スイカズラ科のみやまガマズミ(深山莢迷)のことを一関では『そぞみ』といっている。
滋養強精で花言葉は『結合』という単刀直入な赤い木の実であるが、そうともしらず帰郷した冬の朝、「のうてばいのおばあちゃんに言ってあるから」と親に言われて、早起きして採りに行った。
カブの千枚漬けをつくるという。
のうてばいのおばあちゃんに案内されて、里山に登っていくと、みちみちキャサリーン台風の洪水の話が出て、この山から見下ろした市街地の方向は見たこともない湖のようなすごい景色で、ところどころに島が浮いていたそうである昔話を聞いた。
1947年九月十六日のキャサリーン台風は、日本の治水史上に残る大雨を降らせ磐井川と北上川も氾濫したので、生家も一階の鴨居のところまで水が浸き、幼児の当方は母に帯で縛られ迎えに来た小舟に二階から乗り移ったとき、グラリと揺れてとても怖かった話の記憶がある。
その小舟は配志和神社に漕ぎ着いて、この神社は、古刹の堂宇が深山の高みに拝殿のある、ちょうどあめのひすみのみやのような延々と高い石段を登っていくと、シーンとした清浄な境内に、それぞれ専門の霊験をつかさどる宮が一列に横にならび、千年杉のような大木が落雷をものともせず茂っている。
子供のころは、昆虫採集やソリ遊びに登った記憶が市内の誰にでも有るが、石段には運動部のトレーニングに励む若者の姿が有る。
そういえばこの蘭梅山に、ちょうど帰郷した夏に石段を登ってみると、付近の中学のグラウンドスピーカーから先生の号令が新緑の風に乗って流れてきたが、その巻き舌の特徴は忘れもしない桜中学の何十年も逢っていないクラスメートであり、あの中学から一足飛びにこの中学で先生になって現れた風の便りに驚いた。
何年かまえも、この神社の鳥居の脇から馬車道を登攀していくと、冬道は滑りやすいところが雪かきされていたり、馴れない二拝四拍手一拝のイメージを考えつつ敷居階段に足をかけると、足元に百円硬貨が置いて有ったり、おそらく天狗が杉の大木の上から笑って見ているのかもしれないが、不思議な社殿の森である。
先日この神社の会報を読ませてもらったとき、菅江真澄の『はしわのわかば』が天明八年戊申六月にこの神社を訪れたさいの周囲の記録を、神社のはしわから表題にとったものとはじめて知って、大勢の有職故実の控えている町内のありさまが印象に残った。
そぞみの千枚漬けの霊験も、どうもあらたかであったといえる。
そのとき寒いROYCEに、ちかくに20年住むと申される大船渡の御仁がやってきて、「ほほう、ゲイリー・カーはCDで聴いていますが、LP盤もあったのですか」と言いつつ、先ほどの三番はベームのようなテンポに思っていたが、カラヤンか!とひとりごとの博学ぶりで、珈琲をこちらが淹れていると立ち上がって「ちょっと失礼、このパソコンに映ってある文面は、はしわのわかばではありませんか」と言い出し、――自分はなにそれの版でもっているが、などと、配志和神社のカラス天狗か菅江真澄の代理挨拶とも考えられる、不思議な御仁であった。
しばらく、今泉の宿場のことを教えていただいた。
滋養強精で花言葉は『結合』という単刀直入な赤い木の実であるが、そうともしらず帰郷した冬の朝、「のうてばいのおばあちゃんに言ってあるから」と親に言われて、早起きして採りに行った。
カブの千枚漬けをつくるという。
のうてばいのおばあちゃんに案内されて、里山に登っていくと、みちみちキャサリーン台風の洪水の話が出て、この山から見下ろした市街地の方向は見たこともない湖のようなすごい景色で、ところどころに島が浮いていたそうである昔話を聞いた。
1947年九月十六日のキャサリーン台風は、日本の治水史上に残る大雨を降らせ磐井川と北上川も氾濫したので、生家も一階の鴨居のところまで水が浸き、幼児の当方は母に帯で縛られ迎えに来た小舟に二階から乗り移ったとき、グラリと揺れてとても怖かった話の記憶がある。
その小舟は配志和神社に漕ぎ着いて、この神社は、古刹の堂宇が深山の高みに拝殿のある、ちょうどあめのひすみのみやのような延々と高い石段を登っていくと、シーンとした清浄な境内に、それぞれ専門の霊験をつかさどる宮が一列に横にならび、千年杉のような大木が落雷をものともせず茂っている。
子供のころは、昆虫採集やソリ遊びに登った記憶が市内の誰にでも有るが、石段には運動部のトレーニングに励む若者の姿が有る。
そういえばこの蘭梅山に、ちょうど帰郷した夏に石段を登ってみると、付近の中学のグラウンドスピーカーから先生の号令が新緑の風に乗って流れてきたが、その巻き舌の特徴は忘れもしない桜中学の何十年も逢っていないクラスメートであり、あの中学から一足飛びにこの中学で先生になって現れた風の便りに驚いた。
何年かまえも、この神社の鳥居の脇から馬車道を登攀していくと、冬道は滑りやすいところが雪かきされていたり、馴れない二拝四拍手一拝のイメージを考えつつ敷居階段に足をかけると、足元に百円硬貨が置いて有ったり、おそらく天狗が杉の大木の上から笑って見ているのかもしれないが、不思議な社殿の森である。
先日この神社の会報を読ませてもらったとき、菅江真澄の『はしわのわかば』が天明八年戊申六月にこの神社を訪れたさいの周囲の記録を、神社のはしわから表題にとったものとはじめて知って、大勢の有職故実の控えている町内のありさまが印象に残った。
そぞみの千枚漬けの霊験も、どうもあらたかであったといえる。
そのとき寒いROYCEに、ちかくに20年住むと申される大船渡の御仁がやってきて、「ほほう、ゲイリー・カーはCDで聴いていますが、LP盤もあったのですか」と言いつつ、先ほどの三番はベームのようなテンポに思っていたが、カラヤンか!とひとりごとの博学ぶりで、珈琲をこちらが淹れていると立ち上がって「ちょっと失礼、このパソコンに映ってある文面は、はしわのわかばではありませんか」と言い出し、――自分はなにそれの版でもっているが、などと、配志和神社のカラス天狗か菅江真澄の代理挨拶とも考えられる、不思議な御仁であった。
しばらく、今泉の宿場のことを教えていただいた。