ヘヘヘイどうもこんばんは! そうだいでございます~。
いよいよ外がじめじめしてまいりました。まだ私の住む山形県は梅雨入りしてないんですが、多分今週末には入るんじゃないかという予報が出ております。天気がいいとめっちゃ暑くなるんですが、ここんとこは曇天続きなんですよね。雨も必要ではあるんですが、カラッとした日差しも恋しいやねぇ。
最近あんまり映画館にまで行って観たいなという映画がなく、もっぱら家か喫茶店で本を読むばっかりの日々なのですが、やっと山形でも吸血鬼映画の最新作『ノスフェラトゥ』が公開される日取りが決まりまして(6月20日から)、ひそかに楽しみにしております。どっちかっつうとウィレム=デフォーさんがヴァン・ヘルシング教授を演じるっていうところに興味がありますね。かつて吸血鬼(ノスフェラトゥその人!)をやったことのある方が、その天敵になるとは……でも、『ドラキュラ』じゃない『ノスフェラトゥ』のほうのヘルシング教授って、あんまり役に立たないよね。今回はどうかな!? 少なくとも、去年だったかおととしだったかの『ドラキュラ デメテル号最期の航海』よりは面白いといいっすね。
さて、そういう感じでクラシックなジャンルの映画に目がないわたくしが、誰からも頼まれてないのに勝手にぶつぶつと続けている「ヒッチコック監督の映画を古いほうから一作一作観ていく企画」を、今回もやってみたいと思います。けっこう久しぶりですよね! これ、ちゃんと腰をすえて DVDを止め止め観る時間と体力の余裕がないとできないんですよ……ま、プロの批評家でも何でもないしろうとの感想文コーナーですので、気楽に行きましょう。
そんじゃ今回の作品は、こっちら~ん。
映画『逃走迷路』(1942年4月公開 109分 ユニバーサル)
『逃走迷路』(とうそうめいろ 原題: Saboteur)は、 アルフレッド=ヒッチコック監督によるスパイサスペンス映画。自由の女神像を舞台にしたクライマックスシーンは、当時「このアングルをどのように撮影したのか?」と話題を呼ぶ撮影方法となった。この自由の女神像での場面の絵コンテはヒッチコック監督自身が描いており、自由の女神像の片腕とたいまつ部分の原寸大のセットを製作して撮影された。問題のアングルに関しては、回転する小さなサドルと、俳優の目の前から12m の高さまでカメラを引き上げることから生まれる遠近感覚を利用した特撮技術によるものだった。
ちなみに、本作の原題『 Saboteur』とよく似たタイトルで、同じヒッチコックによるイギリス時代の監督第20作『サボタージュ(原題:Sabotage)』と混同されることがあるが、どちらも「破壊活動」という意味が共通しているものの、完全な別作品である。
ハリウッドでの監督第4作『断崖』(1941年)の撮影中、ヒッチコックは数人の脚本家と、自身のアイデアをもとにした『逃走迷路』の脚本を制作した。この作品は破壊工作員の疑いをかけられた青年が主人公の物語である。当時ヒッチコックを雇っていたセルズニック・インターナショナル・ピクチャーズの映画プロデューサー・デイヴィッド=O=セルズニックは、この脚本をユニバーサル・ピクチャーズに売り、ヒッチコックはユニバーサルに出向して監督することにとなったが、キャスティングに口出しをすることはできなかった。ヒッチコック監督が初めてユニバーサルで制作することとなった本作は、公開されると商業的成功を収めた。この時期にヒッチコックは、ロサンゼルスの高級住宅地ベルエアにある広大な邸宅に引っ越し、ここが亡くなるまでの終の棲家となった。
ちなみに、本作の制作中の1941年12月に真珠湾攻撃が行われ太平洋戦争が開戦し、アメリカも戦時下に入ることとなったが、ヒッチコックはイギリスに帰国することはできなかった。
本作の撮影中、ヒッチコック監督はニューヨーク港で当時アメリカ最大級だった定期客船ノルマンディー号が火災により横転したニュースを知り、作中の爆弾テロにより横転した新造戦艦の外観として、当時の実際のニュース映像を使用している。
ヒッチコック監督は、本編開始1時間4分31秒ごろ、ドラッグストアのショーウインドウの前で女性と話をしている男性の役で出演している。
おもなスタッフ
監督 …… アルフレッド=ヒッチコック(42歳)
脚本 …… ピーター=ヴィアテル(21歳)、ジョーン=ハリソン(34歳)、ドロシー=パーカー(48歳)
製作 …… フランク=ロイド(56歳)
音楽 …… フランク=スキナー(44歳)
撮影 …… ジョセフ=A=ヴァレンタイン(41歳)
編集 …… オットー=ルドウィグ(39歳)
美術 …… ロバート・フランシス=ボイル(32歳)
制作・配給 …… ユニバーサル・ピクチャーズ
あらすじ
カリフォルニア州グレンデールの航空機製造会社で働くバリー=ケインは、軍需工場への破壊工作(サボタージュ)の濡れ衣を着せられる。工場で起きた突然の火災に際して、バリーが同僚で親友のメイソンに咄嗟に渡した消火器にガソリンが詰めてあり、被害が拡大してメイソンが焼死した事件の容疑者に仕立てられたのだ。手がかりはバリーに消火器を渡した男フライだったが、フライは工場の従業員ではなく事故後に姿を消した。
