長岡京エイリアン

日記に…なるかしらん

在りし日の名曲アルバム  鬼束ちひろ『蛍』

2015年08月11日 21時51分10秒 | すきなひとたち
 はいどうもこんばんは! そうだいでございます~。
 さてさて、今年の夏も半ばに入りまして、待ち遠しいお盆休みが始まろうとしております。
 あの……山形もあっちぃよ! 日中の暑さ自体は千葉とそんなに変わんないよ!!
 でも、やっぱり朝夕ちゃんと涼しくなってくれることと、台風がなかなかやって来ないことというアドバンテージはでかいですね。山形市は堂々たる盆地なので湿気はちゃんとあるのですが、千葉市みたいな潮くさい日もないしね。あ~やっぱ実家はいいわぁ。

 そういえば、山形市じゃないんだけど、私の勤務先の近くの山では毎年夏に「ほたる祭り」っていうのをやってるんですって。7月だから今年はもう終わっちゃってるんですけど、生の蛍鑑賞を楽しめるっていうのも、千葉の一人暮らし時代にはなかなかできないことでしたねぇ。いつか行ってみたいね!

 ということで今回は、鬼束ちひろさんの数ある名曲の中でも、私そうだいが文句なしのナンバーワンで大好きなこの曲についてでございます! 相変わらず導入がぎこちない!!


鬼束ちひろ『蛍』(2008年8月6日リリース UNIVERSAL SIGMA )

時間 11分31秒

 『蛍(ほたる)』は、鬼束ちひろ(当時27歳)の14thシングル。本作で初めて、坂本昌之(当時43歳)を音楽プロデュースに迎えて制作された。
 オリコンウィークリーチャート最高11位を記録した。

 本作リリース後の9月26日、2002年以来およそ6年ぶりの全国コンサートツアーとして予定されていた『 CHIHIRO ONITSUKA CONCERT TOUR 2008 VEGAS CODE 』全5公演が、極度の疲労による体調不良のため中止となったことが所属事務所から発表され、これによって鬼束は、翌2009年5月20日の15thシングル『 X/ラストメロディー』のリリースまで、約8ヶ月間の休養期間に入ることとなる。


収録曲
作詞・作曲  …… 鬼束 ちひろ
プロデュース …… 坂本 昌之

1、『蛍』 5分59秒
 ピアノとストリングスを基調としたバラード。リリース直前の同年7月のインタビュー記事によれば、楽曲そのものは復帰前後の2007年3月に書き上げられ、レコーディングは翌2008年1月に行われた。「美」を念頭に置いて歌詞を書き上げるために、本人曰く「あえて小説を書くようにして書いた。」という。
 そのため、8月公開の映画『ラストゲーム 最後の早慶戦』(監督・神山征二郎)への主題歌としてのタイアップは楽曲が制作された後に決定したが、鬼束自身は「この曲は映画の主題歌になるんじゃないかなと思っていた。」と語っている。

2、『 HIDE AND SCREAM 』 5分32秒
 アコースティックギターを基調とした楽曲。楽曲そのものは2008年2月に書き上げたもので、本作のカップリングのために制作された。リリース当時のインタビュー記事によれば、作品の構想は前年の2007年頃からあり、NHK の子ども向け音楽番組『みんなのうた』で使用されるような楽曲を意識して作ったという。


 いや~、ついにここまで来ましたか。14thシングル!

 私ね、ほんっとに大好きなんですよ、この『蛍』が。次に好きなのは『 Sign』となります。
 個人的な話をしますと、このシングルは私が記憶する限り、最後に CDショップの店頭で買った CDシングルとなります。あとはもう、もっぱらネットでポチーで。
 懐かしいですね……この2008年あたりまでは、ヒマさえあったら自転車で JR千葉駅周辺のお店に通ってたんですよ。ヨドバシカメラの上とか。
 それで、ある日ふと見たら新譜の棚にひっそりとこのシングルが置いてあったので、「あっ、久しぶりに見たな鬼束さん。」と思ってなにげなく買ったんですよね。
 当時の鬼束さんに関する記憶をたどってみますと、昨年にどどっと出た感じの小林武史プロデュースによる2シングルと1アルバムだったのですが、個人的にアルバム『 LAS VEGAS』が「う~ん……まだ様子見か。」という印象だったので、ほんとにさほどの期待感もなく買っただけのことだったのです。バイトの給料が入りたてとかで財布のひもがゆるんでたのかな?

 それがあーた、家に帰って聴いてみたら、とんでもねぇ大傑作、大名曲だと感動してしまいまして。いやほんとにビックリしたんですよ。ベテラン歌手の域に入った鬼束さんの新境地、もうばっちりできてるじゃんと!

