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長岡京エイリアン

日記に…なるかしらん

あらためて立ち返ろう読書メモ 小説『帝都物語外伝 機関童子』

2025年05月21日 23時42分37秒 | すきな小説
 どどどどど~もこんばんは! そうだいでございます~。
 なんか、ここ数日暑かったり寒かったりの差が大きいですが、みなさまお元気でしょうか? 私はもう風邪ひきそうです……な~んか、それなりに身体を動かすお仕事をやってるので、今さら長袖に戻れないみたいな気分があるんですよね。臨機応変な対応が苦手!

 え~、今回も今回とて、荒俣宏先生の『帝都物語』関連作品の感想記事なのですが、なんか、今どきの時勢なんか完全無視で始めたつもりだったのに、最近、角川書店のおばけ専門雑誌『怪と幽』の最新号(4月28日発売)で、荒俣先生ががっつり特集されてたんですってね。なんかタイムリーでうれしいんですが、そういえば今年は『帝都物語』40周年のアニバーサリーイヤーでしたわ! まぁ、『帝都物語』のリアルタイム世代ではない私にとっては(生まれてたけどガキンチョで話がわからなかった)、田島昭宇のカバー画による合本新装版の刊行30周年のほうがしっくりくるんですが。
 別に我が『長岡京エイリアン』では、40周年ということには全く気づかずに、自宅の積ん読消化の順番がやっと回ってきたからという感じで読み始めていたのですが、こういうのも奇縁なんですかねぇ。それにしても、他ならぬ角川書店が荒俣先生の特集を忘れずに組んでくれるのはいいことですよね。できれば今回取り上げる作品のように、今年も荒俣先生おんみずから『帝都物語』サーガの最新作を生み出していただきたかったのでありますが……やっぱりそうポンポン易々とは出ませんか。でも、まだまだ77歳か! 若いですねぇ。
 『怪と幽』には最新エッセイが載っているらしいのですが、当面、わたくしは購読はしないと思います。だって、表紙の丸尾末広先生のイラストが何かパワー不足で、そっちのほうにガックリきちゃって……荒俣先生に似てないですよね? 変わらず上手かも知んないけど。
 丸尾先生も、昔はほんとに大好きだったんですが……まだ70歳でもないんでしょ!? なんかずいぶんと丸くなられたような。「丸尾」なのにぜんぜん丸くないのが丸尾先生だったのにぃ!! まぁ、アグレッシブさを他人に求め続けるのも理不尽な話ですからね。


 そんでもってかんでもって本題に入るのですが、いや~私、実は『帝都物語』関連作品の中でいちばん愛憎半ばする想い入れが強いのが、実は『帝都物語』正編を差し置いてこの作品なんですよ! ほんとうに大好き、この外伝。
 なんてったって、大好きなキャラクターがウルトラ怪獣では改造ベロクロン2世(超獣だけど)、『スター・ウォーズ』シリーズではグランドモフ・ターキン、『ゲゲゲの鬼太郎』ならおぬら様、『エヴァンゲリオン』シリーズではエヴァンゲリオン量産機、『平家物語』なら平宗盛卿という私でございますから。
 っていうか、そういうひねくれまくった嗜好になった根本原因こそが、中高生時代の1995年に出逢ったこの作品にあるのかもしれない……


『帝都物語外伝 機関童子』(1995年6月)
 『帝都物語外伝 機関童子(ていとものがたりがいでん からくりどうじ)』は、荒俣宏の魔術伝奇小説。『帝都物語』(1985~89年)の合本新装版6巻の刊行と同時に角川書店角川文庫から書き下ろし刊行された。
 本作に『帝都物語』シリーズの登場人物は再登場しない。

あらすじ
 1998年4月、暗澹たる時代へと変質していく世紀末。
 闇の東京郊外・青梅市藤橋に、からくり芝居を催す奇怪な一団が現れた。彼らは秘術により『帝都物語』の魔人・加藤保憲を現代に復活させようとしていた……しかし、この一団は近所の精神病院から抜け出した患者たちの演じる行進にすぎなかった。
 病院の医師・高山利郎は、患者たちのこの奇行を独自に調査した結果、『帝都物語』の世界があまりにも現実世界と酷似していることに愕然とする。そして、架空であるはずの加藤が実在していたのではないかと疑い始めるのだが……


