A PIECE OF FUTURE

美術・展覧会紹介、雑感などなど。未来のカケラを忘れないために書き記します。

Recording Words 052 お金というのは

2009-12-07 21:16:29 | ことば
お金というのは、使えば使うほど増えるもの。
「今月はずいぶんお金を使ったな」というのは、僕にとって喜ばしいことです。
投資家のごとく、資産運用テクニックでお金を増やすという意味ではありません。お金を使えば通帳の残高は減りますが、自分の中の価値としては、ただのお金であったときより、ぐんと増えているはずだということ。
逆に言えば、意味のない貯金などきっぱりやめて、自分が何倍にも豊かになるようなお金の使い方をしたいと思います。それが真の資産運用であり、お金という種を育てることです。

(松浦弥太郎『今日もていねいに。 暮らしのなかの工夫と発見ノート』PHPエディターズ・グループ、2008年、p.117)

「今月はずいぶんお金を使ったな」・・・
自分はまだまだ未熟なので、通帳の残高の方にばかり目がいってしまう。

未読日記347 「Makoto MORIMURA」

2009-12-06 23:46:17 | 書物
タイトル:森村誠作品リーフレット
発行:Gallery OUT of PLACE
発行日:2008年2月21日
価格:200円
内容:
図版7点
作家略歴
「白き惑星の果て」竹内敬一(アートライター)

購入日:2009年11月13日
購入場所:TOKIO OUT of PLACE
購入理由:
TOKIO OUT of PLACEにて開催された展覧会<森村誠:Dear Thomas>(2009年10月23日―11月28日)に行った際に購入。本リーフレットは昨年、奈良のGallery OUT of PLACEにて開催された展覧会の際に発行されたB5サイズ、2つ折りのリーフレットである。

かねてより美術と地図の関係を調査・研究してきた身としては、興味をかき立ててやまない展示であった。なぜなら森村誠は、日本の現代美術においては稀なほど地図を使用した作品を制作しているからである。その作品は、地図の中にある文字から、特定の文字を構成するアルファベット以外を修正液で消すというものである。例えば、『A Map of Paris<fuck>』(2007)では、f,u,c,k以外の文字すべてが修正液で塗りつぶされている。ここでは、記号論的、情報論的な解釈も可能と思われるが、その地図の用いられ方は重層的である。
いや、重層的なのは「地図」の方なのかもしれない。文字を修正液で消すだけなら、初期の『 th d』(2002)のように、本を素材に修正液を塗り重ねていけばいい。だが、本というのは開かないことには、なにを消去されたのかがわかりにくい。しかし、地図というメディアは一望的な視認性があるため、容易に「修正」された世界を見ることができるのである。と同時に、「修正」というよりは「操作」と言いたくなるような要素も森村作品にはある。ある文字を修正液で塗りつぶし、ある文字は消されずに残される。それは、まるで版画のようである。与えられた文字情報を修正液1つで世界情報を改変させ、新たな世界を立ち上げること。そこに、昨今の私的な内省的世界観の表出はなく、世界と対峙し、取り結ぼうとする意志と倫理を感じることができるのである。地図という情報システムに果敢に分け入り、膨大な文字情報の網目を修正液1つで歩き回る森村の行為は、ひそやかでありながら、行為の痕跡を世界に確実に残しているのである。


未読日記346 「八代目三笑亭可楽」

2009-12-05 17:35:16 | 書物
タイトル:隔週刊CDつきマガジン 落語 昭和の名人 決定版21 八代目三笑亭可楽
監修:保田武宏
寄席文字:橘左近
CDリマスタリング:草柳俊一
アート・ディレクション:渡辺行雄
デザイン:片岡良子、姥谷英子
編集:三浦一夫(小学館)、内田清子
制作企画:速水健司
資材:星一枝
制作:田中敏隆、南幸代
宣伝:山田卓司
販売:竹中敏雄
広告:林祐一
発行:株式会社小学館
発行日:2009年10月13日
価格:1,190円
内容:
玄人好みの無骨
八代目三笑亭可楽【さんしょうてい・からく】1897~1964

CD(68 分)
らくだ・・・酔うと豹変
うどん屋・・・北風の吹く晩に
二番煎じ・・・酒は御法度
反魂香・・・女房に会いたい

○人に媚びず、不遇にめげず 晩年に花開いた江戸前の極致
○CD鑑賞ガイド ぶっきらぼう滋味
落語をもっと面白くする連載3本立て
田中優子○高尾太夫に託す夢
五街道雲助○「雑俳」で頭の体操
山本進○上方落語、奇跡の復活

購入日:2009年11月10日
購入店:丸善 日本橋店
購入理由:
「玄人好み」と言われるのは、ぶつぶつつぶやくように語るため、地味な印象を与えてしまうせいだろうか。だが、派手さはないが、静かに情景を浮かび上がらせる技は巧みである。気づけばいつのまにか可楽が描き出す噺に引き込まれている。『うどん屋』の「鍋焼き~うどん」の売り声、『二番煎じ』の「火の用心」の掛け声など、声ひとつで冬の寒さを感じさせ、しんしんとした情景を現出させてしまう。聞いた後は、鍋焼きうどんや酒、鍋を食したくなる。