バリーは、事件の前にフライが落とした封筒にあった住所「ディープ・スプリングス牧場」に向かうが、牧場主のトビンはフライという男など知らないと語る。しかし、トビンの幼い孫娘スージーが無邪気にバリーに渡した紙はフライからの電報で、「ソーダ・シティに向かう」と書いてあった。トビンに詰め寄るバリーだったが、トビンの通報で駆けつけた警察にバリーは逮捕される。護送中、隙をついてバリーは橋から飛び降りて逃亡し、人目のつかない小屋に避難して盲目の老紳士フィリップに助けられる。フィリップの姪パトリシアはバリーを警察に引き渡そうとするが、無実を主張するバリーに心を動かされ犯人捜しを手伝うことになり、やがて2人は愛し合うようになる。
おもなキャスティング
バリー=ケイン …… ロバート=カミングス(31歳)
パトリシア=マーティン …… プリシラ=レイン(26歳)
フィリップ=マーティン …… ボーン=グレイザー(69歳)
チャールズ=トビン …… オットー=クルーガー(56歳)
フリーマン …… アラン=バクスター(33歳)
サットン夫人 …… アルマ=クルーガー(70歳)
ニールスン …… クレム=べヴァンス(62歳)
トラック運転手 …… マレイ=アルパー(38歳)
サーカス団のドクロ男 …… ペドロ=デ・コルドバ(60歳)
サーカス団のこびと少佐 …… ビリー=カーティス(32歳)
サーカス団のひげ女 …… アニタ=シャープ・ボルスター(46歳)
フライ …… ノーマン=ロイド(27歳)
はいきたどっこいしょ! ヒッチコックがアメリカ・ハリウッドに活動拠点を移して2年、進出第1作の『レベッカ』(1940年)から数えて早くも5作目となる『逃走迷路』の登場でございます。ハイピッチですね~。
ハリウッドの大物プロデューサー・セルズニックの映画会社に所属する形で渡米したヒッチコックでしたが、セルズニックの会社で制作した映画は『レベッカ』のみで、その後はしばらく、セルズニックから他の映画会社にレンタルされる派遣監督スタイルであくせく映画を作っていくこととなります。
そんな中、後年あの『鳥』(1963年)以降の最後期作品で多くタッグを組むこととなる、アメリカ最古の老舗映画会社ユニバーサル・ピクチャーズのもとで初めて映画を制作することとなったのが、今回の『逃走迷路』でした。大事な作品ですね~。
それまでのハリウッド時代の4作品を観てみますと、『レベッカ』~『スミス夫妻』の3作品はやっぱりどこか他人様の依頼で映画を作っているという裏事情が垣間見えるような、どこか他人行儀なまどろっこしさのある作品だったのですが、前作『断崖』あたりから、徐々にハリウッドになじんできたヒッチコックの本領が発揮される助走が始まったような気がします。そして、そのスピードがさらにのってきたのが今作『逃走迷路』なのではないでしょうか。
とは言いましても、『断崖』と『逃走迷路』は双方ともに「ヒッチコックらしさ」がしっかり出た作品ではあるものの、その内容に関しては、だいぶジャンルが違うんですよね。
すなはち、両者ともに映画を観ている観客の共感を誘うような、愛すべき個性や欠点のある人物たちを主人公に据えながらも、
・日常の中にひそむ犯罪や殺意の影をクローズアップした「ミニマム系サスペンス」…… 『断崖』
・市井の人間が社会を揺るがす巨悪の謀略に巻き込まれる「大風呂敷系スリラー」 …… 『逃走迷路』
という、大きな違いがあると思うのです。
どちらも、ヒッチコック監督がそれまでのイギリス時代の約15年間のキャリアの中で手ごたえを得て大いに名声を上げてきたジャンルであるわけなのですが、ここ新天地ハリウッドにおいても、それぞれのスタート地点となる作品が並び立ったというわけなのです。
ちなみに、イギリス時代の作品を例に挙げますと、「ミニマム系サスペンス」に属するのは『下宿人』(1927年)、『殺人!』(1930年)、『第3逃亡者』(1937年)などで、「大風呂敷系スリラー」に属するのは『暗殺者の家』(1934年)、『三十九夜』(1935年)、『バルカン超特急』(1938年)あたりになりますでしょうか。どれもクセの強い作品でしたね~。
そういった感じですので、これからどんどんハリウッドで量産されていくヒッチコックの超有名傑作群も、大雑把にジャンル分けすればだいたいこの『断崖』か『逃走迷路』いずれかの流れに属する作品になると思いますので、そういう意味でも、今回の『逃走迷路』はその後の数多くの名作たちの「長男 / 長女」にあたる重要作であるわけなのです。これは観ておかないとね!
というわけで、本題である作品の内容に入っていきたいのですが、あの、いつもならば映画に関するつれづれの他に、後半に≪視聴メモ≫ということで内容を観ていて細かく思いついたことを並べ立てるコーナーがあるのですが、今回はあまりにもシーンごとに思いつく点が多くなりそうなので、視聴メモは丸ごと割愛させていただきます。こんな見どころ盛りだくさんな映画、いちいち気になったこと羅列してたら何万字あったって足りないっすよ!
ところで、のっけからけなすような言い方になってしまうのですが、この『逃走迷路』、実はよくよく観てみると、そんなに派手な作品ではないんですよね。各シーンを眺めるぶんには、そんなに目を引くようなインパクトのあるシーンは、「最後のあれ」まではほとんど無いに等しいのです。「最後のあれ」以外はね!
