写真は、先日の津軽探訪で発見したある旧家の茶屋水屋の床柱。
一見してその不思議さに目を奪われてしまった次第です。
建材は竹なのだと思うのですが、
成長の段階で、各節ごとに成長方向を逆側に矮化させて生育させた竹なのです。
まぁ手間の掛かることをしているのですが、
ある時期までの日本の建築にはこういう道楽が存在していた。
こういう種類の「数寄屋道楽」というようなことって、
日本人の感受性のどういった部分に由来するものなのか。
しかし、きのうはある建材商社のみなさんと情報交換していましたが、
こういった銘木って、現在は驚くほどニーズがないそうです。
北海道から始まった住宅の合理的な考え方が、
全国的に波及して行っているのか、
そもそも日本人は、こういった文化とは違う文化に移行したのか、
どう考えるべきなのでしょうか?
日本の建築文化って、
そのデザインの原初は東アジア的な世界の中に位置づけられてきた。
で、他国と比べて、やや奇に向かうようなデザイン性向はあったように思います。
数寄屋というような文化自体、
他国にはあまり見られない文化なのだと言うこと。
そしてその文化の中で、こういった銘木文化も存続基盤があったのでしょう。
こういうことに驚き、悦びあう文化がある階層だけにか、
それとも普遍的に存在していたのか。
わたしのような住宅の変化や流れを見ている者からすると、
たいへん興味深い領域だと思って見ております。
しかし、こんな変なかたちの銘木ですが、
それに差し掛けて棚とか繋げています。
デザイナーと作り手の間で、あるテーマに沿っての協同意志が見える。
一種の芸術表現と考えていたのかとも思える。
その生活文化の違いに、ある驚きを感じながら見入っておりました。