三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

潔さの建築

2012年11月06日 06時37分19秒 | Weblog



きのうはようやく健康を復活させて
室蘭へと往復しておりました。
スタッフと同行でしたので、運転は任せきりでしたので
これもよかったのか、無事要件を果たすことができてひと安心。
で、帰ってからはひたすら寝ていて、休養に努めております。
やはり金曜土曜と無休のような2日間はちとこたえた。
しかし、この2日間交わされた論議は
今後の住宅性能論議にとっても意味が大きかったように思います。

なんですが、2日間、久しぶりに見た
小室雅伸さんの建築について、
本州地区のみなさんから、「いさぎよさのある建築」という
まことに正鵠を穿った意見が寄せられて、
そういう意味でもうれしい思いをしております。
小室さんの建築はいろいろ見てきていますが、
性能をまずは絶対的に優先させて、そこにこだわり、
そこから、デザインを出来るだけシンプルに絞り込んで組み立てていく建築。
いうならば「暮らしの素器」とでも呼べるような
単純化された装置に還元していくように思われる。
それが、テーマの明解さに繋がって、使う人間にここちよさの実感が迫ってくる。
そんな建築のような気がします。
だから奇をてらうようなことは一切しない。
立地環境とテーマを読み解くと、
そこにすべてをシンプルに収斂させる。
東西に細長い郊外の敷地の建物で、
南北方向に目一杯に細長い建物を建てて、
一日の日の光の入りようをデザインした住宅がありました。
「ダルビッシュが冬の間、投球練習できるような家」という
笑いを取ったネーミングを付けていましたが
そういう単純化にまことに潔く集中していくデザインなんですね。

会場になった保育園の園舎は
ごらんのような建築と一体となった庭を持っていました。
RCの平屋屋上部分を緑化し、
そこに向かってスロープを降ろすように緑化をデザイン。
こどもたちの遊び心を誘発するような建築的な装置を仕掛けている。
この単純化によって得られる大らかさのようなものがあって、
建てられる建築に、使うシーンがオーバーラップしてくる。
聞いてはいませんが、きっとこの緑の芝生傾斜には
その強度とか、植生の丈夫さとか、
相当な計算が為されていることが推測されます。
こういう建築の姿勢に、いつも癒される部分を感じる次第です。
コメント
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