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長岡京エイリアン

日記に…なるかしらん

あらためて立ち返ろう読書メモ 小説『帝都物語』8 まとめまとめ~!

2025年04月30日 21時56分19秒 | すきな小説
≪『帝都物語』の各巻についてのあれこれ、第1・23・45・1112・67・89・10巻は、こちらで~い。≫

 え~、というわけでありまして、『帝都物語』全12巻を2025年の今ごろになって唐突に再読してみた、感想のまとめでございます。
 つってもまぁ、そんなに大きな話をするでもなく、今までの各巻感想で言わなかったかな~、みたいな拾遺をぶつぶつつぶやくのと、この企画を「これからどう進めていくのか」を言っときますか、みたいな程度の雑文なんですけどね。

 今までも何度か語ってきたのですが、私にとっての『帝都物語』とは、最初はまったく「意味の分からない不気味なもの」としか言いようのない異物でした。

 それは別に、私が『帝都物語』がキライだったとかいう話ではなく、『帝都物語』の小説完結から実写映画版第2作『帝都大戦』公開までという1987~89年くらいの大ブームが到来した時に小学生低~中学年くらいの山形のガキンチョだったから全然理解できなかった、ただそれだけの話でした。
 別にゴジラみたいな大怪獣が出てくるわけでもないんだけど、家のお茶の間で大人たちが観ているような会話だけのつまんないドラマとは「明らかに何かが違う物語」が、なんかやたらとコマーシャルで流れてくる。その画面の中央にいるのは、これまた別に『仮面ライダー BRACK』のゴルゴム怪人みたいにゴテゴテしたスーツを着ているわけでもないんだけど「特殊メイク無しでもめちゃくちゃ怖い軍服おじさん」……そして、空から舞い落ちてきた五芒星の紙が、あっという間にくしゃくしゃっと丸まって漆黒のカラスに変化したり、我が家の菩提寺の山門に控えている仁王像みたいな巨大な仏像がゴットンゴットン歩き出して、なぜか TVで「いらっしゃ~い♡」と言ってるはずの落語家さんを追いかけ回したりしているという、理解不能な謎映像ラッシュ!
 まぁ、2時間前後もある映画本編を観れるわけのない当時の私は、TV番組内のプロモーションで流される数秒刻みの紹介映像でしか知り得なかった『帝都物語』だったのですが、それでも瞬時に脳みそがパンクするほどの混乱をもたらす異様な新世界だったのでした。大人ドラマのようでそうでもなく、子ども向け特撮のようで怪獣もヒーローも出てこない第3の世界……思えば、私が人生の中で「特撮技術の奥行きの広さ」を知った初めての出会いが、断片ながらもこの『帝都物語』とも言えたのです。『レイダース』(1981年)とか『ゴーストバスターズ』(1984年)とかの海外 SFX映画とも明らかに違う、もっと土臭く距離感の近い、恐ろしさと親しみの同居した世界。

 こんな感じで、『帝都物語』との最初の出会いは、あくまでも印象論だけの話に留まるものだったのですが、改めて本格的に小説としての『帝都物語』に挑戦することとなったのは、私が高校生になるかならないかの1995年のことでした。
 思い起こせば1987~89年の『帝都物語』ブームも、60年以上続いた「昭和」の終焉という大きな変動の起こった時期だったのですが、その『帝都物語』が角川文庫から「合本新装版」となってリニューアル再版された1995年もまた、1月の阪神淡路大震災に3月の地下鉄サリン事件そしてその後のもろもろ……と、これでもかというほどに日本が揺れに揺れた激動の時期でした。
 その1995年すなはち荒俣先生が「危ないぞ!」と警告していた「亥の年」に、田島昭宇のエログロカッコいいカヴァー絵で装いも新たに復活した『帝都物語』6冊(+『外伝』♡)にドズッキューンと胸を射抜かれた詰め襟学生服姿の当時の私は、一も二もなく7冊ぜんぶを購入してイッキ読みをしたのでした。5、6年前のあの時、いたいけな私をドン引き&恐怖せしめた、あの「カトーなにがし」とかいう顔の長い怪人の正体は一体なんなのか、それをこの目で確かめてやろうぞと!

 そうしたら、あーた、どうですか……そんなおっかなびっくりの期待に胸をふくらませた私の眼前に広がった原作小説『帝都物語』の世界はなんとまぁ、

・映画になっていたのは全体の3分の1ほど
・序盤の加藤保憲が拍子抜けするほど人間っぽい
・『帝都大戦』の内容が小説(『ウォーズ篇』)とぜんっぜん違う
・三島由紀夫とか全共闘とか……よくわかんない時代が出てくる
・物語が途中から近未来SF にとんでってしまう
・なんか、最近お薬で逮捕されたはず(当時)の人が堂々と「ナントカ大宮司」みたいな重要な役どころで大活躍する

 という、一つとして私が想定しえなかった展開を見せる異様な内容のオンパレードとなっておりまして、私はもう完全にノックアウトされてしまいました……少年時代とはまた違う意味で、私の脳みそは再びあえなくショートしてしまったのです。2アウト~!!

 なな、なんじゃこの世界は!? なんつうかその……自由すぎる!!

 ちょうど小説版をウンウンうなりながら読んでいたその頃、私は TVの衛星映画劇場や町のレンタルビデオ屋さんで実写映画版の2作(と、あの『外伝』……)も初鑑賞していたのですが、まぁ映画もたいがい自由なのですが、映画制作スタッフが自由にやりたくなる気持ちも分かるほどに、小説がまず自由奔放すぎるのです! 歴史伝奇ものかと思ったら戦争ものになる、かと思ったら風水ミステリー、エロティックホラー、政治闘争、国際謀略、宗教戦争、近未来SF へと変幻自在……こんなんまともに映画化なんかしてられっかと!!
 これほどにムチャクチャな原作なので、全編映像化などという無謀には走らずに、歴史ファンタジーやガチホラーなどに照準をぎゅぎゅっと絞って映画化した判断は、それはそれで正しかったのかも知れません。ま、それが興行映画として成功したのかどうかは別問題ですが。

 とにもかくにも、映像化された諸作品のヤバさや、嶋田久作さん演じる不世出のヒールキャラクター・加藤保憲の有無を言わせぬ悪のオーラをはるかに超えるレベルでデンジャラスだった原作小説の全容に触れてしまった私は、なかば封印するような形で『帝都物語』を忌避するようになってしまいました。こんなジャンルの形容もできないような破天荒な小説は認められない、これは邪道だ! おのれの度量の狭さを認められなかった青年の短慮ですね。若さゆえの過ち……認めたくないものです!
 それにしても、あんなとんでもない作品を恥ずかしげもなく世の中におっぴろげた荒俣先生が、さも「小説界のオーソリティで良識派文化人の代表」であるかのような顔をして、ご意見番ポジションにドデンと座っている TV界って、いったい……当時の私は、そこらへんの不可解さにも困惑してしまっていたものでした。また先生、なんの害毒もなさそうな温厚な顔でいっつもニコニコしてるからよけいに始末が悪いんですよ!! 一体、書斎ではどんな顔をして辰宮由佳理をヒーヒー言わせる展開をつづっていたというのでしょうか……鬼! 悪魔! 腹中虫げろげろ!!

 まぁまぁ、そんな経緯がありまして、従来の枠にとらわれない『帝都物語』の世界を認められなかった、認めたくなかった私は、その後もず~っと、これを異端の文学としてタブー視していたのです。ミステリーならミステリー、ホラーならホラー、ロマンスならロマンスとジャンルをはっきり規定したうえでの名作こそが王道ではないか!と。

 だが、しかし。

 荒俣先生が『帝都物語』で創造した魔人・加藤保憲は、お話がちゃんと完結したというのに、その後何度となく復活してくるのです。『帝都物語』の枠を超えて、荒俣先生の筆を超えて、小説を超えて、時代を超えて!

 『帝都物語』の前段となる荒俣先生の小説『帝都幻談』(1997年)、『新帝都物語』(1999~2001年)、『帝都物語異録』(2001年)。
 荒俣先生が原作や製作総指揮を担当した映画『妖怪大戦争』(2005年)『妖怪大戦争 ガーディアンズ』(2021年)
 そして、ついに荒俣先生の筆からも解き放たれてしまった、京極夏彦の大長編妖怪小説『虚実妖怪百物語』(2016年)……

 いくら『帝都物語』を忘れようとしても、いくら世間に『帝都物語』の最終『復活篇』まで読みきって内容をちゃんと記憶し続けている人が少なくても、あの異様にインパクトの強い痩躯軍服の魔人は何度でも蘇り、『帝都物語』の正統な世界線ではないはずの現代社会をおびやかすラスボスの座に舞い戻ってきてしまうのです。なんじゃコイツ~!?

 だってそうですよね、ほんらい加藤の活躍するはずの世界の日本は、昭和六十一(1986)年の三原山噴火の直後に関東地方で大規模な噴火と地震が連鎖的に群発して荒廃し、1989年になっても昭和が終わらない日本なのです。
 それがまたどうして、時空を超越して私たちが曲がりなりにも平和に暮らしおおせているこちらの世界線に、平気な顔してやって来られているのか……よく考えてみたら、あの『ゲゲゲの鬼太郎』で鬼太郎が一度しか使わなかった超絶秘技「先祖流し」を喰らっても、1~7000万年(振れ幅よ)の時を超えて現代に帰ってきた(自称)妖怪総大将ぬらりひょんサマと同じくらいデタラメ&ロケンロールな勢いで、21世紀の日本サブカルチャーにしぶとくしがみついているわけで、これを可能にする加藤保憲の規格外のキャラクター性と人気には、正編『帝都物語』の好き嫌いなど問答無用で瞠目せざるを得ない説得力がそなわっているのです。

 こういう時代を超えるキャラクターについて考えてみますと、文化史的にみれば、この加藤保憲は「昭和最後の名ヒールキャラ」と言えるのかもしれません。ここ、今は「ヒールキャラ」とか「悪役」と表現するよりも「ヴィラン」と言った方が通りが良いのかもしれませんが、それだとなんだかアメコミの軍門に降ってしまうような気がするので、ここは「ヒールキャラ」で通させていただきます。ジョーカー、ペンギン、なにするものぞ!! でも実は、『バットマン』にも「 Dr.ダカ」っていう日本人のヴィランがいたらしいんですけどね(1943年の実写映画版)。

 同じように、その頃つまり昭和末期~平成初期に人気になってその後も2020年代現在まで知名度の衰えを知らない人気ヒールキャラといいますと、私はやっぱり『それいけ!アンパンマン』のばいきんまんとホラー小説『リング』発祥の山村貞子大姐さんをすぐさま連想してしまうのですが、ばいきんまんは1970年代後半のミュージカル公演あたりから原型となるばい菌キャラが登場してきて1988年に開始したアニメ版でキャラクターが完成したとのことなので、まぁだいたい加藤保憲の同期かやや先輩といった関係のようです。いや関係ねぇけど。
 貞子大姐さんは、我が『長岡京エイリアン』でもさんざん扱っているように、作中での生年は昭和二十二(1947)年ではあるのですが、原作小説が平成三(1991)年の出版なので、こちらは加藤のすぐ下の後輩で「平成最初の名ヒールキャラ」ともいえるかも知れません。怨霊とヒールキャラとでは、また意味合いが異なるのでしょうが……
 余談ですが、この貞子大姐さんもまた、その出生や家庭環境に「三原山」や「役小角」がむちゃくちゃ関係してくる方なので、そういう点でも、加藤保憲とはちょっと縁浅からぬ間柄にあるのかも知れませんね……おおっ、まさかのコラボ企画クル~!?

 ただ、加藤保憲と山村貞子さんとでは、「原作小説を読んでない人でも知っているくらいに有名な架空のキャラクター」という強力な共通項を持っていながらも、ここはだいぶ違うぞという差異がありまして、それはやはり「依り代」としての生身の俳優さんの重要度の割合だと思うんですよね。
 つまり、貞子さんはホラー映画のキャラである特性から「ここぞという時まで顔を隠している」という外見上の特徴がありまして(原作小説ではそんなこと全然ないのですが)、そのために「どの女優さんが演じていても黒髪&長髪の痩せた女性だったら貞子」という記号化が進んでいるのです。だからこそ、貞子さんは1995年の三浦綺音さんによる実写化いらい2022年の最新映画『貞子 DX』にいたるまで、非常にフットワーク軽くひんぱんに復活することができているのです。「この人が演じないと貞子じゃない」という定型イメージがないことが強みなんですね。だからマウンドから103km の速球を投げることもできるのか……

 しかし、こと加藤保憲に関しては、こうもいかないのは周知の事実かと思います。嶋田久作さん以降、加藤や加藤に準ずる人物を演じた他の役者さんとしては西村和彦さん、豊川悦司さん、神木隆之介さんがいるのですが、この中で出番の最初から最後まで加藤を演じているのはトヨエツさんだけですし、そのトヨエツさんも……嶋田さんの足元にも及ばない感じでしたよね。まぁ、それは作中の加藤のテンションが低かったことが主な原因なのですが。
 やはり、「将門覚醒!帝都壊滅!!」という余人の理解しがたい夢を持って猛スピードで疾走する加藤を演じるには、1988~89年の嶋田さんくらいの異物感とツバとばしまくりの沸点が不可欠なのではないでしょうか。かといって、とっくの昔に加藤を卒業していぶし銀の名優の年輪を深められておられる嶋田さんに再登板していただけるわけもなく、この点で加藤保憲の映像面でのイメージ更新はかなり難しく、あくまでも『帝都物語』前半の数巻か、それを映画化した作品の記憶を元にした派生に限定されているのです。屍解仙バージョン以降のぷりっぷりヤング加藤を映像化しようなんて話は……私が生きているうちにおがめることは、ないでしょうねぇ。

 いや、新たな俳優さんによる加藤の復活が不可能というわけでもないのでしょうが、やっぱり比較対象があの頃の嶋田さんになっちゃうと大変ですよね……それにしても、初映画化の前に荒俣先生がイメージしていたという立花ハジメさんとか、キャスティングの時点で映画会社側が加藤役に推していたという小林薫さん(実相寺昭雄監督の証言より)のような知的でクールそうな二枚目が順当に演じなくて、本当に良かった! そういえば、それからはるか後の昨年2024年の映画『陰陽師0』で小林さんが嶋田さんと並んでああいう役を演じていたのも、なにかの因縁かもしれませんね。それにしても、お2人とも歳とったな~。

 とにもかくにも、現在に至るまでこういった派生作品の広がりを見せている『帝都物語』の世界ですので、何を言いたいのかといいますと、


『帝都物語』12巻を読んだくらいで加藤をわかった気になるなんて、おこがましいとは思わんかね……


 ということなんですな! ヒエ~私の脳内の本間丈太郎先生、は、ははは、まさかそんなこと思うわけないじゃないっすかぁ~!!

 いやいや、ダミよダミダミ!! 派生作品ぜんぶ読まなきゃ加藤保憲の全貌なんずぁつかめねぇっぺよぉ~。
 もちろん原点となった聖典『帝都物語』をおさえることは大前提です。そうではあるのですが、「それだけ」でおしまいにできないのが、時空を超えて出没しまくる魔人・加藤の恐ろしいところなのです。本体だけが加藤ではない、分身もまた、すべて質量をともなう実体と化しているのだ!!

