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長岡京エイリアン

日記に…なるかしらん

斯界に激震走る!!あのプリキュアがクックルン魔法少女怪人に闇堕ち!?

2024年12月21日 11時19分10秒 | アニメらへん
 みなさま、どうもこんにちは! そうだいでございます~。
 さぁ、いよいよ今年2024年もゴールが見えてまいりました。みなさまにとりましては、充実した一年間になりましたでしょうか?
 私に関していいますと、まぁ生活の形は相変わらずでえっちらおっちら生き延びているのですが、少しずつ少しずつ、新しい生活を始めるための勉強を進めて歳がくれたという感じです。もどかしくもあるのですが、こればかりは急いでも仕方がなく……じっくりと本を読み、試行錯誤して心の栄養を養っているという時期ですね。何が役に立つかはわかりませんが、とにかく引き出しだけは増やしていこうという所存です。できれば~、来年から新しい世界で働けるようになりたいのですが……ま、そううまくもいかないでしょうし、気楽にやってきましょ。

 振り返ってみましても、今年は現在のお仕事を無理せずにやって休みを充分にいただき、1月の健康診断でけっこう危ない結果が出たので日々の野菜ジュースを欠かさず、暴飲暴食は避け……たつもりで平穏に生きてまいりました。気になる映画もあらかた観ることができましたし、毎年恒例のお楽しみにしている山梨ひとりドライブ旅行もなんとか無事に堪能することができました。ほんと、命の危険にいちばん関わるイベントがこれですからね……でも、いい旅なんだよなぁ。

 それで、つい先日に一年最後のビッグイベントとなる東京への観劇行も終わりまして、私にとりましては本当に申し分ない充実した歳が暮れようとしているわけなのですが、なんとこのクリスマスだの年末だのでそこそこ忙しい時に、すべりこむかのようにとんでもない大事件が出来してしまったのです! おいおい、こいつぁクリスマスプレゼントどころじゃねぇメガトン級爆弾だぜ!!


TVシリーズ『ゴー!ゴー!キッチン戦隊クックルン』(6代目 2024年4月~放送中 NHK Eテレ)
第89話『魔法少女に何が起こったか』(12月17日放送)
ゲスト怪人 …… 魔法少女マジカルクリームーン(声・依田菜津)

・マジカルクリームーンは、クリーム星から地球に派遣された怪人で、かつて2・3・4代目クックルンと死闘を繰り広げていた怪人・魔法少女マジカル☆クリーミー(声・新田早規)の妹である。
・マジカルクリームーンの決めゼリフは「とびっきりスウィートな時間を召しあがれ♡」。必殺技は、右耳の穴からひり出した「マジカルフルムーンホイップ」を相手に投げつけること。
・マジカルクリーミーの容姿はエメラルドの瞳にライトパープルの長髪であり、淡い水色のメイド服のようなコスチュームを着ている。頭に白ウサギの耳をイメージさせるカチューシャを着けている。また、カップケーキを模したステッキを携行しており、ステッキと胸に三日月のエンブレムがある。
・本話の戦闘では男性のクリンを一目ぼれさせて籠絡し、マメコに必殺技の出し方を伝授して戦闘停止に追いやっていた。
・マジカルクリームーンの声を演じる依田菜津は、プリキュアシリーズ第17作『ヒーリングっど♥プリキュア』(2020~21年放送)にて、通算62人目の正統プリキュア(オールスターズ参加有資格プリキュア)にして通算11人目の青キュアであるキュアフォンテーヌ(沢泉ちゆ)を演じている。
・現在放送中の6代目クックルンのメンバー3名は、初代クックルン・リンゴの子ども達である。したがって、他の初代クックルンのセージ(リンゴの弟)とクミン(リンゴの妹)の甥 or 姪にあたる。