つまり、この作品は「終わり良ければすべて良し」を体現しているというか、クライマックスでの因縁の悪役フロイの最期のインパクトに作品すべての出来を懸けているといっても過言ではない「一点豪華主義」な作品になっていると思うのです。
まず言えることは、この作品の大部分が「イギリス時代の諸作品」の再構成でできているという点です。もちろん、単なるリメイクではなく、過去作での反省を活かしてよりクオリティの高いものになっていることは当然ですが。
細かいことを言えば、クライマックス手前の映画館の中でのアクションは、原題が本作とよく似ている『サボタージュ』(1936年)の設定のセルフリメイクな気がします。ただ、単に映画館を舞台にしているだけでなく、ちゃんと上映中の映画を利用して印象的な銃撃戦(ブラックジョークすぎる!)に仕上げているのが、イギリス時代のリベンジみたいでいいですね。
しかしなんと言っても本作は、「無実の罪を着せられた主人公が、ヒロインや周囲の人々の誤解を解きつつ悪の組織に立ち向かっていく」という話の流れが、あの『三十九夜』に非常に似ています。
ただ、主人公のキャラクターがあまり観客の多くにとって共感できる点が見られない「生活感の薄い外国人(カナダ人)」という中途半端なハードボイルドヒーローだった『三十九夜』は、途中で彼の逃避行に付き合わされるヒロインがかわいそうになるくらいに自分勝手に突き進んでいく強引さがあり、それに拒否反応を示す人(特に女性?)も多かったのではないでしょうか。なんで知らん男と手錠つないで昼夜走り回ってホテルで同衾せなあかんねんと! そんな状況を経て最後に相思相愛になったって、それほんとに「愛」なんですか?っていう疑問が残りますよね。ストックホルムとか、吊り橋効果とか……
それに対して今回の『逃走迷路』はというと、まず公開された当時のアメリカが第二次世界大戦に参戦した直後ということで、戦争のために軍需工場で真面目に働く青年ケインが主人公であり、彼をおとしいれた悪の組織がアメリカの国防をおびやかす国内ファシズム勢力であるという構図をかなりはっきりと打ち出しており、そんなケインを応援しない人なんかいるんですか!?という無言の圧力が2020年代の今観てもひしひしと伝わってくる強固な骨組みを形成しているのです。また、そんなケインを演じている主演のロバート=カミングスも当時非常に人気のあるコメディ映画スターで、この『逃走迷路』などの映画の撮影を終えた後にアメリカ陸軍航空隊(のちのアメリカ空軍)に所属し従軍、のちのロナルド=レーガン大統領とは友人関係という、好感度が非常に高い俳優さんでしたので、まずこの点で観客が本作に大いに感情移入して応援したくなる素地はできていたわけなのです。
そしてもう一つの改善点と言えるのは、本作のヒロインであるパットことパトリシアが、重大なテロリストである可能性もあるケインを相手にしても全く引かず、それどころか車で2人きりになったとたんに逆にそれをチャンスと解釈してケインをふんじばって警察にしょっぴこうとするような豪傑娘に設定されているという点です。この、鳥山明のマンガから出てきたかのようなキャラの濃さよ! 鼻っ柱タングステン製か!? こういうヒロインだったら、ケインとの不本意な珍道中を何日続けようとも「かわいそう」という雰囲気にはなりませんよね。どてらい娘もいたもんだ。
ただ単に「気が強い」とか「体育会系」とかいう属性のあるヒロインは、イギリス時代のヒッチコック作品にもたくさんいたわけなのですが(『暗殺者の家』とか『第3逃亡者』とか)、今作で特筆すべきなのは、そういったヒロインのたくましさが、映画のクライマックスまでちゃんとヒロインの活躍の場が与えられる脚本を生んでいるという点です。
つまり、今までの「大風呂敷系スリラー」の諸作では、戦う相手が非常に規模の大きな組織になる展開が多かったので、男性主人公と女性主人公のどちらにも充分な見せ場や役割が割り当てられつつ最後まで映画がいくという流れは少々難しいところがありました。結局、ド派手な銃撃戦などのアクションは警察まかせで主人公たちは安全な場所に避難している、などといった展開が多かったのです。巻き込まれ型主人公って、特にものすごい特殊技能を持ってるわけでもないですからね。
ところが本作では、「悪のファシズム組織」の中でも「首魁トビン」、「哀しき中間管理職幹部フリーマン」、「主人公と直接の因縁がある末端構成員フロイ」というふうに、非常に綿密に悪役を細分化させていますので、ふつうの一般市民であるケインとパトリシアでも、知恵を絞ってフロイくらいは追い詰めていけるということで、見せ場をしっかり用意することができたわけだったのです。主人公たちが最後まで物語の趨勢に関わる。当たり前のことではあるのですが、これほんとに重要ですよね。そして、大風呂敷を広げるスケールの大きな作品ほど、このつじつま合わせが難しくなると思うのです。
実はこの『逃走迷路』って、結局ファシズム組織の首領であるトビンがどうなったのかは映画の中ではまったく語られず、なんだったらテロの真相を知っているフロイもあんなことになっちゃったので、「悪が懲らしめられた」とは言いがたい、「トータルでいうと正義の負け」みたいな結末なんですよね。そう考えると手放しで「おもしろかったー!」と言うべき映画ではないはずなのですが、直接ケインをひどい目に遭わせたフロイがしっかりやっつけられて終わるので不思議な爽快感が残るエンタメ良作になってしまっているのです。だまされてはいけない! 新造戦艦だって思いッきり計画通りに爆破転覆しちゃったし。
これはやはり、中盤でトビンにいいようにあしらわれて監禁されたケインとパトリシアが、それぞれの知恵を使ってケインは火災報知器、パトリシアはルージュで書いたメモで脱走に成功し、ケインはフロイを見つけて逃走させ、パトリシアは根性のすわった演技でフロイを自由の女神像内で足止めし、最後にちゃんとフロイが自身の罪を認めた上で罰を受けるという順路がしっかり作られていたからだと思うのです。大局を見ればボロ負けなのですが、ケインとパトリシアの目で見たら愛の連携でつかんだ勝利という、だまし絵みたいなヘンな映画なんですよね。
ここらへんの妙にリアルなトビンの逃げ勝ちっぷりには、どうしても当時、現在進行形で第二次世界大戦の真っ最中だったという、どうしようもない事情が関係しているのではないでしょうか。太平洋戦争にいたっては始まったばかりだし。
つまり、この映画の中で首魁のトビンまで一網打尽という脚本にするのは容易いことだったのでしょうが、それでは映画で語りたかったファシズムの恐ろしさが矮小化されてしまうという懸念があったのだと思います。本作のトビンが象徴しているように、ファシズムというものは別にナチス・ドイツのようにわかりやすいワルな恰好をしている集団ばかりでなく、それとすぐにはわからない姿をしてアメリカ市民の中に溶け込んでいるものなのです。ほら、あなたの町にいる、いかにも人の良さそうな好人物、豊かな財力を持った名士たちの中にも、アメリカの転覆を狙っている悪魔の手先はいるのかもしれませんよ……こういった意識を当時の観客に持たせたいという意図のために、おそらくこの映画のトビンは罰を受けないまま野に放たれることとなったのだと思います。これもまぁ、国民に注意を喚起するという意味合いでのプロパガンダ映画ですよね。でも、それをそうと感じさせないところが、本作が『海外特派員』よりもよくできている証拠だと思います。
とまぁ、そういった小理屈を抜きにしましても、本作におけるトビンという稀代の悪人は、この映画だけで退場させるにはもったいないような魅力にあふれたキャラクターとして描かれています。
その態度は常に余裕しゃくしゃく、夜会服も粋に着こなしダンディな笑みを浮かべながらも、ときに異様にすごみのある冷たい表情も垣間見せ、テロ行為や暴力沙汰はもっぱら配下のフリーマンやフライ、執事のロバートに任せるというその姿は、まさにこれアニメ版第6期『ゲゲゲの鬼太郎』の、大塚明夫さん演じる妖怪総大将ぬらりひょんサマそのものでねぇかァア!! 私が惚れる理由はそこだわ……
いくらケインが情熱たっぷりに「お前らは必ず敗れる! 僕たち勇気ある国民は立ち上がるぞ!!」と叫んでも、トビンはあくびまじりに、
「議論はそのくらいでいいかな……じゃロバート、そろそろお客さま(ケイン)をお休みさせて。」
と語り、それに応じた執事のロバートはおもむろにケインの後頭部にブラックジャック(殴打用の凶器)を振り下ろす。
この描写だけで、トビンという人物がケインの手に負えない次元の存在であることがうかがえるかと思います。尊敬しちゃいけないけど、美学はあるような気がしますよね。となると、執事のロバートは朱の盤か!