おもな登場人物
高山 利郎
 国立精神医療センターに勤務する主任医師。40歳を過ぎたばかりだが頭髪が薄くなっている。恰幅が良く丸顔の男性。看護師のクミと交際している。コンピュータ用の脳波検出ツール「イーヴァ」を駆使して患者の脳波パターンから治療法を探る手法を得意とする。

石原 敏彦
 国立精神医療センターに勤務する医師で、高山の同僚。

慶間 泰子(けいま やすこ)
 高山と同い年の旧友で、東京・渋谷の青山学院大学に勤務する英文学の講師。大きな目で高い鼻、声の高い女性。乗用車は練馬ナンバーのシルバーのベンツ。アメリカで流行しているインターネット小説と、18世紀末のスイスの時計職人で発明家のジャケドロー父子が開発した自動人形を研究している。

潮永 洋周(しおなが ようしゅう)
 国立精神医療センターに多重人格症状により入院している精神分裂症患者。患者で組織された「まぼろし座」では魔人・加藤保憲の役を演じている。異様に長く伸びた顎、鷲鼻、薄い唇、般若の面のような冷笑を浮かべる長身の男性。映画版『帝都物語』で加藤を演じた俳優の嶋田久作によく似ている。

熊谷 杏子
 国立精神医療センターに入院している患者。身長170cm。36歳。患者で組織された「まぼろし座」では目方恵子の役を演じている。目つきの鋭い一重まぶたの女性。

中尾 進三
 国立精神医療センターに入院している患者で、もと傀儡師。やつれた顔つきの小柄な中年男性。「まぼろし座」では魔人・加藤保憲を模したからくり人形「機関童子(からくりどうじ)」を操作する。

福田 孝
 国立精神医療センターに入院している患者。苦行僧のようにかなり痩せた体型の男性。「まぼろし座」では太い竿で身体の前後に大きな荷箱を担ぎ運んでいる。

安藤 クミ
 国立精神医療センターに勤務する看護師。医師の高山と交際している。

栗田 弘子
 国立精神医療センターの第四病棟に勤務する看護師。大男の患者も取り押さえられる腕力の強い女性。

黒田 龍人
 風水師。1958年7月生まれの痩せた男性。「都市村落リゾート計画コンサルタント」として東京都中央区九段の九段富国ビル5階1号で事務所「龍神プロジェクト」を開いているが、インテリアデザイナーとして風水の鑑定も行っている。風水環境をシミュレーションできるコンピュータプログラム「シム・フースイ」の開発者の一人。黒が好きで、黒い長髪に黒いタートルネックセーター、黒のギャバジンのスラックスズボンに黒い丸型のレイバンサングラスで身を固めている。祖父の黒田茂丸が満州帝国の首都・新京で撮影した、加藤保憲と目方恵子の写った写真を所有している。

加藤 保憲
 明治時代初頭から昭和七十三(1998)年にかけて、帝都東京の崩壊を画策して暗躍する魔人。紀伊国龍神村の生まれとされるが、詳しい生い立ちについては一切不明である。
 長身痩躯で、こけた頬にとがった顎、さっぱりとした刈上げといった容姿で、眼光は鋭く、身体の大きさに似合わぬ軽い身のこなしが特徴的である。黒い五芒星(ドーマンセーマン)の紋様が染め抜かれた白手袋を着用している。剣の達人で刀は孫六兼元を愛用する。 極めて強力な霊力を持ち、あらゆる魔術に精通している。とりわけ陰陽道・風水・奇門遁甲の道においては並ぶ者のいないほどの達人であり、古来最も恐れられた呪殺秘法「蠱毒」を使う。天皇直属の陰陽道の名家・土御門家が総力を挙げても彼一人に敵わない。太平洋戦争中に秘術「屍解仙」を用いて転生したため、年齢は100歳を超えながらも外見は30歳代の若さを保っている。さまざまな形態の鬼神「式神十二神将」や「護法童子」、妖怪「水虎」などを使役し、平将門の子孫を依代にして将門の大怨霊を甦らせようとしたり、大地を巡る龍脈を操り関東大震災を引き起こしたりした。
 『帝都物語』本編では屍解仙の状態のまま1998年まで生存していたが、本作ではそれは『帝都物語』の作者である荒俣宏の創作か誤解釈であり、実際の加藤は昭和四十五(1970)年11月の「三島由紀夫割腹自殺事件」の際に、三島と共に死亡したと語られている。

