A PIECE OF FUTURE

美術・展覧会紹介、雑感などなど。未来のカケラを忘れないために書き記します。

未読日記355 「病の神様」

2009-12-18 21:11:20 | 書物
タイトル:病の神様 横尾忠則の超・病気克服術
著者:横尾忠則
デザイン:ヨコオズ・サーカス
発行:株式会社文藝春秋/文春文庫
発行日:2009年3月10日
内容:
病院に行くと生き生きするという著者が、これまで患ってきた数々の病気とのつきあい方・克服法を一挙公開。動脈血栓で立つこともできなかった足が三島由紀夫の自決を知った途端に治った話、たった八分の温泉入浴で帯状疱疹が消えた話など、独自の死生観とユーモアをまじえてつづったかつてない病気エッセイ。解説・南木圭士
(本書カバー裏紹介文より)

頂いた日:2009年11月29日
友人からお祝いに頂いた1冊。ありがとうございます。
頂いて思い出したが、以前、よく体調を崩す友人が本書を勧めていたことを思い出した。私もこれでいつ病気になっても大丈夫だ。本書を読んで病気克服術を身につけよう。
と思っていたが、人ごとではない。11月半ば頃から目に痒みを感じていたのだ。その異変に当初は、秋の花粉症などと思い、流していた。だが、12月に入っても直る気配がなく、目ヤニが溜まって目が開きづらくなる状態になった。これは花粉症ではない。街を歩いていても、目がチカチカして開けにくく、外に出ることに疲労を感じた。さすがにお金をケチっている場合ではない。そこで、不安な気持ちで眼科に行った。もしや失明か・・などと妄想を膨らませていたが、ただの結膜炎だった。いまは目薬が気持ちいい。眼は大事にしたいものである。

Recording Words 054 可能

2009-12-17 22:38:00 | ことば
我我はしたいことの出来るものではない。ただ出来ることをするものである。これは我我個人ばかりではない。我我の社会も同じことである。恐らくは神も希望通りにはこの世界を造ることは出来なかったであろう。
(芥川竜之介『朱儒の言葉/文芸的な、余りに文芸的な』岩波文庫、2003年、p.62)

また1つ歳をとった。

未読日記354 「二代目桂 小南」

2009-12-16 23:37:56 | 書物
タイトル:隔週刊CDつきマガジン 落語 昭和の名人 決定版23 二代目桂 小南
監修:保田武宏
寄席文字:橘左近
CDリマスタリング:草柳俊一
アート・ディレクション:渡辺行雄
デザイン:片岡良子、姥谷英子
編集:三浦一夫(小学館)、内田清子
制作企画:速水健司
資材:星一枝
制作:田中敏隆、南幸代
宣伝:山田卓司
販売:竹中敏雄
広告:林祐一
発行:株式会社小学館
発行日:2009年11月10日
価格:1,190円
内容:
上方噺で咲かせた〝自分だけの花〟
二代目桂 小南【かつら・こなん】1920~1996

CD(72分)
いかけ屋・・・悪ガキに気をつけろ【初CD化音源】
しじみ売り・・・凍える冬も、人情は温かい【初出し音源】
ぜんざい公社・・・窓口をたらい回し【初出し音源】

○京都に生まれ、東京で落語と出会う 言葉の壁を乗り越えて
○CD鑑賞ガイド 〝小南落語〟は独特の味わい
落語をもっと面白くする連載3本立て
田中優子○江戸のリサイクル
五街道雲助○続・寄席文字の粋
山本進○三遊協会の旗揚げ