本作で、このように非常に魅力的な悪役トビンを演じた俳優オットー=クルーガーさんなのですが、ご本人はアメリカ生まれなものの、そのお名前からもドイツ系の方であることは間違いなさそうです。だとすれば、そんな彼があえてこのような役を演じたというのも、あの『海外特派員』でドイツから亡命してきたばかりのアルベルト=バッサーマンが味わいのある反戦政治家を演じたように、何らかの強い意志があってのことだったのかも知れませんね。よくぞ演じてくれました……
他の俳優さんに関してもいろいろ言いたいことはあるのですが、簡単にまとめてしまうと、本作は良い意味で「市井のしがない人々」が力を合わせて巨悪に立ち向かうというリアリティがよく出ていたキャスティングになっていたと感じました。
要するにこの『逃走迷路』には、前作『断崖』に出てきたケーリー=グラントやジョーン=フォンテインのように絵に描いたようなハリウッドスターは登場せず、全員かなり生活感のある顔ぶれになっていると思うのです。それはもちろんケインとパトリシアもそうなのであって、特にパトリシアを演じたプリシラ=レインさんは、非常に絶妙な「絶世とまではいかないが美人」な顔立ちで体格もわりとがっちり系、気は強いが全国区レベルの CMモデルになっていることをイジられると「へへ、それほどでも……」とはにかむという、かなりリアリティのある娘さんになっているのです。でも、そこがいい~!!
そして、ケインが逃避行の中で出会っていく「長距離トラックの運ちゃん」「サーカス団の見世物芸人のみなさん」「盲目の老人フィリップ」という面々も、それぞれがトビンに拮抗できるほどの力を持っているわけでもないのですが、全員がその心の清廉さでケインを支えていく「無垢なる国民」を代表しているわけなのです。ここらへんの、確実に主人公の正義の心を次のステージにレベルアップさせてくれるキャラの存在って、イギリス時代のヒッチコック作品にはそんなにいなかったのではないでしょうか。なんか、イギリス時代のヒッチコック作品の脇役陣って、コメディリリーフばっかりだったような気がします。
印象深い脇役というのならば忘れてならないのが、トビンと末端テロリストたちとの間で板挟みになってあたふたばっかりしてた幹部フリーマンを演じていたアラン=バクスターの、悪のファシストに全く見えないたたずまいです。
孫に対しては、ただひたすらに「牧場のやさしいおじいちゃん」でしかなかったトビンと同じように、フリーマンは「我が子に何をプレゼントしたらいいのか悩む妻子持ち」でしたし、フリーマンを取り巻くテロリストたちも、車の長旅でヒマになれば眠気覚ましに一緒に歌を唄うし、靴下に穴があけば針と糸で器用につくろうし、監禁しているパトリシアの要望を聞いて飲み物を買ってきてもくれるいい人ばっかりなのです。それなのに、徒党を組めば爆破も殺人もいとわない凶悪集団になってしまうという、この恐怖。
人によれば、あのヒトラーでさえも「1対1で話せばただのいい人だった」というエピソードが残っているくらいですから、そういう意味での真のファシズムの恐ろしさを、この『逃走迷路』の悪役たちは体現しているのかもしれません。単に通常パターンの逆張りをしていい人に造形しているわけではないと思うんですよね。これは深い……!
他にも言いたいことはたくさんあるのですが、字数もかさんできましたので最後に、やはりあの自由の女神像での「フロイの最期」について。
ここでの非常に鮮烈な「93m の高さからの落下」のトリック映像は、確かに今現在、その映像法を知ったうえで観ると合成部分も完全に隠しきれてはいないので、多少不自然だったりチープに見えたりもするかも知れません。
それでも、この記事のタイトルでも申したように、「演者が落ちているようで実はカメラが上がっているだけ」という180°の発想の転換は、まさしく「コロンブスの卵」に類する、天才だけが許されるレベルのアイデアなのではないでしょうか。知ってみれば理屈は簡単なのですが、まずそれを思いつくことが容易でないのです。
落下と上昇、この地球の重力すらも逆転させてしまうヒッチコックの映像マジック!! これは宇宙超怪獣キングギドラの引力光線か、はたまた『ジョジョの奇妙な冒険』の固有領域展開系スタンドか!?
そして、ここでも「リアリティよりもインパクトを優先する」ヒッチコックイズムは健在であり、この撮影法を採用することによって、落ちる人間が「演技をしながら」落下できるという、現実的にはあり得ない味付けをすることができるところが、本当にすばらしいのです。
だって、このシーンの何がいちばん記憶に残るかって、フロイがカメラ目線のまんま、つまりケイン(=観客)をガン見したままゆっくりと落ちていくさまが強烈なんですよね! 実際に落ちたら顔の向きも身体の向きも変わりながら一瞬で豆粒になっていくでしょうし、この撮影法ほど明確に見えるようなことはないはずですから。
いい感じでリアル感を出しつつ、いい感じでウソも混ぜていく。これこそが、ヒッチコック流なのでしょう。そして、そのためならばどんなに真逆な方法なのであろうと大胆に採用して現実化していく。当時の若き天才の、奔流のように噴出する才気のものすごさが瞬時にわかる「アゲアゲ落下シーン」なのでありました。アゲ~⤴(聖あげはさんふうに)!!
こんなわけで、粋なことにアメリカを象徴する名所である自由の女神像を舞台に、またしてもものすごい映画伝説を打ち立ててしまったヒッチコック! 第二次世界大戦のまっただ中という苦境にはありますが、さて次はどのような映像マジックを見せてくれるのでありましょうか!?
いや~、こんなに最新作がわくわくする映画監督、2020年代の今いますかね? もしいたら教えてください!