目方 恵子
 福島県にある、平将門を祀る相馬俤神社の宮司の娘で、自身も将門の末裔にあたる巫女。加藤保憲に闘いを挑んだが敗れた。1894年か95年生まれ。


おもな用語解説
箱まわし(人形まわし)
 傀儡(くぐつ)人形を使った見世物芸。しかしその原型は、古代中国大陸で行われていた死者の霊を呼び返すために、霊の降りる依り代として作った人形(ひとがた)を繰り回す呪法だった。

機関童子(からくりどうじ)
 愛知県内各地の祭礼で、繰り出される山車(だし)の上で舞う、主に中国の明・清時代の子どもの衣装を着た唐子(からこ)人形のこと。愛知県では、犬山市の犬山祭での唐子人形による「からくり山車」、愛知県のからくり人形師・初代萬屋仁兵衛(1950~95年)作の「牛若丸の乱杭渡り」などのアクロバティックな舞が有名であるが、豊川市・牛久保八幡宮の「若葉祭(別名うなごうじ祭)」では人間の子どもが唐子の扮装をして「からくり童子」となり、山車の上で曲芸を舞う。牛久保八幡宮のからくり童子は単に人形の真似をするのではなく、「神の子」として人間でない動きを模倣するために無表情でぎこちない動作になるのだと伝えられている。ちなみに、日本古来の神道では神や霊に仕える存在は「童子」と呼ばれる。

心串(しんぐし)
 からくり人形の中心にある軸棒のこと。串は古来、天と地・生と死・現世と冥界をつなぐものとされ、神事で捧げる玉串も、神と人間との間をつなぐ役割がある。特に依り代としての人形に不可欠な心串と女性との結びつきは強く、日本の傀儡師は人形回しをしながら女性用のかんざしや櫛も売っていたといわれ、中世では遊女のことを「傀儡(くぐつ)」と呼ぶこともあったという。

風流(ふりゅう)
 平安時代から流行していた、派手で華美な大仕掛けを使った祭礼や行列のこと。仮装や化粧をしたり、山車や鉾、巨大な怪物の模型を作って練り歩いたりするほか、大量の灯りを焚いたり太鼓や笛を大音量で演奏したりすることや奇矯な踊りや舞を披露することも風流に含まれる。その目的は悪霊を祓い良い霊を現世から送り出すことであるとされ、現在の盆踊りや精霊流し、阿波踊り、青森のねぶた祭、祇園祭、岸和田のだんじり祭などがその伝統を引いている。このような日本の風流と似た風習行事は、西洋世界でもキリスト教以前から存在しており、現代にも残るリオやヴェネツィアのカーニバルがその流れを汲んでいる。
 この風流には、霊を降ろし霊を浄めるからくり人形も深く関係しているとされ、風流で多く見られる大きな傘をさした女性の行列も、傘が霊の降りる場所である「心串」と同じ役割を持っていると考えられる。こういった関連から、派手な化粧をして華美な着物をまとった最高位の遊女「太夫」が大きな緋色の傘を差しかけられながら花街を練り歩く花魁道中も風流と同じ意味合いがあるとされ、遊女と霊を降ろす巫女とが同じ存在であることを象徴している。
 現代でも、岐阜県垂井町・南宮大社の「五月祭」では風流をともなう「蛇山神事」が行われ、そこでは高さ13m もの櫓「蛇山」の上に現れた巨大な龍のからくり人形が首や口を大きく動かす。また、蛇山の隣の山車「だんじり」では大きな龍頭の獅子舞が男子4名によって舞われ、女装した子どもが片袖を脱いで女歌舞伎のように舞う「脱ぎ下げ舞」も披露される。