 注意セヨ、「昭和七十三年」のあの最終戦争の世界線から逃れて、魔人・加藤が映画『13日の金曜日8 ジェイソン N.Y.へ』のごとく襲来していることは間違いがないのです! 大変だ、早く全作品チェックしないとサウナであっつい石をぐりぐりされちゃうぞ!!

 ……みたいな感じの流れで、これからは執筆発表順にあわせまして、『帝都物語』から派生していった荒俣先生の小説諸作品、それと京極夏彦の『虚実妖怪百物語』を読んでまいりたいと思います。映画の2作はむか~しに「ぬらりひょんサーガ」企画で触れでだっけがら、いいびゃ~。

 それで、次回の荒俣先生の派生作品なのですが、ふつうにいくと私も愛している『帝都物語 外伝』(1995年)にいくのが常道ではあるのですが、実はその前に、加藤と直接の関連は無くとも『帝都物語』の重要な登場人物である黒田茂丸のお孫さんが活躍なされている風水ホラー小説「シム・フースイ」シリーズが始まっていましたので、『外伝』はひとまずほっときまして「シム・フースイ」の第1作を扱ってみたいと思います。

 ある意味、『帝都物語』以上になつかしい……でも、こんな企画誰が読んでくれるんだろう!?

 カトーは、たぶん来ないぞォオー!! 次に来てくれるの、いつかな。
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円熟か、磨滅か? 佐吉ワールドまろやか味になる ~『悪魔の降誕祭』2025エディション~

2025年04月25日 23時46分04秒 | ミステリーまわり
 ハイどうもみなさま、こんばんは! いつものそうだいでございます~。
 みなさま、どうですか新年度は? いいすべり出しになりましたでしょうかね。
 私のほうはといいますと、おかげさまでいい感じに忙しく始めることができました。今年の春はこれまで通りのお仕事と並行して、いよいよ新しい方の道への挑戦も……「できる権利」を手に入れることができました! ひぃ~、まだお仕事いただけてるわけじゃないのが、情けないやらもどかしいやら。
 そんな感じなので私の場合、ホントに忙しくて大変だよ!という方々に比べたら随分と余裕のある状況がしぶとく続いたまま4月が終わろうとしております。さぁ、本格的に「火がつく」のは、一体いつのことになるのやら。ま、焦ってもしょうがないので、とりあえずエンジンだけは温めながら当面のお仕事を誠実にこなしていこうかと思うとります。お仕事、超絶募集中! 目の前に大海原は広がっとりますが、持ってるのはイルカの浮きビニール人形1コだけという無課金状態でございます……スライムベス1匹倒すのもひと苦労ヨ!!

 まま、世間話はここまでにしておきまして、今回は3年間も待ち焦がれていた、我が『長岡京エイリアン』でもいっつもお世話になっております、あのシリーズの最新シーズンについてでございます! 続いてくれて、まことにありがとうございます!!


ドラマ『悪魔の降誕祭』(2025年4月24日放送 NHK BS『シリーズ・横溝正史短編集Ⅳ 金田一耕助悔やむ』 30分)
 33代目・金田一耕助    …… 池松 壮亮(34歳)
 21代目・等々力 大志警部 …… ヤン イクチュン(49歳)

 『悪魔の降誕祭(あくまのこうたんさい)』は、横溝正史の中編推理小説。「金田一耕助シリーズ」の一作。月刊『オール讀物』1958年1月号に短編小説の形で発表後、同年7月に約3倍の文量に改稿された。現在は角川文庫『悪魔の降誕祭』に収録されている。
 雑誌掲載時の原型短編と完成版の中編との主な相違点としては、短編では徹也殺害に関する聴取で犯人が自殺を図り金田一の謎解きへ進んでいるが、中編では自殺未遂は発生せず、たまきが自分の犯行だと主張する以降の流れが追加されている。
 本作の設定と真相には、後年に発表された別長編作品の原形となっているとみられる部分が含まれる。
 本作は1988年12月に角川カセットブックからオーディオドラマ版(金田一耕助役・神谷明、等々力警部役・八奈見乗児)が発売されたが、実写作品化は今回が初となる。
 本作のドラマ版は、NHK BS での放送に先がけて2025年3月28日にNHK BS8K、同年4月19日にNHK BS4K にて先行放送された。

あらすじ
 昭和三十二(1957)年12月20日。金田一耕助にコヤマジュンコと名のる女性から依頼の電話が入った。等々力警部と外出する予定のあった耕助は、彼女に夜9時までに緑ヶ丘荘の自分のフラットに来るように伝えるが、フラットへ帰ってきた耕助を待っていたのは、地味な鳶色のスーツをきた女性の遺体であった。
 等々力警部と嶋田警部補による捜査の結果、コヤマジュンコは偽名で遺体の主はジャズ・シンガーの関口たまきのマネージャーである志賀葉子であったことや、死因が青酸カリによる毒殺であることなどが判明する。彼女のバッグには新聞記事の切り抜きの写真が残されており、その写真には関口たまきとピアニストの道明寺修二、上半身が切られた柚木繁子の姿が写されていた。さらに、金田一の部屋の壁にある日めくりカレンダーは5日分が剥ぎ取られて「12月25日」を示していた。また、たまきの夫である服部徹也の前妻の加奈子もまた、過去に青酸カリを飲んで死亡していたことが判明する。
 そして25日当日、西荻窪にあるたまき・徹也夫妻の新居で開かれたクリスマスパーティの最中に、徹也がたまきの部屋で刺殺体となって発見される。発見したのはたまきと道明寺修二だったが、2人はお互いを名乗る書き手不明のメモでたまきの部屋におびき寄せられたと証言する。徹也は、たまきの部屋と浴室の脱衣場に通ずる小廊下で刺されて、たまきの部屋のドアが開いた拍子に倒れ込んできたことが判明した。当初は第一発見者のたまきと道明寺が疑われたが、脱衣場で殺害直前の徹也と話をしたという徹也の娘・由紀子(たまきの継子にあたる)と、それを目撃した女中の浜田とよ子、たまきと道明寺の仲を疑い2人を監視していた柚木繁子の証言などから、2人に犯行のチャンスがないことがわかり、捜査は行き詰まる。

主なキャスティング
関口 たまき …… 月城 かなと(34歳)
服部 徹也  …… 六世 竹本 織太夫(50歳)
道明寺 修二 …… 上川 周作(32歳)
柚木 繁子  …… 板谷 由夏(49歳)
関口 梅子  …… YOU(60歳)
服部 由紀子 …… 蒼戸 虹子(あおと にこ 16歳)
浜田 とよ子 …… 伊勢 志摩(55歳)
志賀 葉子  …… 土本 燈子(25歳)
服部 可奈子 …… 佐藤 有里子(40歳)
島田警部補  …… みのすけ(59歳)
朗読     …… 北 大輔(?歳)

主なスタッフ
演出 …… 佐藤 佐吉(60歳)
振付 …… 皆川 まゆむ(?歳)

主な使用楽曲
プロローグ     『木立の部屋で』(2019年 YAS-KAZ )
オープニング    『Deep Inside 』(2024年 fox capture plan )
関口たまきのテーマ 『Before Long 1996再録バージョン』(1996年 坂本龍一)
金田一耕助の捜査  『Tokyo 』(2024年 fox capture plan )
たまきの異常な言動 『Storm 』(2002年 吉田兄弟)
柚木繁子の証言   『The curtain of night 』(2024年 fox capture plan )
犯人の変貌その一  『ライディーン』(1993年 ボアダムス)
犯人の変貌その二  『好き好き大好き New Mix 』(2016年 非常階段×戸川純)
エンドロール    『諸人こぞりて』(2017年 讃美歌第112番)


 うわお~う、きたきた、今や日本を代表する俳優のおひとりとなられた池松壮亮さんが名探偵・金田一耕助を演じる NHK BSの『シリーズ・横溝正史短編集』、超待望の第4シーズンのお出ましときたもんだコリャ!

 池松金田一による30分作品が3本で1シーズンという、フットワークも軽やかなこのシリーズは、2016年に「Ⅰ」、20年に「Ⅱ」、22年に「Ⅲ」が放送されておりましたが、シリーズが始まってから今回「Ⅳ」が放送されるまでの9年間のあいだに、主演の池松さんも大きな成長を遂げたような気がします。いや、成長したと見るのは失礼な話で、私たちがやっと池松さんの真価に気づいたという感じでしょうか。
 池松さんが初めて金田一耕助を演じたのは26歳のときだったのですが、その頃から池松さんは34歳となった今日まで20本以上の映画に出演して主演も多数、TVドラマも当然ながら出ずっぱりです。最近はドキュメンタリー番組のナレーションで、その特徴的な語りを聴く機会も多くなりましたよね。
 我が『長岡京エイリアン』で取り扱ったところでは、やはりおととしの超話題作『シン・仮面ライダー』(2023年3月公開)において新たなる「令和の本郷猛」を堂々と演じきったことが印象的ですが、来年2026年の NHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』では主人公である豊臣秀長の兄・秀吉を演じることが決定しているとか! これも楽しみですね~。大河ドラマでの豊臣兄弟といえば、どうしても『秀吉』(1996年放送)の竹中直人&高嶋政伸による兄弟のイメージがいまだに強く残っているわけなのですが(あと玉置浩二さんの足利義昭公も!!)、あれからちょうど30年という節目の年にあえてぶつけてきた『豊臣兄弟!』の若々しい挑戦に期待したいです。でも、兄が池松さんで弟が映画『十一人の賊軍』での熱演も印象的だった仲野太賀さんとなると、「冷静な兄と情熱的な弟」といったイメージで、どちらかというと『太平記』(1991年)での真田広之&高嶋政伸の兄弟を連想してしまうところが実に面白いですね。史実だと秀吉&秀長兄弟も足利尊氏&直義兄弟も性格に関しては「アツい兄&冷静な弟」の構図が定説だと思うのですが、そこを『太平記』のように『豊臣兄弟!』が打破する新解釈を展開するのか、はたまた池松さんがふんどし一丁で女のコを追いかけ回す痴態を見せるのか!? いずれにせよ、面白い作品になりそうで実に楽しみです。うん、それでそれで、霊陽院サマは!? 霊陽院サマは誰が演じるの~!?

 すみません、池松さんに関する脱線が過ぎてしまいました……まぁともかく、そこまで世間をにぎわす大俳優になられた池松さんが、3年ぶりにこのシリーズに戻ってきてくれたことは、非常にありがたいってことなんですよ!
 振り返ってみれば、2010年代の後半にこの池松金田一シリーズとほぼ同時期に始まった、同じく NHK BSの「スーパープレミアム金田一耕助シリーズ」(金田一役は長谷川博己→吉岡秀隆)は2023年の『犬神家の一族』を最後に沈黙しておりますし、民放放送局にいたっては5年以上前の『悪魔の手毬唄』(2019年 金田一役は加藤シゲアキ)以来ウンともスンとも知らせがありません。映画なんか、口に出すのもおぞましい2006年公開の超改悪版『犬神家の一族』が最後だってんですから、父ちゃん情けなくって涙がでてくらぁ!!
 まぁこういったていたらくですので、その中での池松金田一の帰還は、まさに「干天の慈雨」としか言いようのないご褒美なのでございます! まことにありがとうございます!!

 それで、ここからやっとのやっとで最新第4シーズンに関する話になるのですが(やだ、ここまでで4000字つかってる……)、今回も過去シリーズの形式を踏襲して、宇野丈良・佐藤佐吉・渋江修平という3名の演出家がそれぞれ、横溝正史の推理小説「金田一耕助シリーズ」の中から1話ずつを映像化するという内容になっております。30分枠のドラマだからといって、必ずしも短編小説ばかりをチョイスしているとも限りません……
 そいでもって、今回の「Ⅳ」はすでに先月からNHK BS8K とNHK BS4K で3話一挙放送されておりますので、おそらくもうレビュー記事やブログはバンバン出たあとかと思うのですが、私が視聴できるのが NHK BSからなので、我が『長岡京エイリアン』では今さらながら、しかも1週に1話ずつというスローペースで、3話分を芋虫のごとくムチムチと食むように(©江戸川乱歩)味わっていきたいと思います。ゴールデンウィークの愉しみは、これできまり☆ ひと晩で3話ぜんぶだなんて、贅沢すぎてバチがあたらぁ!

 さぁ、それで今回「Ⅳ」の一番手は、佐藤佐吉さんの構成・演出による『悪魔の降誕祭』となります。佐吉さんがシーズンの一番手になるのって、今回が初めてなんですね。確かに佐吉演出は、どっちかというとお3方の中では「変化球」というか「飛び道具」なイメージがあるので、トップバッターにはなっていなかったかも。
 ちょっと気になったのが冒頭のところで、今までのシリーズ作品ではたしか、どの作品でも「原作小説の文章を抽出してほぼ忠実に映像化」というただし書き字幕が出ていたはずなのですが、今回はそれがありませんでした。とは言っても、実際に観てみると今回も大幅に原作小説と違った内容がドラマに組み込まれているということは無かったので、ぱっと見は大きな路線変更はないかのように見えていました。ま、ぱっと見はね……

 上の基本情報にもあります通り、今シーズンの一番手となった『悪魔の降誕祭』は、もともと短編小説だったものを文量およそ3倍の中編小説にボリュームアップした作品となっております。
 参考までに、現在私の手元にある角川文庫から出た作品集『悪魔の降誕祭』(初版は1974年)を見てみますと、完成版の中編『悪魔の降誕祭』は約160ページで、同じ本に収録されていて、前シーズンで佐吉さんが映像化した『女怪』は約40ページの短編小説となっています。いま角川文庫から出ている最新の版は文字のフォントが大きくなっているはずなので、ページ数は全体的にもうちょっと増えてるかも知んないけど。
 ちなみに、これは文庫本でなく文章二段組み単行本なので全く比較対象にならないのですが、私が持っている1996年に出版芸術社から出た金田一耕助ものの「原型」短編集『金田一耕助の新冒険』に収録されている短編版『悪魔の降誕祭』は50ページ弱というお手軽なボリュームになっています。この『新冒険』って文庫化もされているんですけど(光文社文庫)、私は単行本版の今井真理(いまい鞠)さんの切り絵によるカヴァーがとっても気品高くエロくて大好きので、手元に置いてるのは単行本のほうなんだよなぁ。いまい先生、今なにしてらっしゃるんだろ。

 そんでもってかんでもって、むちゃくちゃ引っぱってきてしまいましたがいい加減に、今回記念すべき初ドラマ化となった佐吉版『悪魔の降誕祭』を観た感想を申したいと思います。ほんと、話が流くてすんません……


確かに原作に忠実とは言いがたい「不可解なマイルド化」が目立つ平均点的小品


 こんな感じになりますでしょうか。いい意味でも悪い意味でも、丸くなっちゃったかしら!?

