Blog of SAKATE

“燐光群”主宰・坂手洋二が150字ブログを始めました。

高橋ユリカさんをしのぶ会

2014-12-01 | Weblog
二十年以上前からお世話になってきたが最近お目にかかる機会の減っていたステーションの田村光男さんの訃報に茫然。昨年の正月だったか、青年劇場の人たちと新宿の居酒屋にいたら、偶然同じ店にいた田村さんが寄ってきてくれて、加わった。あれ以来また連絡を取り合うようになっていたのだが。

仕事の事情で時間が合わず、残念ながら中川安奈さんとのお別れの会には行けなかった。

高橋ユリカさんを偲ぶ会にはなんとか出られた(写真)。
彼女は下北沢という街の不毛な再開発に反対してどのような街づくりをするか考える先鋒に立っていた。「演劇の街」と言われることの多いこの街の未来について考える仲間であった。「小田急線上部利用の完成を見る」という彼女の目標は、生前には果たせなかった。
彼女はダム建設についての研究家でもあった。私は世田谷区長になる前の保坂展人氏と八ッ場ダムに行ったりしていた。彼女の紹介してくれた人脈と著書『川辺川ダムはいらない』をもとに私はダムについての劇『帰還』を書くことができた。恩人である。『帰還』が遺作になった大滝秀治さんも、大滝さんの最後の演技について熱く語っていた高倉健さんも亡くなった。
偲ぶ会で、まだ店頭に並ぶ前のユリカさんの著書『がん末期のログブック 患者になったジャーナリストが書き込んだ500日』(プリメド社)を初めて手にとり、この本を依頼されていた新聞の書評の対象とすることを決める。
本書は、書名と副題にあるように、ユリカさんが、がん治療・療養の様子をFacebookの特設枠に最期まで投稿し続けた内容をまとめた二年間にわたる闘病記録である。「落ち込んで、泣いて、怒って、凹んで、立ち直って、受容してゆく」、揺れ動くリアルタイムの病床からの壮絶な実況中継。だが時にたんたんと客観的に、他人事のようにも書いている。ネット文だから「顔文字」も多い。それをプリントアウトしたときの厚みは5センチ以上という。「書くこと」が病気と向き合い自分自身を支える装置だったのだろう。出版社側はこの物書きとしての「対象の距離感」を尊重し、あえて編集で手を加えることを最小限にとどめ、「学術書」として世に出すことにした。もとのフェイスブックと同じ横書きである。
最期の二ヶ月近くの間に、この書以外にも自分の書いてきたものを中心に本にまとめることを決意、もう一冊は下北沢についてである。「執筆するならすぐ始めなさい」と主治医に背中を押されたという。
彼女は最近大学院にも通ったりしていた。ほんとうに勉強と書くことに憑かれた人だった。
ガンとの「共存」という言葉がよく出てくる。もともと編集者であった彼女は35歳で初めて大腸がんになってから、『病院からはなれて自由になる』など、ガンや終末治療(ターミナルケア)についての本を幾つか書いた。ガンと向き合うのは今度が三度目だった。
国際的なデザイナーとなった息子さんの挨拶は立派だった。夫の高橋氏のやさしさにも胸うたれた。小林教授の思いも熱かったが、歌の選曲はまあ時代だなあと思った。あの頃の、つまりこの世代の青春期のヒット曲は、よく聴くとけっこう男尊女卑だったりするのだな。
本に出てくる家族揃っての最後の夜桜見物も感動的だ。彼女は親族や関係者の愛に包まれ、より恵まれた治療環境に転じていく。がん患者としては治療については経済的にも環境的にも恵まれていたのではないかと感じる読者もいるかもしれない。だが「ターミナルケアの段階に入ったと自覚した瞬間には武者震いする」と正直に記すとおり、病魔は著者を確実に蝕んでゆく。
彼女が最後に入所し亡くなった診療所は私も知っているところで、かつて『スペースターミナルケア』という「緩和ケア」をテーマにした俳優座への書き下ろし戯曲を書く際、先生方にお世話になった。この診療所は別の時にも人づてに終末治療の環境に悩む人を紹介したりしたのだった。

あれやこれや思い出ばかりが巡る。
コメント (2)
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『8分間』東京・座高円寺公演終了。

