先週聴いたもう一つのコンサート、それはウィーンフィルの来日最終公演だった。
ウィーンフィルは一昨年から連続して来日しており、今回はその締めくくりの年にあたる。
今回のウィーンフィルの来日公演は、11/3にコントラバスのシュトラッカさんが富士山登山中に不慮の事故で亡くなるという痛ましい出来事もあった。
しかし、もっと前から、信じられないようなハプニングに見舞われていたのだ。
当初、今年の来日公演は、ウィーン国立歌劇場の音楽監督でもあった小澤征爾さんの指揮で、「マーラーの9番」「ブルックナーの9番」「ドボルザークの9番(新世界)」という9番シリーズ(何と意味深い!)をメインに据えて、全国ツアーを行う予定だった。
それが小澤さんの病気によって、急遽サロネンと若いネルソンスに変更される。
つれて演奏曲目も変更になった。
しかし、ハプニングはそれでも収まらない。
先月になって、今度はそのサロネンが「自身のコントロールの及ばない事情」により、再び降板することになったのだ。
そんな大ピンチを救ったのが、小澤さんのウィーンの後任でもあるウェルザー=メストと御大ジョルジュ・プレートルだった。
というわけで、私の聴くはずだったサロネンの「マーラーの9番」は、結局プレートルの「シューベルトの2番」と「エロイカ」に変わった。
この変更が、果たして吉と出るか凶と出るか。
興味津々で開演を待った。
<日時>2010年11月10日(水)19:00開演
<会場>サントリーホール
<曲目>
■シューベルト:交響曲第2番 変ロ長調 D125
■ベートーヴェン:交響曲第3番 変ホ長調 op.55「英雄」
(アンコール)
■ブラームス:ハンガリー舞曲第1番 ト短調
■J.シュトラウスⅡ:トリッチ・トラッチ・ポルカ op.214
<演奏>
■ジョルジュ・プレートル(指揮)
■ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
先ほど興味津々という言葉を使ったが、それは指揮者あるいは曲目変更の影響のことだけではない。
川崎公演で異常なくらい空席が目立ったとか、公演によっては「ウィーンフィルとは信じられないような音だった」という信じ難い評判を耳にしていたからだ。
私が心から愛しているウィーンフィルの音楽が本当に変わってしまったのかどうか、この目と耳で、しかと確認させてもらおうと思った次第。
プレートルが大きな拍手に迎えられてステージに登場する。
この86歳のマエストロに、老いの気配が全くないのが嬉しい。
そして、シューベルトの最初の音が鳴り響く。
私は、序奏の1小節を聴いただけで涙が出そうになった。
豊かだけど絶対重くならない、あのウィーンフィルにしか出せない幸福なサウンドがそこにあったから。
弦の美しく伸びやかな表情に、フルーリーのフルートが絶妙に絡む。
しばらくの間、そんなやり取りを繰り返した後、これ以上ないくらい自然な感じで主部に滑り込む。
滑り込んだ先は、まさにアレグロ・ヴィヴァーチェのお手本のような軽快さを持った世界だ。
コンマスのキュッヘルが顔面を少し紅潮させながら、懸命にプレートルの指揮に応える姿が微笑ましい。
しかも、愉しくて仕方がないと言わんばかりに、実にいい表情をしている。
ふと周りの奏者たちを見ると、みんなキュッヘルと同じ表情だ。
これが「フィルハーモニー」、ウィーンフィルなんだ。
私の心配は、またたく間に杞憂と消えた。
後は安心して1年間待ち焦がれた恋人と再会できた幸せを、じっくり味わうだけだ。
あまりに幸せすぎて、それ以降の細かな部分はほとんど覚えていない。
でも最高に愉しいシューベルトだったことは断言できる。
後半は、ベートーヴェンの「エロイカ」。
結論から言ってしまうと、この日の演奏は、将来「伝説のエロイカ」として永く語り継がれることだろう。
