Blog of SAKATE

“燐光群”主宰・坂手洋二が150字ブログを始めました。

沖縄を例外とする民主主義の破産

2014-12-16 | Weblog
選挙結果に感想などない。
日本的な。あまりにも現代日本的な出来事ととらえるしかない事象ばかりだ。
ただ沖縄だけが辛うじて民主主義を生かしている。
沖縄県内4小選挙区で米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設を容認する自民候補が全敗。沖縄県民は、やはり公約破りの自民国会議員たちを許さなかった。辺野古新基地建設反対の民意は揺るがない。

安倍首相は、沖縄の結果を受け「大変残念だ。真摯に受け止める」。政府内からは米軍普天間飛行場の辺野古移設をめぐる沖縄への対応に懸念を示す声が上がっているという。当然だ。防衛省も「全敗は想定外」だったとしている。
しかし菅義偉官房長官は「真摯に受け止めるが、法令に基づいて(移設計画を)淡々と進めていきたい」と言う。安倍首相は「(辺野古移設が)唯一の解決策であり、その考えに変化はない」「固定化は断固としてあってはならない」「抑止力の維持を考えれば、交渉相手があるので、かつての民主党政権のように『最低でも県外』と言えば、県外になるかというとそんなことはない。(民主党は)無駄に時間を浪費するにすぎなかった」と重ねて発言。さらに「今の普天間は1万戸以上の住宅を防音しなければならないが辺野古に移せばゼロになる」という、なぜ普天間に基地ができたのかという歴史と経緯をまったく無視した理屈にならない認識を示した。「基地負担軽減について具体的に実績を出すべく努力を重ねていきたい」とするが、なぜ「移設先」が沖縄県内でなければならないかは説明できていない。空中給油機を移駐させた岩国基地のように、例えば県外に分散させることも不可能でないことは明らかであるのにだ。

原発再稼働問題を抱える鹿児島3区でも自民候補は落選した。衆院選の自民議席数はそのままそれぞれの地域での「民意」とは言えないのだ。

翁長雄志新沖縄県知事は「辺野古の新基地を造らせないことを県政運営の柱としたい」とし、仲井真弘多前知事の公約違反の埋め立て承認を検証し、取り消しや撤回を視野に入れる考えを示した。彼は高江の集落周辺に移設される北部訓練場のヘリパッド問題についても言及、高江住民の抵抗を言い訳に遅らせられているかのようなSACO合意の着実な実施を求めた。

安倍首相は衆院選の結果について、7月に閣議決定した集団的自衛権の行使容認に「国民の支持をいただいた」と強弁するが、実際の選挙戦では経済のことばかり言ってきたことは明らかだ。「自民単独多数」が果たせなかった今、彼らの憲法改悪に対しての選択肢は維新と連携するかどうかという問題なのだろう。

わざと争点をぼかし、無意味な選挙であるということ自体が宣伝効果となり、与党の望む低投票率を招いた。それにしても総選挙の投票率が52.6%というのは、あまりにも情けない。
そもそも選挙制度自体が歪んでいるのだ。
沖縄では小選挙区では全敗の自民国会議員たち全員が、比例で復活当選を果たしてしまった。いくらなんでも異常すぎる。

今回の衆院選では、選挙区で10万票以上獲得しながら落選した者がいる一方で、2万票余りで比例復活当選した候補者もいる。
人口比例に基づかない区割りで「1票の格差」が最大2・13倍になった今回の衆院選は憲法違反だとして、二つの弁護士グループが15日、選挙の無効=やり直しを求めて広島高裁と仙台高裁秋田支部、広島高裁松江、岡山両支部に提訴した。続けて同じグループが他の高裁・高裁支部に全国一斉提訴をする予定だという。
295の選挙区全てについて無効請求訴訟が起こされるのは初めてらしいが、最大格差が2・43倍だった2012年の前回衆院選をめぐる全国訴訟で、各地の高裁・支部で「違憲・無効」「違憲」の厳しい判決が相次いだように、憲法や防衛問題が問われるこの時期、選挙自体に一点の曇りもあってはいけない。
また一から裁判をしてみたところで結果は「違憲・無効」だろうから、選挙制度自体を改革した上で「選挙のやり直し」をするのが当然だ。

