先週はふしぎと北大植物園近くで会合が続きました。
写真は、隣接する「かでる27」という建物の最上階から西側を写したもの。
で、ついなつかしく、時間が空いたときに30分ほどですが、散策してみました。
わたしは2才まで栗沢というところに住んでいたのですが、
物心つく頃には家が、この北大植物園近くに移転してきていました。
現在の地名では札幌市中央区北3条西11丁目ということになります。
北大植物園を北東側に見る家だったので、
この森は、自分の家の庭のようにして見ていた森でした。
なので、記憶のなかに大きい部分を占めていて、
木々の枝振りなどに当時の視覚が甦る部分があります。
とはいっても、もう40年以上の歳月が経っているわけで、
そのように思うのは錯覚なのかも知れません。
この北大植物園というのは、開拓以前の札幌の原風景を
そのまま、自然状態で保存しておこうという考えで残された森。
いろいろな樹種が入り乱れる混淆林です。
札幌はアイヌの人たちの地名ではサトゥポロペツ、大きくて平坦なところ、
ということだそうですが、園内は結構、起伏にとんでいます。
わたしの子どもの頃には、園内にツキノワグマが飼育されていて、
って、そう、なぜかヒグマじゃなくてツキノワグマだったんです(笑)。
月夜には、夜空に声高くその鳴き声が響き渡っていました。
中心部の喧噪も消える深夜、その鳴き声はなんとも印象深かった。
子どもにはなんとも不気味であったかも知れないし、
逆に実にユーモラスでもあったような記憶がある。
って書いていて気付いたんですが、正確にあの鳴き声が
ツキノワグマのものという確信は持てていません(汗)。
小さい頃はそのような話が子どもたちの会話で行き交っていたのです。
考えてみたら、ツキノワグマが月に向かって吠えるものかどうか不明です。
ひょっとすると、同じ場所で飼育されていたエゾオオカミだったかもしれませんね。
でも、都会化は進行していたとはいえ、
北海道らしい、というか、そんな野生の叫び声も聞こえてくる環境だったんです。
園内を散策していたら、ある建物の中にそのツキノワグマのものとおぼしき
剥製が展示されていて、そのことが思い出され、
ガラス越しに思わず、なでてやりたい気持ちにかられました(笑)。
園と周囲との間の柵は子どもの当時、竹製だったもので、
悪ガキどもは、竹の下の方を破って、不法侵入を繰り返しておりました(笑)。
まるで、野生の動物のようにすばしっこく、自力で開けた穴から、
自由自在に出入りしていた、ようでした(笑)。
いまは立派な鉄製の囲いになっているし、子どもたちも
そういうワイルドさは失われていますね。
もちろん、とんでもない行為ではあるのですが、
まぁ、子どもたちの遊び場として使われることに大人社会も寛容だったと思います。
園内には至る所に池のような沼のような水たまりがありました。
札幌は開拓当時、一帯、そのような地域だったようです。
そのために灌漑施設として、人工の用水路を掘削したのです。
それが「創成川」という、なんともそのまんまの名前の川。
そのため、記憶のなかにあった沼や池は、その痕跡だけで、
いまはすべてと言っていいくらい、干上がってしまっています。
これはまぁ、しょうがないだろうな、と思いますが、
こうした水辺では、強い羽音の「オニヤンマ」などのトンボが力強く輪舞していたのです。
ビオトープとしての自然輪廻は、失われている部分もあると思います。
札幌の街もずいぶん変貌を遂げてしまったのですが、
市内中心部でも、こんなふうな自然そのものがあって、
都市でありながら、大自然の営みも感受することが出来る、
そんな土地柄だったんです。
ツキノワグマかエゾオオカミの吠え声なんて、もう一回聞いてみたいと思うのですが、
今の時代には、近隣から迷惑だという声が出るかも知れません。
残念ですが、ちょっと笑えないような隔世感。
わたしたちの世代を超えて、
ずっと後の世代まで、こういう森を残していきたいものだと思います。