 今回の記事のタイトルでも言っているのですが、今回の佐吉さん担当回は、なんだか佐吉さんらしからぬ無難化といいますか、スタンダードなミステリードラマとしての完成度を目指したかのような「まろやか化」が前面に押し出されていたような気がしたのです、あたしゃ。

 こう言いきってしまうと、ドラマを視聴した方の中には、「おいおい、お前ちゃんと観たのか!? あの衝撃的なラストのどこがマイルドなんだ!? クライマックスの犯人の豹変っぷりだって十二分に佐吉テイストたっぷりだったじゃないか!」と反論したくなる向きも多いかと思います。
 いや、それはわかる! そういった作品としてのエグ味というか個性がちゃんとあったのはよく承知しているのですが、私が言いたい「不可解なマイルド化」というのは、

横溝正史の原作小説にあった「毒味」を意図的にカットして、佐吉さんオリジナルの味つけを加えている。

 という意味でのマイルド化なんですよね。要するに、ドラマとしての面白さは保障されているのかも知れませんが、その面白さが今回は横溝正史由来ではないのです。これは、今までとはだいぶ意味合いの異なるアレンジのような気がしました。ちょっと~、これを見ないフリはできない。

 まず、原作小説と今回のドラマ版とで、事件の犯人の設定は変わっておりません。ですので、金田一が犯人を告発した時の「あの変貌」はほぼ同じ感じではあるのですが、原作小説で語られてドラマ版ではとんと触れられなかったのは、犯人をあのように変貌させてしまった「真の悪魔」が他にいてのうのうと生き延びている、という点なのです。

 すなはち、ドラマ版では第2の殺人(服部徹也刺殺事件)が発生したクリスマスパーティの夜が明けるまでに事件が解決したかのように描写されているのですが、原作小説の「短編版」はその通りではあるものの、完成した「中編版」はそうではなく、ドラマにあるように関口たまきの「私が殺しました」発言が嘘であると等々力警部が指摘したくだりでその夜の捜査は行き詰まり、それから日が経って、たまきが道明寺修二との再婚を発表、徹夜の死から約1ヶ月後の翌年1月下旬に、同じたまきの新居で行われた婚約披露パーティの終わった後に親しい者だけ残ったお茶の席で、例の金田一による犯人あぶり出しのひと芝居が打たれたという流れになっているのです。

 これってつまり、原作小説では犯人が第3の殺人をこころみるまでに、無理のない時間的余裕と「動機の発生」が用意されているんですよね。そしてその動機が、たまき……というよりも、徹也も含めた多くの人々の心を奪い、エネルギーを吸い取りながらも、旦那が死んだ1ヶ月後には再婚を公表する「したたかさ」を持った大人の存在を許せなかったからだった、という真実を何よりも雄弁に物語ってくれているのです。原作小説の方が断然、犯人が蛇蝎のごとく嫌悪していたものを明確に浮き彫りにしているんですよね。それをドラマ版は、意図的にカットしてしまっているのです。ドラマの流れだと、第3の殺人にいくまでの時間が短すぎて犯人にそれ程の心理の揺れが無かったように見えるし、第2の殺人と第3の殺人の「意味の違い」が全く見えなくなってしまうのです。そもそも再婚の話自体が出てこないんだから。
 これじゃ、行き当たりばったりでみんな殺してやろうと思った、くらいの浅い動機になっちゃいますよね。ま、それはそれで「現代的」な動機ではあるのですが……

 なぜ!? なぜなんだろう!? このドラマ版のカットは、単に場所がどっちもたまきの家の中だったから尺の都合でバイパス手術しちゃった、みたいな言い訳は通らない大幅なカットだと思いますし、当然、「原作に忠実」などとは口が裂けても言えない大きな改変だと思います。

 これ、別に私が横溝正史ファンだから言ってるんじゃなくて、原作小説にちゃんとあった「面白さ」を、そこだけ丁寧にスプーンでえぐり取って捨ててるから言っているのです。なんでそんなことすんの!?と。メロンは、そのタネのぐっちゃぐちゃなとこがおいしんでしょうがぁあ!!

 私が言っている「そこだけ捨てられた面白さ」というのは、言うまでもなく関口たまきという人物の生き方の怪物的な魅力、二面性です。こっちのほうが「女怪」じゃねぇかと言いたくなるような、醜悪なまでの生命力の強さ、悪運! クライマックスであそこまで衝撃的な悪魔の姿を見せた犯人も、しょせんは彼女の被害者でしかなかったという、実に横溝先生らしい二重底の面白さが、ドラマではいかにも今風に「犯人がそういう悪の種子を心に宿していた」という一色の単純なオチになってしまっているのです。
 それに関連づければ、ドラマ版の意味深なラストカットも、「犯人は死んでも、その悪意は継承される」というオリジナルな解釈ができるわけなのですが、私に言わせていただけるのならば、ドラマ版と同じ「告発」を大の盟友の等々力警部から受けても、

金田一耕助はそれにたいして答えなかった。(原作小説より)

 という、文字通りの「黙殺」でこたえた小説の金田一のほうがよっぽど怖いような気がします。なんか、今回のドラマ版の金田一は、演じている池松さんが得意としていると見られることの多い「ガラスのハート」な面に引きずられてああなっちゃったような気がしますね。
 まぁ、そういうサイコな展開が今はウケるのかも知れませんけどねぇ……なんで今回の佐吉構成は、横溝先生が打ち出していた「人間の生のエグ味・おそろしさ」みたいなものを「ホラー映画的なショッキング演出」にまで単純化してしまったのでしょうか。わかんない!

 演じる役者さんの実力を信用すれば、絶対に原作小説に忠実にやっても問題なかったと思うんですけどね……特にたまきなんか、ドラマ版だと「なんで私のまわりでこんなに人が死ぬのかしら?」みたいなオール他人事な悲劇のヒロインでしかないじゃないですか! その裏に「真の顔」があるのがこのキャラクターのミソなんだし、別に演じた月城さんだってそれができない役者さんではないと思うんですが、なんか佐吉さんが気を遣って「いや、いいです! たまきはそんな汚い面は見せないでください!」みたいに、頼んでもないのに役を小さくしちゃったようにしか見えないんですよね。

 いっぽう、原作小説の「たまきと道明寺の再婚発表」のくだりが生み出す効果としては、たまきのバイタリティの他にも、「他人のためを思って犯人を隠蔽しようとした服部徹也の無駄死に感」があったかと思うのですが、これもまたドラマ版でのカットで、単純に犯人と徹也との関係だけにおさまってしまったのがもったいないにも程がありましたね。たまき、そこまでの思いを持って徹也が死んだのに1ヶ月後に道明寺とくっついちゃってんだぜ!? 浮かばれなさすぎ……
 ここらへんの「被害者(徹也)の予想外の行動が事件の謎をよけいに深める」という展開は、一見すると「んなアホな!」と笑ってしまいたくなるような真相なのですが、これはミステリー小説の歴史でいうとそうとうに古典的な作品から点々とつながっている伝統的なトリックなんですよね。私もいくつか脳裏に思い浮かべる作品があるのですが……これって、「人間、死ぬかもしれない超非常事態におちいると、そういう行動とっちゃうのかもな。」と読者に強引に納得させる作家の腕前がないと、いわゆる「バカミス」になっちゃうんですよね。ま、ミステリー小説はその発祥といわれる世界的有名作からして、そういう要素ありますから……おサルさんとかヘビとかクラゲとか……

 余談ですが、「旦那が殺された1ヶ月後に再婚を発表するたまき」というあたりもけっこう非常識な話ではあるのですが、それと同じくらいに、「マネージャーが殺された5日後に予定通りに新居祝いのクリスマスパーティを開くたまき一家」という設定もかなり常識を疑いたくなる話ではあります。中止にせい!!
 ただ、このように「中止になる可能性もある」パーティの日を見据えて犯行予告をしているということは、これって裏返せば「中止でも犯行可能」という公算が犯人にあったということなので、ここを突き詰めちゃうと、その夜にたまきの家にいない可能性もあった道明寺と柚木は「犯人」にも「被害者」にもなりえないという消去法が成り立つと思います。つまり、この「殺人の5日後のクリスマスパーティ」という強引な設定は、横溝先生から読者に暗に提示された「犯人も被害者もたまき一家の身内」という大ヒントになっているのではないでしょうか。う~ん、ドメスティ~ック!!


 こんな感じで、今回初の映像化となった『悪魔の降誕祭』は、原作の「衝撃的な犯人」という展開はちゃんと押さえておきながらも、なぜかそれ以外の登場人物たちの個性の強さからくる面白さはのきなみカットしてしまうという、謎な簡略化が目立つ作品になってしまっていたかと思います。別に長編の『犬神家の一族』を30分に収めろとかいう話でもないので、そんなにカットしなくても良かったと思うんですが……

 ただやっぱり、池松さんをはじめとしたキャスティングの良さは今回も冴えわたっていて、宇野丈良演出チームから移籍しながらも役柄は続投しているヤンさんの等々力警部&みのすけさんの島田警部補のコンビ(ただし初共演)も相変わらずいい味を出していたし、同じく宇野チームから出向してきた、「なんか人の家で殺人があるとよくいますよね」な YOU&板谷由夏さんというおなじみの面々もデジャヴュな感じで良かったと思います。
 でもやっぱり、今回の MVPはなんと言っても、由紀子役の虹子さんですよね! 原作の由紀子と同じ16歳! 今回ドラマ初出演! 素晴らしい才能ですね~。なんか、繊細なだけじゃない芯の強さがあるのが最高ですよ。今後のご活躍に大いに期待したいです。

 あと、佐吉さん演出回といえば、作中で使用される楽曲のチョイスにも注目したいのですが、今回はまぁ……それほど印象的な選曲はなかったかと思います。いい意味でも悪い意味でも、BGM がちゃんと BGMに徹していましたよね。目立たなかった。
 しいて言えば「犯人の変貌」シーンで使われた『好き好き大好き New Mix 』がいかにも佐吉さんらしかったし、曲の内容もまさに犯人の心の歪みをどストレートに体現していて良かったと思ったのですが、大サビの「♪あいしてるぅって いわなきゃコロスぅう!!」まで流れなかったところに、NHK放送の限界というか、TVマンとしての良識を見たような気がいたしました。まぁ……そりゃそうよね、戸川さんだもの。

 いろいろくだくだと申しましたが、それでも私としましては、前回に佐吉さんが構成・演出した『女怪』よりは、今回の『悪魔の降誕祭』のほうに好印象を持っておりまして、なんだか金田一耕助のハートブレイクに必要以上に同情的になってしまい、原作小説では『ちびまる子ちゃん』のナレーションのように金田一の狂態を冷笑ぎみに客観視する語り手(横溝先生本人)という面白さをいっさい放棄してしまっていた前回よりは、非常に見やすい作品に落ち着いていたのではないかと思いました。実に、シーズンの一番手としてそつのない仕上がりなんですよね。ああいうバッドエンドみたいな締めくくりではあるのですが。

 いやぁ、こういう『悪魔の降誕祭』を観ちゃうと、この作品に大いに関連が深いといわれる「あの長編」も、できますれば2時間サイズの長尺ドラマで観たい気がしますね~! でも、物語のシチュエーションでいえば両者はまるで似ても似つかない作品ではあるのですが、「異形の犯人像」と、その裏に犯人をそうしてしまった「真の元凶あり」という骨組みが、確かにかなり似通ってるんだよなぁ。やっぱり横溝先生の小説世界は、「生きている人間のしたたかさ」をあまさず描ききるところに真骨頂があるんですね。

 2時間ドラマ担当の吉岡金田一シリーズさんも池松金田一シリーズに負けずに、脚光が当てられていない長編群の映像化をよろしくお願い致します! ど~かひとつ!!
 フェイドアウトだけはカンベンしてつかぁーさいぃ!!
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あらためて立ち返ろう読書メモ 小説『帝都物語』7 『喪神篇』&『復活篇』

2025年04月21日 23時38分06秒 | すきな小説
≪過去記事の『帝都物語』第1・23・45・1112・67・8巻は、こちらで~っす。≫

『帝都物語9 喪神篇』(1987年5月)&『帝都物語10 復活篇』(1987年7月)
 角川書店カドカワノベルズから書き下ろし刊行された。

あらすじ
 世紀末、昭和七十三(1998)年。魔人・加藤保憲は帝都東京の完全崩壊の野望を果たすべく、海龍を駆って再び関東大震災以来の大激震を引き起こした。さらに大怨霊・平将門を目覚めさせんと、加藤の容赦なき殺戮は続く。だが加藤の前には、帝都の守護霊を救うべく、若き隠宅陰陽師・土師金鳳と、三島由紀夫が転生した女性・大沢美千代が立ちはだかった!
 帝都の命運を握る闘いの結末は? そして、地獄と化した東京にその姿を現す平将門の恐るべき真の正体とは……!?


おもな登場人物
大沢 美千代
 1970年生まれ。長野県の山村から、目方恵子によって帝都東京に呼び寄せられた、三島由紀夫の転生。東京の托銀事務センターに勤めるかたわら、恵子の後継者として魔人・加藤保憲と対決し東京の崩壊を阻止すべく、団宗治らの協力を得て闘ってきたが、ついに自身が三島の転生であることを自覚する。

加藤 保憲(かとう やすのり)
 明治時代初頭から昭和七十三(1998)年にかけて、帝都東京の滅亡を画策して暗躍する魔人。紀伊国龍神村の生まれとされるが、詳しい生い立ちについては一切不明である。
 長身痩躯で、こけた頬にとがった顎、さっぱりとした刈上げといった容姿で、いかなる時代においても老いの感じられない20~30歳代の外見をしている。眼光は鋭く、身体の大きさに似合わぬ軽い身のこなしが特徴的である。黒い五芒星(ドーマンセーマン)の紋様が染め抜かれた白手袋を着用している。剣の達人で刀は孫六兼元を愛用する。 極めて強力な霊力を持ち、あらゆる魔術に精通している。とりわけ陰陽道・風水・奇門遁甲の道においては並ぶ者のいないほどの達人であり、古来最も恐れられた呪殺秘法「蠱毒」を使う。天皇直属の陰陽道の名家・土御門家が総力を挙げても彼一人に敵わない。秘術「屍解仙」を用いて転生したこともある。さまざまな形態の鬼神「式神」を使役し、平将門の子孫を依代にして将門の大怨霊を甦らせようとしたり、大地を巡る龍脈を操り関東大震災を引き起こしたりした。中国語や朝鮮語にも通じる。
 太平洋戦争の終結後は自衛隊に所属し、調査学校の教官を務めながらも再びの帝都崩壊をたくらむ。年齢は100歳を超えながらも外見は30歳代の若さを保ち、式神や水虎を使役して、東京湾の海底に眠る龍を目覚めさせるべく暗躍する。

鳴滝 二美子(なるたき ふみこ)
 1969年生まれ。鳴滝純一の養女。大沢美千代や団宗治らと協力して、帝都東京の崩壊を阻止しようとする。多大な犠牲を出すこともいとわず野望を推し進める養父に心を痛める。