いたらいいな~、特に日本に! 立ち上がれ、わこうど~。
いよいよ外がじめじめしてまいりました。まだ私の住む山形県は梅雨入りしてないんですが、多分今週末には入るんじゃないかという予報が出ております。天気がいいとめっちゃ暑くなるんですが、ここんとこは曇天続きなんですよね。雨も必要ではあるんですが、カラッとした日差しも恋しいやねぇ。
最近あんまり映画館にまで行って観たいなという映画がなく、もっぱら家か喫茶店で本を読むばっかりの日々なのですが、やっと山形でも吸血鬼映画の最新作『ノスフェラトゥ』が公開される日取りが決まりまして(6月20日から)、ひそかに楽しみにしております。どっちかっつうとウィレム=デフォーさんがヴァン・ヘルシング教授を演じるっていうところに興味がありますね。かつて吸血鬼(ノスフェラトゥその人!)をやったことのある方が、その天敵になるとは……でも、『ドラキュラ』じゃない『ノスフェラトゥ』のほうのヘルシング教授って、あんまり役に立たないよね。今回はどうかな!? 少なくとも、去年だったかおととしだったかの『ドラキュラ デメテル号最期の航海』よりは面白いといいっすね。
さて、そういう感じでクラシックなジャンルの映画に目がないわたくしが、誰からも頼まれてないのに勝手にぶつぶつと続けている「ヒッチコック監督の映画を古いほうから一作一作観ていく企画」を、今回もやってみたいと思います。けっこう久しぶりですよね! これ、ちゃんと腰をすえて DVDを止め止め観る時間と体力の余裕がないとできないんですよ……ま、プロの批評家でも何でもないしろうとの感想文コーナーですので、気楽に行きましょう。
そんじゃ今回の作品は、こっちら~ん。
映画『逃走迷路』(1942年4月公開 109分 ユニバーサル)
『逃走迷路』(とうそうめいろ 原題: Saboteur)は、 アルフレッド=ヒッチコック監督によるスパイサスペンス映画。自由の女神像を舞台にしたクライマックスシーンは、当時「このアングルをどのように撮影したのか?」と話題を呼ぶ撮影方法となった。この自由の女神像での場面の絵コンテはヒッチコック監督自身が描いており、自由の女神像の片腕とたいまつ部分の原寸大のセットを製作して撮影された。問題のアングルに関しては、回転する小さなサドルと、俳優の目の前から12m の高さまでカメラを引き上げることから生まれる遠近感覚を利用した特撮技術によるものだった。
ちなみに、本作の原題『 Saboteur』とよく似たタイトルで、同じヒッチコックによるイギリス時代の監督第20作『サボタージュ(原題:Sabotage)』と混同されることがあるが、どちらも「破壊活動」という意味が共通しているものの、完全な別作品である。
ハリウッドでの監督第4作『断崖』(1941年)の撮影中、ヒッチコックは数人の脚本家と、自身のアイデアをもとにした『逃走迷路』の脚本を制作した。この作品は破壊工作員の疑いをかけられた青年が主人公の物語である。当時ヒッチコックを雇っていたセルズニック・インターナショナル・ピクチャーズの映画プロデューサー・デイヴィッド=O=セルズニックは、この脚本をユニバーサル・ピクチャーズに売り、ヒッチコックはユニバーサルに出向して監督することにとなったが、キャスティングに口出しをすることはできなかった。ヒッチコック監督が初めてユニバーサルで制作することとなった本作は、公開されると商業的成功を収めた。この時期にヒッチコックは、ロサンゼルスの高級住宅地ベルエアにある広大な邸宅に引っ越し、ここが亡くなるまでの終の棲家となった。
ちなみに、本作の制作中の1941年12月に真珠湾攻撃が行われ太平洋戦争が開戦し、アメリカも戦時下に入ることとなったが、ヒッチコックはイギリスに帰国することはできなかった。
本作の撮影中、ヒッチコック監督はニューヨーク港で当時アメリカ最大級だった定期客船ノルマンディー号が火災により横転したニュースを知り、作中の爆弾テロにより横転した新造戦艦の外観として、当時の実際のニュース映像を使用している。
ヒッチコック監督は、本編開始1時間4分31秒ごろ、ドラッグストアのショーウインドウの前で女性と話をしている男性の役で出演している。
おもなスタッフ
監督 …… アルフレッド=ヒッチコック(42歳)
脚本 …… ピーター=ヴィアテル(21歳)、ジョーン=ハリソン(34歳)、ドロシー=パーカー(48歳)
製作 …… フランク=ロイド(56歳)
音楽 …… フランク=スキナー(44歳)
撮影 …… ジョセフ=A=ヴァレンタイン(41歳)
編集 …… オットー=ルドウィグ(39歳)
美術 …… ロバート・フランシス=ボイル(32歳)
制作・配給 …… ユニバーサル・ピクチャーズ
あらすじ
カリフォルニア州グレンデールの航空機製造会社で働くバリー=ケインは、軍需工場への破壊工作(サボタージュ)の濡れ衣を着せられる。工場で起きた突然の火災に際して、バリーが同僚で親友のメイソンに咄嗟に渡した消火器にガソリンが詰めてあり、被害が拡大してメイソンが焼死した事件の容疑者に仕立てられたのだ。手がかりはバリーに消火器を渡した男フライだったが、フライは工場の従業員ではなく事故後に姿を消した。