桂女(かつらめ)
 かつて、京都の桂川でとれた鮎を頭に乗せた籠に入れて売り歩いていた行商の女性のこと。しかし、やがて桂女は白装束に白い布を頭に巻いて町を歩く遊女兼巫女の仕事も行うようになり、歌や踊りを得意としながら占いも行い、名前の中に「かつ(勝つ)」があることから武士階級にも重用されていた。この桂女の白一色の異装は、現代の花嫁衣裳の白無垢や角隠しにも通じるものがあり、これは古代日本の第十四代・仲哀天皇の正妻である神宮皇后(4世紀後半ごろ)が三韓征伐の途上で産気づいた際に、従った侍女「伊波多姫(いわたひめ)」が白い布で皇后の腹を巻いて安産に導いたという故事に基づく。そのため、伊波多姫の末裔とも言われる桂女もまた、安産の守り神として尊崇されている。

傀儡子記(くぐつき)
 平安時代後期の公卿・大江匡房(おおえのまさふさ 1041~1111年)が当時の芸能文化を記録した書物。全1巻。寛治年間(1087~94年)以降の成立とみられる。これによると、当時の傀儡子(傀儡 くぐつ)は人形を操る芸人のことであるが流浪の徒であり、男の傀儡は弓馬を使って狩猟し、剣の演武や人形舞い、手品なども行う。女の傀儡は化粧を凝らし歌舞や売春なども行う遊女の役割も持っていた。生活は不安定であるが課役徴税は受けず、夜は百神を祭って鼓舞するといい、本書には彼らの集う名所や歌曲のレパートリーが列挙され、当時の社会風俗をうかがう上で貴重な史料となっている。

四三(しさん)
 1180年ごろに後白河法皇が編纂した歌謡集『梁塵秘抄口伝集』に登場している、平安時代後~末期に活躍した女傀儡。大江匡房の『傀儡子記』で言及された著名な傀儡「小三(こさん)」の孫で、歌唱に秀でて今様(いまよう)の名手だった。傀儡の名人の芸名には数字に縁のあるものが多いが、これは当時の中国大陸にあった宋帝国の名傀儡である「孫三四」や「任小三」にちなんでいるようである。そしてこの系譜は、江戸時代に播磨国の西宮神社で活動していた傀儡師の座元「四郎三(しろうざ)」や、現代にも伝わる糸あやつり人形遣い師の名跡「結城孫三郎」に伝わっている。
 また西宮神社は、同じ西宮にある広田神社の分社であるが、広田神社の祭神は桂女と縁の深い神功皇后である。西宮神社には傀儡が崇拝していた神「百太夫」を祀る百太夫社がある。西宮神社の傀儡芸「えびすまいり」が京に伝わり人形芝居の「古浄瑠璃」が生まれ、さらに「文楽」に発展したといわれる。

狂乱(きょうらん)
 神降ろしを行う中で一時的なエクスタシー状態に入ること。傀儡の芸では人形が舞い、能楽の「狂乱もの」などでは人間の演者が舞うことで霊を降ろすが、この狂乱は、神功皇后が三韓征伐に際して召喚した海の精「磯良」の舞を由来とする祭礼芸能「細男(せいのう)」や、愛媛県・大山祇神社の田の豊作を占う神事「一人相撲」にも通じている。

セパレーション・コール
 1950年代にその存在が発見された、哺乳類の大多数の幼体(子ども)が持っているといわれるコミュニケーション能力。親から引き離された際に、喉の奥を震わせて20キロヘルツ以上の超音波を発し、同時に体温も下がることにより、外敵に感知されにくい状態で親を呼ぶための機能であるという。


