大橋むつおのブログ

思いつくままに、日々の思いを。出来た作品のテスト配信などをやっています。

明神男坂のぼりたい・36〔離婚旅行随伴記・1〕

2022-01-09 07:04:08 | 小説6

36〔離婚旅行随伴記・1〕   

 

        


「ちょっと冷えそうだな」

 明菜のお父さんは、開けたドアを締め直し、ジャケットを掴んで助手席から車を降りた。

 仲居さんや番頭さんたちが、案内や荷物運びのために車の周りに寄って来る。

 予約はしてあったんだろうけど、かなりの常連さんのよう。

「あ、タバコ切らしたから買ってくる」

「タバコだったら、フロントにございますが……」

「ありがとう。でも、先月から銘柄変えてね。なあに、店はとっくに調べてあるから。じゃ、ちょっと」

「すみませんね、お寒い中、お待たせしちゃって」

 お母さんが恐縮する。

「ちょっと庭とか見てっていいかな?」

「ええ、いいわよ。玉美屋さんの庭はちょっと見ものよ。そうだ、あたしもいっしょに行こう」

「では、お荷物はロビーに運ばせていただきます」

 仲居さん達は甲斐甲斐しく荷物を運ぶだけではなく、何人かは、お父さんとあたしたちを玄関前で待ってくれて、ひとりは案内に付いてきてくれる。客商売とは言え、なかなかの気配り。

「ほんとに、きれいなお庭」

「回遊式庭園では箱根で一番よ」

「温泉旅館て、傾斜の多いところに立ってるから、これだけの庭を作るのは大変みたいよ」

 なるほど、振り返ると、建物は傾斜の上に段々になっていて、この庭を見下ろす形になっている。

 梅が満開。寒椿なんかも咲いていて、ほんとにきれい。まだ春浅いのに庭の苔は青々としている。

 カコーーン

 え?

 小さく驚くと「鹿威しが、あちらに」と仲居さんが説明してくれる。神田の街中で暮らしているので、こういう雅なものには縁が遠い……っていうか、こんなに高級な旅館は初めて。

 奥へ進むと、ほんのりと温泉の匂い。

「そこの芝垣の向こうが露天風呂になっています」

「じゃ、そこの岩の上に上ったら覗けるかもね」

「ホホ、身長三メートルぐらいでないと、岩に上っても見えないでしょうね」

 と、お付きの仲居さん。

「見えそうで見えないところが、情緒あっていいのよね」

 明菜のお母さんは面白がる。

 パン パン パン

 え!?

 鹿威しの一種?

 いや、仲居さんの顔も訝しんでる。

「パンクかしら?」

 立て続けに三回もパンクが起こる訳がない。

 

『大変だ! 人が撃たれた!』

 

 どこかのオッサンの声がして、あたしたちも、声のする旅館前の道路に行ってみた。

「キャー! お、お父さん!」

 明菜が悲鳴をあげた。明菜のお父さんが胸を朱に染めて倒れていた。

「さ、殺人事件!? け、警察! 救急車!」

 旅館の人たちも出てきて大騒ぎになった。

「みなさん、落ち着いてください!」

 お母さんは、つかつかとお父さんに近寄ると、お父さんの横腹を蹴り上げた。

「ゲフ……痛いなあ、怪我するだろ」

 ぶつぶつ言いながら、血染めのお父さんが立ち上がった。

 え…………?

 みんな、あっけにとられた。


「こんな弾着の仕掛けで、あたしがおたつくとでも思ったの。しかし、あなたもマメね。いまどき潤滑剤の付いてないコンドームなんて、なかなか手に入らないわよ」

 お母さんがめくると、お父さんの上着の裏には、破裂したコンドームがジャケットを真っ赤にしてぶら下がっていた。

「おーい、失敗。カミサンに見抜かれてた」

 向こうの自販機の横から、いかにも業界人らしいオッサンがカメラを抱えて現れた。


「これ、年末のドッキリ失敗ビデオに使わせてもらえるかなあ」

「やっぱ、杉下さん。あなたの弾着って、クセがあるのよね」

「アキちゃんにかかっちゃ、かなわないなあ」

 そのときの、お母さんの横顔で思い出した。梅竹映画によう出てる稲垣明子だ!

 当惑を通り越して、憮然としてる明菜には悪いけど、あたしはワクワクしてきた。

 

※ 主な登場人物

 鈴木 明日香       明神男坂下に住む高校一年生
 東風 爽子        明日香の学校の先生 国語 演劇部顧問
 香里奈          部活の仲間
 お父さん
 お母さん         今日子
 関根先輩         中学の先輩
 美保先輩         田辺美保
 馬場先輩         イケメンの美術部
 佐渡くん         不登校ぎみの同級生
 巫女さん
 だんご屋のおばちゃん
 明菜           中学時代の友だち 千代田高校

 


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