A PIECE OF FUTURE

美術・展覧会紹介、雑感などなど。未来のカケラを忘れないために書き記します。

未読日記348 「ギャラリー季刊誌 册 2009秋号」

2009-12-08 23:59:23 | 書物
タイトル:ギャラリー季刊誌 册 2009秋号 vol.03
編集:新見隆、平林悠紀子、前田さつき
デザイン:長内デザイン室
挿絵:中島まり
印刷・製本:太陽印刷工業株式会社
発行:株式会社二期リゾート
発行日:2009年9月11日
内容:
冊な話・四「アートフル・サイエンス」松岡正剛
ものづくりの言葉・四「美術家が本当に大事にしている本当に大事な事」さかぎしよしおう
庭の幻想・四「終わりのない夏の庭」新見隆
コラム 冊の美「両手で抱え込むやきものの大きさは」奥野憲一
コラム 一冊の食「「グレープフルーツ・ジュース」オノ・ヨーコ著 講談社」平林悠紀子
册通信
「編集後記」北山ひとみ
(本書目次より)

頂いた日:2009年11月13日
頂いた場所:ギャラリエアンドウ
東京・渋谷のギャラリエアンドウへ<さかぎしよしおう>展を見に行った際、ギャラリーの方に頂いた冊子。どうもありがとうございます。
なぜ、本誌とさかぎし氏が関係があるかと言えば、さかぎし氏が本誌に寄稿しているからである。「美術家が本当に大事にしている本当に大事な事」。もうこれだけで中身が読みたくなるくらいタイトルが思わせぶりでいい。それでいて抽象的にならず、現状のアート事情にも触れつつ美術において「本当に大事な事」をわかりやすく丁寧に書かれている。「本当に大事な事」などと言うと、バッサリとたたっ切る内容を想像してしまうかもしれないが、さかぎし氏は嫌味にも皮肉にもならず、冷静である。文章には独特なリズムがあって、読後感が気持ちいい文章である。

嫌味な文章と言えば、松岡正剛氏だろうか。「30年くらい前、ウィリアム・ターナーやジョン・ラスキンをほったらかしにしているような美術批評家とは口をききたくないと思っていた」(p.1)と始まり、20年前、10年前は・・と続く。エッセイの主題はイメージング・サイエンスやアートフル・サイエンスの話なのだが、なぜか結論で「いまや現代美術の大半がそこそこの出来の映画やアニメーションにも、またそこそこの出来のNHK特集やウェブサイトにも、とうてい及ばないものになりつつあるのではないかという気にもなってきて、私はまたまた昨今の美術批評家たちとは口もききたくないという暗澹たる気分になってしまうのだ。」と述べるのである。現代美術とNHK特集を比較するのも暴論だが、なぜ作品の出来について美術批評家が責められなければならないのか意味がわからない。
そもそも松岡氏は現代美術を見ているのだろうか。たいてい状況論的に批判をする人は、当の作品を「情報」としてしか知らないものだ。かつて、「日本映画はつまらない」と言われた時代があったが、それも「日本映画を見ていない」人が言うことだった。要するに、見たいと思わせる映画がないと言いたいだけなのだろうが、それはメディアやジャーナリズムの衰退でしかない。私はマクロな結論だけで、ある業界や分野の傾向を判断することを極力回避したい。巷に溢れる情報だけで物事を判断するのは危険であり、現代美術などメディアに乗らない「情報」の方が多いのだ。ただの批評家批判は結構だが、それなら松岡氏が美術批評界を活性化するよう貢献してほしいと願う。もはや時代は批評家が存在しえた70-80年代ではなく、00年代は美術批評が成立さえしていない時代なのだ。批判するような美術批評家などいないではないか?
さかぎし氏のすばらしいエッセイから話が脱線してしまったが、松岡氏の仕事は尊敬する面が多々あるので、あの松岡氏にしては乱暴なことを書くものだと思いつい書いてしまった。
ちなみに、現代美術の低レベルさについては、松岡氏が言っていることは概ね首肯できることである。それを、「美術批評家」が発言せず(できず)、松岡氏が発言することが残念でもあり、讃えたい点でもある。