未読日記345 「第1回所沢ビエンナーレ美術展」

2009-12-03 22:09:38 | 書物
タイトル:第1回所沢ビエンナーレ美術展:引込線 カタログ
編集:椎名節
編集協力:坂上しのぶ、保谷香織
撮影:山本糾(表紙、会場・出品作品)、横内賢太郎(p.261, p.267)
デザイン:大石一義
制作:大石デザイン事務所
印刷:公和印刷株式会社
発行:所沢ビエンナーレ実行委員会
発行日:2009年10月29日
定価:2500円
内容:
西武鉄道旧所沢車両工場にて開催された<第1回所沢ビエンナーレ美術展:引込線>(2009年8月28日―9月23日)の展覧会カタログ。

ごあいさつ
目次
出品リスト
「“もの派”とは何であったか。また、なぜ“もの”なのか」青木正弘
「面の顕現・奇蹟のために―ペノーネ展から」天野一夫
「翻訳不可能性と存在の複数性―アン・トルイットの柱をめぐって」石川卓磨
「彫刻の重さ」石崎尚
「「物語り」としての日本美術史」井上幸治
「ある批評家の死」宇野邦一
飯田竜太
石川卓磨
石原友明
伊藤誠
遠藤利克
大友洋司
沖啓介
利部志穂
北澤一伯
木村幸惠
窪田美樹
音楽パフォーマンス
「オルタナティブとしての美術館」神山亮子
「表現と過程―アーティスト・イン・レジデンスを通じて」近藤由紀
「『もの派』の外縁 柏原えつとむ論」坂上しのぶ
「分割される自己―ロザリンド・クラウスにおける彫刻とヴィデオの諸問題」沢山遼
「70年代名古屋:作家たちの交差点 自主企画<やろまいか '76>―日常空間への志向―」高橋綾子
「美術はまたはじまる―2010年美術の旅」Tattaka a.k.a.高橋辰夫
「アブソリュート・ビギナーズ」建畠晢
「長澤英俊/“反転”によるイデアの使徒―物象を相対化する「関係」の彫刻―」谷新
「ICANOFは<バタイユ=交戦>状態にある」豊島重之
小山穂太郎
佐藤万絵子
下道基行
志水児王
白井美穂
高見澤文雄
竹内孝和
建畠朔弥
田中泯
手塚愛子
冨井大裕
戸谷成雄
豊嶋康子
中山正樹
橋爪彩
「人型再生の芽―<偶像破壊>の二十世紀を読み直す」中村英樹
「アート・スカトローグ採集ノート(最近の美術にみるうんこやおしっこやその他排泄物との付き合い方)」成相肇
「「1945年問題」と絵画の変遷―モダニズムとポストモダニズムの対立を超えて」西村智弘
「生きにくい時代のなかにいて」原田光
「かかわりのトポス―物象・統合・形式―」平井亮一
「「一つであるもの」/「一つであること」と「多数であるもの」/「多数であること」」早見尭
長谷川繁
増山士郎
水谷一
溝口達也
村岡三郎
森淳一
山下香里
山路鉱子
山本糾
横内賢太郎
「視覚の三段跳―山本糾の写真の上で」真武真喜子
「さまざまな箱―デュシャンをまくらに」松本透
「三木富雄論 第一章:「なぜ耳なのかと問う前に」」峯村敏明
「失われたユートピア」本江邦夫
「トゥオンブリ:闇のドローイング―「描くことについて」補遺」山本さつき
「SPACE TOTSUKA ’70がもたらしたもの―高山登の活動に則して」和田浩一
「長澤英俊《306枚の鉄板》によせて―応答としての彫刻」渡部葉子
シンポジウム
ワークショップ
展示ガイドツアー
(本書目次より)

予約購入日:2009年9月15日
到着日:2009年11月9日
購入場所:西武鉄道旧所沢車両工場
購入理由:
会期終了後にカタログが完成するため、会場で予約購入。10月が過ぎた頃、そういえばまだカタログがまだ届いていないと思っていたら、その翌日に配達されてきた。
本カタログは展覧会図録と同時に批評誌としての内容を併せ持っている。400ページという分厚さといい、その珍しい形態は評価したい。また、その豪華執筆陣による論考は、前回カタログも充実していたが、本誌も読みごたえがある。今どき、これほどのアンソロジーが編まれることはないのではないか。なお、西村智弘氏の名前が目次では「西村智宏」となっており、間違っている。

偶然にして、「もの派」と「長澤英俊」についての論考がそれぞれ2本づつあるが、読み較べてみるのもおもしろいだろう。
峯村敏明氏は昨年のプレ展カタログに続いて、三木富雄論を寄稿されている。このままいけば所沢ビエンナーレのカタログ誌上で三木富雄論が連載されるという、前代未聞の論考となる。連載が完結したら、単行本化するのだろうか。でも、図版が欲しいので誰か本として出版してほしい。