そのくらいの名演だった。
とくに第2楽章の格調の高さは比類ない。
この楽章だけ、タクトを置いて手だけで指揮をしたマエストロの気概が成せる技だったのだろうか。
とにかく濃密な音楽だった。
ラストでついに途切れ途切れになってしまうテーマを、これほど意味深く表現した演奏を私は知らない。
まるで、倒れても倒れても何度でも立ち上がり、ひたすら前を向いて進もうとする人間の生きざまを、目の前で見せつけられているような気がした。
続くスケルツォ以降、プレートルとウィーンフィルはさらなる高みに上り詰める。
そして、文字通り「不滅の名演」といって差し支えない音楽を聴かせてくれた。
とりわけ印象的だったのは、スケルツォのトリオ。
そのトリオの部分に来ると、マエストロは、ほんの少しテンポを緩めた後、指揮棒を止めた。
そしてホルンの方に向かって、「ここから先はあなた方の世界だ。拍を刻まないから、どうぞ皆さんで存分に吹いてください」とでも言うようなジェスチャーで演奏を促す。
そのマエストロの期待に応えるように、にっこり微笑んで吹き始めたホルンの何と素晴らしかったことか。
ウィンナホルンの真の魅力を、この日初めて体感させてもらった。
一方、フィナーレでは次のバリエーションに移るたびに、どんどん新しい世界が広がっていく
それでいて、パーツパーツは決してばらばらにならずに、全体として見事なまでの統一感を示していた。
柔らかな息遣いと、多彩な音色、そして力強い表現力。
そんなウィーンフィルの類稀れな美質を十二分に引き出しながら、抜群の構成力で圧倒的な音楽を聴かせてくれたプレートル。
指揮者・曲目変更は、私にとって「吉」と出た。
こんな名演奏の生まれた瞬間に立ち会うことができて、私は本当にラッキーだったと思う。
そして何よりも一年越しで再開した恋人ウィーンフィルが、相変わらず魅力的であったことに正直安堵している。
次回はいつ会えるのだろうか。
再び会える日を、今から心待ちにしている。
ウィーンフィルは一昨年から連続して来日しており、今回はその締めくくりの年にあたる。
今回のウィーンフィルの来日公演は、11/3にコントラバスのシュトラッカさんが富士山登山中に不慮の事故で亡くなるという痛ましい出来事もあった。
しかし、もっと前から、信じられないようなハプニングに見舞われていたのだ。
当初、今年の来日公演は、ウィーン国立歌劇場の音楽監督でもあった小澤征爾さんの指揮で、「マーラーの9番」「ブルックナーの9番」「ドボルザークの9番(新世界)」という9番シリーズ(何と意味深い!)をメインに据えて、全国ツアーを行う予定だった。
それが小澤さんの病気によって、急遽サロネンと若いネルソンスに変更される。
つれて演奏曲目も変更になった。
しかし、ハプニングはそれでも収まらない。
先月になって、今度はそのサロネンが「自身のコントロールの及ばない事情」により、再び降板することになったのだ。
そんな大ピンチを救ったのが、小澤さんのウィーンの後任でもあるウェルザー=メストと御大ジョルジュ・プレートルだった。
というわけで、私の聴くはずだったサロネンの「マーラーの9番」は、結局プレートルの「シューベルトの2番」と「エロイカ」に変わった。
この変更が、果たして吉と出るか凶と出るか。
興味津々で開演を待った。
<日時>2010年11月10日(水)19:00開演
<会場>サントリーホール
<曲目>
■シューベルト:交響曲第2番 変ロ長調 D125
■ベートーヴェン:交響曲第3番 変ホ長調 op.55「英雄」
(アンコール)
■ブラームス:ハンガリー舞曲第1番 ト短調
■J.シュトラウスⅡ:トリッチ・トラッチ・ポルカ op.214
<演奏>
■ジョルジュ・プレートル(指揮)
■ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