鳴滝 純一(なるたき じゅんいち)
 東京帝国大学理学士。1881年か82年生まれ。九州地方で巨万の富を築き、太平洋戦争後に帝都東京に戻る。現在は100歳を超える老齢であるが、「人胆」で得た全財産を投じて、自邸の地下室に関東大震災前の銀座の赤レンガ街を復元し、辰宮由佳理の亡霊をこの世に呼び戻すことに執念を燃やす。

団 宗治
 1947年生まれ。托銀事務センターの電算室次長。仕事の片手間に世紀末風オカルト小説を執筆する。幸田露伴と三島由紀夫を心の師と仰ぎ、魔術と文学に深い興味を抱く。目方恵子とは20年来の親友で協力者だった。コンピュータ技術を駆使して「前生回帰実験」を行い、大沢美千代に前世の記憶を取り戻させようとする。美千代と協力して、加藤の放つ水虎や式神と対決する。身長185cm。

滝本 誠(たきもと まこと 1949年~)
 雑誌の元副編集長で、団の友人のジャーナリスト。政府と鳴滝純一の陰謀を察し、大沢美千代や団らと共に帝都東京の崩壊を阻止するために、魔人・加藤の式神や水虎と闘う。身長180cm 以上。

岡田 英明(1948年~)
 SF小説家で翻訳家の鏡明(かがみ あきら)。電通東京本社に勤務するかたわら、作家やロックミュージック評論家として活動する。団宗治の親友。大沢美千代や団らと協力して、帝都東京の崩壊を阻止せんと闘う。身長が190cm 以上あり、大柄な団よりもさらに大きい。

土師 金凰(はじ きんぽう)
 角川春樹に見いだされた、土師一族の若き棟梁。古代土木工事職工集団の末裔「川太郎党」を率いて、団や春樹と協力して魔人・加藤保憲の野望を阻止するために命をかけた闘いを挑む。短髪で、男性か女性か判然としない華奢で小柄な姿をしている。戦闘時は、木製の宝輪「チャクラ」をブーメランのように飛ばして妖魔を切り裂く。土師家の邸宅と、川太郎党の菩提寺である曹源寺(かっぱ寺として知られる)のある浅草を拠点とし、普段は立川市の国営昭和記念公園に隣接する桜苗試験所に勤務している。

角川 春樹(かどかわ はるき 1942年~)
 角川源義の長男。角川書店社長となるも、昭和六十六(1991)年1月に突如辞任し一時消息不明であったが、新興宗教「奈須香宇宙大神宮」の大宮司として受けた「終末の霊告」をもとに東京の破滅を見届け、新たな遷都計画に全力を傾ける。また、自ら「紫微大帝(しびたいてい)」と名乗り、宝剣を手に魔人・加藤保憲と対決する。
 ※実際の角川春樹は1993年8月に麻薬取締法違反などで逮捕されるまで角川書店社長を務めており、1990年ごろは超大作時代劇映画『天と地と』の監督・脚本も手がけていた。なお春樹は1984年に、作中の大神宮の場所と同じ群馬県嬬恋村(浅間山の北)で実際に宗教法人「明日香宮」を創始し宮司を務めている。

鈴木 力(すずき りき)
 「破滅教」こと新興宗教「奈須香宇宙大神宮(なすかうつだいじんぐう)」の宮司にして事業部長。帝都東京の守護霊を救うために角川春樹の処方を明し、遷都計画を推し進める。ヘリコプターの操縦ができる。

梅小路 文麿(うめこうじ あやまろ)
 元侯爵の文官。新時代のために老齢の昭和天皇を「人胆」の力で生かし続けていた。大地震のために崩壊寸前となった帝都東京の遷都卜占と引き換えに、「将門の首塚」の秘密を魔人・加藤に明かす。

政所 典子(まんどころ のりこ)
 土師金鳳のしもべとして働く川太郎党の女性。土師や姉の利子と共に加藤と闘う。黒のスラックスに黒革のジャケットを着ており、土師や利子よりも背が高い。姉妹とも、土師と同じ宝輪「チャクラ」と黄金の羂索を武器として使用する。

合羽(あいば)
 霞ヶ関ビルの華族会館の幹事スタッフ。幸田露伴の研究者であり、魔人・加藤保憲の存在を露伴の遺稿から知っていた。超絶貴族集団「思想アカデメア」の日本支部長。

春井 裕
 東京都副知事。昭和七十三(1998)年10月28日18時35分に発生した東京大地震に対処するため、国会入りした都知事に代わって都庁内の災害対策本部を統括する。数年前から大地震を予知していた「奈須香宇宙大神宮」の宮司・鈴木力を召喚して東京を救う手立てを尋ねる。

辰宮 由佳理(たつみや ゆかり)
 鳴滝の親友だった辰宮洋一郎の妹。すでに死去しているが、鳴滝が仕掛けた次元の罠に捕らわれ、亡霊として鳴滝邸の地下空間で蘇る。

目方 恵子(めかた けいこ)
 福島県にある、平将門を祀る相馬俤神社の宮司の娘。将門の霊を守護するために、加藤保憲に数々の闘いを挑んできた。自分の後継者に大沢美千代を選び、巫女の修行を積ませて帝都東京の崩壊阻止を託しつつ、その一生を終えた。

平岡 公威
 小説家・三島由紀夫。昭和四十五(1970)年11月25日、市ヶ谷の自衛隊駐屯地で自決。その霊は地下に降り、平将門の怨霊と対決。将門の正体を明かせぬまま、大沢美千代として転生した。

平 将門(たいらのまさかど 903~40年)
 平安時代の関東地方最大の英雄。京の中央集権主義に刃向かい関東を独立国家化したため討伐されたが、その没後もなお千年間、大手町の首塚の下で関東と帝都東京を鎮護し続ける大怨霊。『帝都物語』シリーズ全体の根幹をなす最重要人物。


おもな魔術解説
土師氏(はじし)
 日本神話の最高神アマテラスと弟スサノオが生んだ農耕と産業の神・天穂日命(アメノホヒ)の子孫とされる野見宿禰(のみのすくね 3~4世紀か)を始祖とする、古代日本の氏族。その名の通り「土」すなわち土木技術を専門職とし、古墳時代(4世紀末~6世紀前期)に古墳・墓陵の造営や葬送儀礼と守護をつかさどった。大江氏や、怨霊や天神として知られる菅原道真を輩出した菅原氏が土師氏の末裔である。死や闇、地下(黄泉)の世界は全て土師氏の支配領域といえる。崩御した天皇や皇族の魂を安らげるという役職から、独特の魔術儀礼を伝承していた。土師氏の象徴はニワトリである。
 始祖の野見宿禰は出雲国飯石郡能見(現・島根県中南部)の出身だったが、垂仁天皇に大和国当麻村(現・奈良県葛城市當麻)の土地を与えられ移住し臣従した。その後、その子孫は畿内・中国地方を中心に広く分布していき、大阪府藤井寺市の三ツ塚古墳や、7世紀中~後期に土師氏の氏寺として創建された道明寺の一帯は河内国の土師氏の本拠地となった。また、備前国邑久郡(現・岡山県南東部)にも「大伯郡土師里」と呼ばれる一帯が存在していた。

しりこ玉
 世界には魔物を退治することのできる武器の伝説が流布し、特に銀製の弾丸が人狼を撃ち殺すことができたり、最後から二番目の弾丸が「魔弾」としての能力を発揮するなど、その種類も多い。しりこ玉とは、しり(最後)の弾丸という意味の他に、人間の生命エネルギーを象徴する男根も連想させる魔弾である。

六芒星(ペンタグラマ)
 同じ籠目型の呪符であっても、ドーマンセーマンのような五芒星とは別種のものである。2つの三角形を上向きと下向きとで組み合わせた六芒星は、日本では籠目の他に古代ユダヤ教の「ダビデの星」の意味も含む。強力な魔除けとなる呪符で、数秘学的に見ると6は完全数すなわち万能の霊力を持っている。

紫微宮(しびきゅう)
 古代中国には、北極星を中心とした星座に天帝の宮殿があるという信仰があった。この高貴な宮殿が紫微宮である。後に、北極星を最高神として「紫微神」と呼んだ。北極星と北斗七星に住まう神々は天界・人間界・冥界を支配し、これらを祀れば国家安寧・長寿・天災回避などが可能になると信じられた。紫微宮信仰は日本にも伝わり、妙見信仰や星祭となって定着している。

幽体離脱
 肉体と霊体の間をつなぐ神秘的な自己意識体「幽体」が、肉体を離れて地上・宇宙・幽冥界などで浮遊すること。幽体とはエーテル物質ないしメスメルの動物磁気のことともいわれる。19世紀に西洋で心霊学や神智学が流行した際に定着した言葉。日本では「離魂病」ともいわれていた。

金鶏
 世界では古代から、金のニワトリや金のガチョウにまつわる伝説が広く流布していた。これらは、地中から発掘される黄金と卵のイメージが結びついたためと考えられる。日本では、金のニワトリは土師氏に関わり、地中で鳴くニワトリの説話が伝わっている。金鶏は、天照大神の岩戸隠れ(太陽の死)とその再生を示したものともいえる。中国大陸や日本では、夜や闇の邪鬼を祓うために棺の上に白いニワトリを乗せる風習も存在している。

安摩(あま)
 大陸から伝来した日本最古の音楽である舞楽の一つ。「へのへのもへじ」に似た奇怪な布製の面を顔に垂らして舞う。魔術的な舞であるが、道化踊りにも似た悪魔的な側面もある。舞楽全体がそうであるように、東洋のどこかから伝来した悪魔祓いの儀式に由来するものであると思われる。

紀伊国龍神村(りゅうじんむら)
 加藤保憲の出身地であるとされる。和歌山県の中東部に位置し、2005年5月に市町村合併により田辺市に統合されたが、現在も大字に「龍神村」の名称が残っている。奈良県の十津川村などと隣接している。日本三美人の湯(龍神温泉、群馬県川中温泉、島根県湯の川温泉)の一つである龍神温泉の村として知られる。龍神温泉は役小角(634~701年)が発見し、弘法大師空海(774~835年)が開湯したと伝えられ、江戸時代には紀州徳川家の御殿湯となっていた。村の約70% を標高500m 以上の山岳が占め、日高川が村内の中心地を流れている。 北に護摩壇山(標高1372m )がある。主要産業は林業と観光業。
 『帝都物語』では、古代に朝鮮半島から渡ってきた、役小角を棟梁とする魔道士一族が棲んだ村とされる。飛鳥時代、天智天皇(626~672)は朝鮮半島への出兵にかこつけて龍神の民を大陸へ追放し、龍神村を支配下に置いた。しかし、朝廷への深い恨みを持つ龍神の民の子孫が海を渡って奇跡的に龍神村に帰還し、その怨念を受け継ぐ末裔こそが加藤保憲であるといわれる。


 はぁ~感慨深い! 実に感慨深いですねぇ!!
 全部で12巻続いてきた『帝都物語』正編も、ついに今回取り上げる第9・10巻をもって堂々の完結でございます。なんで12巻ある物語の最終巻が第10巻なのかは、これまでの過去記事を見てね!

 まぁ世の中には、この『帝都物語』よりも長くお話が続いている一大長編もあまたあるかとは思うのですが、この『帝都物語』ほどカロリーが高く、そして満足度も高い作品となると、なかなか無いのではないでしょうか。私の感覚なんですが、この『帝都物語』って、文庫本にして総計3000ページ分くらいなんですけど、ひとつのお話としては、やっぱこのくらいの文量が限界なんじゃないでしょうかね~。『帝都物語』の大先輩にあたる日本伝奇小説の最高峰『南総里見八犬伝』は、現行の岩波文庫版で全10冊なんですけど、現代の日本人でも楽しめるように編集するとなるともうちょっとコンパクトになりますから。
 管見ながら、この他に私が読んだことのある『帝都物語』以上の長さの小説となりますと、プルーストの『失われた時を求めて』(ちくま文庫で全10巻)とか中里介山の『大菩薩峠』(ちくま文庫で全20巻)とか、川上稔の『終わりのクロニクル』(角川書店電撃文庫で全14巻)と『境界線上のホライゾン』(電撃文庫で全29巻)があるのですが、ちょっとー……「一つの物語」を読んだぞ、という感覚にはならないような気がするんですよね。手塚治虫の『火の鳥』シリーズみたいな感じで、何コかの長編が並んでまとまってるというような。
 いやぁ、やっぱり長い長いっていっても、長編小説は3000ページくらいでおしまいにするのがいいんじゃないっすか!? 本棚もそんなに場所とらないし。

 それにしたって、並大抵の小説家だったら伏線の張りすぎとか回収し忘れで支離滅裂になりそうな3000ページという広大なフィールドを、荒俣先生はよくぞまぁハイテンションをキープしたまま突っ走って、『復活篇』での大団円にもってきてくださったなぁと思います。この剛腕は、本当に素晴らしい才能ですよ。
 『復活篇』のエピローグに広がる風景の、なんと美しいことか。全てが崩壊し滅び去った、廃墟だけが建ち並ぶ大地。しかし、その一面に狂い咲く、桜の花の満開の息吹きよ!
 最高ですね、絵としてこれ以上ないくらいの絶景です。しかし……


おまえが踊るんかーい!! 心の底からもう一度。おまえが踊るんかぁーーああい!!


 さすがは荒俣先生。陰陽道の呪法合戦の終幕に、日本古来の舞楽の『安摩』の鎮魂の舞をもってくるという采配は、まさにこれ以上ないくらいの静謐で清らかな締めくくりだと思います。
 でも、それを踊るのが、なんでよりにもよってこの人なんですかー!! ま、何を隠そう角川書店から出ているシリーズなので、最後をシメるのがこの人というのも、もはや笑うしかない清々しいまでの忖度キャスティングであるわけなのですが……なんかねー!
 この人、現実の世界線では『復活篇』が刊行された6年後に、お薬のやらかしでお縄になってますからね。それで、『復活篇』のエピローグが語られていた時代設定は「2004年」だったのですが、現実世界ではその2004年に仮出所されていたのだとか。なんという皮肉か……
 大体この人、『帝都物語』に登場してくるのは今回取り上げたクライマックスの2篇だけなのですが(名前は『未来宮篇』から出ている)、出番は4シーンくらいしかないんですよ。意外と心配しているほどしゃしゃり出てはこないのです。
 でも、その4シーンのうちの2つが、「加藤保憲との宇宙空間での真剣ガチンコ勝負」と、この「エピローグ」だってんですから、厚遇もはなはだしい!! エピローグに出るってことは、あの加藤に負けてないってことじゃん! うそーん!!
 実際にその戦いのもようを見てみますと、まぁ加藤に一太刀あびせられて劣勢になるのですが、東京壊滅を優先させた加藤が勝負をおあずけにするという流れで勝敗の行方はドローとなってました。荒俣先生、ニクいねぇ~! 両者に花を持たせる演出ですよ。『キングコング対ゴジラ』か!