 ……というわけでございましてね。いつもながら、ものすごい専門情報量の多さですよね! さすがは荒俣作品。

 あの、前回まで黒田龍人が主人公の「シム・フースイ」シリーズが順調にきていたのに、なんでここで『帝都物語外伝』なん?という話なのですが、これは愚直に作品の発表順に並べさせていただいたからでありまして、前回の『二色人の夜』(1993年)の次に出た作品が1995年6月の『帝都物語外伝』で、「シム・フースイ」シリーズ最新作(当時)の『新宿チャンスン』は、そのちょっと後の同年8月に出ていたのです。まぁ、この『新宿チャンスン』も、ものすごい THE・アラマタ作品なんですけどね……

 先ほども触れたように、この1995年という年は『帝都物語』にとって最初のディケイドということもあり、合本新装版は出るわ久しぶりの劇場最新作(後述)は出るわでたいへんな活況ぶりだったのですが、この流れの中で最大のトピックとして打ち出されたのが、「待望のシリーズ最新作書き下ろし!!」ということで鳴り物入りで発売された、この『帝都物語外伝』だったわけだったのです。

 ただ、まぁその……この作品、角川書店の文庫本でいうと250ページ弱というコンパクトサイズなんですよね。あっという間に終わっちゃうの。あっという間に終わっちゃうのに、上記のように精神病院の開放セラピーだとかくぐつだとか風流だとか、情報量が他の長編作品なみにモリッモリなんですよ。
 もうね、読んでみればわかると思うのですが、文庫本でいうと「うすい」印象なほうのボリュームだと思うのに、読んだ後の疲労感が『帝都物語』各篇とか「シム・フースイ」シリーズ各作なみかそれ以上! めっちゃ疲れるんですよ。
 でも、疲れるわりには結末もあんな感じなのでね……結局、魔人・加藤が本当に復活したのかどうかは描写されてないんですよね。あの後、現実世界の東京が揺らいでしまうほどのカタストロフィが生まれてしまったのか、それともパトカーが数台出動したくらいの騒ぎで収束できる程度のものでしかなかったのか。そういう大事なところは完全に作品の枠外に置かれてしまっているのです。

 あと、この小説はいつもの情緒不安定なアラマタ節に輪をかけるように、わざと作中で解決しない謎を入れたり前後で言ってることが矛盾しているような描写が差しはさまれておりまして、それが読書中の幻惑感というか、車酔いしちゃうような不安定感を助長しています。
 例をあげれば、精神病院の入院患者の泰子の身長が入院時より10cm 近く低くなっているのに誰も気づかないという謎があったり、小説の前半で「俳優の嶋田久作に瓜二つ」と描写されていた入院患者の潮永が、後半では「俳優になんか似てない、似てるのは加藤保憲本人」と表現されたりしていて、なんか正常なはずの病院職員でさえ認識できないうちに世界のなんらかの力が「ずにゅにゅにゅ~ぅう」と患者たちの形をゆがめているかのような不気味さがあるんですよね。言ってみればこれはドイツ表現主義映画『カリガリ博士』とかズラウスキー監督の『ポゼッション』だとか『ダウンタウンのごっつええ感じ』の伝説のコント『腸』のように、物語のパッケージ自体を異次元のものにゆがめている効果を、小説で産もうとしている意図的な朦朧法の一種だと思います。さすが、言葉の魔術師アラマ~タ!!

 まぁ冒頭から結末まで一事が万事、こんな感じでボンヤリした不安感にまみれた薄気味悪い作品なので、何かとてつもなく巨大な「第二章」の扉を開ける序章としてみれば、これほど力のこもったお膳立てもないかとは思うのですが、事実として本作以降の「続き」はない状況なのでね。評価は宙に浮いたまま、という感じになってしまいます。
 それでも、結局その実体は顕現しないにしても、何かしら「ものすご~く厭な災厄が迫ってくる」という、やけに重だるく湿っぽく陰鬱とした空気感、世紀末感をこれほどまでに見事に小説化しえた例もまれなのではないかと思えるので、そういう意味で、この『帝都物語外伝』という作品はその他の荒俣作品とは全く異質な、びっくり箱の中身ではなく「箱を開けるまでのハラハラドキドキ感」を楽しむ種類の雰囲気系小説なのではないかと思っております。
 奇しくも、本作と同じ年に生まれた『新世紀エヴァンゲリオン』も、物知り顔な当時のオトナ達からは「やたら装飾が立派なだけで中身ががらんどう」と揶揄されることがあったかと記憶しているのですが、そういうエンタメ作品が世界を制圧していく先ぶれのようなものを、荒俣先生は予知していたのかもしれませんね。さっすがぁ!!