 何がすごいって、作品の質と言いますか、聴いてイメージする映像の解像度が、過去作品とは別次元になってるんですよね。油絵と4K デジタル映像くらい違う!

 いや、別に油絵的なイメージ世界が劣っていると言うつもりはないのです。抽象的な世界の良さもあると思いますし、特にキャリア初期の鬼束さんにいたってはその曖昧模糊とした世界が持ち味と言いますか、楽曲同士で生じる感情の矛盾さえも「それが人間でしょ!」と許容するところを出発点としていたと思うのです。
 ただ、私が2007年の活動再開後の鬼束さんについて感じていたのは、当時「自分の主観ではなく客観的に作詞していくことにした。」と表明していたかと思うのですが、その手法にのっとった作品はそれほど目立たず、結局はそれまでの作詞法と変わらないぼんやりした世界観の作品が多いなという不満だったのです。小林武史プロデュースという新体制にありながらも、なんか新しい地平を本格的には実感できないと思っていたんですね。
 これに関しては、どうやら鬼束さんがそうとう昔に制作していた楽曲も織り交ぜてリリースしていたから、という事情もあったようなのですが、そういったまだらな印象も、直近のアルバム『 LAS VEGAS』には色濃く影を落としていた気がします。

 ところが、それからおよそ1年も経とうかという頃になってポツンと世に出たこの『蛍』こそが、鬼束さんが言っていた客観的な、物語としての確固たるディティールを持った世界を本当に体現した作品だったのです! 有言実行、鬼束さんの新時代はここに完成した!!
 でも、そこに小林武史さんはいないという、このすれ違いね……やっぱ九州人と山形県民は合わねぇんだがず!?

 小林さんはどうしていたのかと言いますと、2008年頃はおそらく自身のミュージシャン、作曲家としての活動に力を入れていたようなので(映画や TV向け音楽のベストアルバム発売や環境保護などを目指す団体「 ap bank」としての活動など)、仲たがいとかそういうことではなく単純に他アーティストをプロデュースするヒマが無くなったということのようです。自由人ね……

 そうなのです。この『蛍』以降、鬼束さんの楽曲のプロデュースを務めるのは、ご自身キーボーディストとしても大活躍なさっている坂本昌之さんに代わります。しれっと坂本プロデュース時代に入っちゃってたよ!

 でも、この「しれっと」感こそが坂本プロデュースの真の魔力なのでありまして、坂本昌之さんは数多くの錚々たるアーティスト達の楽曲の編曲を手がけており、平原綾香さんの『 Jupiter』(2004年 共同プロデュース)や徳永英明のカバーアルバム『 VOCALIST』シリーズ(2005~15年)のほぼ全曲の編曲を務めるなど、幅広い才能の傍らに「しれっと」寄り添うことを得意とするプロの現場肌ミュージシャンなのです。この名参謀感……黒田官兵衛孝高かな? あ、あと『おジャ魔女カーニバル!!』の編曲も手がけておられるそうです。守備範囲広いな~!!

 それで、話を『蛍』に戻すのですが、この作品の楽曲世界をイメージする時の、映像としての解像度、ドラマ性の高さはかなり用意周到で、聴けば聴くほど「見事なりィ!」とうなってしまうものがあるんです。

 『蛍』の歌詞の特筆すべき点は、タイトルにも出てくる「蛍」というモノが、「あたし」と「あなた」の間にはっきり存在していて、あたしが自分の想いを仮託し、濃厚にあなたの記憶を思い起こさせるキーアイテムとして機能しているということです。つまり、あたしとあなたという2つの関係か、あたしだけしかはっきりしていなかったような鬼束ワールドにあって、ここまで第3の存在がばっちりクローズアップされている作品は、かなり珍しいのではないでしょうか。
 そしてもっと重要なのは、蛍に仮託しなければいけない状況にあたしが陥っており、それでもなお蛍に想いを訴え続けることでしか、あなたとのつながりを確かめることができないという、あたしとあなたとの「絶対的な距離」を、この蛍が明確に証明する存在になっているということなのです。これは、物語をドラマティックにする「逆境」の存在を、直接言わないのにはっきり感じさせるかなり高等なテクニック!