愛されて11年!! 『キッチン戦隊クックルン』シリーズとは
 『キッチン戦隊クックルン』シリーズは、NHK Eテレで2013年4月から2024年現在まで放送されている子ども向け料理・食育番組。第1シーズン(初代クックルン)の番組タイトルは『すすめ!キッチン戦隊クックルン』(2013年4月~15年3月放送 全195話)であり、それ以降の第2~6シーズンの番組タイトルは『ゴー!ゴー!キッチン戦隊クックルン』となっている。
 初代から長らく毎週月~金曜日放送の10分間番組だったが、5代目クックルン放送途中の2022年4月から毎週月~水曜日の朝7:00~7:10の放送(夕方に再放送)となっている。

初代クックルン …… リンゴ(田口乙葉 初代レッド)、セージ(中尾壮位 初代グリーン)、クミン(幸田雛子 初代イエロー)
2代目クックルン(2015年3月~17年3月放送 全175話)
        …… イチゴ(牧野羽咲 2代目レッド)、アオイ(NOA 初代ブルー)、ハッサク(外川燎 2代目イエロー)、ミール(吉岡千波 初代ブラック)
3代目クックルン(2017年4月~19年3月放送 全175話)
        …… アズキ(土屋希乃 3代目レッド)、マロン(アイラ=サマーヘイズ 3代目イエロー)、茶太郎(盛永晶月 2代目グリーン)、サクラ(木村佳乃 初代ピンク)
4代目クックルン(2019年4月~21年3月放送 全170話)
        …… アユ(川瀬翠子 4代目レッド)、コムギ(垂水文音 4代目イエロー)、フキノスケ(3代目グリーン)、モメン(平祐奈 初代ホワイト)
5代目クックルン(2021年3月~24年3月放送 全374話)
        …… タイゾウ(中村蒔伝 5代目レッド)、マイカ(マイカ=ピュ 初代パープル)、クラム(高木波瑠 2代目ブルー)、ルーナ(藤原聖 2代目ブラック)、ソレイユ(井川梨愛 3代目ブラック)
6代目クックルン(2024年4月~放送中)
        …… ヨモギ(斉藤柚奈 4代目グリーン)、クリン(藤本風悟 5代目イエロー)、マメコ(石塚七菜子 6代目レッド)

6代目クックルンのあらすじ
 ぺこはら村からもりてんこ村に引っ越してきた、初代クックルン・リンゴとその子どものヨモギ、クリン、マメコの3きょうだい。リンゴの義理の姉であるハッカが営むパン屋を手伝う代わりに2階に住まわせてもらうことになっていたが、もりてんこ村を宿敵ダークイーターズの食パン怪人が襲撃する。リンゴは変身して応戦するが、ヨモギたちをかばいキャンディーの姿に変えられてしまう。ヨモギたちが困り果てる中、愛犬おかかが首に巻いていた風呂敷の中から光り輝くエレメントが飛び出し、気がつくと3人はクックルンに変身し、かつてリンゴが現役クックルン時代に使っていたレインボーキッチンの中にいた。キャンディーになってしまった母リンゴを元の姿に戻すために、ヨモギたちの奮闘記が幕を開けた。

創業2013年! 悪の組織でもトップクラスの長寿優良企業「ダークイーターズ」とは
 クックルンシリーズに共通する悪の組織。宇宙空間に基地を兼ねる宇宙船があり、クライアントの要望に応じて怪人(食材に似た容姿をもつ地球外生命体)を地球に派遣する「怪人派遣会社」。合言葉は「ハングリー」。
 首領は女性のイラッキン(声・七緒はるひ)で、夫の大幹部クヨッペン(声・皆川猿時)との間に双子の子イララとクヨヨがいる(2018年3月に出産)。イラッキンはクヨッペンを「あんた」と呼び、クヨッペンはイラッキンを「母ちゃん」と呼んでいる。
 2022年度の5代目クックルン以降は、働き方改革の一環として完全週休二日制となり子連れでの出社が可能となった。ただし託児所は未設置で、現状は子ども好きのクヨッペンが手下・怪人の子ども達の面倒を見ている。
 2024年度の6代目クックルンでは「本格的な悪の組織に立ち戻る」として、仲介派遣業務でなく自ら積極的にクックルンの打倒を目指して活動している。


 なな、なんだと!? あのクックルンシリーズの伝説の魔法少女の妹が登場!? しかも、その声を務めるのがプリキュア経験者の依田さんだってぇ!?
 これに驚愕しない変身少女ファンがいるでしょうか……こいつぁとんでもねぇクロスオーバー対決じゃありませんこと!?