バリーは、事件の前にフライが落とした封筒にあった住所「ディープ・スプリングス牧場」に向かうが、牧場主のトビンはフライという男など知らないと語る。しかし、トビンの幼い孫娘スージーが無邪気にバリーに渡した紙はフライからの電報で、「ソーダ・シティに向かう」と書いてあった。トビンに詰め寄るバリーだったが、トビンの通報で駆けつけた警察にバリーは逮捕される。護送中、隙をついてバリーは橋から飛び降りて逃亡し、人目のつかない小屋に避難して盲目の老紳士フィリップに助けられる。フィリップの姪パトリシアはバリーを警察に引き渡そうとするが、無実を主張するバリーに心を動かされ犯人捜しを手伝うことになり、やがて2人は愛し合うようになる。
おもなキャスティング
バリー=ケイン …… ロバート=カミングス(31歳)
パトリシア=マーティン …… プリシラ=レイン(26歳)
フィリップ=マーティン …… ボーン=グレイザー(69歳)
チャールズ=トビン …… オットー=クルーガー(56歳)
フリーマン …… アラン=バクスター(33歳)
サットン夫人 …… アルマ=クルーガー(70歳)
ニールスン …… クレム=べヴァンス(62歳)
トラック運転手 …… マレイ=アルパー(38歳)
サーカス団のドクロ男 …… ペドロ=デ・コルドバ(60歳)
サーカス団のこびと少佐 …… ビリー=カーティス(32歳)
サーカス団のひげ女 …… アニタ=シャープ・ボルスター(46歳)
フライ …… ノーマン=ロイド(27歳)
はいきたどっこいしょ! ヒッチコックがアメリカ・ハリウッドに活動拠点を移して2年、進出第1作の『レベッカ』(1940年)から数えて早くも5作目となる『逃走迷路』の登場でございます。ハイピッチですね~。
ハリウッドの大物プロデューサー・セルズニックの映画会社に所属する形で渡米したヒッチコックでしたが、セルズニックの会社で制作した映画は『レベッカ』のみで、その後はしばらく、セルズニックから他の映画会社にレンタルされる派遣監督スタイルであくせく映画を作っていくこととなります。
そんな中、後年あの『鳥』(1963年)以降の最後期作品で多くタッグを組むこととなる、アメリカ最古の老舗映画会社ユニバーサル・ピクチャーズのもとで初めて映画を制作することとなったのが、今回の『逃走迷路』でした。大事な作品ですね~。
それまでのハリウッド時代の4作品を観てみますと、『レベッカ』~『スミス夫妻』の3作品はやっぱりどこか他人様の依頼で映画を作っているという裏事情が垣間見えるような、どこか他人行儀なまどろっこしさのある作品だったのですが、前作『断崖』あたりから、徐々にハリウッドになじんできたヒッチコックの本領が発揮される助走が始まったような気がします。そして、そのスピードがさらにのってきたのが今作『逃走迷路』なのではないでしょうか。
とは言いましても、『断崖』と『逃走迷路』は双方ともに「ヒッチコックらしさ」がしっかり出た作品ではあるものの、その内容に関しては、だいぶジャンルが違うんですよね。
すなはち、両者ともに映画を観ている観客の共感を誘うような、愛すべき個性や欠点のある人物たちを主人公に据えながらも、
・日常の中にひそむ犯罪や殺意の影をクローズアップした「ミニマム系サスペンス」…… 『断崖』
・市井の人間が社会を揺るがす巨悪の謀略に巻き込まれる「大風呂敷系スリラー」 …… 『逃走迷路』
という、大きな違いがあると思うのです。
どちらも、ヒッチコック監督がそれまでのイギリス時代の約15年間のキャリアの中で手ごたえを得て大いに名声を上げてきたジャンルであるわけなのですが、ここ新天地ハリウッドにおいても、それぞれのスタート地点となる作品が並び立ったというわけなのです。
ちなみに、イギリス時代の作品を例に挙げますと、「ミニマム系サスペンス」に属するのは『下宿人』(1927年)、『殺人!』(1930年)、『第3逃亡者』(1937年)などで、「大風呂敷系スリラー」に属するのは『暗殺者の家』(1934年)、『三十九夜』(1935年)、『バルカン超特急』(1938年)あたりになりますでしょうか。どれもクセの強い作品でしたね~。
そういった感じですので、これからどんどんハリウッドで量産されていくヒッチコックの超有名傑作群も、大雑把にジャンル分けすればだいたいこの『断崖』か『逃走迷路』いずれかの流れに属する作品になると思いますので、そういう意味でも、今回の『逃走迷路』はその後の数多くの名作たちの「長男 / 長女」にあたる重要作であるわけなのです。これは観ておかないとね!
というわけで、本題である作品の内容に入っていきたいのですが、あの、いつもならば映画に関するつれづれの他に、後半に≪視聴メモ≫ということで内容を観ていて細かく思いついたことを並べ立てるコーナーがあるのですが、今回はあまりにもシーンごとに思いつく点が多くなりそうなので、視聴メモは丸ごと割愛させていただきます。こんな見どころ盛りだくさんな映画、いちいち気になったこと羅列してたら何万字あったって足りないっすよ!
ところで、のっけからけなすような言い方になってしまうのですが、この『逃走迷路』、実はよくよく観てみると、そんなに派手な作品ではないんですよね。各シーンを眺めるぶんには、そんなに目を引くようなインパクトのあるシーンは、「最後のあれ」まではほとんど無いに等しいのです。「最後のあれ」以外はね!