ところで、所沢ビエンナーレの出品作家は所沢市在住の美術家が中心となっていると「ごあいさつ」に書かれているが、執筆者の方はそうではない(はずだ)。どういう理由で選ばれているのかわからないが、おそらく出品作家の人たちと交友がある人たちなのだろう。すると、この所沢ビ系の出品作家たちと知己を得ていない限り、いつまでたってもビエンナーレに縁がない人たちがいるということになる。別にそれはそれでいいのだが、毎回同じ人が書いてもどうなんだろうと思う。


レポート「東京6区 vol.6 唄ものの夕べ」

2009-12-02 21:18:21 | Weblog
11月29日(日)に行われたDJイベント<東京6区 vol.6 唄ものの夕べ>にお越し頂いた皆さま、誠にありがとうございました。おかげ様で過去最低の入場者数を記録し、まったりと過ごすことができました。

さて、当日のセットリストです。

<東京6区 vol.6 唄ものの夕べ>
2009年11月29日(日)17:00~22:00
Loop-Line(千駄ヶ谷)

18:15~19:30 PIЯATA
01.alva noto + ryuichi sakamoto/Trioon I
02.David Darling; Ketil Bjørnstad/Wakening
03.Juana Molina/Vaca Que Cambia de Querencia
04.Nobukazu Takemura/Toybox With Moonshine
05.Kyte/Two Sparks
06. Manic Street Preachers/You Stole the Sun from My Heart(David Holmes Remix)
07. Radiohead/Let Down
08. Supercar/AOHARU YOUTH
09. Death Cab for Cutie/Title and Registration
10. Always The Runner/Don’t Kill the Messenger
11. Mogwai/The Sun Smells Too Loud
12. South/Maent to Mean
13. Jóhann Jóhannsson/Dís
14. Pastels; Tenniscoats/Two Sunsets
15. Fishmans/むらさきの空から

今回、最後?となるかもしれず、マニアックかつ思いれのある曲を中心にセレクト致しました。とくに理屈もないので、また、多くの方にとっては興味ないと思われるので詳細は割愛します。興味をもたれたら、調べてください。聴いてください。


さて、人の少なさにもめげずに次回のイベント日程も決定しております。

<東京6区 vol.7 a year-end music party 2009>
あなたが聴きたい1曲をDJプレイしてください。
2009.12.26(sat)17:00-22:00
at Loop-line
charge:500+1 drink500
DJ's:いなりずし、ちんかーべる、PIЯATA、ペコ and you!

いよいよ激動の2009年も終わります。
そこで、次回は来場者の方にDJをして頂くことにしました。
さまざまな音楽を聞きながら、踊りながら、笑いながら、飲みながら、今年を振り返る機会となれば幸いです。

内容・お願い:
・お好きな曲が入ったCD、レコード、デジタルオーディオプレイヤー等をお持ち頂き、入場時にスタッフにご申告ください。
なお、強制ではありませんので、喫茶や食事だけをお楽しみ頂くだけで感謝感激です。
・音楽ジャンルは問いません。ご持参頂いた音楽を尊重します。
・DJの技術は一切必要ありません。こちらで機材の説明を致しますので、初心者の方もお気軽にお越しください。また、音源を持ってはきたが、DJはしたくないという場合は、こちらでかけさせて頂きます。
・収録時間が極端に長い曲はご遠慮頂く可能性がありますので、イベント進行の都合上、5~10分前後の曲をお持ちいただけると助かります。
・皆さま、お誘いあわせの上、お気軽にお越しください。

それでは、次回のロック暴年会でお会いしましょう!

未読日記344 「story」

2009-12-01 23:12:22 | 書物
タイトル:野依幸治 Koji Noyori “Story”
発行:YOKOI FINE ART
発行日:2009年
内容:
東京・YOKOI FINE ARTにて行われた<野依幸治“Story”>(2009.10.30-11.14)のカタログ。

図版17点、展示風景写真1点
List of Works
作家略歴

頂いた日:2009年11月5日
頂いた場所:YOKOI FINE ART
ギャラリーの方より頂いた展覧会カタログ。ありがとうございます。
展示を見た人にしかわからないが、カタログ図版の配置は展示とほぼ同じになっている。お伺いしたところでは、先にカタログページをデザインし、展示の際にはカタログを見ながら展示したのだとか。
この奇妙でデジャヴな感覚は野依幸治作品の世界観に近いものを感じる。野依の作品もまた、見えているものを描きながら、どこか現実にはありえない光景を描いているからだ。絵画にはちょっとした仕掛けが施されていて、それに気づいたとき、世界の知られざる相貌が立ちあがる。一見するとぼんやり霧がかかった画面は、白昼夢のような、平和な世界を描いたものに見える。例えば、アメリカのホームドラマやポスターなどに見られるような世界だ。だが、絵画という平面にさらなる奥行きを与えるような要素がひそやかに画面に仕掛けられているのである(しかし、その魅力が野依の絵画をユーモアで終わらせてしまう危険もあり、際どいところではある)。
これまで大きなサイズの作品を見てきたが、今展で展示された小さな作品たちは表現が密になっている気がする。その結果、展示にリズムが生まれ、作品同士がつながりを持って見えるからだろう。つづく。