 別放送局でやっている全く別の変身少女もののクロスオーバー対決といえば、我が『長岡京エイリアン』でも、けっこう前にクックルン戦士経験者の牧野羽咲さんがテレ東の「ガールズ×戦士シリーズ」の『ひみつ×戦士ファントミラージュ!』にゲスト敵として出演した大事件を扱ったことがあったのですが、それから4年の歳月を経て、今度はなんと、あの「プリキュアシリーズ」のレギュラープリキュアを演じた方がクックルン世界の魔法少女を演じるというドリームマッチイベントが発生してしまったのです。異種格闘技戦もいいところ! あの、まだ年末じゃありませんよね!? 今でも年末の格闘技イベントって、やってんすかね。

 しかも今回は、単にプリキュア経験者がクックルンに出演するというだけでなく、なんとあの伝説の魔法少女マジカル☆クリーミーに濃厚につらなるキャラクターを担当するというのですから、この予告情報にふれた瞬間から、私の脳髄はクリスマスやら年末そっちのけで Eテレのアグレッシブな番組制作姿勢に侵食されてしまいました。いや~やっぱ、いたいけな少年少女たちに、民放のプリキュアやら仮面ライダーやらスーパー戦隊やらの2倍長く地球を守らせるクックルンシリーズの制作スタッフなだけはありますな! 全然、ソツのないクリスマス企画みたいな安全パイなぞ選択しません。攻めあるのみ!!

 まず、今回のエピソードで初登場した魔法少女マジカルクリームーンにいく前に、その姉であるマジカル☆クリーミーの話をしたいと思うのですが、こちらについてはかつて、私が大好きな YouTubeのチャンネル「THE つぶろ」さんに関する雑文をしたためた時に軽く触れたことがありました。ま、結局クックルンは関係ない話題だったんですけどね……

 そこでも語ったように、魔法少女マジカル☆クリーミーは、主人公であるクックルンチームに毎回しょうこりもなく襲いかかってくる敵怪人の一人なのですが、2代目、3代目、4代目クックルンのシーズン中だった2016~21年に散発的に都合4度登場していた人気キャラでした。しかし、その声を担当されていた声優の新田早規さんが2022年2月に惜しくも急逝されてしまったため、それ以降は登場が絶えてしまっていたのです。
 上の情報の通り、クックルンシリーズは放送回数が膨大なので NHKのアーカイブや動画配信チャンネル内で過去回をチェックできる機会も非常に少なく(2代目クックルンの活躍を総集編化した DVDソフトが3巻あるのみ)、マジカル☆クリーミーの動く活躍を楽しむチャンスはほぼ無い状態となっております。

 私個人の思い出で言いましても、クックルンシリーズ自体は当然大好きなのですがさすがに全エピソードを視聴しているわけでもなく、くだんのマジカル☆クリーミー回も4回すべて見ているわけではないという情けなさです。
 でも、最初にたまたまつけていた TVでマジカル☆クリーミーを観た時の衝撃たるやすさまじいもので、いつものほんわかしたクックルン・アニメパートの作画とは全く違ったかわいいデザインの少女怪人が、必殺技を詠唱する時だけ鬼の形相となった筋肉ムキムキの姿となり、顔を真っ赤にして血管を浮かび上がらせて歯を食いしばり、絶叫しながらクリームをひり出すという展開には、「無から有は生み出せない」という魔法界の過酷な等価交換ルールを観た想いがしました。それ、魔法なんですかね……