 ここでちょっと、『帝都物語外伝』の内容についても触れていきたいのですが、実はこの作品、お話の時間軸が「1998年」ということで、実際に発表された1995年よりも「びみょうに近未来」を舞台にしております。だから SFっちゃあ SFになるのですが、かつての『未来宮篇』以降の『帝都物語』正編のように思いッきり世界設定が変わっているというようなアレンジはとんとありません。しいて言えば当時大変なことになっていたオウム真理教事件が終息しているような描写があるくらいですし、それは我々の住んでいる現実の1998年もそうでしたよね。

 『帝都物語』サーガにおける「1998年」という年が非常に重要なポイントであることは間違いなく、作中でもそのことは繰り返し言及されています。1998年というのは、まだ昭和が続いている『帝都物語』正編の中で最終的に物語が終結=東京が完全に崩壊した年なんですよね。

 ここで忘れてはならないのは、この『帝都物語外伝』の作品世界は、近未来設定ながらも我々の現実世界にかなり近いものであり、そこでは『帝都物語』というお話が1985年に荒俣宏という小説家が執筆した完全なフィクション小説として認知されているという点です。作中で、登場人物が古本屋から買ってきた、映画『帝都物語』の宣材写真が多用された角川文庫版の全12巻セットが登場するくらいですからね。これ、1990年代当時としてはかなり冒険的なメタ設定なのではないでしょうか。ロバート=ブロックの『サイコハウス』みたい!

 ただし、よくよく『帝都物語外伝』を読んでいきますと、その中で『帝都物語』という伝奇小説シリーズは「10年くらい前に流行って映画も作られたらしいけど、今は覚えてる人がほとんどいない」くらいの相当に自虐的な扱いを受けており、そこらへんはいくらなんでも過小評価しすぎで、現実の認識とはちょっと開きがあるような気はします。10年やそこらであの嶋田久作さんの強烈なインパクトを忘れられる人は、そうそういないでしょ! 荒俣先生、その設定は嶋田さんにも実相寺昭雄監督にも失礼やでぇ!!
 もっとも、そのくらいに『帝都物語』の作中での知名度を低くしておかないと、誰も吹き込んでいないのに加藤保憲のことを語り始めた潮永が、ぜんぜん不可思議でも何でもない単なる『帝都物語』マニアか嶋田久作さんの熱烈なファンになってしまうので、わざと「知る人ぞ知る忘れられた奇書」にまでおとしめたという苦渋の判断はあったのでしょう。
 現実世界の1998年ほど覚えてる人が少ないっていうことは、あれか……映画『帝都物語』が現実世界以上に大ゴケしちゃって次回作も制作されなくなって、当然ながら『仮面ノリダー』第47話『恐怖帝都大戦男』が放送されて大ウケすることもなかった世界なのかな。実相寺監督の映画が全く売れなかったことで世界線が分岐するとは……嶋田さんのすばらしさを知らない世界なんて、かわいそうですね。

 とにもかくにもこの『帝都物語外伝』は、作中で荒俣先生おんみずからが堂々と、

『帝都物語』の『未来宮篇』以降の展開は、なかったことにしてください。

 と宣言してしまうという、まさに漫$画太郎先生の5~6年先を行く超絶わがままな番外編作品となっております。いやいや先生、これ、その正編と一緒にリリースされんの! 番外編が正編を否定してどうすんっすかぁ~。