購入日:2009年11月27日
購入店:成文堂書店 江戸川橋店
購入理由:
桂小南は上方噺を関東風に作り替えて小南落語を作り上げた噺家らしい。だが、それが私に合うかというと、そうでもない。例えば、「いかけ屋」だ。悪ガキといかけ屋、うなぎ屋とのやりとりだけで進む噺だが、怒鳴り散らしたり、泣き喚いたり、やや小うるさい噺なのだ。そのわりに桂枝雀ほどスピード感や誇張がないから、もの足りない。
続いて「しじみ売り」も若い衆・留公の人物造形が過剰で騒々しい。人情温かいいい話なのだが、人物造形と噺の雰囲気が一致していないから、噺に入り込めない。なお、この噺のがく然とするサゲは上方ならでは気がする。個人的には嫌いではない。悔しいが余韻が残ってニヤニヤする。
噺としてまとまりがあって、人物造形の描き分けがよくできているのは「ぜんざい公社」だ。事業仕分けなら、すぐ廃止にされてしまいそうな公社だが、くだらない設定を、いちいち細かいところまで描写していておもしろい。サゲも効いていて楽しい。もちろん聞き終われば、ぜんざいが食べたくなるだろう。ただし、「甘い」ぜんざいが・・。

未読日記353 「放課後のはらっぱ」

2009-12-15 22:11:59 | 書物
タイトル:放課後のはらっぱ 櫃田伸也とその教え子たち
編集:宮村周子(来来/LaiRai)、鈴木真子(来来/LaiRai)
デザイン:山本誠(山本誠デザイン室
翻訳:クリストファー・スティーヴンス
印刷・製本:アベイズム株式会社
発行:あいちトリエンナーレ実行委員会、愛知県美術館名古屋市美術館中日新聞社
カタログ1発行日:2009年10月23日第2刷(2009年8月27日第1刷)
カタログ2発行日:2009年10月23日第2刷(2009年10月15日第1刷)
内容:
愛知県美術館(2009年8月28日―10月25日)、名古屋市美術館(2009年8月22日―10月18日)にて開催の<放課後のはらっぱ 櫃田伸也とその教え子たち>展の図録。
カタログ1+カタログ2+英訳ブローシャ、箱ケース入り

<カタログ1>
ごあいさつ
「櫃田伸也―風景の導くままに」小西信之(愛知県立芸術大学准教授)
「遮るものと溢れるもの―櫃田伸也の絵画」金井直(信州大学准教授)
図版 凡例(略歴構成=中西園子)
櫃田伸也
「中西夏之からの手紙」中西夏之
設楽知昭
櫃田珠実
奈良美智
加藤英人
小林孝亘
長谷川繁
村瀬恭子
額田宣彦
古草敦史
杉戸洋
森北伸
登山博文
佐藤克久
木村みちか
安藤正子
加藤美佳
城戸保
小林耕平
渡辺豪
「はらっぱ、その豊かな可能性」中村史子(愛知県美術館学芸員)
「櫃田伸也という画家とキャンバスに夢を込めた若者たち」笠木日南子(名古屋市美術館学芸員)

<カタログ2>
図版 「放課後のはらっぱ」展 展示風景とその世界
「心の原っぱ」峯村敏明(美術評論家)
「放課後のはらっぱ」奈良美智
櫃田伸也の肖像画
「無事オープニングを終えて」森北伸
「黄色い箱」杉戸洋
出品作品リスト
参考文献:中西園子

<English brochure>
In the Little Playground – Hitsuda Nobuya and his surrounding students –
Contents
Hitsuda Nobuya : Leading Straight to the Landscape by Konishi Nobuyuki
Obstructing and Overflowing : The Painting of Hitsuda Nobuya by Kanai Tadashi
The Empty Spaces After School by Nara Yoshitomo
Artists’ Profiles

