ロイス ジャズ タンノイ

タンノイによるホイジンガ的ジャズの考察でございます。

謎の二階大堂

2012年08月30日 | 歴史の革袋
絵を見せられて、現物を見ないことには...と、サザビーズで敬遠されるのが「絵に描いた餅」であるけれど、『二階大堂』は、昔行って見た興福寺東金堂のような一階であったのか。
中尊寺を起点に、白河の関から陸奥の外が浜にのびていた奥大道という幹線動脈を、旅人になった気分でゆっくり歩み寄ってくるとき、圧倒的光景で待っているのが二階大堂という。
奈良の東大寺をダウンサイジングしたような建物は、二階層の窓に突き抜けた黄金の巨大仏像が顔をのぞかせ、山腹の遠目にもギラギラ輝いているありさまが光々しくすばらしい。
それを見た旅人はあまりに強烈な印象を見せられて、京に上る道すがらも思い出してはなぐさめられたようである。
そのころの歴史上の大事件といえば、チャンスをねらっていた鎌倉幕府大軍が、朝と晩に毎日30万食も消費しつつ平泉に攻め上ってきた源頼朝事件であるが、二階大堂を下から見上げて頼朝はグッときた。
鎌倉に戻ると、同伴した絵師に頼んでおいたスケッチ絵図を政務の合間もながめ、彼に、鎌倉の地に再現を決心させることになった二階大堂である。
そんなにいいのかと当方も遅れて鎌倉に駆けつけてみたが、もはや焼失して二階堂という地名だけが残っていた。
このように頼朝に実現できたことが現代に不可能なはずはない、と誰も思っている。
桜山を背景にした風光明媚な地形に『柳の御所』をまず再現しようと考えるのは当然であるが、この二階大堂と、十円硬貨の裏にある絵柄と三点セットが楽しみである。
あの時代の平泉は、都市計画に風水を駆使しながら、祇園など京の地名が散見されるように、先人の本歌取りの遊び心もあったらしく、あるいは京から呼び寄せた大勢の職人たちのなぐさめであったのか。
当方の知人宅の庭も「京の庭師を招聘して造作させました」と枕詞にいうほど、やんごとなきありがたさというものである。
子供のころバスに乗ると、停留所で「ぎおん、ぎおん~」と車掌の涼しい声がした。
往時は御所の周囲を、見ず知らずの旅人に観光されては検非違使の都合もあり、金色堂の建つ関山の中腹に奥大道のバイパスを通し、中尊というネーミングの初めと終わりを二階大堂と金色堂で修飾したのかもしれない。
先日東山からパラゴン氏がお見えになったとき、この歴史の地にホテルを造ってライフワークとしたいものです、と申されていたが、するとその平安朝ホテルの一角に、ふんだんに木材を多用した自分用のジャズ喫茶を造るつもりではないか、と驚いたが黙っていた。
平泉において、この地のヌーヴェル・キュイジーヌを朝顔の姫君とたのしみ、パラゴンで聴くビビットなビル・エヴァンスなど、この話に皆の衆はいまから心待ちにされることであろう。

☆イラストは平泉北面の二階大堂想像図で、正確な根拠はないが、3月11日は堂内の点灯を衣川から拝観したい。






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