つまり、この作品は「終わり良ければすべて良し」を体現しているというか、クライマックスでの因縁の悪役フロイの最期のインパクトに作品すべての出来を懸けているといっても過言ではない「一点豪華主義」な作品になっていると思うのです。
まず言えることは、この作品の大部分が「イギリス時代の諸作品」の再構成でできているという点です。もちろん、単なるリメイクではなく、過去作での反省を活かしてよりクオリティの高いものになっていることは当然ですが。
細かいことを言えば、クライマックス手前の映画館の中でのアクションは、原題が本作とよく似ている『サボタージュ』(1936年)の設定のセルフリメイクな気がします。ただ、単に映画館を舞台にしているだけでなく、ちゃんと上映中の映画を利用して印象的な銃撃戦(ブラックジョークすぎる!)に仕上げているのが、イギリス時代のリベンジみたいでいいですね。
しかしなんと言っても本作は、「無実の罪を着せられた主人公が、ヒロインや周囲の人々の誤解を解きつつ悪の組織に立ち向かっていく」という話の流れが、あの『三十九夜』に非常に似ています。
ただ、主人公のキャラクターがあまり観客の多くにとって共感できる点が見られない「生活感の薄い外国人(カナダ人)」という中途半端なハードボイルドヒーローだった『三十九夜』は、途中で彼の逃避行に付き合わされるヒロインがかわいそうになるくらいに自分勝手に突き進んでいく強引さがあり、それに拒否反応を示す人(特に女性?)も多かったのではないでしょうか。なんで知らん男と手錠つないで昼夜走り回ってホテルで同衾せなあかんねんと! そんな状況を経て最後に相思相愛になったって、それほんとに「愛」なんですか?っていう疑問が残りますよね。ストックホルムとか、吊り橋効果とか……
それに対して今回の『逃走迷路』はというと、まず公開された当時のアメリカが第二次世界大戦に参戦した直後ということで、戦争のために軍需工場で真面目に働く青年ケインが主人公であり、彼をおとしいれた悪の組織がアメリカの国防をおびやかす国内ファシズム勢力であるという構図をかなりはっきりと打ち出しており、そんなケインを応援しない人なんかいるんですか!?という無言の圧力が2020年代の今観てもひしひしと伝わってくる強固な骨組みを形成しているのです。また、そんなケインを演じている主演のロバート=カミングスも当時非常に人気のあるコメディ映画スターで、この『逃走迷路』などの映画の撮影を終えた後にアメリカ陸軍航空隊(のちのアメリカ空軍)に所属し従軍、のちのロナルド=レーガン大統領とは友人関係という、好感度が非常に高い俳優さんでしたので、まずこの点で観客が本作に大いに感情移入して応援したくなる素地はできていたわけなのです。
そしてもう一つの改善点と言えるのは、本作のヒロインであるパットことパトリシアが、重大なテロリストである可能性もあるケインを相手にしても全く引かず、それどころか車で2人きりになったとたんに逆にそれをチャンスと解釈してケインをふんじばって警察にしょっぴこうとするような豪傑娘に設定されているという点です。この、鳥山明のマンガから出てきたかのようなキャラの濃さよ! 鼻っ柱タングステン製か!? こういうヒロインだったら、ケインとの不本意な珍道中を何日続けようとも「かわいそう」という雰囲気にはなりませんよね。どてらい娘もいたもんだ。
ただ単に「気が強い」とか「体育会系」とかいう属性のあるヒロインは、イギリス時代のヒッチコック作品にもたくさんいたわけなのですが(『暗殺者の家』とか『第3逃亡者』とか)、今作で特筆すべきなのは、そういったヒロインのたくましさが、映画のクライマックスまでちゃんとヒロインの活躍の場が与えられる脚本を生んでいるという点です。
つまり、今までの「大風呂敷系スリラー」の諸作では、戦う相手が非常に規模の大きな組織になる展開が多かったので、男性主人公と女性主人公のどちらにも充分な見せ場や役割が割り当てられつつ最後まで映画がいくという流れは少々難しいところがありました。結局、ド派手な銃撃戦などのアクションは警察まかせで主人公たちは安全な場所に避難している、などといった展開が多かったのです。巻き込まれ型主人公って、特にものすごい特殊技能を持ってるわけでもないですからね。
ところが本作では、「悪のファシズム組織」の中でも「首魁トビン」、「哀しき中間管理職幹部フリーマン」、「主人公と直接の因縁がある末端構成員フロイ」というふうに、非常に綿密に悪役を細分化させていますので、ふつうの一般市民であるケインとパトリシアでも、知恵を絞ってフロイくらいは追い詰めていけるということで、見せ場をしっかり用意することができたわけだったのです。主人公たちが最後まで物語の趨勢に関わる。当たり前のことではあるのですが、これほんとに重要ですよね。そして、大風呂敷を広げるスケールの大きな作品ほど、このつじつま合わせが難しくなると思うのです。
実はこの『逃走迷路』って、結局ファシズム組織の首領であるトビンがどうなったのかは映画の中ではまったく語られず、なんだったらテロの真相を知っているフロイもあんなことになっちゃったので、「悪が懲らしめられた」とは言いがたい、「トータルでいうと正義の負け」みたいな結末なんですよね。そう考えると手放しで「おもしろかったー!」と言うべき映画ではないはずなのですが、直接ケインをひどい目に遭わせたフロイがしっかりやっつけられて終わるので不思議な爽快感が残るエンタメ良作になってしまっているのです。だまされてはいけない! 新造戦艦だって思いッきり計画通りに爆破転覆しちゃったし。
これはやはり、中盤でトビンにいいようにあしらわれて監禁されたケインとパトリシアが、それぞれの知恵を使ってケインは火災報知器、パトリシアはルージュで書いたメモで脱走に成功し、ケインはフロイを見つけて逃走させ、パトリシアは根性のすわった演技でフロイを自由の女神像内で足止めし、最後にちゃんとフロイが自身の罪を認めた上で罰を受けるという順路がしっかり作られていたからだと思うのです。大局を見ればボロ負けなのですが、ケインとパトリシアの目で見たら愛の連携でつかんだ勝利という、だまし絵みたいなヘンな映画なんですよね。
ここらへんの妙にリアルなトビンの逃げ勝ちっぷりには、どうしても当時、現在進行形で第二次世界大戦の真っ最中だったという、どうしようもない事情が関係しているのではないでしょうか。太平洋戦争にいたっては始まったばかりだし。
つまり、この映画の中で首魁のトビンまで一網打尽という脚本にするのは容易いことだったのでしょうが、それでは映画で語りたかったファシズムの恐ろしさが矮小化されてしまうという懸念があったのだと思います。本作のトビンが象徴しているように、ファシズムというものは別にナチス・ドイツのようにわかりやすいワルな恰好をしている集団ばかりでなく、それとすぐにはわからない姿をしてアメリカ市民の中に溶け込んでいるものなのです。ほら、あなたの町にいる、いかにも人の良さそうな好人物、豊かな財力を持った名士たちの中にも、アメリカの転覆を狙っている悪魔の手先はいるのかもしれませんよ……こういった意識を当時の観客に持たせたいという意図のために、おそらくこの映画のトビンは罰を受けないまま野に放たれることとなったのだと思います。これもまぁ、国民に注意を喚起するという意味合いでのプロパガンダ映画ですよね。でも、それをそうと感じさせないところが、本作が『海外特派員』よりもよくできている証拠だと思います。
とまぁ、そういった小理屈を抜きにしましても、本作におけるトビンという稀代の悪人は、この映画だけで退場させるにはもったいないような魅力にあふれたキャラクターとして描かれています。
その態度は常に余裕しゃくしゃく、夜会服も粋に着こなしダンディな笑みを浮かべながらも、ときに異様にすごみのある冷たい表情も垣間見せ、テロ行為や暴力沙汰はもっぱら配下のフリーマンやフライ、執事のロバートに任せるというその姿は、まさにこれアニメ版第6期『ゲゲゲの鬼太郎』の、大塚明夫さん演じる妖怪総大将ぬらりひょんサマそのものでねぇかァア!! 私が惚れる理由はそこだわ……
いくらケインが情熱たっぷりに「お前らは必ず敗れる! 僕たち勇気ある国民は立ち上がるぞ!!」と叫んでも、トビンはあくびまじりに、
「議論はそのくらいでいいかな……じゃロバート、そろそろお客さま(ケイン)をお休みさせて。」
と語り、それに応じた執事のロバートはおもむろにケインの後頭部にブラックジャック(殴打用の凶器)を振り下ろす。
この描写だけで、トビンという人物がケインの手に負えない次元の存在であることがうかがえるかと思います。尊敬しちゃいけないけど、美学はあるような気がしますよね。となると、執事のロバートは朱の盤か!
