写真は水戸偕楽園・好文亭のひとこま。
日本建築の美は、日常のメンテナンスの積み重なりも大きい。
西洋のように石造りの場合には、そこまで違いがないだろうけれど、
木造建築の場合には、日常の手入れがかなりの違いを生む。
日本の建築は重厚な屋根の建築であって
萱であったり、瓦であったりするけれど、
どちらも庇や軒がしっかりと室内をガードするようにデザインされる。
とくに日射取得をかなり制御してきた伝統建築では
かえって、数少ない日射をどうやって室内に取り込むか
相当の知恵が費やされたのではないかと推測できる。
そういう知恵の大きな部分が「廊下のメンテナンス」だと思う。
一度導入された光は、室内の木の床からバウンドして
再度、室内の天井をほのかに照らし出す工夫が為されていた。
いい家では、かならず米糠も使って廊下を磨き上げてきたのだ。
わたしは1952年の生まれなので、
戦後の高度経済成長時代が始まって、
このような木造建築へのメンテナンス努力の継承よりも
どんどん建て替えて、新しい建築に代替させることのほうが
合理的だというような刷り込みの中にいたと思う。
そういった風潮の中で、日本人が失った
多くのライフスタイルや習慣があった。
このような廊下のメンテナンスなどはその最たるものだった。
しかし、これから時代は大きく転換せざるを得ない。
住宅はこれからも建てられ続けては行くだろうけれど、
これまでのようには、量産はされない時代になる。
そういう時代になって、はたして「家のメンテナンス」というように
日本人の習慣が甦ってくるのかどうか。
一度失われると、なかなか再生できていかないのが
技術と言われるけれど、
こういったライフスタイル、習慣はいったいどうなのか?
それに、そもそもいまの家は愛着を持った住宅になっているのかどうか?
興味深いと同時に、やはり不安の念を感じざるを得ない。