西山コースの2番目に訪ねたのは西行桜の勝持寺です。
鳥羽上皇に仕えていた北面の武士、佐藤義清がここ勝持寺にて出家をし、名を
西行と改め庵を結び、一株の桜を植えて、桜をめでる歌を読みつつ暮らしていました。
世の人はその桜を西行桜と称し、寺を花の寺と呼ぶようになりました。
花見んとむれつつ人のくるのみぞ あたらさくらのとがにはありける 西行
西行桜
ええ、なんと大きく伸びたことか! そう言えば前回見てから
20年くらい経っているかも知れない。初めて見てからは40年
以上経って入ると思われるが、ひょろっとした小さな木で、これが!
と、意外に思ったことだった。それは勿論西行が植えた木ではなく、
何代目かの西行桜だったのでしょう。
鐘楼堂の屋根をはるかに越えて、枝振りも立派な堂々の西行桜
になっていました。
願はくは花の下(もと)にもとにて春死なんむ
そのきさらぎの望月のころ 西行
西行は春、桜の花の下で死にたいと願った通り、旧暦きさらぎの
2月16日、73歳で亡くなりました。
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