本作で、このように非常に魅力的な悪役トビンを演じた俳優オットー=クルーガーさんなのですが、ご本人はアメリカ生まれなものの、そのお名前からもドイツ系の方であることは間違いなさそうです。だとすれば、そんな彼があえてこのような役を演じたというのも、あの『海外特派員』でドイツから亡命してきたばかりのアルベルト=バッサーマンが味わいのある反戦政治家を演じたように、何らかの強い意志があってのことだったのかも知れませんね。よくぞ演じてくれました……
他の俳優さんに関してもいろいろ言いたいことはあるのですが、簡単にまとめてしまうと、本作は良い意味で「市井のしがない人々」が力を合わせて巨悪に立ち向かうというリアリティがよく出ていたキャスティングになっていたと感じました。
要するにこの『逃走迷路』には、前作『断崖』に出てきたケーリー=グラントやジョーン=フォンテインのように絵に描いたようなハリウッドスターは登場せず、全員かなり生活感のある顔ぶれになっていると思うのです。それはもちろんケインとパトリシアもそうなのであって、特にパトリシアを演じたプリシラ=レインさんは、非常に絶妙な「絶世とまではいかないが美人」な顔立ちで体格もわりとがっちり系、気は強いが全国区レベルの CMモデルになっていることをイジられると「へへ、それほどでも……」とはにかむという、かなりリアリティのある娘さんになっているのです。でも、そこがいい~!!
そして、ケインが逃避行の中で出会っていく「長距離トラックの運ちゃん」「サーカス団の見世物芸人のみなさん」「盲目の老人フィリップ」という面々も、それぞれがトビンに拮抗できるほどの力を持っているわけでもないのですが、全員がその心の清廉さでケインを支えていく「無垢なる国民」を代表しているわけなのです。ここらへんの、確実に主人公の正義の心を次のステージにレベルアップさせてくれるキャラの存在って、イギリス時代のヒッチコック作品にはそんなにいなかったのではないでしょうか。なんか、イギリス時代のヒッチコック作品の脇役陣って、コメディリリーフばっかりだったような気がします。
印象深い脇役というのならば忘れてならないのが、トビンと末端テロリストたちとの間で板挟みになってあたふたばっかりしてた幹部フリーマンを演じていたアラン=バクスターの、悪のファシストに全く見えないたたずまいです。
孫に対しては、ただひたすらに「牧場のやさしいおじいちゃん」でしかなかったトビンと同じように、フリーマンは「我が子に何をプレゼントしたらいいのか悩む妻子持ち」でしたし、フリーマンを取り巻くテロリストたちも、車の長旅でヒマになれば眠気覚ましに一緒に歌を唄うし、靴下に穴があけば針と糸で器用につくろうし、監禁しているパトリシアの要望を聞いて飲み物を買ってきてもくれるいい人ばっかりなのです。それなのに、徒党を組めば爆破も殺人もいとわない凶悪集団になってしまうという、この恐怖。
人によれば、あのヒトラーでさえも「1対1で話せばただのいい人だった」というエピソードが残っているくらいですから、そういう意味での真のファシズムの恐ろしさを、この『逃走迷路』の悪役たちは体現しているのかもしれません。単に通常パターンの逆張りをしていい人に造形しているわけではないと思うんですよね。これは深い……!
他にも言いたいことはたくさんあるのですが、字数もかさんできましたので最後に、やはりあの自由の女神像での「フロイの最期」について。
ここでの非常に鮮烈な「93m の高さからの落下」のトリック映像は、確かに今現在、その映像法を知ったうえで観ると合成部分も完全に隠しきれてはいないので、多少不自然だったりチープに見えたりもするかも知れません。
それでも、この記事のタイトルでも申したように、「演者が落ちているようで実はカメラが上がっているだけ」という180°の発想の転換は、まさしく「コロンブスの卵」に類する、天才だけが許されるレベルのアイデアなのではないでしょうか。知ってみれば理屈は簡単なのですが、まずそれを思いつくことが容易でないのです。
落下と上昇、この地球の重力すらも逆転させてしまうヒッチコックの映像マジック!! これは宇宙超怪獣キングギドラの引力光線か、はたまた『ジョジョの奇妙な冒険』の固有領域展開系スタンドか!?
そして、ここでも「リアリティよりもインパクトを優先する」ヒッチコックイズムは健在であり、この撮影法を採用することによって、落ちる人間が「演技をしながら」落下できるという、現実的にはあり得ない味付けをすることができるところが、本当にすばらしいのです。
だって、このシーンの何がいちばん記憶に残るかって、フロイがカメラ目線のまんま、つまりケイン(=観客)をガン見したままゆっくりと落ちていくさまが強烈なんですよね! 実際に落ちたら顔の向きも身体の向きも変わりながら一瞬で豆粒になっていくでしょうし、この撮影法ほど明確に見えるようなことはないはずですから。
いい感じでリアル感を出しつつ、いい感じでウソも混ぜていく。これこそが、ヒッチコック流なのでしょう。そして、そのためならばどんなに真逆な方法なのであろうと大胆に採用して現実化していく。当時の若き天才の、奔流のように噴出する才気のものすごさが瞬時にわかる「アゲアゲ落下シーン」なのでありました。アゲ~⤴(聖あげはさんふうに)!!
こんなわけで、粋なことにアメリカを象徴する名所である自由の女神像を舞台に、またしてもものすごい映画伝説を打ち立ててしまったヒッチコック! 第二次世界大戦のまっただ中という苦境にはありますが、さて次はどのような映像マジックを見せてくれるのでありましょうか!?
いや~、こんなに最新作がわくわくする映画監督、2020年代の今いますかね? もしいたら教えてください!
いたらいいな~、特に日本に! 立ち上がれ、わこうど~。
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