頂いた日:2009年11月23日
頂いた場所:なびす画廊
銀座のなびす画廊に瀧田亜子展(2009年11月23日―11月28日)を見に行った際、ギャラリーの方より頂いた図録。いつもありがとうございます。
しかし、残念ながら展覧会は見ていない。展覧会の内容は、愛知県立芸術大学で教鞭をとっていた画家・櫃田伸也とその教え子たちの作品を同じ空間に展示するものである。それは、教育者であり画家としての櫃田の芸術観の浸透と影響を検証するものであると言えよう。
「放課後のはらっぱ」は櫃田が描いた絵画に「はらっぱ」と思わしき風景が広がっていることと、愛知県立芸術大学が位置する長久手に「はらっぱ」があったというところからきているようだ。とてもいいタイトルだと思うが、放課後にはらっぱに行く時間とお金がなかった情けない我が身を呪うばかりである。

さて、本書だが2冊組箱入りの豪華図録だ。カタログ1は会期前に発行され、カタログ2は展示風景を収めて、会期中に発行されている。本書を見てまず驚くのが、ページのところどころに櫃田の作品が散りばめられていることである。きっと実際の展示風景もそうだったのだろう。「先生」と教え子を比較してしまうのも気がひけるが、櫃田作品の方が質が高く、レベルの差を見せつけられる。これは酷なことだと思う。まして、最近は発表から遠ざかっている作家も何人かおり、櫃田のようにはいかない現代という時代を思わずにはいられない。

続いて、テクストについて触れよう。カタログ2がすごいことになっているのである。いまだかつて美術評論家・峯村敏明氏と奈良美智氏のテクストが同じ冊子に収録されたことがあっただろうか?目次を見た時、なにか意図があるのではないかと思ったぐらい、同居することに違和感を覚えるお二人である。しかも、あえてかどうかタイトルの「原っぱ」と「はらっぱ」をそれぞれ使い分けている。そんなわけでとてもおもしろい図録なので、「はらっぱ」に寝っ転がって読むとしよう。
おっと、この辺りには「はらっぱ」がなかった。


未読日記352 「あたまにつまった石ころが」

2009-12-14 21:54:15 | 書物
タイトル:あたまにつまった石ころが(Rocks in His Head)
文:キャロル・オーティス・ハースト(Carol Otis Hurst)
絵:ジェイムズ・スティーブンソン(James Stevenson)
訳:千葉茂樹
装丁:桂川潤
印刷所:協和オフセット印刷株式会社
製本所:株式会社難波製本
発行:光村教育図書株式会社
発行:2009年6月11日第9刷(2002年7月1日第1刷)
内容:
切手にコイン、人形やジュースのびんのふた。
みなさんも集めたこと、ありませんか?
わたしの父は、石を集めていました。
まわりの人たちはいいました。
「あいつは、ポケットにもあたまのなかにも石ころがつまっているのさ」
たしかにそうなのかもしれません。

2001年度ボストングローブ・ホーンブック賞 ノンフィクション部門 オナー賞受賞作
(カバー見返し解説より)

頂いた日:2009年11月21日
頂いた場所:ドラゴンフライカフェ 青山店
友人からカフェで頂いた1冊。どうもありがとう。
読後、涙腺が緩くなり、心が温まる1冊だった。こんな素敵な1冊をプレゼントに選ぶ友人がいることに感謝したくなった。彼がこの本を通して伝えたかったことを思い、そのメッセージを噛みしめた。本がこんなにも人の思いを伝えてくれるとは。

本書のテーマは「あたまにつまった○○○」だ。あなたのあたまの中にはなにがつまっているだろうか。すべての人に読んでほしい名作だ。

未読日記351 「八代目春風亭柳枝」

2009-12-13 22:22:32 | 書物
タイトル:隔週刊CDつきマガジン 落語 昭和の名人 決定版22 八代目春風亭柳枝
監修:保田武宏
寄席文字:橘左近
CDリマスタリング:草柳俊一
アート・ディレクション:渡辺行雄
デザイン:片岡良子、姥谷英子
編集:三浦一夫(小学館)、内田清子
制作企画:速水健司
資材:星一枝
制作:田中敏隆、南幸代
宣伝:山田卓司
販売:竹中敏雄
広告:林祐一
発行:株式会社小学館
発行日:2009年10月27日
価格:1,190円
内容:
温厚な語りにあふれるユーモア
八代目春風亭柳枝【しゅんぷうてい・りゅうし】1905~1959

