出張ウィーク継続中です。
今週は鹿児島~宮崎へ行ってきました。
鹿児島は、実に高校の修学旅行以来でしたが、予想をはるかに上回る大都会!
こんなに活気のある街だったっけ。
ほんと、驚きました。
一方、どこか素朴で温かな雰囲気が、訪れた人の心を和ませてくれます。
加えて、「地鶏」「さつま揚げ」「焼酎」・・・。
すっかり、この街のファンになりました。
さて、そんな九州出張前夜にサントリーホールで聴いたのが、ラトル&ベルリンフィルの来日公演。
少し遅くなりましたが、感想を。
<日時>2008年11月25日火)19:00開演
<会場>サントリーホール
<曲目>
■ブラームス:交響曲第1番 ハ短調 作品68
■ブラームス:交響曲第2番 ニ長調 作品73
<演奏>
■指 揮:サイモン・ラトル
■管弦楽:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
「ラトルは、オーケストラを自然に開かせようとしている・・・」
私がこの日感じたイメージです。
妙な言い方で恐縮ですが、「ソムリエが、ワイン本来の魅力をできるだけ自然に開かせようとする」、そんなスタイルだと感じたのです。
もちろん、天下のベルリンフィルが、硬い状態のワインであるはずがありません。
しかし、ラトルは、ブラームスの音楽が本来持っている姿を、ベルリンフィルという最高の器を通して、ひたすら自然に開花させようとしていました。
ラトルは、オーケストラを力で従わせることも、ドライブすることもありません。
また、カリスマ性で金縛りにすることもしません。
ただただ、自然に音楽を引き出そうとしていました。
まず、右手で拍を刻むことが極めて少ない。
左手で表情を整えながら、目と呼吸で音楽を息づかせる。
強いて例えるなら、カルロス・クライバーの指揮ぶりに似ているでしょうか。
その結果、誰かに強制された痕跡がまったく残らない、まさしくオーケストラの自発性に富んだ音楽を聴くことができました。
でも、オーケストラのアンサンブル能力に少しでも不安がある場合は、この方法は危険でしょうね。
個々の奏者たちの抜群の技量と世界一の合奏能力を誇るベルリンフィルだからこそ、可能だったのかもしれません。
この日の弦は両翼配置でしたが、少し変わった両翼配置。
つまり、左から第1バイオリン、ビオラ、チェロ、第2バイオリン、そして第2バイオリンの後方にコントラバスというポジショニング。
前半の1番では、冒頭から毅然とした早めのテンポで上々のスタート。
しかし、途中、クラリネットが1小節早く飛び出してしまったときは、ラトルも奏者たちも、そして何よりも当人がさぞかし驚いたことでしょう。
私もどうなることかと、食い入るようにステージを見つめていました。
第2楽章では、今シーズン限りで退団する安永さんのソロが感涙もの。
深い情感を伴った演奏に心打たれました。
しかし、終楽章のラスト、ピュウ・アレグロの直前で、ここまで鉄壁のアンサンブルを聴かせてくれた弦に乱れが生じます。
弱音で駆け上がる16分音符を、あくまでもインテンポで弾ききろうとするグループと、クライマックスへ向けてほんの少しだけ粘ろうとするグループに別れてしまったのです。
「あわや空中分解か?」
しかし、かろうじて踏みとどまりました。
でも、危なかった・・・。
思い返してみると、この日ラトルとベルリンフィルの演奏には、大きな特徴がありました。
彼らの深い呼吸感は、私に大きな感銘を与えてくれたのですが、フレーズの終わりでディミヌエンドしたときに、決まってリタルダンドがかかるのです。
また、クライマックスの直前に、音量をがくんと落とす手法が多くみられました。
オペラ的と言ってもいいかもしれません。
しかし、その二つが重なった時に、稀にですが、鉄壁のアンサンブルに乱れが生じたように思います。
これは、ラトルがほとんど拍を刻まないことと無縁ではないでしょう。
この日、私はラトルの横顔がはっきり見える位置で聴いていましたが、ラトルの表情・呼吸から、「少し粘りたいんだろうなぁ」と思いつつも、「ステージにいればやはり迷ってしまうかも」と思う場面も何回かありました。
一方、ラトルのこのスタイルがズバリはまったのが、後半の2番。
これは素晴らしかった。
私が今までに聴いた最高のブラ2のひとつです。
全編を貫く瑞々しい歌、和音の動きに応じて陰影をつけながらデリケートに変化する響き、圧倒的なクライマックス、どれもこれもブラームスがイメージした通りの音楽だったと思います。
休符が「単なる無音」に終わらず、聴き手の息遣いを止めるほど意味深いものであったことも付け加えておきます。
前半だけで終わっていたら、きっと首をかしげながら帰ったことでしょう。
しかし、2番の素晴らしさは、前半のもやもやを見事に吹き飛ばしてくれました。
ラトルとベルリンフィルの「開花させる」スタイルは、歴史的な高みを目指してまだ発展途上なのかもしれません。
少し早すぎますが、次回彼らの演奏を聴くのが待ち遠しくなりました。
今週は鹿児島~宮崎へ行ってきました。
鹿児島は、実に高校の修学旅行以来でしたが、予想をはるかに上回る大都会!
