         さとうこうじ、本を読む。

 

さとうこうじ ……「九月、東京の路上で」、「加藤直樹」。「ころから(出版社名)」。

 

         さとうこうじ、ページを捲り、本を読む。

 

さとうこうじ 朝鮮人あまた殺され。

  その血百里の間に連なれり

  われ怒りて視る、何の惨虐ぞ

  ……萩原朔太郎

  ……関東大震災の折、群馬県に住んでいた萩原朔太郎が、同県内で起こった藤岡事件への怒りから震災の翌年に発表。同事件では、デマを信じた自警団によって人の朝鮮人が殺害された。

 

         さとうこうじ、ページを捲り、本を読む。

 

さとうこうじ まえがき

  新大久保の路上から

  ……ええ、前書き読んでみましょうかね。

 

         さとうこうじ、そして、この間に登場していた人物たち、本を読む。

 

         以降は、皆で「まえがき」本文を読んでゆく展開で、実際に上演したとおりである。

         実際の上演は、「九月、東京の路上で」「加藤直樹」「ころから」から始まった。

         写真は、冒頭の、さとうこうじ。お客の入っていないゲネプロでの撮影。撮影は、姫田蘭。

 

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