 これまでも、多分なんかの事情であたしとあなたとの間に物理的もしくは精神的に大きな隔たりがあって、その溝を謳っている設定の鬼束さんの作品は、それこそ『月光』の頃から山のようにあったと思います。
 しかしそこは「なんか事情があるんです。」というふわっとした前提扱いであえてはっきりとは語られず、またそこに聴く人がそれぞれの実生活での隔絶の事情を当てはめて感情移入するという楽しみ方があったわけなのですが、それがゆえに楽曲全体のイメージがかなりボヤっとしたものになるという弱点も鬼束ワールドにはあったかと思うのです。また、実生活でそんなに隔絶なんて感じないナというリア充な階級の方々にはぜんぜんピンとこないという諸刃の剣でもあったでしょう。

 しかし! 今回の『蛍』では、日本人だったらたいていの人は簡単にイメージすることのできる「蛍」という映像がサビのたびに強調され、そのはかない光を見つめるあたしという姿も、ありありと想像することができるのではないでしょうか。そしてこの蛍をサポートするかのように、歌詞の中では「一縷の雨」、「指を絡める」、「汗ばむ熱」、「涙で霞む夜空」、「ガラス越しでもかまわない」などと、ちょっと今までの作品には見られなかったような、具体的で生々しい描写がちりばめられているのです。いろいろとドギツい表現もざらに流れているこの平成の御世では、そんなもん大したことはないと言われるかもしれませんが、これらの言葉を、あの宮崎県木フェニックスのように真っ直ぐで芯が太く、宮崎名産マンゴーのように情熱的な鬼束ちひろの歌声が語っているのかと思うと、ドキッとしちゃいますよ! そこはパッションフルーツじゃないんか……

 情景をはっきりイメージできる過去の鬼束作品というと、ほぼ唯一の例外として『いい日旅立ち・西へ』が挙げられるのですが、これはもう言うまでもなく作詞者と作曲者が鬼束さんじゃなかった(ちんぺい)から当然のことです。なので、この『蛍』における文学的な詞世界は、まさにエッセイが短歌になった、くらいの大変革&深化なのではないでしょうか。どうした鬼束さん!? 女流文学者ちひろ!?

 あたしが仮託する存在という点で鬼束さんの諸作をもうちょっと振り返ってみますと、たとえば『 Sign』における「星くず」なんかは仮託するものとして機能しているように聴こえるのですが、よくよく聴いてみるとあたしが君の部屋の窓を叩くための、ほぼ手そのものみたいな「手段」になっちゃってるので、仮託とは言えないような気がします。今回の蛍とは、ちょっと切実度が違うんですよね。まだまだお子ちゃま!

 ただ、こうやって鬼束さんの諸作の中での「キーアイテム」をざっと見ていきますと、『月光』とか『流星群』とかって、タイトルにはでかでかと出ているのに歌詞の中では一っ言も触れられないんですよね! つまり、具体的にイメージできる単語なのに、肝心の作品の中ではいっさい使用しないのです。この修行僧ばりに厳しすぎる「自分縛り」な作詞法も魅力的ではあるのですが、ついにここにきて鬼束さんは自らに課した禁をやぶり、「タイトルどストレート、内容どストレートじゃい!!」という、2013年夏の甲子園準優勝の宮崎県代表・私立延岡学園高校も整列して脱帽する正面突破攻勢に出たのです。かなり分厚いもやが消えたかと思ったら、全軍「車懸かりの陣」で攻めてきやがった(異説あり)!! 越後の龍かな?

 いや~、ほんとに腰を抜かしました。なんだこのフォームチェンジはと。
 いえいえ、スタイルを変えること自体は、鬼束さんもキャリアが長くなりましたし一度や二度のことではなかったのですが、ここまでバチコーン!とハマった変更は無かったのではないでしょうか。
 聴くものの心に同化することで感動を呼び起こしていた鬼束ワールドが、ここにきてついに、「いつどこで誰が聴いても心を揺り動かされる」絶対的な力を手にしたのではないか。相対的から絶対的への変化。正直言って、どっちが勝っているとかいう優劣の問題ではなく、初期の鬼束作品だって永遠の生命を得ている名作はたんとあるのですが、ただひとつ言えることは、この『蛍』こそが、鬼束さんが名実ともに初めて世に出した「歌謡曲」だったのではないか、ということなのです。それまでの作品はほぼ全て「 Jポップ」か「節をつけた一人がたり」の範疇ですよね。もちろん、それでも良いものは良いのですが。

 ここで「歌謡曲」と言ってしまうとガクンとスケールダウンしてしまうような心配もあるのですが、老若男女、鬼束さんより年上の世代も、デビュー時の鬼束さんを知らない新世代も、全員が聴いて心を動かす歌。それこそが歌謡曲だと思うのです。哀しい出来事があって気持ちが落ち込んでいても、陽気に居酒屋やカラオケボックスではしゃいでいても、いつ聴いてもじんわりと心にしみてくる歌謡曲。この域に、『蛍』は絶対に到達しているのです。
 その証拠と言っては何なのですが、この『蛍』が神山征二郎というそうとうにシブい映画監督の作品の主題歌に抜擢されたというのも、決して事務所的なタイアップというだけでは済まされない必然だったのではないでしょうか。しかも純然たる反戦映画ですよね。最高じゃないですか!

