警察が、経験と、恐らく専門家の意見等も聞いて延べにしたら数百人否、数千人にも及ぶ人数で捜索をしても探し出せなかった行方不明の男の子を僅か30分足らずで発見救助された単独行動のスーパーボランティアの方がおられました。その方がその子を親御さんに引き渡された折、親御さんからお礼の意味が籠められた入浴を勧めらましたが断られました。多分、他の一切のお礼も断られたのだ、と思います。喜寿祝同級会は事前の多くの準備はもっぱら部屋に籠もりじっとPCに向かう事務作業で済んでいました。万端が整った本番ではゆっくり友人達と歓談出来るのでは、との思いがありました。当日の役割である司会進行、代表による挨拶、乾杯の音頭、宴会の司会、万歳三唱の音頭など、それぞれ他の人が担当しましたので私は安心感が強く働いていました。ところが何のその、私の考えは実に甘いものでした。心身両面での酷使が私を待っていました。しかもそれらには即対応しなければならないものばかりでした。日程の全ての場面で色んな状況が出席者によって起きました。その為、常に神経を張り続けていなければなりませんでした。考えてみればそのような現実が本当なのです。34人も寄り合った集団の行動が何事もなく予定通り、計画通り進んでいく筈がありません。今回はまだ、何とか体力も頭脳も対応出来ましたが、終了後、皆が投げかけた「来年もまた」の声に応える余力は私には残っていません。私に対してお礼をしたい旨が告げられましたが、人の命を救われた前述の方でさえ何も受け取られなかったのに、今回の私の労苦の程度で受け取ることなど絶対に出来ません。しかも私も含めた同級会なのに。