 いや~もう、「加藤はホントはあの時点で死んでました」とか、「嶋田さんそっくりの容姿で肉体が女性化していく潮永」とか、「精神病院の混乱そっちのけで中部地方のお祭り見学三昧に興じるヒロイン」とか、短い小説なのによくここまで読者を困惑させられますねという展開が目白押しの本作。もしブックオフかどっかの110円コーナーとかで投げ売りされていたら、是非ともご一読いただきたいと思います。少なくとも、田島昭宇のカバー画は最高ですよ!
 どこにもつながらない、何も始まらない「扉」だけがつっ立っているような唯一無二の「トマソン小説」、『帝都物語外伝 機関童子』!! 私はもう、だいっ好きなんですよねぇ。でも、恥ずかしくて絶対に人には言えない……門外不出の禁断の書やぁ~!!

 ただ、今振り返ってみれば、『帝都物語』正編の「パラレルワールドの1998年」でいちおうの完結を見て、それがためにそこから出られなくなっていた魔人・加藤という稀代のヒールキャラクターを、本格的に「自由に復活させていいですよ」なフリー素材的便利ラスボスに開放した功績は、明らかにこの『外伝』にあると思います。まぁ、それを先にやってたのは映画『帝都大戦』だったんですが、あれはあれで鬼子なんで……最期、おたまじゃくしみたいになって地面にしみこんじゃったしね。

 2005年の『妖怪大戦争』以降、わりとフットワーク軽めに加藤がエンタメ界に跳梁できるようになったのも、ある意味ではこの『外伝』が打った布石のおかげなのであります! 大事な大事なターニングポイントとなったこの作品、おヒマならば、ぜし!!


≪最後に……≫
 え~、小説のほうの『外伝』について言いたいことは以上なのですが、ここまできたら触れずにはおられないのが、『帝都物語』の合本新装版&『外伝』と歩調を合わせて公開された、映画のほうの『外伝』なのであります。
 これがまぁ、ね……ひどい作品なんですよ……


映画『帝都物語外伝』(1995年7月公開 89分 ケイエスエス)
 荒俣宏の小説『帝都物語外伝 機関童子』を原作とするが、内容は大幅に異なっている。

おもなスタッフ
監督 …… 橋本 以蔵(41歳)
脚本 …… 山上 梨香(?歳)
音楽 …… 奥居 史生(?歳)、阿部 正也(?歳)
撮影 …… 藤石 修(41歳)
特殊メイク    …… 原口 智生(35歳)
人形プロデュース …… 福田 秋雄(?歳)
舞踏    …… 大駱駝艦、アスベスト館
製作・配給 …… ケイエスエス

おもなキャスティング
柳瀬 仁哉   …… 西村 和彦(28歳)
大沢 美千代  …… 鈴木 砂羽(22歳)
目方 恵子   …… 白川 和子(47歳)
西条院長    …… ベンガル(43歳)
鳴滝 純一   …… 山谷 初男(61歳)
大沢 成道   …… 金子 研三(51歳)
入院患者・堀  …… 神戸 浩(32歳)
入院患者・池田 …… 小倉 一郎(43歳)
刑事      …… きたろう(46歳)
辰宮 洋一郎  …… 石橋 正次(46歳)


 もう字数も充分にかさんでいるので多くは語らないのですが、この映画作品はほんとにヒドイものです。視聴は絶対にお勧めいたしません。
 私は同じく、映画でいう前作にあたる『帝都大戦』も鑑賞をお薦めしないのですが、それは『帝都大戦』の場合、「名優・嶋田久作のぶっ壊れ最凶演技」と「上野耕路の美しくも怖すぎる映画音楽」、そして「スクリーミング・マッド・ジョージのトラウマを4~5株は平気で植えつけてくる SFXグロ描写」が昂じた結果とんでもないことになっちゃったというハイボルテージ&ハイテンションな事情があったからであり、これはこれであっぱれといえる突き抜け感があったのです。もう笑うしかないみたいな。