 いやーもう、ここらへんはムチャクチャですよ。死んだはずなのに、なぜか死んでからさらに大活躍しだす三島由紀夫大先生もたいがいムチャクチャなのですが、この人のハバのきかせ方も、『帝都物語』クライマックスのどんちゃん騒ぎ感に大幅に貢献しているような気がします。

 あとは、これまた終盤の2篇になっていきなり降って湧いたように加藤の前に立ちはだかる史上最強の刺客、「冥府の守護者」こと土師キンポー君も、加藤でなくても「なんだチミは!?」と叫びたくなる唐突感がたまらないのですが、こういったもろもろの「ん? んん?」要素を満載にさせながらも、それでもこの『帝都物語』を満足度の高い大団円に導きえているのは、やはりなんといっても、

「帝都の地下に眠る平将門の正体とは? そして『真の彼』はどこにいるのか?」

 という、『帝都物語』に通底していた最大のミステリーに対して、ちゃんとした「意外性のある答え」を用意していたこと。これに尽きるのではないでしょうか。

 いや、これはあくまでも一読者である私の個人的な感想ですので、読み進めていくうちにその答えの予想がついてしまったという方にとっては、そんなに重大なことでもないのかも知れませんが、少なくとも私は、この『帝都物語』が、ある意味で将門の怨霊を執拗に追い求める加藤保憲を探偵役にすえた、純然たる「推理小説」であったという真実に驚きましたし、それだけに非常に満足しました。あぁ、そうだったのか、だからあのシーンで加藤は、将門の真相に迫るヒントをくれた登場人物に対して、長い『帝都物語』3000ページの歴史の中でもそうとうに珍しい(もしかして1回だけ?)、

「わかった! 〇〇〇さん。よく知らせてくれた。約束は守る。」

 という、感謝の念のこもったまごころあふれるお礼をしていたのか! と、冗談抜きで読んでいて鳥肌が立っちゃったんですよね。屍解仙になっても人間っぽい素直さは忘れない加藤保憲! 武人の鑑じゃ。

 いや~ホント、平将門の本体が、まさかあそこにあったとはねぇ。
 作中でも加藤が言及していましたが、それを推理するためのヒントはちゃ~んと作中で出てたんですよね! そして、そこから導き出されるのは、なんと、その「真の答え」に本人たちも知らぬ間に肉薄していたのは、加藤でもトマーゾでもドルジェフでも大谷光瑞でも甘粕正彦でも平井保昌でもなく、

北一輝と全学連の学生諸君

 であったという、この大逆転!! やったぜイッキ!!

 浮かばれたね……『魔王篇』の北一輝と『百鬼夜行篇』の学生諸君って、正直、『帝都物語』の中でも屈指の「冷や飯くわされポジション」といいますか、つまはじきにされてるような悲哀があったのですが、まさか、そんな彼らが「将門の真実」に最も近づいていたとは! まぁ、本人たちも知ってて接近してたわけじゃないので、単なる偶然なんですけどね。

 いや、それにしても、こういう形で冷遇キャラに脚光をあびせるのって、とってもいいですよね。人生捨てたもんじゃねぇな、みたいな生きる希望を私たちに与えてくれる粋な計らいだと思います。荒俣先生、ありがとう!!

 ずいぶん昔に我が『長岡京エイリアン』であつかった別企画でもそんなキャラ、いましたよ。第6使徒ガギエルさんっていうんですけどね。新劇場版にも出られなかった可哀そうなお使徒でしたが、彼を見た時のような、さわやかな感動におそわれました。よかったよかった、よかったね☆

 「真の将門の居場所」という謎の他に、「将門の正体」という大きな謎もあったのですが、これに関してはもう、有名なことわざの「〇〇〇取りが〇〇〇になる」を地でいくような展開で、もう笑うしかないしっくり感があるのが実にお見事でした。要するにこれは、地球最大規模の「七人ミサキ」だったのかも知れませんね。もしくは水木しげるの単発マンガ『やまたのおろち』的な。憎悪と愛情って、紙一重なのよね……

 とにもかくにも、破綻とはまた違った意味合いでハチャメチャなことになってしまっているクライマックス2篇ではあったのですが、一大叙事詩たる『帝都物語』を見事に締めくくる大事なところはちゃんと押さえていたということで、私は本当に、満足することができました。終わりよければ全てよし! 辰宮由佳理さんは最後の最後までひどい目に遭いっぱなしだったけど、ヨシ!!

 あ、そういえば今さらになって思い出してしまいましたが、あの令和版の映画『妖怪大戦争 ガーディアンズ』(2021年)のクライマックスで安摩の面が出てきてたのって、この『帝都物語』へのセルフオマージュだったのね。でも、別に加藤保憲と安摩の舞に直接の関係はないもんねぇ。ちょっとピンとこないですね。

 あと、加藤と将門の熱すぎる関係ばかりに文字を割いてしまいましたが、その一方で加藤の式神十二神将をみごと撃退した、大沢美千代と団宗治たちむさくるしい中年おじさんズによる、コンピュータシステムを使った退魔戦法も、非常に血沸き肉躍るベストバウトでしたね。
 ここって、単に荒俣先生がコンピュータ好きだからとか、団宗治が荒俣先生自身を色濃く反映しているキャラクターだから花を持たせたっていう単純な話じゃなくて、今までは平井保昌しかり黒田茂丸しかり、「過去の叡智」を継承するだけにとどまっていた戦法では加藤の執念に打ち克つことはできなかったのですが、過去の遺産をふまえた上で、現代リアルタイムの「私たちの叡智」を絞りだしてミックス、アップデートさせなければ、今そこにある壁を乗り超えることはできないというメッセージが込められていると思うんです。そりゃそうですよ、陰陽道も風水術も、加藤は完全履修済みなんですから!
 ここらへんの、100年近い物語の積み重ねを経たうえで団と美千代たちがたどり着いた(とりあえずの)勝利があるという展開は、そこまでの長~い敗北の歴史があったればこその「ヤッター!!」だと思うんですよね。

 そういった美千代・団サイドの鳴滝邸における泥くさい激闘のくだりは、まぁ結局はブチ切れた加藤本人が鳴滝邸に乗り込んできちゃって壊滅するという悲劇を招いてしまうわけで、『帝都物語』全体の大局から見れば加藤の優位をくつがえすまでの重要度はなかったわけなのですが、ある意味では土師キンポーがどうのこうのいう最終決戦以上に荒俣先生が描きたかったストーリーだったんじゃなかろうかと思うんですよね。まぁ、『帝都物語』を終わらせるために必要な装置として土師サイド春樹サイドはなければなかったのでしょうが、それだけでは絶対に『帝都物語』はここまでの名作にはならなかったと思います。どんなにハチャメチャでも当時の角川書店に忖度しまくりでも、読めば読んだ即時に、昭和末期のマグマのように熱いテンションの奔流が召喚されるというこの普遍的な面白さこそが、この『帝都物語』12巻を、がんばって最後まで読んだ人がたどり着ける最上の果実なのではないでしょうか。
 雑味ありまくり! だが、そこがイイ~!!


 さて、まぁこんな感じで『帝都物語』クライマックスに関する感想は以上なのでございますが、せっかくここまでこれたので、次回は『帝都物語』全体に関するつれづれのまとめと、今後のもろもろについてをくっちゃべっていきたいと思います。ま、ちょっとだけね!

 いや~『帝都物語』、決して端整な造作の二枚目ではありませんが、読んだら絶対に忘れられない唯一無二の魅力を持った一大娯楽作ですよ!
 だまされたと思って、読んでみたらいいさ!!
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あらためて立ち返ろう読書メモ 小説『帝都物語』6 『百鬼夜行篇』&『未来宮篇』

2025年04月19日 20時00分04秒 | すきな小説
≪過去記事の『帝都物語』第1・23・45・1112・6巻は、こちらで~っす。≫

『帝都物語7 百鬼夜行篇』(1986年10月)&『帝都物語8 未来宮篇』(1987年2月)
 角川書店カドカワノベルズから書き下ろし刊行された。

あらすじ
 昭和三十五(1960)年4月。「安保反対」のシュプレヒコールがこだまする東京。学生運動を統率する者たちは「国際反戦デー」に多角的武装蜂起を決行することを画策し、海外から謎の超能力者ドルジェフを招聘した。
 一方、自衛隊将校となった魔人・加藤保憲は、小説家の三島由紀夫を特別訓練生として鍛え、祖国防衛隊を結成する。しかし、三島は加藤の行動が帝都壊滅への布石であることを知り、魔人に敢然と挑む!


おもな登場人物
≪百鬼夜行篇≫
平岡 公威(1925~70年)
 小説家・三島由紀夫。辰宮雪子の助けを借りて、自分に取り憑いた怨霊を祓うが、その際に見た霊視に興味を持つ。後に自衛隊に体験入隊した時に加藤保憲と再会し、加藤の影響下で祖国防衛隊隊長となり、全学連などと対峙する。

加藤 保憲(かとう やすのり)
 明治時代初頭から昭和七十三(1998)年にかけて、帝都東京の滅亡を画策して暗躍する魔人。紀伊国龍神村の生まれとされるが、詳しい生い立ちについては一切不明である。
 長身痩躯で、こけた頬にとがった顎、さっぱりとした刈上げといった容姿で、いかなる時代においても老いの感じられない20~30歳代の外見をしている。眼光は鋭く、身体の大きさに似合わぬ軽い身のこなしが特徴的である。黒い五芒星(ドーマンセーマン)の紋様が染め抜かれた白手袋を着用している。剣の達人で刀は孫六兼元を愛用する。 極めて強力な霊力を持ち、あらゆる魔術に精通している。とりわけ陰陽道・風水・奇門遁甲の道においては並ぶ者のいないほどの達人であり、古来最も恐れられた呪殺秘法「蠱毒」を使う。天皇直属の陰陽道の名家・土御門家が総力を挙げても彼一人に敵わない。秘術「屍解仙」を用いて転生したこともある。さまざまな形態の鬼神「式神」を使役し、平将門の子孫を依代にして将門の大怨霊を甦らせようとしたり、大地を巡る龍脈を操り関東大震災を引き起こしたりした。中国語や朝鮮語にも通じる。
 太平洋戦争の終結後は保安隊(のちの自衛隊)に所属し、二佐(中佐)として調査学校の教官を務めながらも再びの帝都崩壊をたくらむ。式神を操りながら平岡公威に近づき、全学連などの学生運動と対決し、その動乱を崩壊の足がかりにしようとする。

目方 恵子(めかた けいこ)
 福島県にある、平将門を祀る相馬俤神社の宮司の娘。加藤保憲に闘いを挑んだが敗れ、加藤によって満州国へと連れ去られたが、再び日本へ戻った。新宿区新小川町の大曲にある江戸川アパートメントに住み、将門の霊を守護するためにドルジェフと対決する。1894年か95年生まれ。

辰宮 雪子(たつみや ゆきこ)
 由佳里の娘。母から強い霊能力を受け継ぎ、そのために加藤に狙われる。
 母・由佳理亡き後は目方恵子を母と呼び、平岡公威と深く関わる。1915年8月生まれ。

紅蜘蛛
 新宿三丁目の酒場「紫」で女装し、辰宮雪子や三島由紀夫と親しくする。自称「三島を邪霊から護る半陰陽の守護天使」。本名も年齢も不詳だが、本名のイニシャルは「 K」であると語っている。

角川 源義(かどかわ げんよし 1917~75年)
 角川書店初代社長。国学院で折口信夫に学んだ新進の国文学徒であったが、敗戦直後の荒廃に際し、日本文化を守り抜く決意をもって28歳で角川書店を創業する。学者、俳人としても名を成し、西行法師や柳田国男に深く傾倒した。

セルゲイ=ドルジェフ
 アルメニア出身の民族解放運動リーダー。「スーフィー(イスラム神秘主義者)の悪魔」の異名を持つ。チベットの山岳寺院で第三の眼の修行に励み、モンゴルのゴビ砂漠でスーフィー秘術を学ぶ。灰色の瞳を金色に輝かせる邪視を用いて、イランの首都テヘランや東南アジアを中心に民族解放闘争に暗躍する稀代の超能力者。全学連に協力するために来日し、加藤や恵子と壮絶な闘いを繰り広げる。極度に肥満した巨漢で頭髪や眉毛はなく、常に車椅子で移動する。外見は50歳程だが年齢不詳で、一説には1969年の時点で120歳(1849年生まれ)であるといわれる。

房子・イトー
 全学連の元闘士でドルジェフの側近。本名不明。イランの首都テヘランでドルジェフの元にいたが、昔の同志たちの呼びかけによりドルジェフと共に帰国する。1969年の時点で30歳前後。日本人とは違う抑揚で日本語を話す。日本では「ローザ」という偽名を使用する。

森田 必勝(1945~70年)
 三島由紀夫が率いる祖国防衛隊の学生長。

辻 政信(つじ まさのぶ 1902~61年以降消息不明)
 旧・大日本帝国陸軍大佐。本草学に精通している。戦後、東南アジアに長く潜伏していたが、昭和二十三(1948)年に帰国して国会議員となる。岸信介首相の命により再び東南アジアへ潜入し、謎の人物ドルジェフと対面する。

市岡 仁
 江戸川アパートで同居する兄の影響を受けて、学生運動に参加する。1947年か48年生まれ。

市岡(兄)
 東京大学の大学生。江戸川アパートの目方恵子の隣の部屋に弟の仁と共に住み、学生運動に参加する。後に出版会社に勤め、角川源義らとも面識を持つ。

滝田
 全学連闘士時代の房子の同志。市岡仁の所属する全学連中核派のリーダー。顎髭を生やして眼鏡をかけている。「滝田」は活動時に使用する偽名で、本名は不明。

井上 正弘
 京都大学一年生。東京の砂川町(現・立川市)で発生した砂川闘争(1955~69年)に参加するために上京し、江戸川アパートの市岡兄弟を頼る。

石橋 湛山(いしばし たんざん 1884~1973年)
 鳩山一郎の後に内閣総理大臣に就任するが、加藤保憲の陰謀により毒を盛られ、健康を害して退陣を余儀なくされる。

中島 莞爾
 辰宮雪子のかつての恋人で、二・二六事件に関わった大日本帝国陸軍の青年将校。事件後に処刑されるが、怨霊となって平岡公威に取り憑く。

平 将門(たいらのまさかど 903~40年)
 平安時代の関東地方最大の英雄。京の中央集権主義に刃向かい関東を独立国家化したため討伐されたが、その没後もなお千年間、大手町の首塚の下で関東と帝都東京を鎮護し続ける大怨霊。『帝都物語』シリーズ全体の根幹をなす最重要人物。

≪未来宮篇≫
大沢 美千代
 1970年生まれ。長野県の山村から目方恵子によって帝都東京に呼び寄せられた、三島由紀夫の転生。東京の托銀事務センターに勤めるかたわら、恵子のもとで魔人・加藤保憲と対決すべく、恵子の後継者として巫女になる修行をおこなう。

団 宗治(1947年~)
 托銀事務センターの電算室次長。仕事の片手間に世紀末風オカルト小説を執筆する。幸田露伴と三島由紀夫を心の師と仰ぎ、魔術と文学に深い興味を抱く。目方恵子とは20年来の親友で協力者である。コンピュータ技術を駆使して「前生回帰実験」を行い、大沢美千代に前世の記憶を取り戻させようとする。大沢美千代と協力して、加藤の放つ水虎や式神と対決する。身長185cm。自宅の水槽でトビハゼや、ウミサボテン、ミノガイ、ヒカリキンメダイといった発光生物を飼っている。