CD(63 分)
王子の狐・・・人間に気をつけろ
子ほめ・・・いや、お若く見える
元犬・・・人間になったシロ
たらちね・・・異文化の正面衝突【初出し音源】

○あだ名は〝お結構の勝っちゃん″ 心はまるく、腹立てず
○CD鑑賞ガイド 前座噺で爆笑を誘う
落語をもっと面白くする連載3本立て
田中優子○狐と狸
五街道雲助○寄席文字の粋
山本進○テレビと落語家

購入日:2009年11月10日
購入店:恭文堂書店 学芸大学店
購入理由:
いわゆる前座噺と呼ばれる軽い噺が多いのだが、不思議と余韻が残るのは柳枝ならではか。ぞんざいな職人と上品すぎる娘が結婚する「たらちね」が分かりやすいが、言葉の違いで人間の性格や可笑しみを醸し出す話は、誰にでもわかりやすく落語入門としては入りやすい。個人的に驚いたのが「元犬」である。なにせ犬が人間に生まれ変わる噺なのだから驚く。ソフトバンクのCMどころではない。もともとは仏教説話の話らしいが、この不自然な設定を下敷きに落語にしてしまうのだから、江戸時代恐るべしだ。だがだが、もっと骨太な噺を聴きたくもある。

Recording Words 053 心の病気

2009-12-11 22:57:15 | ことば
心の病気には薬がありますし、まわりのみんなも気遣ってくれることでしょう。しかし最後に助けてくれるのは、ほかならぬ自分です。奈落の底まで落ちてしまったとき、自分以外、自分に手を差し伸べられる存在はないのです。
 落ち込んだら、お酒を飲んだり遊びに行ったりして、紛らわしてはいけません。
 悲しいとき、涙をこらえてにこにこ笑っていてはいけません。
 大人だからってクールな顔で、なんでも我慢をしてはいけません。
 嘆きましょう。悲しみましょう。声をあげて、わんわん泣きましょう。
 体がおかしなとき、嘔吐をこらえてもしかたがないのと同じように、たまってしまった苦しみは、思い切って吐き出すのです。そして涙が枯れる頃、いちばん恐ろしもの―自分が抱えている闇そのもの―と向き合えば、いつか必ず乗り越えられます。乗り越えたあとは、不思議と強くなっているものです。
(松浦弥太郎『今日もていねいに。 暮らしのなかの工夫と発見ノート』PHPエディターズ・グループ、2008年、p.148-149)

自分を大切に。いつも笑ってなくてもいいんです。私は気遣うことしかできないけれど、あなたはあなたに手を差し伸べてください。どうかよい年越しを!


未読日記350 「キリスト新聞」

2009-12-10 22:50:53 | 書物
タイトル:キリスト新聞 第3118号
発行:キリスト新聞社
発行日:2009年11月7日
内容:
今週の聖句
今日は何の日
教会質問箱
論壇:古屋安雄(聖学院大学院教授)
「生きている絵」と「奇跡のイコン」―牧島如鳩が描く世界―:鐸木道剛(岡山大学大学院准教授)
教界NOTE
「「さきやま」をめざして」第53回:船戸良隆
雑誌を読む
ただいま読書中:土井健司(関西学院大学教授)

頂いた日:2009年11月17日
キリスト新聞社に勤める友人から牧島如鳩についての記事が掲載されたから送ると言われ、頂いたのが本紙。どうもありがとう。
(なお、私はキリスト教信者ではなく、宗教に縁がなく過ごしてきた無宗教者であり、神仏混合の多宗教者である。)

