明神男坂のぼりたい
バレンタインデーを忘れてた!
バレンタインデーは、佐渡君が火葬場で焼かれた日だったので、完全に頭から飛んでいた。
もっとも覚えていても、あたしは、誰にもチョコはあげなかった。
うちは、お母さんがお父さんにウィスキーボンボンをやるのが恒例になっている。だけど、ホワイトデーにお父さんがお母さんにお返ししたのは見たことがない。
あたしに隠れて? それはありえない。
お父さんは、嬉しいことは隠し立てができない。
年賀葉書の切手が当たっても大騒ぎする。まして、自分が人になにかしたら言わなくてはすまないタチ。
結婚した最初のお母さんの誕生日にコート買ったのを、今でも言ってるくらいだしね。
実のところは、ウィスキーボンボンの半分以上はお母さんが食べてしまうから、そう感謝することでもなかったりするんだけどね。
佐渡君には、チョコあげたらよかった思ったけど、後の祭り。
それに、あたしが見た佐渡君は、おそらく……幻。
幻にチョコは渡しようがないよね。
あ、一人いた!
学校の帰りに思い出した。
絵を描いてもらった馬場さんにはしとかなくっちゃ。
で、帰り道、御茶ノ水のコンビニに寄った。
さすがに、バレンタインチョコは置いてなかったので、ガーナチョコを買った。
包装紙はパソコンで、それらしいのを選んでカラー印刷。A4でも、ガーナチョコだったら余裕で包める。
「こういうときって、手紙つけるんだろなあ……」
けど、したことないので、いい言葉が浮かんでこない。
べつに愛の告白じゃない、純粋にお礼の気持ちだ……感謝……感謝、感激……雨アラレ。
馬鹿だなあ、なに考えてんだろ。
「マンマでいい!」
「わ、ビックリした!」
お父さんが、後ろに立っていた。
「珍しいな、明日香が周回遅れとは言え、バレンタインか……」
「もう、あっち行って!」
ありがとうございました。人に絵描いてもらうなんて、初めてです。
チョコは、ほんのおしるしです。
これからも、絵の道、がんばってください。
鈴木 明日香
「あ、バカだあ! 便せんに書いたら、チョコより大きいよぉ。別の封筒に入れるのは大げさだし……」
「これに、書いときな」
お父さんが、名刺大のカードをくれた。薄いピンクで、右の下にほんのりと花柄……。
「お父さん、なんで、こんなん持ってんの!?」
「これでも作家のハシクレだぞ、こういうものの一つや二つは持ってる」
「ふ~ん……て、おかしくない?」
「おかしくない。オレの書く小説って、女の子が、よく出てくるからな……」
頭を掻きながら出ていった。とりあえずカードに、さっきの言葉を書き写す。
「あ……これ感熱紙だ」
パソコンでグリーティングカードで検索したら、同じのが出てた。
「まあ、とっさに、こんなことができるのも……才能? 娘への愛情? いいや、ただのイチビリだ」
で、今日は三年生の登校日。
メール打つのにも苦労した。
何回も考え直して「伝えたいことがあります」と書いて、待ち合わせは美術室にした。
「え、もらっていいの? オレの道楽に付き合わせて、それも、元々は人違いだったのに(^_^;)」
嬉しそうに馬場さん。
だけど、最後の一言は余計……。
「明日香……なにかあったな、人相に深みが出てきた」
「え、そんな、べつに……」
「これは、ちょっと手を加えなきゃ。そこ座って!」
「は、はい!」
馬場先輩は、クロッキー帳になにやら描き始めた。
「ほら、これ!」
あたしの目と口元が描かれてた。それだけで明日香と分かる。やっぱり腕だなあ。
「なにか胸に思いのある顔だよ。好きな人がいるとか……」
とっさに、関根先輩の顔が浮かぶ。
「違うなあ、いま表情が変わった。好きな人はいるようだけど、いま思い出したんだ」
なんで、分かるの!?
「なんだか、分からないけど、寂しさと充足感がいっしょになったような顔だ」
ああ、佐渡君のことか……ぼんやりと、そう思った。
帰り道、七日ぶりに明神さま。
佐渡君の事故やら葬式やらがあったんで、明神さまの境内を通るのを遠慮していた。
正確には、もっと控えなきゃいけないんだろうけどね。
きちんと、二礼二拍手一礼。
お賽銭も200円(お正月でも100円だから、奮発してる)
お参りしてから思った。
神田明神チョコとかあったら、ぜったい売れる!
思ったことは表情に出る、馬場先輩も言ってたよね(#^_^#)
「あら?」
授与所の巫女さんに見られてた。
でも、巫女さんは余計なことは言わない。「あら?」だけ。
奥ゆかしい。
でも、なんだか恥ずかしいところを見られたようで、収まりが悪い。
「明神チョコってないんですか?」
照れ隠しにバカなことを口走る。
「あ、それアイデアね!?」
ポンと手を叩いて意外の反応。
むろん、バカな明日香に合わせた冗談なんだけど、清げな巫女服姿で当意即妙で返されると、もう尊敬。
一週間のご無沙汰やら周回遅れのバレンタインやらの事情と、明日香の気持ちと、そういう諸々を、ポンと手を叩いて親しみに変えてしまう。
やっぱり、あたしの明神さまだ。
※ 主な登場人物
- 鈴木 明日香 明神男坂下に住む高校一年生
- 東風 爽子 明日香の学校の先生 国語 演劇部顧問
- 香里奈 部活の仲間
- お父さん
- お母さん 今日子
- 関根先輩 中学の先輩
- 美保先輩 田辺美保
- 馬場先輩 イケメンの美術部
- 佐渡くん 不登校ぎみの同級生
- 巫女さん
- だんご屋のおばちゃん