岡田 英明(1948年~)
 SF小説家で翻訳家の鏡明(かがみ あきら)。電通東京本社に勤務するかたわら、作家やロックミュージック評論家として活動する。団宗治の20年来の親友。身長が190cm 以上あり、大柄な団よりもさらに大きい。

藤森 照信(ふじもり てるのぶ 1946年~)
 帝都東京に残された役に立たないもの、不思議なもの、怪建築、廃墟の類を調査し、地図化する路上観察学会の建築史家。鳴滝から4億円の資金提供を受け、東京湾から関東大震災で崩壊した銀座の赤レンガの引き上げ作業を行う。団宗治の親友。

鳴滝 純一(なるたき じゅんいち)
 東京帝国大学理学士。1881年か82年生まれ。移住先の鹿児島県坊津の海底から沈没船の財宝を引き揚げて巨万の富を築き、太平洋戦争後に帝都東京に戻る。現在は100歳を超える老齢であるが、全財産を投じて、自邸のおよそ100m ×200m もの広大な地下空間に、関東大震災前の銀座の赤レンガ街を復元しようとする。

鳴滝 二美子(なるたき ふみこ)
 鳴滝純一の養女。1969年生まれ。1976年に純一の養女となる。多大な犠牲を出すこともいとわず野望を推し進める養父に心を痛める。

滝本 誠(たきもと まこと 1949年~)
 1992年に活動を停止した出版社マガジンハウスのニュージャーナリズム雑誌『鳩か?』の元副編集長で、団の友人のジャーナリスト。夜な夜な、高性能無音モーター付き自転車を駆って通行人を襲撃する暴走族「サイクラー」として活動している。身長180cm 以上。
 ※実際の出版社マガジンハウスはもちろん2025年現在も健在で(『 an・an』や『 BRUTUS』などで有名)、『鳩か?』の元ネタの雑誌『鳩よ!』は2002年まで発行されていた。

五島 政人
 托銀事務センターの電算室課長で、次長の団宗治の部下。顧客情報ファイルの検索システムの異常を団に報告する。

チズコ
 マガジンハウスの編集部員で滝本の部下。ショートカットに丸メガネの小柄な女性。ピンク色のドライスーツを着て紫色の口紅を塗り、滝本と共に「サイクラー」として暴走行為を行っている。

益田 兼利(1913~73年)
 陸上自衛隊東部方面総監。陸将(中将クラス)。1970年11月25日に三島由紀夫や森田必勝ら「楯の会」が起こした、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地のクーデター未遂事件で人質となってしまい、三島と森田の自決に立ち会うこととなる。

吉松 秀信(1920~?年)
 陸上自衛隊幕僚防衛副長。一佐(大佐クラス)。三島らのクーデター決起に遭遇し、三島の要求書を受け取り説得を試みる。


おもな魔術解説
八陣遁甲(はちじんとんこう)の図陣
 中国大陸で発明された、陰陽二気の流れに応じて身を隠したり災難を避けたりするための方位魔術「奇門遁甲術」に含まれ、古代中国の名将・諸葛亮公明(181~234年)が編み出したものといわれる。天の九星、地の八卦に助けを借り「八門遁甲」ともいわれる各方位への出入り口「門」のうち、どれが吉でどれが凶なのかを知ることができる。巨大な岩石を一定の形式に陣立てして、迷路のようになった内部に敵を誘い込み、自分の行方をくらましたり敵を誘い込み混乱させる罠に利用された。

蟲毒(こどく)
 蟲術や、短く「蟲」ともいう。中国大陸で発達し、日本でも平安時代ごろまでに盛んに用いられた、相手に生物の霊を憑かせる呪殺術。ヘビ、サソリ、虫など魔力あるいは毒のある生き物から特別な方法で魔のエキスを採取し、これを呪う相手に服用させたり、持たせたりすることで発動する。古代の日本ではしばしば蟲毒の禁止令が出されるほど流行した。

烏玉(うぎょく)
 カラスの目玉のこと。中国大陸では、これを干して粉末にし服用すると、亡霊や鬼が見えるようになると信じられた。

邪視
 英語で「 evil eye」という。古代人は、悪意のある邪悪な目に睨まれると、その悪意の魔力が実際に害をなすと信じた。西洋の幻獣「バジリスク」は、ひと睨みで人間や他の動物たちを殺すことができたとされる。邪視に対抗する手段には、ギリシア神話の魔女ゴルゴン退治のように鏡などで邪視を反射させるか、目立つものや見極めが難しいもの、極度に見にくいもの(九字を切る、ドーマンセーマン、籠目の図法など)を出して邪視を逸らせるかの2通りがある。日本では、博物学者の南方熊楠が邪視と邪視破りの研究を行った。

紅茶占い
 西洋に伝わる占い。日本では「茶柱が立つと縁起がいい」と言われるが、西洋の場合は紅茶かすの残り具合から図形や文字を読み取り、占いの手がかりとする。

第三の眼
 仏教のチベット密教に伝わる特別な能力。修行を積んだ僧は、頭上や額に盛り上がりができたり、脳内に光が通過するようになり、2つの眼の他に神秘的な視覚を獲得する。これを第三の眼という。かつてロブサン=ランパ(1910~81年)というイギリス人のチベット行者が第三の眼を喧伝し、日本でも著作が翻訳された。

水虎(すいこ)
 日本で一般に「河童」と呼ばれる妖怪に似ている。しかし、河童は日本の妖怪だが、水虎は古代中国で伝承されていた。3、4歳の子どものような背丈で、矢で射ても突き刺さらない硬い甲羅を持っている。脛が長く牙が鋭い。常に水中に身をひそめ、水辺に来た人間や家畜を襲って命を奪う。
 『未来宮篇』では、平安時代の大陰陽師・安倍晴明の式神十二神将の子孫である水の妖怪とされ、古くから江戸の水域に生息していたが、1987年から東京の地下に設置された密閉式ダストシュートシステムを通じて違法に投棄される人間の死体を喰らうために、東京湾に出没するようになった。

月下儀式
 古代中国には月にまつわる俗信が多くあり、日本にも伝わっている。月の中にウサギが住むという伝承も、その一例である。中国では他に、三本足のヒキガエルが住んでいるという伝承もある。月は、縁結びの神である「月老」(または結璘)とも関係があり、月老は目に見えぬ赤い糸を用いて、結婚するべく生まれてきた男女の縁を結ぶという。


 ……いや~、いよいよ、『帝都物語』という大河ドラマも佳境に入ってきましたね!

 それにしましても、のっけから水を差すようで申し訳ないのですが、1995年に発行されて現在に至る角川文庫の合本新装版は、全12巻が半分の6巻にまとめられて入手しやすいし、なんてったって田島昭宇さんのカバーイラストがカッコよくもありグロくもありエロくもありでとってもよろしいわけなのですが、やはりこうやって読んでいきますと、ちょっとペアリングに無理がある感も否めません。
 前回までもちょいちょい言ってはきましたが、『帝都物語』の正編10巻の完成後に出た番外編2作『ウォーズ篇』と『大東亜篇』を、時系列順にということで中途に差しはさんでしまうのは、物語のリズムとしては若干の違和感があります。この2篇では加藤保憲がほぼヒーローのような役割を担っているので、これを入れると太平洋戦争中の加藤の動向ははっきりするのですが、ブラックコーヒーに角砂糖を2コといった感じで、加藤のワルさがにぶってしまうのです。これを良いと見るのか悪いと見るのか……加藤保憲という昭和生まれ屈指の名キャラクターが好きな人であれば好きな人であるほど、非常に狂おしい問題ですね! でも、こういうふうに個性のふり幅でファンをやきもきさせてしまうのって、ゴジラとか仮面ライダー級にインパクトの絶大な存在にしか許されない振舞いですから。加藤はなんと、1983年の雑誌連載での誕生からわずか数年でその域に達してしまったわけです。ほんとすごい! 荒俣先生の筆霊の威力は当然としましても……神さま仏さま嶋田久作サマ!!

 それで今回とり扱う2篇なのですが、これは別に番外編どうこうは関係ないのですが、これもこれで2篇を1冊にまとめちゃうのはどうかな……と感じてしまうチグハグさが目立ってしまうのです。時系列的には順番通りなんですけど。

 要するにこの『百鬼夜行篇』と『未来宮篇』って、小説のジャンルがぜんぜん違うんですよ。『百鬼夜行篇』はこれまでの諸篇同様に伝奇時代小説なのですが、第8巻にあたる『未来宮篇』から最終第10巻まで、『帝都物語』はいきなり近未来 SF小説にフォームチェンジしてしまうのです! こいつぁびっくりですわ!!

 具体的に見ますと、この『帝都物語』は明治四十(1907)年の帝都東京から物語が始まるわけなのですが、『百鬼夜行篇』は昭和三十一(1956)~四十四(1969)年の戦後復興期の東京を舞台とします。
 この『百鬼夜行篇』は、加藤や北一輝やトマーゾといった明確な悪役のポジションに「目からビーム!」の新外国人ドルジェフこそ登板しているものの、その一方で全共闘や新安保、国際テロリストの女傑に三島由紀夫と盾の会といった感じで、正史を元にしたパートが文字通り「事実は小説よりも奇なり」といった感じでバンバン読者を幻惑してくるので、長い『帝都物語』の中でも、ちょっと類似する空気の見られない「鬼っ子」のように特異な存在となっております。地味な市井の描写が結構多くてドキュメント性が強いんですよね。ドルジェフみたいな飛び道具感満載のキャラがいるのに、三島由紀夫というそうとうに強烈な個性が、それを喰いまくる勢いで異彩を放っているのです。ま、そのくらいの逸材でなければ、以降のキーマンにはなりえないですよね。
 ちなみに、『百鬼夜行篇』の中でも特にインパクトの強い、「え、今なんの時間?」的な不気味な空気が流れる挿話「三島と加藤のスパイ訓練電車旅」のところなのですが、これ、実際に三島由紀夫と盾の会の自衛隊側からの強力な指導者となっていた山本舜勝(きよかつ 1919~2001年)陸将補が行っていた変装訓練をほぼ忠実に加藤にだけ置き換えて再現しているようです。『百鬼夜行篇』のクライマックスの舞台となった。昭和四十三(1968)年10月21日の「新宿騒乱事件」でも、山本陸将補の指導で三島と盾の会が変装してほんとに現場に潜入していたのだとか……カトーは実在した!?

 ところがそういった『百鬼夜行篇』が、ドルジェフと鬼ババ恵子の地獄のような画ヅラのビーム合戦の末に終わりまして、その次の『未来宮篇』はといいますと、荒俣先生がこの『帝都物語』を発表していたリアルタイムの昭和五十八~六十二年を完全スルーして跳び越え、なんと「昭和六十九年」の東京からスタートするのです。ろろ、六十九年!?

 言うまでもなく、私たちが生きている世界線の日本では昭和は六十四年で終わっており、無理やり解釈すれば昭和六十九年こと1994年は「平成六年」であるわけなのですが、この『未来宮篇』から、『帝都物語』は「昭和が終わっていない架空の未来」を舞台とした SF小説として進行していきます。この、「昭和が終わっていない」というところも物語の重要なポイントとなっているのがニクいですねぇ! 昭和を無理やり終わらせないようにしている闇の勢力が混在しているという……陛下、いい迷惑!

 昨今のアニメ好き(特に高年齢層)のハートを見事にわしづかみにしている『機動戦士ガンダム ジークアクス』でも、「ある時点から世界が正史からズレていく」という分岐点が大きなキーワードとなっているのですが、この『帝都物語』の場合は、どうやら自然災害の規模の違いが最初の分岐点となっているようです。
 すなはち、『帝都物語』の世界でも、現実の日本と同じように昭和六十一(1986)年11月、東京湾の南にある伊豆大島の三原山が噴火を起こすのですが、史実では11月21日を最後に噴火活動は終息し、避難者も伊豆大島の1万人余りが東京都と静岡県に約1ヶ月間避難するにとどまったものの、『帝都物語』のほうでは、災害規模はそれどころじゃないとんでもないことになっております。

 なんと『未来宮篇』の世界では、三原山の噴火を契機として昭和六十四(1989)年までに三宅島、八丈島、そして長野・群馬県境の浅間山までもが噴火を起こし、さらには伊豆半島と房総半島で直下型地震が群発したために200万人もの避難民が東京に流入するというムチャクチャな状況に陥ります。現実の200倍の災害規模! 現実の方の世界に生きててよかった……こっちは1989年に三原山からゴジラが出てくるくらいで済んだもんね。
 こういう事態を受けて東京都と政府は、昭和六十六(1991)年に「第一次開放」として二十三区内の体育館と公共施設を、「第二次開放」として政府所管の遊休施設を、翌六十七(1992)年に「第三次開放」として都内数万ヶ所の公私を問わない巨大建築物を、10年間の期限付きで避難民の仮設居住地として開放します。これによって大きな神社仏閣、図書館、高層ビル、ホテルの3階以上の全客室に生活空間が密集するというものすごいことになります。作中で描写されているだけでも、団宗治たちが勤務する拓銀事務センタービルの6階以上や築地本願寺大本殿、果ては国会議事堂までもが仮設住宅地に!
 その他、東京湾沿岸の埋め立て地にも約30万人もの避難民が移住することとなり、元々の東京都民は中央区の晴海地域を「租界A 」、築地地域を「租界B 」と呼び、そこに住む避難民を「新都民」と呼ぶようになったというのです。

 いや~、この情報ディティールの細かさよ。これがあーた、全共闘とか三島由紀夫のあれやこれやがあった『百鬼夜行篇』が終わった数ページ後にドバドバッと出てくるんですぜ!? 同じ一冊の本にするの、ムリっしょ!