こんなに活気のある街だったっけ。
ほんと、驚きました。
一方、どこか素朴で温かな雰囲気が、訪れた人の心を和ませてくれます。
加えて、「地鶏」「さつま揚げ」「焼酎」・・・。
すっかり、この街のファンになりました。
さて、そんな九州出張前夜にサントリーホールで聴いたのが、ラトル&ベルリンフィルの来日公演。
少し遅くなりましたが、感想を。
<日時>2008年11月25日火)19:00開演
<会場>サントリーホール
<曲目>
■ブラームス:交響曲第1番 ハ短調 作品68
■ブラームス:交響曲第2番 ニ長調 作品73
<演奏>
■指 揮:サイモン・ラトル
■管弦楽:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
「ラトルは、オーケストラを自然に開かせようとしている・・・」
私がこの日感じたイメージです。
妙な言い方で恐縮ですが、「ソムリエが、ワイン本来の魅力をできるだけ自然に開かせようとする」、そんなスタイルだと感じたのです。
もちろん、天下のベルリンフィルが、硬い状態のワインであるはずがありません。
しかし、ラトルは、ブラームスの音楽が本来持っている姿を、ベルリンフィルという最高の器を通して、ひたすら自然に開花させようとしていました。
ラトルは、オーケストラを力で従わせることも、ドライブすることもありません。
また、カリスマ性で金縛りにすることもしません。
ただただ、自然に音楽を引き出そうとしていました。
まず、右手で拍を刻むことが極めて少ない。
左手で表情を整えながら、目と呼吸で音楽を息づかせる。
強いて例えるなら、カルロス・クライバーの指揮ぶりに似ているでしょうか。
その結果、誰かに強制された痕跡がまったく残らない、まさしくオーケストラの自発性に富んだ音楽を聴くことができました。
でも、オーケストラのアンサンブル能力に少しでも不安がある場合は、この方法は危険でしょうね。
個々の奏者たちの抜群の技量と世界一の合奏能力を誇るベルリンフィルだからこそ、可能だったのかもしれません。
この日の弦は両翼配置でしたが、少し変わった両翼配置。
つまり、左から第1バイオリン、ビオラ、チェロ、第2バイオリン、そして第2バイオリンの後方にコントラバスというポジショニング。
前半の1番では、冒頭から毅然とした早めのテンポで上々のスタート。
しかし、途中、クラリネットが1小節早く飛び出してしまったときは、ラトルも奏者たちも、そして何よりも当人がさぞかし驚いたことでしょう。
私もどうなることかと、食い入るようにステージを見つめていました。
第2楽章では、今シーズン限りで退団する安永さんのソロが感涙もの。
深い情感を伴った演奏に心打たれました。
しかし、終楽章のラスト、ピュウ・アレグロの直前で、ここまで鉄壁のアンサンブルを聴かせてくれた弦に乱れが生じます。
弱音で駆け上がる16分音符を、あくまでもインテンポで弾ききろうとするグループと、クライマックスへ向けてほんの少しだけ粘ろうとするグループに別れてしまったのです。
「あわや空中分解か?」
しかし、かろうじて踏みとどまりました。
でも、危なかった・・・。
思い返してみると、この日ラトルとベルリンフィルの演奏には、大きな特徴がありました。
彼らの深い呼吸感は、私に大きな感銘を与えてくれたのですが、フレーズの終わりでディミヌエンドしたときに、決まってリタルダンドがかかるのです。
また、クライマックスの直前に、音量をがくんと落とす手法が多くみられました。
オペラ的と言ってもいいかもしれません。
しかし、その二つが重なった時に、稀にですが、鉄壁のアンサンブルに乱れが生じたように思います。
これは、ラトルがほとんど拍を刻まないことと無縁ではないでしょう。
この日、私はラトルの横顔がはっきり見える位置で聴いていましたが、ラトルの表情・呼吸から、「少し粘りたいんだろうなぁ」と思いつつも、「ステージにいればやはり迷ってしまうかも」と思う場面も何回かありました。
一方、ラトルのこのスタイルがズバリはまったのが、後半の2番。
これは素晴らしかった。
私が今までに聴いた最高のブラ2のひとつです。
全編を貫く瑞々しい歌、和音の動きに応じて陰影をつけながらデリケートに変化する響き、圧倒的なクライマックス、どれもこれもブラームスがイメージした通りの音楽だったと思います。
休符が「単なる無音」に終わらず、聴き手の息遣いを止めるほど意味深いものであったことも付け加えておきます。
前半だけで終わっていたら、きっと首をかしげながら帰ったことでしょう。
しかし、2番の素晴らしさは、前半のもやもやを見事に吹き飛ばしてくれました。
ラトルとベルリンフィルの「開花させる」スタイルは、歴史的な高みを目指してまだ発展途上なのかもしれません。
少し早すぎますが、次回彼らの演奏を聴くのが待ち遠しくなりました。