事の発端は(というほど事件でもないが)、夏にその友人に会ったことだった。私が三鷹市美術ギャラリーで開催されていた<牧島如鳩展>を勧めたのである(なお、私は今年のお正月に足利市美術館で見ていた)。
いや、違う。会った時に言おうとして忘れており、その後にメールで伝えたのだった。その後、友人の彼女は展覧会を見に行き、私と同じく大興奮して、後日その展覧会の感想を伝えてくれた。
その後、彼女は職場にいる編集担当の同僚にも牧島如鳩展を勧め、その方も展覧会を見に行き、同じく牧島如鳩の虜になってしまった。その方が編集を担当して出来たのが、本紙に掲載されている鐸木道剛氏による「「生きている絵」と「奇跡のイコン」―牧島如鳩が描く世界―」である。
まったく人のひと言というのは思わぬ展開をするもので、牧島如鳩の絵画に魅せられる人が連鎖してしまうとは驚くべき言葉の力である。いや、絵の力があるということだ。さらに驚くのが、三鷹市美術ギャラリーのウェブサイトを見ると、牧島如鳩展のカタログが完売しているのである!これまでまったく無名の(私も本展を見るまで知らなかった)牧島如鳩の図録が完売とは、日本もまだまだ捨てたものではない。

ところで、この「キリスト新聞」、かなりローカルでおもしろい。クリスチャンの人がわいせつ容疑で逮捕されたベタ記事や「大阪 「ザビエコくん」環境保全キャラクター」などの地域ニュースに興味津津である。

連載の「ただいま読書中」は、タイトルに嫉妬してしまう。「未読」ではなく、「読書中」である。「未読」とはいまだ何もしていない、起っていない未発の状態だが、「読書中」とは「継続」であり、「進行中」の状態である。読書という渦中で起る感情や思考の波を記述すること。そんな終わりを迎えていない中途としての未読状態を書くということだとしたら、たいへん興味深い連載だと思う。
しかし実際は、ただの書評欄だった。


未読日記349 「夢幻の祈り」

2009-12-09 22:21:47 | 書物
タイトル:夢幻の祈り 高畑郁子 20世紀から21世紀へ
編集者:藤田一人
発行者:高畑郁子
発行日:2009年11月6日
印刷:大東印刷工業株式会社
内容:
名豊ギャラリーにて開催された<平成21年度豊橋文化賞受賞記念 夢幻の祈り 高畑郁子展―20世紀から21世紀へ―>(2009年11月6日―11月23日)の図録。

「迸る情熱と気概」大野俊治(从会会員、豊橋市美術博物館主任学芸員)
「三河の〝にかけうどん〟によせて」丸地加奈子(豊橋市美術博物館学芸員)
「力強い成熟を」藤田一人(美術ジャーナリスト)
図版15点、作家略歴

頂いた日:2009年11月16日
頂いた場所:なびす画廊
なびす画廊に「白崎彩子展」(2009年11月16日―11月21日)を見に行った際、美術ジャーナリスト・藤田一人さんに偶然お会いする。その時、頂いたのが本書である。ありがとうございます。
勉強不足で高橋郁子氏のことは知らなかったが、故・星野眞吾氏の奥さんだと言われ、星野眞吾なら名前は知っていた。日本画家、パンリアル協会、星野眞吾賞などぐらいしか思い付かないが、聞いたことがあるのと、知らないのとでは大違いのはずだ(たぶん)。さらに藤田氏のマシンガントークで高畑氏の絵画について、創画会のことなどいろいろ聞いたが、あまり憶えていない。
ところで、本誌を頂いた時に、表紙に「地図」が描かれてあったことに驚いた。偶然とはいえ、ここでも私の日常に「地図」は唐突と顔を出す。『古地図曼荼羅』(1998年)という作品だそうだ。それだけでも、頂けてよかったとカバンに本書をしまった。