そもそも今回の選挙強行の根拠として語っていたはずの「消費税増税」については、結果が出てからほとんど言及されていない。
政府は、介護保険サービスの公定価格である「介護報酬」を、9年ぶりに来年度から引き下げる方針を固めたという。
バラ撒き政策の安倍政権に「カネがないから」とは言わせない。
そもそも「消費税」は「福祉税」だったはずではないのか。
みんななぜ憤らないのかが不思議だ。

嘘と公約破りだらけのこの国の権力者は、民主主義をあまりにも愚弄している。
民主主義が人民のためのものであるなら、安倍政権が行っていることは、明確に、そうではない。
「国民が愚かだからだ」と言うこともできるのだろう。しかしそれだけではない。
権力が明らかに誘導している。一人一人の人間は、弱者である。追い詰められた者が逆らえるとは限らないのだ、という見方もできる。強権国家は人民をそこに追い詰めようとする。
では、日本以外の国はどうか。日本はまだましではないのか、という人たちがいる。そうであると言えることと言えないことがあるだろう。

12月10日に施行された特定秘密保護法について、法案作成を担当した内閣情報調査室(内調)は法案の制作過程で、海外で学んだ経験や働いた経験がある人は国家機密を漏らす恐れが高まるとして、学歴や職歴の調査が必要だと関係省庁に強調していたことがわかったという。
海外で学んだ経験や働いた経験があると、国を裏切る恐れが出てくるというのだ。
共同通信の情報公開請求で開示されたその内部文書は、内調が2011年11月、内閣法制局との会合で示したメモだという。
海外の学校や国内の外国人学校で教育を受けた経験、外国企業での勤務経験も挙げ、「外国への特別な感情を醸成させる契機となる」「外国から働き掛けを受け、感化されやすい。秘密を自発的に漏えいする恐れが存在する」としている。
国家が国民を信用していないのだ。外国から学び、外国との関わりを深めていくことが、自分の国を否定することに繋がるという、短絡的な決めつけ。ひどいものだ。

写真は、さいきん某所で見かけた、指名手配の連合赤軍関係者の写真ポスター。政府からすれば、彼らは「外国への特別な感情を醸成させた」「外国から働き掛けを受け、感化された」者たちであろう。
だが一方で、彼らはある国々では、日本という国の枠を越えて世界のために立ち上がった者として、評価されてもいる。地域によっては、彼らがいたことで、日本は必ずしも「アメリカべったりの国」ではない、という評価も得ている。そうした「親日」の国もあるのだ。
しかし内閣法制局の方針は、「二度とこういう輩が出ないように」ということであろう。非合法の手段や暴力の肯定否定については議論が出て当然だ。しかし今回の「調査」は、国民に「考える機会」があることさえ避けさせたいというものだ。次元が違う。

「秘密を自発的に漏えいする恐れが存在する」というが、それが「秘密」として価値を持つ時には、「立場」の選択が出てくる。
人間の生命の安全、自由と平等、それらを遮るものなら、そんな「秘密」を守ることには、価値がない。

この国は、国民が世界的な視野で自由と平等について考えること自体を、怖れているとも言えるのだ。
「海外で学んだ経験や働いた経験がある人は国家機密を漏らす恐れが高まる」というのは、本当に異常な観点だ。いったい何を怖がっているのだ。

恐れを抱いているのは自分たちなのに、逆に国民を不安に陥らせ、内向きの保守化を促し、ドメスティックな志向だけに染め上げてしまおうという現政権は、国民が民主主義について考えるという機会さえ封じたいとしている。
今こそ、真に自由を求め、視野を広げようとする人たちを、励まさなければならない。
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