飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

自分の人生観

2023年10月07日 07時12分01秒 | 人生論
人間は所詮自分の価値観でしかものを考えられない。
それは仕方のないことだ。
生きていれば生活の中で自分なりの意思決定をして行動をしている。
それをいちいち人に尋ね、迷っていたら一歩も前に奨めないということになる。
10人いれば10通りの真実があり、正義がある。
絶対的な真実は存在せず、普遍的な正義の存在しない。
人はエゴイストなのだ。
自分の土俵で、自分の価値観で、自分の人生観で生きている。

自分を客観視することなく、自分の行為は振り返ることはせずに人を批判する。
しかし、その批判した行為を自分もしているのである。
そのことに気づいている人と気づいていない人がいるだけだ。

自己矛盾を分かっている人もいれば、分かっていない人もいる。
また、分かって受け入れて、必死になんとかしようとしている人もいる。

ここで矛盾をさらに感じるのは、自分は基本的に自分勝手で自己中心的にしか生きられないと分かっている人は悩み、苦しむ。
そして、人の批判を受け入れ、淡々と生きる。
その反対に、分かっていない、考えの浅い人ほど正義を振りかざして、自分の価値観を人に押し付ける。
おかしなことだと思う。

似たようなことは世の中にもたくさんある。
電車の中で席を譲った人は褒められる。
しかし、はじめから遠慮して立っていた人は褒められない。
はじめからトラブルや喧嘩がおきないように配慮し続けた人は評価されず、起きたトラブルを処理したほうが評価される。
学級の中には、はじめから頑張っている子がたくさんいる。
そういう子は、当たり前として目立たないし、教師は見逃す。
自分は、そんな子こそ大切にしたいと思っている。

saitani





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