未読日記348 「ギャラリー季刊誌 册 2009秋号」

2009-12-08 23:59:23 | 書物
タイトル:ギャラリー季刊誌 册 2009秋号 vol.03
編集:新見隆、平林悠紀子、前田さつき
デザイン:長内デザイン室
挿絵:中島まり
印刷・製本:太陽印刷工業株式会社
発行:株式会社二期リゾート
発行日:2009年9月11日
内容:
冊な話・四「アートフル・サイエンス」松岡正剛
ものづくりの言葉・四「美術家が本当に大事にしている本当に大事な事」さかぎしよしおう
庭の幻想・四「終わりのない夏の庭」新見隆
コラム 冊の美「両手で抱え込むやきものの大きさは」奥野憲一
コラム 一冊の食「「グレープフルーツ・ジュース」オノ・ヨーコ著 講談社」平林悠紀子
册通信
「編集後記」北山ひとみ
(本書目次より)

頂いた日:2009年11月13日
頂いた場所:ギャラリエアンドウ
東京・渋谷のギャラリエアンドウへ<さかぎしよしおう>展を見に行った際、ギャラリーの方に頂いた冊子。どうもありがとうございます。
なぜ、本誌とさかぎし氏が関係があるかと言えば、さかぎし氏が本誌に寄稿しているからである。「美術家が本当に大事にしている本当に大事な事」。もうこれだけで中身が読みたくなるくらいタイトルが思わせぶりでいい。それでいて抽象的にならず、現状のアート事情にも触れつつ美術において「本当に大事な事」をわかりやすく丁寧に書かれている。「本当に大事な事」などと言うと、バッサリとたたっ切る内容を想像してしまうかもしれないが、さかぎし氏は嫌味にも皮肉にもならず、冷静である。文章には独特なリズムがあって、読後感が気持ちいい文章である。

嫌味な文章と言えば、松岡正剛氏だろうか。「30年くらい前、ウィリアム・ターナーやジョン・ラスキンをほったらかしにしているような美術批評家とは口をききたくないと思っていた」(p.1)と始まり、20年前、10年前は・・と続く。エッセイの主題はイメージング・サイエンスやアートフル・サイエンスの話なのだが、なぜか結論で「いまや現代美術の大半がそこそこの出来の映画やアニメーションにも、またそこそこの出来のNHK特集やウェブサイトにも、とうてい及ばないものになりつつあるのではないかという気にもなってきて、私はまたまた昨今の美術批評家たちとは口もききたくないという暗澹たる気分になってしまうのだ。」と述べるのである。現代美術とNHK特集を比較するのも暴論だが、なぜ作品の出来について美術批評家が責められなければならないのか意味がわからない。
そもそも松岡氏は現代美術を見ているのだろうか。たいてい状況論的に批判をする人は、当の作品を「情報」としてしか知らないものだ。かつて、「日本映画はつまらない」と言われた時代があったが、それも「日本映画を見ていない」人が言うことだった。要するに、見たいと思わせる映画がないと言いたいだけなのだろうが、それはメディアやジャーナリズムの衰退でしかない。私はマクロな結論だけで、ある業界や分野の傾向を判断することを極力回避したい。巷に溢れる情報だけで物事を判断するのは危険であり、現代美術などメディアに乗らない「情報」の方が多いのだ。ただの批評家批判は結構だが、それなら松岡氏が美術批評界を活性化するよう貢献してほしいと願う。もはや時代は批評家が存在しえた70-80年代ではなく、00年代は美術批評が成立さえしていない時代なのだ。批判するような美術批評家などいないではないか?
さかぎし氏のすばらしいエッセイから話が脱線してしまったが、松岡氏の仕事は尊敬する面が多々あるので、あの松岡氏にしては乱暴なことを書くものだと思いつい書いてしまった。
ちなみに、現代美術の低レベルさについては、松岡氏が言っていることは概ね首肯できることである。それを、「美術批評家」が発言せず(できず)、松岡氏が発言することが残念でもあり、讃えたい点でもある。