 こういう惨状なものですから、またたく間に人口が200万人も増加した東京は治安も急激に悪くなり、バイク並みのスピードを出せる電動機付自転車で暴走する「サイクラー」という暴徒が夜な夜な跳梁する世紀末無法都市に変貌してしまいます。まるでほぼ同時期に大ヒットした大友克洋のマンガ『 AKIRA』(1982~90年連載 映画版は1988年公開)みたいなケイオスシティになっちゃったわけなのですが、暴走するのが自転車なところが、そこはかとなく荒俣先生っぽいですよね。
 ただ、『未来宮篇』の冒頭で、東京湾にそそり立つ鉄組みの櫓から噴き上がる海上バーナーの炎が燃え上がる描写は、『 AKIRA』よりもむしろ1982年公開の SF映画の金字塔『ブレードランナー』(監督リドリー=スコット)の中で、タイレル社本社ビルの周辺でボーボー燃えるバーナーのイメージを強く意識しているような気がします。いずれにせよ、1980年代は洋の東西を問わず「世紀末」を舞台とした SFものの花盛りだったわけですな。

 いや~……こんな状況になっちゃうと、「加藤保憲、いる?」みたいな東京の勝手に崩壊感が目立ってくるわけなのですが、そこはわざわざ苦労して屍解仙にまでなっちゃった加藤なもんですから、今さら後戻りもできない哀しさまぎれに、東京湾の海底に眠る「海龍」を覚醒させて関東大震災いらいの決定的な東京大震災を引き起こし、帝都を今度こそ再起不能な状態にまで壊滅させようと暗躍するのでした。これもう、やけのやんぱち八つ当たりですよね。

 ただ、こうなってしまうと平将門の怨霊だドーマンセーマンだとさんざん言ってきたオカルト要素が、三原山噴火に象徴されるような「現実の災害」の圧倒的なリアリティに駆逐されてしまうような気もするのですが、さすがは荒俣先生といいますか、この『未来宮篇』ではそれらの SF的設定はあくまでも背景描写にとどめておき、本筋にドンッとすえてくるのはやっぱり、加藤なみの異常な執念で100歳を超えても生き延び、東京の自邸の地下に「大正時代の銀座通りの復元パノラマ」を再現して辰宮由佳理の亡霊を無理やり召喚するという奇策に出た鳴滝純一と、目方恵子に「三島由紀夫の転生」であると見いだされた女性・大沢美千代の物語なのです。ここにきても、オカルト成分の補強を忘れないバランス感覚はさすが……いや、バランスをはかる計量器なんてとっくに爆散してますか。

 荒俣先生、ひどいです。まさかあの可哀そうすぎるヒロインこと由佳理さんを、『百鬼夜行篇』1回ぶん休ませただけでまた駆り出すとは! 由佳理さん死んでるんですよ!? 兄貴はもうちゃっかり成仏しおおせちゃってるのに……ひどすぎる! しかも、『百鬼夜行篇』で辰宮雪子さんも、しれっと恵子を「お母さん」って呼んでんだもんね。実の母に冷たすぎでしょ! 一緒にみゃーみゃーネコの声真似した仲じゃないか!!

 でも、ひどいと言うのならば、『百鬼夜行篇』のクライマックスで唐突に物語から「卒業」することになってしまった雪子さんも、由佳理さんとは別の意味でひどい扱いですよね。ロマンもそっけもないモブのようなご最期……次の『未来宮篇』で鳴滝二美子が雪子の転生らしいと言われていることからも、おそらく雪子さんご本人の再登板はありえなさそうなので、あまりにもあっけない退場の仕方だと思います。ドルジェフのバカー!!

 やっぱりここでも『帝都物語』の面白さはぶっちぎりで保証付きなのですが、勢いに任せて枝葉末節は豪快にスルーしていく荒俣先生の筆致は意気軒高のようですね。このスピードに乗り切れないキャラは、辰宮雪子クラスでも振り落としてくゼ!みたいなバイオレンスさがたまりません。

 だってさぁ、『百鬼夜行篇』でいい味だしてた市岡仁なんか、見比べてみたら『未来宮篇』の主人公チームにいる団・岡田・藤森・滝本らへんとほぼ同年代じゃないっすか。並みの作家さんだったら、ここまで育てたんだから絶対に『未来宮篇』でも再登場させるじゃん? でも荒俣先生はしないんだよなぁ! きれいさっぱり忘れたかのようにご卒業です。市岡兄弟以上にミステリアスなキャラになってたイトー房子とか紅蜘蛛なんかも、『百鬼夜行篇』のみの登場であとはハイサヨナラなんだもんね! もったいなさすぎでしょ!!

 この豪快さ。やっぱり、荒俣先生って、みみっちぃ損得勘定にあくせくするふつうの人間とはまるで格が違うんでしょうね。水木しげる先生の非妖怪マンガの名作『大人物』を思い出しちゃった。ンゴー!!
 紅蜘蛛なんか、モデルはどこからどう見たってあの、本当に三島由紀夫とも親交が深かったという、「だまれ小僧☆」のあのお方でしょ? それを1回こっきりのチョイ役にとどめるとは……とんでもない采配だ。
 それにしてもこう見てみると、昭和時代に実在したご先達の方々の個性のなんと濃いことか! 私たちもコンプラに引っかからない程度にがんばらなきゃね!!

 こうして次回にはいよいよ、現実の1980~90年代でもそうとうにヤバかったあのお方をゲスト枠にすえつつ、加藤の野望を敢然と迎えうつ美千代ら正義の特攻チームがついに結成、そして加藤にとって最大の障壁となる魔青年も唐突に出現! 100年に近い東京の時をつづってきた『帝都物語』、泣いても笑っても堂々完結のクライマックス2篇の登場でございます!!
 さぁ、盛り上がってまいりました! ホント、この物語はなんだかんだ言ってもテンションが上がってくばっかで一向に下がらないのがすばらしいです。途中で振り落とされてリタイアされる読者の方が少なくないのもよくわかりますが、これを笑って楽しめる側にいられて良かったと思いますよ……しみじみ。
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完全なる門外漢からみた大奥妖怪奇譚 ~映画『モノノ怪 火鼠』 啓後の段~

2025年04月10日 23時07分28秒 | ゲゲゲの鬼太郎その愛
≪前回の記事は、こちら!≫

 ハハハイみなさまどうもこんばんは! そうだいでございます~。
 新年度が始まって1週間が経ちましたが、みなさまどんな感じでしょうか? 楽しくやっていけそうですか?
 私はもう、若くはないというところを小ズルく前面に押し出しまして、適度に汗をかく程度に頑張らせていただいております。中年層の特権だ~!!
 でも、私の経験則で行きますと、そんなにいい感じで一年間やっていけるわけがないんですよね……必ずどこかのタイミングで仕事の数が増えることになっちゃうんだよなぁ! ゴールデンウィーク明けか、お盆休み明けか……それとも、もっと早い桜舞い散るころ~!? いつ肩を叩かれるかと、戦々恐々としながらノンビリしております。今を楽しまねば!!

 いや~、いよいよ始まりましたね、『ゲゲゲの鬼太郎 私の愛した歴代ゲゲゲ』!
 ま、要するに単なるよりぬき再放送ではあるわけなのですが、1968年から6期にわたって続く悠久のアニメ版『ゲゲゲの鬼太郎』の全536エピソードの中からの傑作セレクトということで、ヘタしたらふつうの本放送よりも見ごたえのある至福の番組になることは確実のようであります。すっげ~!! これ、いつまで放送してくれるんですかね。
 毎週のエピソードのセレクターも面白いですよね。第1回は、今回のオープニング主題歌を担当する Adoさんセレクトのアニメ版第5期第4話『男!一反もめん』ということで、トップバッターが高山みなみ鬼太郎の第5期なのかい!と意外に思った向きもあるのかも知れませんが、内容は非常にスタンダードな「純真無垢な子どもが異界に出遭う」パターンの傑作で、ほんとに Adoさんが選んだのか疑いたくなってしまうくらいに「わかってる」選出だったと感じ入りました。これ、第2回以降もハードル高くなるぞ~!
 しかも、この『男!一反もめん』って、ご本人自体はシルエットでしか出てこないけど、我らが自称妖怪総大将ぬらりひょんサマ(演ずるは言わずもがなの青野武老師!!)ご登板の壮大なるプロローグ的エピソードなんですよね! つくづくわかってんなぁ~ Adoさん!! 若いのにやりおるわい。
 ファンとしましては、やっぱり「自分がセレクトするならどのエピソードか?」を妄想するのも楽しいですよね。不遜ながら私も考えてみますと、まず我が『長岡京エイリアン』で企画にするほど大好きなおぬら様と猫娘のメインエピソードを永久欠番として除外した上で考えますと(青野ぬらりひょんの出演してるエピソードは第3期・5期関係なく全話セレクトです)、う~ん、やっぱり第4期第84話『怪奇!人食い肖像画』(1997年8月放送)になりますかね。でも、あれも猫娘がけっこう重要な役割を担ってたか。あと、青野老師がぬらりひょんじゃないんだけどニセ鬼太郎を嬉々として演じておられた第4期第95話『妖力泥棒!釜なり』も楽しかったなぁ。総じて私は第4期が多くなりますかね。


 ままま、こんな調子で鬼太郎関連の話ばっかりしてると、あっという間に字数が埋まってしまいますので、ちゃっちゃと今回の本題に入っていきたいと思います。妖怪は妖怪でも、今回はこっちのほうなの!

 というわけで、現在絶賛公開中の最新アニメ映画『モノノ怪 火鼠』を観た感想でございます。

 前回にもさんざんくっちゃべりましたが、ここからはほんとに、純粋に『火鼠』だけを観た人間の感想になりますので、他の TVシリーズ版『モノノ怪』や映画版の前作『唐傘』にからんだ前情報や伏線はまるで感知していない駄文になることを承知の上でお読みくださいますよう。熱烈なファンの方は、わたくしめの勉強不足を怒らずにおおらか~な御心で、ひとつ!

 まず、映画の内容にいく前に、今回の映画のメインゲスト妖怪となった「火鼠」についての基本情報を確かめてみましょう。


妖怪「火鼠」とは……
 火鼠(ひねずみ、ひのねずみ、かそ)は、中国大陸で伝承される怪物。「火光獣(かこうじゅう)」とも呼ばれる。
 中国大陸の南の山の、「不尽木(ふじんぼく 不灰木とも)」という燃え尽きない木の火の中に棲んでいるとされる。火鼠の毛を織物にすると、焼けば美しさを永久に保つことのできる布「火浣布(かかんふ)」になるといわれるが、これは鉱物性繊維の石綿(アスベスト)のことを指していると思われる。

 晋代以後(3世紀後半以降)の地理書『神異経』によれば、南方の火山(4世紀の怪奇小説集『捜神記』にみえる崑崙の「炎火之山」のこと)は長さ四十里あり、不尽木を生やしている。不尽木は一日中燃えており、雨で消えることもなく、その火の中に火鼠が住んでいる。火鼠の重さは百斤(約250kg )、毛の長さは二尺余り(約50cm弱)で絹糸のように細い白い毛であるといい、トラやホッキョクグマなどの大型哺乳類ほどの大きさがあることになる。火鼠に水を注げば死ぬので、その毛を織って布にすると、汚れても火で洗えば(焼けば)雪のように白い色に戻る火浣布になるという。
 また、火鼠は現在でいう南シナ海北部の海南島からトンキン湾、北ベトナムにかけての地域にいたとも言われる。その他に、火鼠の生息地を「西域の火州」とする説もあり、これは現在でいう新疆ウイグル自治区のウイグルのトルファン市周辺を指し、これはヴェネツィアの冒険家マルコ=ポーロ(1254?~1324年)がアスベストの採掘を見聞したという地域と一致する。

 このように火鼠の伝承が語られる一方で、『本草綱目』の著者である明帝国の本草学者・李時珍は不尽木を木類でなく石類と認識しており、、マルコ=ポーロも火浣布が採掘鉱物のアスベストであることを実見しており、火鼠の毛織物説を否定していた。

 火鼠は日本においては、10世紀中期に編纂された辞書『和名類聚抄』で和名を「ひねずみ」と音写して伝えられ、江戸時代の1712年に成立した百科事典『和漢三才図会』では、中国の本草書『本草綱目』(1596年刊)の説明記事が日本語訳されていた。

 また、日本で10世紀中期までに成立したという物語小説『竹取物語』の中では、主人公のかぐや姫が求婚してきた右大臣・阿倍御主人(3番目の求婚者 635?~703年に同名同職の人物が実在している)に出す難題として「火鼠の皮衣(かわごろも、かわぎぬ)」を所望している。これが、中国に伝わる火浣布と同じものと推定されていることが多い。
 ただし、『竹取物語』で求められたのは皮衣すなわち毛皮であり、火鼠の毛を織った布である火浣布とは厳密には異なる。また、阿倍御主人が中国・唐帝国の商人から購入した毛皮は紺青色の偽物であったが、先述したように中国伝承の火鼠の体毛は白いとされる。


 ……とまぁ、こんな感じの妖怪なんですって、火鼠って。
 つまり、中国伝承の中の火鼠は、日本の妖怪のようにわりと全国各地に出没の言い伝えが残っている存在ではなくて、東アジアのある特殊な地域に棲んでいる伝説の動物という存在なのですね。なので、本来は今回の『モノノ怪』のように人間の怨念に反応してポッと生まれるようなものではないということなんですな。つまり、本作に登場する妖怪はあくまで「中国にいるらしい火鼠に似たなにか」というモノなのでしょう。
 実際、ホッキョクグマくらいの大きさという点は似通っているかも知れませんが、中国の火鼠は身体が白いんですもんねぇ。なんか、『ガンバの大冒険』のノロイみたいなイメージですね。こえぇ!!

 そうそう、火鼠って、妖怪としては日本ではあんまり話題に上ってこない存在だし、確か水木しげる先生も描いたことはなかったんじゃないかなと思うのですが、昔話が好きな人だったら、けっこう『かぐや姫』で聞きおぼえのある名前ではあるんですよね。
 そうか~、「火鼠のかわごろも」って、要するにアスベストのことだったのか。日の本からはるかに遠く離れた中央アジア産のそうとうに稀少な鉱物なわけなので、もしかしてかぐや姫、それを知ったうえで阿倍右大臣にオーダーしてた……? なかなかの性格ですね。


 それはそれとしまして、とりあえず映画『モノノ怪 火鼠』を観たわたくしの感想を述べさせていただきますと、


『モノノ怪』シリーズの魅力も限界もよくわかる、非常にわかりやすいチュートリアルみたいな作品。


 という感じでございました。難解っていうことは全然なく、一見さんにもとっても優しい内容だったのですが、それだけに、なんかお年寄り向けの定番時代劇を観てるような予定調和感もあったような……これは、「三部作の真ん中なので、このくらいでひとつ。」という、人気シリーズの余裕のあらわれなのか?

 そんな言い方をしちゃうと批判的な印象が強くなってしまうのですが、いやいや、面白かったんですよ。特に今回は映画館の大スクリーンで観ましたからね、見ごたえのある『モノノ怪』シリーズ独特の映像美と世界観が楽しめる70分間ちょいでした。
 思えば、私がかつて千葉のアパートで観た TVシリーズ版は、古いテレビのちっちゃな画面で、しかも30分枠の CMぶつ切り、さらには視聴してる私も夜中で眠いし、ながら観してたしで、世界観をだいぶ理解しにくくしてしまう悪条件が重なりまくっていました。そもそも TVシリーズ版だって、エピソードは30分枠を2~3話で完結という体裁だったのですから、物語のボリュームとしては今回の映画版三部作のスケールとさほど変わってないんですよね。
 やっぱり、かなり濃厚な世界観の中でテンポよく物語が進んでいく『モノノ怪』シリーズは、結末まで休憩なしで突っ走っていく短距離型の映画スタイルが最適なのではないでしょうか。今回の『火鼠』を観て、私はしみじみそう感じました。

 本編の内容に入りますと、ヒロインというか、女性キャラクターの造形が活き活きとしていたのが良かったと思いました。特にメインのふきの方とぼたんの方あたりの人物像が、ちゃんと呼吸して怒りもすれば泣きもする生身の人間としての「厚み」を持っていたのが素晴らしかったです。キャラクターデザインも、アニメらしくなく肉々しいというか、しっかり脂肪も体重もあるリアリティがあったのが良かったですね。そこがかえって、時代劇らしくない現代っぽさのある『モノノ怪』オリジナルのファンタジー世界を強調している要素にもなっていました。あんなナイスバディな江戸人、いなかったでしょうし。

 ただ、物語の本筋はといいますと、そういった最先端のビジュアルとは正反対に、非常に古典的な「情念のお話」になっていたことがミソなんですよね。ここを良いととるのか、物足りないととるのか。それが問題なのよ!

