飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

一生を終えてのちに残るのは

2023年12月07日 06時59分32秒 | 人生論
「人は得るもので生計を立て、与えるもので人生を築く」
この言葉は、第二次世界大戦時に首相を務め、イギリスを勝利に導いたイギリスの政治家・作家であるウィンストン・チャーチルの言葉である。

この言葉をはじめて目にした20代のときには、なかなか実感として意味が理解できなかった。
我々は生活をしていくためには「お金」が必要である。
だから、一生懸命仕事をして収入を得る。
「お金」で例えるのであれば、「お金」=「得るもの」=「生計を立てる」ということになる。
生計を立てるという部分の大多数は、車を買ったり、家を建てたり、自分のほしい洋服やものを買ったりすることを意味していた。

両親の生き方を見てみても苦労を重ねて3人この子どもたちを育て上げた。
そして、父が亡くなり、母も年老いた今、両親にとって幸せとは何だったのかと考える。
今では数少なくなった戦争体験者でもある両親が可哀想に思えるときもある。
いずれ身内や友人もこの世から消え、両親が人々の記憶から消え去っていく。
もちろん、私自身のこともやがて人々の記憶から消えていく。
私も長生きをしたいと思う。
しかし、ともに苦労し、楽しい思い出を作り、人生を豊かにしてくれた人たちがこの世から去り、自分自身のことを知らない人たちばかりになった世界で生きたいとは思わない。

30代後半になり、ある小説を読んでいてこんな言葉に出会った。
「一生を終えてのちに残るのは、われわれが集めたものではなくて、われわれが与えたものである」
自分が集めたものは、自分の死とともに消えてなくなる。
我武者羅に教師修行に打ち込み、多くのことを犠牲にして身につけ、学んできたことも教職を離れればやがて何の意味ももたなくなる。
そんな虚脱感を感じた40代後半。
担任を離れることになったときに、自分が手にしたものは、時間の経過とともにすべて失われていくんだと思った。

自分のとって価値のあるものでも、他人にとっては価値をもたないものが多い。
しかし、与えたものはそうではないと思えるようになった。
与えるものというのは、自分が持っているもの、持っている情報、自分の気持ちを他者へ与えること。
両親や友人、先輩、同僚から受け取った形のあるもの、形のないものすべては、自分のために使うだけでは意味をもたない。
今振り返ってみると自分の中にあるすべてのことは自分自身で創り上げたものなど一つもないっと実感する。
すべては先人たちが創り上げ、それを自分が受け継いだに過ぎないことばかりだ。
そして、今度はその共有財産をリレーのように次の世代へと伝えていく。
これこそが自分がこの世に生を受けた意味なのかもしれないと思える。
そして、そのことが教育界の進歩や発展につながり、子どもたちの幸せに貢献していく。

自分のとるにたらない人生は、何百万年と続く人類の営みのほんの一瞬にすぎない。
自分が残したいものは何だったのか。
そんなことを考えさせてくれた1年間であった。

SAITANI




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