ロイス ジャズ タンノイ

タンノイによるホイジンガ的ジャズの考察でございます。

三内丸山遺跡

2010年06月22日 | 歴史の革袋
道路にはみ出しそうな大きな乗用車が停まって中から姿を現したのは、テレビ画面で探せば元マイクロソフトの西○彦氏が似た風貌の、八戸市の人である。
『南郷サマージャズフェス』もまもなくの青森に訪ね、ぜひ当方は三内丸山のことを眺めて見たい。
いま試みに、右手を握り、こぶしを作って人指しユビをカギ形にすると、それが下北半島で、指に囲まれた中が陸奥湾で、指の中間が恐山、底部に三内丸山遺跡は位置している。
菅江真澄の寛永六年の記録に、三内村の遺跡のことが書かれ、あるていど知られていたこの地に、なんと1994年のこと、直径1メートルもの6本のクリの柱跡が突然地中から現れ、大騒ぎになった。
410年に著述された中国皇室図書館の魏史倭伝にある邪馬壹国の記録も、日本の鐶壕楼閣のことを見たと言っているが、それより三千年?も古い地中から静かに姿を現したので、関係者は鳥肌が立った。
音に聞こえたタンノイも、スピーカーユニットの実存がなくてはありがたみも実態も雲を掴むように、地中から現れた古代遺跡が土器の欠片や植物のタネだけでは、バンゲルダー録音に足りない。
この六本柱の遺跡の威力と本州北端の縄文文化が、にわかに全国の脚光を浴びることになったが、今後の展望を。ジャズを聴きながら青森の客人に、お尋ねした。
――この遺跡の発見で、青森は何か変わりましたか?
「百八十度変わりました。観光から物流から影響は広範囲で、産業の核になる関連開発が順に立上げられています」
――水没した十三湊遺跡が有名ですが、ほかに大陸と交流の記憶を残す対馬のような島があるのでしょうか?
「海面に見えませんが、海底から立ち上がった山のてっぺんのような地形がのこっており、現在は魚達の繁殖の場に適して有名な漁場となっています」
いつか一関インターから東北道を北に向かって、縄文の風にたなびく集落の煙りを、高い柱の上から眺めてみたい。

当方が昔おせわになった会社で、「必ず見に来る取締役」の指示で専売公社研究所員の海外研修報告を聴講したとき、講師の研究員は、こちらの見当違い質問に対し、質問と違う内容の解説を巧みにその場に合ったものに曲げて驚かされたが、いまの人物もその片鱗がみられるのが流石だ。

☆イラストは、こんな感じではなかったかという想像図

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