先ほど興味津々という言葉を使ったが、それは指揮者あるいは曲目変更の影響のことだけではない。
川崎公演で異常なくらい空席が目立ったとか、公演によっては「ウィーンフィルとは信じられないような音だった」という信じ難い評判を耳にしていたからだ。
私が心から愛しているウィーンフィルの音楽が本当に変わってしまったのかどうか、この目と耳で、しかと確認させてもらおうと思った次第。
プレートルが大きな拍手に迎えられてステージに登場する。
この86歳のマエストロに、老いの気配が全くないのが嬉しい。
そして、シューベルトの最初の音が鳴り響く。
私は、序奏の1小節を聴いただけで涙が出そうになった。
豊かだけど絶対重くならない、あのウィーンフィルにしか出せない幸福なサウンドがそこにあったから。
弦の美しく伸びやかな表情に、フルーリーのフルートが絶妙に絡む。
しばらくの間、そんなやり取りを繰り返した後、これ以上ないくらい自然な感じで主部に滑り込む。
滑り込んだ先は、まさにアレグロ・ヴィヴァーチェのお手本のような軽快さを持った世界だ。
コンマスのキュッヘルが顔面を少し紅潮させながら、懸命にプレートルの指揮に応える姿が微笑ましい。
しかも、愉しくて仕方がないと言わんばかりに、実にいい表情をしている。
ふと周りの奏者たちを見ると、みんなキュッヘルと同じ表情だ。
これが「フィルハーモニー」、ウィーンフィルなんだ。
私の心配は、またたく間に杞憂と消えた。
後は安心して1年間待ち焦がれた恋人と再会できた幸せを、じっくり味わうだけだ。
あまりに幸せすぎて、それ以降の細かな部分はほとんど覚えていない。
でも最高に愉しいシューベルトだったことは断言できる。
後半は、ベートーヴェンの「エロイカ」。
結論から言ってしまうと、この日の演奏は、将来「伝説のエロイカ」として永く語り継がれることだろう。
そのくらいの名演だった。
とくに第2楽章の格調の高さは比類ない。
この楽章だけ、タクトを置いて手だけで指揮をしたマエストロの気概が成せる技だったのだろうか。
とにかく濃密な音楽だった。
ラストでついに途切れ途切れになってしまうテーマを、これほど意味深く表現した演奏を私は知らない。
まるで、倒れても倒れても何度でも立ち上がり、ひたすら前を向いて進もうとする人間の生きざまを、目の前で見せつけられているような気がした。
続くスケルツォ以降、プレートルとウィーンフィルはさらなる高みに上り詰める。
そして、文字通り「不滅の名演」といって差し支えない音楽を聴かせてくれた。
とりわけ印象的だったのは、スケルツォのトリオ。
そのトリオの部分に来ると、マエストロは、ほんの少しテンポを緩めた後、指揮棒を止めた。
そしてホルンの方に向かって、「ここから先はあなた方の世界だ。拍を刻まないから、どうぞ皆さんで存分に吹いてください」とでも言うようなジェスチャーで演奏を促す。
そのマエストロの期待に応えるように、にっこり微笑んで吹き始めたホルンの何と素晴らしかったことか。
ウィンナホルンの真の魅力を、この日初めて体感させてもらった。
一方、フィナーレでは次のバリエーションに移るたびに、どんどん新しい世界が広がっていく
それでいて、パーツパーツは決してばらばらにならずに、全体として見事なまでの統一感を示していた。
柔らかな息遣いと、多彩な音色、そして力強い表現力。
そんなウィーンフィルの類稀れな美質を十二分に引き出しながら、抜群の構成力で圧倒的な音楽を聴かせてくれたプレートル。
指揮者・曲目変更は、私にとって「吉」と出た。
こんな名演奏の生まれた瞬間に立ち会うことができて、私は本当にラッキーだったと思う。
そして何よりも一年越しで再開した恋人ウィーンフィルが、相変わらず魅力的であったことに正直安堵している。
次回はいつ会えるのだろうか。
再び会える日を、今から心待ちにしている。