 他のエピソードをほとんどまともに観たことのない私が言うのもおこがましいのですが、今回のお話や『モノノ怪』シリーズの概要情報を見る限り、どうやらこのシリーズで語られている「モノノ怪」という存在は、現実世界の日本でよく使われている「もののけ」とは、意味が微妙に重なっていない部分があるような気がします。おおかたは同じ意味のようなのですが、指す範囲がより狭くなっていますよね、モノノ怪のほうは。

 すなはちモノノ怪とは、人間の怨念が自然界にいにしえから存在している怪異「あやかし」の力を得て、元となった人間でさえ制御不可能な暴走状態となった災害現象と解釈できるようです。これって、私たちの世界でいう妖怪よりも、むしろ「怨霊」に近い人為的存在なのではないでしょうか。
 だからこそ、薬売りの持つ文字通りの伝家の宝刀「退魔の剣」がモノノ怪を断つためには、モノノ怪の形(事件の状況)と真(事件発生の経緯)と理(事件の原因)を把握して、モノノ怪を生んだ人間の心情を理解して鎮める必要があるのでしょう。そして、薬売りは人間発祥のモノノ怪を鎮めることはできても、人間以前から地球に存在しているあやかし自体を討伐することはできないのです。
 要するに、薬売りは事件を解決する探偵であり、人間の無念を供養する宗教者であり、火事を消す消防士でもあるのですが、刃物や銃や暴力の危険性とか、火が燃えたりする現象そのものをこの世から抹消することはできないというスタンスなのではないでしょうか。あくまでも、起きてしまった事件に対処するだけで、起きるかも知れない悲劇を未然に防ぐことはできないという無力感もあるんですね。薬売りさんも大変なのねぇ。

 ま、こういうことを考えてみますと、この『モノノ怪』シリーズの限界のようなものもうっすら見えてきてしまうわけで、本作で起きる事件は、薬売りが解決できるかぎりは全て「人間に原因がある」ということになり、しかもそれはほぼ100%「過去に起きたトラブルの被害者」の恨みの怨念が起こしているという、けっこうガッチリ固まったフォーマットがあるということになるのではないでしょうか。

 これはけっこ~……フィクション作品のシリーズとしては不便じゃない? 『金田一少年の事件簿』ではないですが、たいていの事件の犯人が、過去にかなりひどい目に遭っているという犯行動機があって、事件解決の終盤になると絶対に犯人のつらい身の上話を吐露する回想パートがあるという流れがパターン化しているのって、それが好きな人だったら『水戸黄門』みたいに「これこれ!」みたいな感じで楽しめるのでしょうが、少なくとも私は今回の『火鼠』1コ観ただけでおなかいっぱいかな、という気がしました。特に今回は「忖度」とか「中絶の強要」とかいう、非常に腹立たしいトピックがはびこる事件でしたので、なおさら不快度数が増したのもあると思います。

 不快というのならば、今回の事件で、本人の意思ではないながらも結果的に火鼠を生む環境を作っていた、ふきの方の父(権力者に忖度して中絶を勧めた)や兄(一族の繁栄を望み妹に大奥にい続けるよう懇願した)が一切おとがめなしになっていたのも、鑑賞後に「あれ? あいつらは笑顔でエンディングでいいのかな……」という感じで気になりました。
 いや、これに関してはおそらく、「薬売りが火鼠を退治していなかったら次の被害者になっていた」という解釈もできるので、決して父と兄が火鼠に許されていたというわけでないことはよくわかるのですが、結果として2人は無傷で助かっているので、印象としては「権力を持っていない人はオール免罪」みたいな理屈になっているような気がして、それは火鼠の気持ちにかなってはいないのでは?という気になってしまうんですよね。
 ここらへんの「弱々しく見える人は善人」というわけのわかんない思考停止な記号って、よくある古臭~い時代劇の、借金の取り立てに遭う長屋のおとっつぁんと娘の危機を黄門さまチームは救うけど、そもそも父娘がそんなにひどい目に遭うことになった社会構造はスルーして次の宿場町へGO♪ みたいなご都合主義を連想させるような気がして、なんかイヤなんですよね。

 でも、だからといってふきの方の父や兄も平等にぶっ殺されちゃったら、薬売りの立つ瀬もないビターな惨劇になっちゃいますから……ただ男である以上、今後も2人がふきの方の心情を理解できないままな可能性もあるような気はするので、チョーさんの哀感あふれる名演に惑わされずに、あの父の「そもそもの原因はお前!」な始末の悪さは忘れないでいたほうがいいかと思います。なんつうか、クリスティの『カーテン』のあの人みたいな含みのある人物造形なんですよね。そういう人が、いちばんこわい。

 あと、全く別の点で違和感を覚えたこととしては、薬売りがスーパーマンすぎて、大奥警護広敷番・坂下が許可しようがしまいが簡っ単に大奥に入り込める存在になってしまっていることがありました。別に赤外線センサーが張ってあるとか、どの廊下にも警固番がいるとかいうわけでもないだだっ広いお屋敷なんだから、大奥御年寄ぼたんの方の発行した手形がどうとか全然関係ないじゃん、あんなの! そんな感じだったので、クライマックスにいく手前で坂下が「いっけぇえ~!! 薬売り!!」とか大上段に叫んでも、そんなもん坂下の気分の問題でしかないので、まるで盛り上がらないのです。あそこでダメって言っても、薬売りは行ってたでしょ。

 坂下と言えば、野原ひろしと銭形幸一警部(もちろんファッションセンスは『 PartⅢ』版!)と『一休さん』の蜷川しんえもんさんを足して3で割ったような彼の憎めないキャラクターも、後半にいくにつれて、「そんなに過去の『すずの方』事件を知ってたんだったら、なんでそんなに純真無垢な傍観者ヅラしてられんの……?」という違和感が増してきて、そのキャラの明るさがむしろその心理状態をわかりにくくしている気がしました。どうしてそんな職場でのうのうと働き続けてられるんだろう……彼もまた、火鼠が生き延びていたら犠牲者になっていたか。

 あと、もうひとつ! これはほんとに気になった。
 私が本作を観ていちばん違和感を覚えてしまったのが、この『火鼠』の中ではろくなセリフの一つもない等身大パネル同然の存在感だった、この世界の大奥の主についてのことでして、作中では彼の呼び方が「天子さま」となっていたのです。ててて、天子とな!!

 こいつぁまた、大きくでたな!! 現実世界の日本史における大奥と言えば、やはりなんと言ってもその主は徳川江戸幕府の征夷大将軍こと「将軍さま」であるわけなのですが、この『モノノ怪』の世界における大奥の主は「天子さま」、つまり一国の王、日本史でいえば「みかど(天皇)」に直結した称号を持つ人物になっているのです。やんごとなさすぎだろ……
 これは相当に意図的な改変ですね……将軍じゃなくて天子さまということは、この『モノノ怪』の世界が、単に美術イメージを拡大解釈した時代劇というわけではなく、明らかに現実の日本と違う歴史的経緯をへて出来上がったパラレルワールドであると宣言しているも同然の呼称であるわけなのです。

 なにゆえ、江戸の将軍さまではいけなかったのか。これはおそらく、「武力で日本を平定する権力者」というだけでなく、作中でも大奥の一角にアマテラスやスサノオっぽい神々を描いた柱を持つ宗教施設があったり、なんか半裸でうろうろしてるシャーマンっぽい男女がいることからも、現実の日本史で京の天皇が堅持してきた「日本の宗教的・精神的絶対権威」というパワーさえも、『モノノ怪』世界の大奥の主が所有しているということを暗示しているのではないでしょうか。
 余談ですが、現実の徳川将軍家も、別に実利的な支配権力だけをもらえたらそれでいいですという武士らしい謙虚さを持っていたわけでは毛頭なく、日本史でも勉強したことのある「禁中ならびに公家諸法度」(1615年公布)や「諸宗寺院法度」(1665年制定)にあるように、権威の上でも天皇を超えるパワーを手に入れようとやっきになっていたことは明らかです。ただ、それが完全でなかったために1868年に王政が復古してしまったことは言うまでもありません。さすがは天皇家、250年も耐え忍んだ上で大復活とは、生命力がハンパない!!

 それはともかく、『モノノ怪』における天子さまが、何らかの形で江戸の徳川将軍よりも多角的な力を持った存在であるらしいことがほの見えてくることはいいのですが、それでも私が文句を申したいのは、そんなものすごそうな天子さまなのに、老中筆頭の大友らの発言から察するに、どうやら天下を手中に収める立場となってから、劇場版三部作の時点でたかだか「150年」しか経っていないという設定らしいということなんです。

 え! 150年!? たったの150年しか天下治めてないのに「天子さま」だなんて名乗ってんの!?

 それはいくらなんでもないでしょ……せめて1000年くらいは王さまやってくれないと。1.5世紀続いたくらいで「天子さまでござい」など、名前負けもはなはだしい。250年天下人を続けたのに「大君」どまりだった徳川将軍家の切なさを見習ってほしいですね。

 ままま、そこらへんのビッグマウスの源泉も、おそらく次作の『蛇神』で語られるかとは思うのでこれ以上はくどくど申しませんが、こうなっちゃうとだいぶファンタジックな歴史的背景が必要になるような気もしてしまうので、かろうじて日本の江戸時代とも解釈可能だった TVシリーズ版からかけ離れてしまうのはちと残念な気もしてしまうのですが、来年の最終作で、本作のエンディングどころではない「大花火」が打ちあがるのを、期待させていただきたいと思います。

 ちなみに蛇足となるのですが、具体的な歴史が意図的に語られない本作の中でもミョ~に具体的に「150年」という数字だけ明言されるのでいちおう比較してみますと、日本の江戸時代の開府150年すなはち西暦1750年(年号は寛延三年)の時点で大奥の主こと将軍だった人物は、第九代征夷大将軍・徳川家重(1712~61年 将軍在職1745~60年)でした。中村梅雀!! ついでに申しますと、1750年の時点では家重の父君である大御所・暴れん坊将軍こと徳川吉宗も存命しています。
 まぁ、徳川家とフィクション作品である『モノノ怪』の天子さまを比較してもせんかたない話ではあるのですが、一点だけ気になることとして、『火鼠』にもチラッとだけ登場した、天子さまの第一子を産んだ正室(演・種﨑キュアフレンディ敦美)の名前と、徳川家重の正室(のちの第十代将軍徳川家治の生母)の名前が同じ「幸子」であることは覚えておきたいと思います。徳川家正室の方は「こうこ」と呼んだらしいですが。

 だいたいにおいて、本作は権力者の「裏」の世界である大奥を舞台にしているのに、その裏を際立たせるために不可欠な存在である「表」の世界こと、大友たちの立ちまわる幕府の政治世界があまりにも語られなさすぎだと思うんです。クライマックスで大友は、「天子さまの天下を揺るがせないために自分は正しい判断をしたのだ!」と断言し、「諸大名の増長を抑えるためには天子さまのお家の血統も高貴であらねば」と豪語するのですが、具体的に大友が想定している敵対勢力であるはずの「諸大名」が1秒も画面に出てこないので、大友の発言にまるで説得力が生まれないのです。
 ああは言ってるけど、大友は江戸幕府の老中くらいの苦労をしているのか、室町幕府の管領くらいの立場なのか、はたまた鎌倉幕府の執権くらいのキツさなのか……そこらへんの難緯度設定がわからないと、大友の犯行(?)動機もいまいち伝わってきませんよね。ここらへんのさじ加減次第では、大友もまた時代の哀しい犠牲者だったという味わいが出てきそうなのですが、そこが不明なのは実に惜しいような気がします。『鎌倉殿の13人』の北条義時くらいの同情は買える可能性のあるキャラだと思うんだけどなぁ。でも、江戸の老中レベルだったらイージーモードだぞ! ぜいたく言うな!!


 そんなこんなの印象がありまして、私は今回の『火鼠』自体は非常に面白い作品だと感じたのですが、「このシリーズ、この展開以外にふり幅あるのかな?」という余計な心配も働いてしまったという次第なのです。まぁ、その真偽を確かめるためにも、来年の三部作最終作『蛇神』は絶対に観ますよ。それにしたって、なんで巳年の今年にやらないで来年なんだよう!! これには栄えある劇場版ラスボス格となった蛇神さまも肩をガックリ落としてしまいますね、肩ないけど。

 あ、最後にひとつだけ、本作を観てほんとに良かった点を。

 堀川りょうさんの中間管理職な老中・藤巻がすばらしかった! あの早口で小物感満載の高い声……おぉ、あの人間性の豊かさは、まさに生前の青野武老師の得意としたキャラクターではねぇか!!
 最高です……青野老師の後継者といえば『ちびまる子ちゃん』を例に挙げるまでもなく島田敏さんの一人天下かと思っていたのですが、まさかの堀川さんもこういう人物造形がお上手だったとは。伊達に35年も宇宙戦闘民族の王子(恐妻家ぎみの愛妻家)やってないなぁ!!

 そうそう、今回『火鼠』を観る前に、YouTube で流れていた出演者の堀内賢雄さんと堀川さんとチョーさんの宣伝用鼎談を観たのですが、堀川さん、時代劇が大好きなんですってね。さすがです、「好き」が演技にみなぎってます!

 それにしても、あのお3方、全員同じ「67歳」であられるのか……まだまだ私もオッサンだなんて言ってられねぇなぁ! がんばろ。


≪ちょっと気になっただけの蛇足≫
 私、この記事の中でさんざん「天子は天皇! 将軍じゃない!」と言っているのですが、実は、自分でそう言いながら、「あれ? そうじゃないかも……」と勝手に不安になってしまうような記憶がございまして。

 あの、私、確か中学生だった頃に学校の演劇鑑賞で、どこかの劇団の山形公演を観た記憶がありまして、それは「江戸時代のキリシタン弾圧に抵抗する人々」を描くお芝居だったのですが、その中で敵方となる幕府の侍たちが、しきりに「これは天子さまのご意向なのだ!」と主張していたんですよね……

 まぁ、九州かどこかの地方くんだりに来てダーティな仕事をする末端の人達なので、将軍と天皇を混同しているのかも知れませんし、あるいは命令の威光を高めるためにわざといっしょくたにしたのかも知れませんが、いずれにせよ、少なくともあのお芝居では、確かに江戸幕府と「天子さま」とを同義にしていたのです。記憶違いじゃないと思う……

 もしかしたら、その混同は劇団としての政治的意図があったのかも知れないし、そうだとしたらデリケートな問題なのですが、まぁ、そんな例外もあったと思い出しましたので、備忘のためにここに記しておきました。
 あのお芝居のあのセリフ、どういうことだったんだろ……?
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