 とにもかくにも、この『蛍』は、それ以前の鬼束作品とは一線も二線も画するとてつもない名曲だと思います。その良さはもう、私が何万字使って述べ立てるよりも、ちゃっちゃと聴いていただくことが一番に決まっているのですが、それでもここまでだ~らだらとしゃべらせていただきました。この曲、ボリュームが約6分ということで鬼束さんの作品の中でもけっこう長い方なのですが、その長さを微塵も感じさせない構成もものすごいですよね。聴いていると、もしくは唄っていると、あっという間に終わりますよね。まさに「一瞬が永遠」で、「全ての時が一瞬」……魔力です。

 この曲を制作した時の鬼束さんのお喉のコンディションも最高だったのではないでしょうか。この『蛍』が録音されたのは2008年1月だったとのことなのですが、この後は4、7、8月と単独コンサートやライブステージを順調にこなしており、主題歌となった映画の公開に合わせて8月にこの『蛍』をリリースしています。このシングルがもっと早く、4月のコンサートの勢いに乗る形でリリースされていれば話題性も抜群だったのに……とも考えてしまうのですが、映画の公開が夏って決まってただろうし、だいいち春に「蛍」を売るわけにもいかないもんねぇ。つくづく、シングルリリースの翌月に全国ツアーをキャンセルする事態になってしまった悲運が悔やまれます。タイミングぅ~!!

 たぶん、「もうちょっと反響があってもいいんじゃないか」という印象を当時の鬼束さんも抱いたんじゃないかと思うのですが、これがベテラン歌手のつらいところなのか、作品の良さだけじゃなくて、それをひっさげたツアーとか媒体露出もセットでこなせないと、いろいろ大変なんですねぇ、芸能界って。
 ともあれ、坂本昌之プロデュースという新体制はしれっとながらも産声をあげました! ここから鬼束さんは一体どのような路を進んでゆくのでありましょうか!?
 我が『長岡京エイリアン』における鬼束さん作品の振り返り企画といたしましては、ついに最終コーナーを回ったかという局面に入りました。入ってしまいました……自分で勝手に設定しておいてなんなのですが、寂しくつらい気にもなってしまいます。でも最後の作品まで愛をこめて、はりきってまいりましょう!!


 ……え? カップリングの『 HIDE AND SCREAM 』? あぁ、う~ん……

 完全なる「鬼束さん節」ですよね。『蛍』であそこまで変わったからと言って、全部まるっとチェンジしたってわけでもないという、この「ふりだしにもどる」みたいな脱力感というか、連環の理というか……実家に帰ってきた感!? 
 タイトルからして「かくれんぼ」を意味する英語「 hide and seek」のもじりのようなのですが、「 seek(探す)」の代わりに「 SCREAM(叫ぶ)」があるということは、「君」という相手がどこにいるのか見当もつかず、探すきっかけさえつかめずに泣き叫ぶだけという「僕」の心情を象徴している言葉のようです。サビの部分で執拗に繰り返される「知ってるつもりだよ」という言葉も、僕が確信を持って君のことを知っているよと断言できない不安をあらわしていますよね。
 そして、ここでも鬼束さん流、昔ながらの「タイトルと内容が直結しない」法の典型となるのですが、「 SCREAM」と言いつつも、曲自体は表面上きわめて穏やかでゆったりとした、それこそ NHKの『みんなのうた』で流れていてもおかしくない子守歌のような体裁を取っているのです。
 ここもまた、鬼束さんのすごいとこなんですよね! 静かに唄えば唄うほど逆に怖くなると言いますか、内に秘めた叫び出したくなるような不安と狂気を感じさせるというね。もうなんか、聴いてるだけで、それを唄う鬼束さんのかんばせにべったりと貼りついた作り笑いが見えるようではありませんか。怖いな~、ヤだな~!!

 歌詞を読めば僕と君はすぐ近くにいるようでもあるのですが、心はかなり離れた距離にある、もしくは離れそうになっていることを不安に思っている心理を、まさに鬼束さんの独擅場といった感じで謳いあげているコワい一曲だと思います。この2人の関係は、果たして恋人同士なのでしょうか。幼なじみのようでもあるし、はたまた親子なのか。異性か? それとも同性か。
 この曲、決して『蛍』といい位置関係にあるとは言えない水と油みたいな異質の作品だとは思うのですが、これもまた隠しようのない鬼束ワールドのひとつということで、ね。

 しっかしまぁ、日によって視界が澄み切ったり五里霧中になったりと、鬼束ワールドの天候は情緒不安定どころじゃありませんな!

 やはり、この世界をケルティックサウンドで飾ろうとした羽毛田さんの直感は、正しかった、とでも、言うのだろうか……キャ~!!

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