2014-12-01 | Weblog
『8分間』東京・座高円寺公演終了。
俳優たちは出ずっぱりの劇。しかも似た設定の場面が十回続くわけだから混乱しやすい。初日からしばらくは緊張感の維持で乗り切ったが、観客と出会うことでよりいっそう内容が腹に落ちてくると、また別な集中力が必要になってくる。後半戦、より内容を深め、この不条理だがエンターテイメントである作品をさらなる高みへと連れてゆくべく精進する日々であった。
幕が開いてから、自劇団の上演以外のことも幾つか。散髪。原稿。来年の公演のための打ち合わせや大学での講義等も挟みつつ、観劇もした。

ほんとうに閉館間近となってしまったらしい青山円形劇場で谷賢一作・演出の新作『トーキョー・スラム・エンジェルズ』を観た。谷くんに私から感想聞いていなくて怖いと言われたので嫌われてもいいから言ってしまうと、まず題名が良くない。序盤、山本亨と南果歩のお二人を観ているととりあえず期待させられるが、声に特色のある二人だが、二人とも最初から最後まで声が変わらない。何も変化しない。そういう世界観なのだろう。ストーリー的には今時ネットや本ですぐに得られる以上の情報はない。ドラマなら独自の展開がほしいと思う私が古いのだろうか。マネー取引について興味を引けるよう噛み砕いて言葉にしているのは確かだが、がんばっている牛乳瓶の蓋の話であるが、感心しているのはよほどものを知らない人であろう。男優たちにも見所はあるし円形劇場を活かした気の利いたしつらえもあるが、何か本当のドラマが始まる前に終わってしまったという印象である。これでは壮大な予告編なのだ。言っていることはわかるはずだ。谷くんはもっと才気を出し惜しみせず舞台に叩きつけてほしい。沖縄に職を得た野村くんが忙しければ私がドラマターグをやるぞ。
余談だが私はラーメンを食べたくはならなかった。チャーシューメンにブライオリティを感じているらしい気配もちょっと違うなと思う。私はラーメン通ではないが、麺に集中できなくなるからチャーシュー過多を邪魔に思う人も多いのだ。

KAATで日韓合作『カルメギ』を観る。昨年韓国でいっぱい賞を取って話題になった。脚本・演出協力のソン・ギウン氏は私の『屋根裏』等の共訳者で、日韓演劇交流センター・協会でも仲間である。私が韓国で演出したときも世話になった。日本占領下の朝鮮史をライフワークとする彼らしい日韓史のレンズを通した『かもめ』で、多田淳之介演出も才気爆発、若い韓国俳優たちの瞬発力も鮮烈で、見応えがあった。美術・照明も秀逸。ただ私はボレロの流しっぱなしに違和感があった。ボレロ以外の音楽の使い方は素晴らしいのだが。そもそも私はボレロやカノンを流しっぱなしにする劇に感心したことがない。その意味ではこの劇は例外中の例外だ。でもやはりボレロを使ってほしくなかった。ボレロのせいでどうしても『かもめ』のダイジェスト版に見えてしまう面もある。

自分の東京千秋楽を留守にして能登演劇堂へ行って観たのが『黄昏にロマンス ~ロディオンとリダの場合~』。渡辺美佐子さんと平幹二郎さんの二人芝居。こちらはその全国ツアー千秋楽。稽古中に夫である大山勝美さんを亡くされた美佐子さんがツアーを最後まで走りきった。歌も踊りもある! ロシア戯曲なので洋服を何回も取り替える。華やかで明るい劇であった。しかし後半に戦争の影が姿を見せる。戦中派のお二人だからそれを当然のように体現できる。こんな柔らかさを感じさせる平さんも珍しいし、お互いのいいところをちゃんと出せるコンビだったということだろう。常田景子さんの翻訳もこなれている。
能登行きでは、羽田で演出の西川信廣さんとばったり。能登空港で照明の塚本さんとも合流。能登では可児市文化芸術振興財団の衛紀生さんと久しぶりにお話しする。かつて何度か燐光群の舞台監督をしていただいた村松明彦さんとも再会。
のと鉄道・七尾線を乗り継ぎ金沢へ。金沢市民芸術村の演出講座をやったときお世話になった黒田百合さんたちと来年以降に向けていろいろな話をする。あの講座がもう十年以上前になるとは。中央市場横の居酒屋が素晴らしく、日本海の旬の魚たちにも感謝。

写真は、高円寺駅のプラットホーム。座高円寺の広告が舞台上と同じようなH鋼の柱に。
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