 しかし、この『外伝』は……全てがローテンション&ダウナー! 俳優の誰一人として、この作品で輝いてたネ☆といえる人がいないのです。主演格の西村さんも鈴木さんも、なんでこんな映画に出ちゃったんでしょうか。西村さんの身のこなしは、とてもじゃないけどスーパー戦隊やってたとは思えない位にやさぐれて殺陣も緩慢だし、鈴木さんもなんで鈴木さんなのにこんなに不美人に見えるのか不思議なくらいに魅力のないヒロインになっちゃってます。神戸さんと小倉一郎さんの無駄遣い!!
 これは、やっぱり……演出が良くないんじゃないかなぁ。でも、これほどまでに低予算のスケールで作っておいて堂々と「あの『帝都物語』『帝都大戦』の続編がついに!!」とあおっている宣伝文句も、若干誇大広告すぎのような気がします。いやムリだって、そんなハードル上げ……

 ただし、一点だけこの映画版『外伝』の見られる点を挙げさせていただきますと、小説版『外伝』とは全く違う内容ながらも、「鳴滝純一」「辰宮(目方)恵子」「大沢美千代」そして「辰宮洋一郎」というなつかしのキャラクターをリファインさせて、小説とはまた違ったアプローチで「現実の世界へ復活しようとする魔人・加藤」を防ごうとする動きを描いているところだと思います。また、演出のせいでひたすらまだるっこしく意味不明なシーンになってしまっていますが、「自らの身をささげて東京の地霊を慰めんとする女性ヒロイン(恵子と美千代)」という荒俣ワールドに不可欠なキーワードをちゃんと組み込んでいる脚本にも非常に好感が持てます。そういえば、小説版『外伝』にはいなかったもんね、いつもの「ひどい目に遭うヒロイン」ポジション! だってヒロイン、愛知とか岐阜に旅行いってたし。黒田龍人は出てもミヅチは出なかったし。

 これってたぶんスケジュール的に、映画版『外伝』の制作陣は、荒俣先生の小説版『外伝』を読めないまま制作に入ったんじゃないでしょうか。ただ、「精神病院の患者が~」とか「加藤の魂の降りたからくり人形が~」という設定案だけもらっていて、後は『帝都大戦』方式でごじゆ~に、みたいなほっぽり具合だったんじゃなかろうかと。う~ん、熱心なファンからしたら、ひっでぇ話!!

 あと、この映画の中でさも公式設定のように語られている「加藤保憲はもと平将門の忠臣」だとか「大沢美千代は辰宮洋一郎の孫」だとかいう関係性は、まったくこの映画のみのオリジナル設定ですので注意しましょう。まぁ、2020年代にこの映画の話を引き合いに出す人もそうはいないでしょうが。長大な原作『帝都物語』の人物設定のはしょり方がかなり強引! 三島先生はどこに行ったのだ!?

 この映画版の脚本は、最終的に「怖いのは加藤でも平将門の怨霊でもなく、この世紀末にハバを利かせている権力者」みたいな結論を導き出しているのですが、これもいかにも、古来の伝統を意図的に曲解したカルト新興宗教による大規模テロ事件が勃発した1995年らしくもあり、「こんなくだらない騒動に担ぎ出された将門公や加藤がかわいそう」な尻すぼみエンドとなっております。おまえが黒幕なのかよ! ぽっと出はひっこんでろやぁあ!!

 いやほんと、映画のほうの『外伝』はバブル崩壊期のあだ花といいますか、映画版『リング』勃興前夜の鬱々としたホラー映画界の頭打ち感をあまさず今に伝えてくれる大失敗作、としか言いようがないかと思います。身のまわりで幸運なことが次々に起きてハッピーすぎて怖いくらい! ちょっと自分を落ち着けたい!! もしくは学校とか仕事に行きたくないのでちょっと病気になりたい! という方は、ぜひともこの映画版『帝都物語外伝』をノンストップでおたのしみください。いい感じかそれ以上に心身が落ち込みますヨ。

 う~ん、なんで西村さんとか鈴木さん、この仕事を断らなかったんだろ。大人の世界って、たいへんなんだなぁ。

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