私魚人(あいうおんちゅ)~定年親父の魚三昧:タナゴ仕掛けとガサで出会った魚たち~

50年続けた魚遊び。胴長ガサガサもしんどい。ならば釣りだ!野遊びだ!タナゴから珍魚・駄魚釣りへ!地元の生き物探しへ!

タマリを探し砂留辿る:別所砂留探索隊②

2020-03-15 14:31:47 | 自然
2020年3月15日(日)

一昨日、別所砂留を散策。

砂留は、度重なる大雨土砂災害と闘ってきた地域の民衆の歴史だ。
4番砂留までは山道の傾斜も緩やか。


湿地やタマリも多い。

8番砂留までたどり着く。


画像左側の積石は古い。
なるほど、江戸時代の砂防ダムの作り方はこうだったのか。
右側は数年前の土砂崩れで、つい最近も改修工事がされたようだ。

8番砂留からは急傾斜。
いくつもの砂留が広がる。


ヒーヒー山道を登ると


次々に砂留


さらに砂留


何とも辛抱強く造り続けてきたことだろう。
生活のための田や畑や家を守るため、村人総出で懸命に造ってきたのかもしれないなあ。

私は、時代の支配者が建造した立派なお城とかお寺とかに興味は湧かない。
ところが、歴史的建造物や資料の大半は支配者側の残したものばかり。
支配者になれるわけもなく、支配する気もまったくない立場で生きている。
こんな砂留や民具やなんかがよほど心にフィットするなあ。

水の生き物たちが弱者の立場にいて、人知れず滅びの道を辿ってることと重なってるのかもしれない。

ということで、まずは本流の探索。


こんなか細い流れが大雨の時、牙をむく。

続いて、タマリの探索。


カエルの卵塊くらいあってもよさそうだが、ないっ!


ここもないっ!


おっ!何かもぐった!行方不明じゃ~っ!


たぶんアカガエルの仲間じゃけどなあ。


サンショウウオが産卵に来ても良さそうな軟泥のタマリもいくつかあったんだよね。

はてさて、何か水の生き物は見つかっただろうか!
アチコチのタマリを探しての気付き・発見は次回!

おまけ、割と大きなシダの若葉になる前のコル。


シダの名前は調べても分かりませなんだ。





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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ありがとうございました (浜松屋飲兵衛)
2020-03-16 09:22:45
私魚人さん~お早うございます。

何時も楽しく拝見させていただいてます浜松屋飲兵衛です。
このたびは「オオバン」をご教示賜りありがとうございました。
これからも宜しくお付き合いお願いいたします。
返信する
砂留・・・紹介していただきありがとうございます」 (比企の)
2020-03-16 10:09:02
江戸時代のインフラですね、
ネットをググってみました。Wikipediaにも載っていました。
福山藩の」藩主導による公共事業のようです。地図を見ると灌漑池が多くあるようです。治山治水で新田開発、石高蔵さんのためだったのでしょうか。こうした事業は百姓請願と領主側の政策と両方あったようです。
近くに堂々川砂留があるようです。
80%が森林山林の日本、治山治水でやってきた日本です。
ご紹介ありがとうございました。
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浜松屋飲兵衛さんへ (私魚人)
2020-03-16 18:04:21
コメントありがとうございます。

差し出がましいことと思いつつ、つい生き物の名前となると気になってしまって・・・
できるだけ調べて書いてるつもりでも、間違えてしまうことは多々ありますよね。
ぜひ、私へも忌憚のないご指摘をくだされば幸いです。
返信する
比企の丘さんへ (私魚人)
2020-03-16 18:12:35
コメントありがとうございます。

地域の私よりはるかに詳しく調べられてくださってますね。
うれしい限りです。
歴史はとんとうといもので・・・
堂々川砂留はかなり有名で、長年にわたる保護団体もあり、公園や道路もきれいに整備されてます。
近くの古墳群なども見ものです。

日本という国では、つい最近まで生活のすぐそばにいつも野生の生き物がいたんですよね。
できるだけそんな生き物たちを紹介していければ、と思っています。

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