 ともかく、そんな彼女の活躍は、クセの強いキャラがひしめくクックルンの怪人の中でもひときわ際立つ異彩を放っていたのですが、担当声優の新田さんが悲運にも遠行されてしまわれたということで、義理堅い Eテレのこと、おそらくマジカル☆クリーミーは永久欠番となり、クックルンに新たに登場することもない本物の伝説となってしまったのではないかと諦念していたのです。
 ただし、クックルンに登場する怪人たちは全員、実在する食材がネタ元になっているのですが、マジカル☆クリーミーのネタ元となる「生クリーム」を丸ごと番組出禁にするわけにもいかないので、今後どうやって生クリームの怪人を出していくべきなのか、番組スタッフもさぞかし頭を悩ませていたことだったでしょう。
 ちなみに、マジカル☆クリーミーが登場する以前のクリームモチーフの怪人としては、初代クックルンにクリームおばけ(2014年3月登場 一般公募から生まれた怪人)と、クリーム・イーストウッド(14年4月登場)という怪人が出ていたそうです。くだらねぇ~けど最高。


 すみません、ここでちょっと脱線してしまうのですが、私、今回のこの記事をつづっていく中で気になるまで、「生クリーム」と「ホイップクリーム」の違いを全然知りませんでした! 40年以上生きてきて、やっと今ごろになってわかった……
 なるほど、生クリームは「乳脂肪分が18%以上あるもの」で、ホイップクリームは「植物性油脂を使用したもの」なのか。5代目クックルンではホイップリン(2022年1月登場)という、ホイップクリームをモチーフとした別怪人が出ていましたね。見た目はほぼ同じ両者なのですが、お値段で言うと、生クリームは200mlで300~400円、ホイップクリームは同量で150円くらいと、かなりの差があるようです。
 あっ、それでわかった! だから、4代目クックルンでマジカル☆クリーミーが登場したすぐ次の回に登場した「ホイップクリーム」がモチーフの怪人「魔法少女マジカルホイッピー」は、全体的にマジカル☆クリーミーのパチモンが劣化版みたいなにせものっぽいデザインになってたんだ! いやいや、でもコレステロール値が低いホイップクリームだって、いいですよねぇ。
 あれ? でも、マジカル☆クリーミーとマジカルクリームーンの姉妹も、ひり出すクリームは「マジカルホイップ」とか「マジカルフルムーンホイップ」って言ってるぞ……どっちなんだ? 己の肉体からクリームを精製してるから、たぶん動物性だと思うんだけど……ま、どっちでもいっか、クックルンだし。


 話を戻しますが、ところがあーた、そういう経緯で2022年以降にマジカル☆クリーミーが復帰するのが難しいかと思ってたら、まさかその「妹」を出してくるとは!? その手があったか……しかもその声を担当されるのがプリキュア経験者とな! 全く不足なし!! 新田さんの魂は、ここに確かに継承され、新しい芽を力強く伸ばし始めたのです。

 その妹ことマジカルクリームーンを担当する依田さんの演じたプリキュア「キュアフォンテーヌ」に関してひもといてみますと、彼女は2020~21年に放送されていた『ヒーリングっど♥プリキュア』にレギュラー出演していた青キュアで、これは奇しくも、あの2代目クックルンのイチゴこと牧野うささんが『ファントミラージュ!』に殴り込みをかけた歴史的事件をまさに横目で見ていたプリキュアということとなります。この奇妙な符合が暗示するものは……さては依田さん、当時から「私も他局ヒロインにカチコミかけたい」と思っていたとでも、言うのだろうか(中村義洋ナレーションふうに)。

 それにしましても、依田さんが演じていたキュアフォンテーヌこと沢泉ちゆは、実に80名以上いる歴代正統プリキュアの中でも文武両道の万能選手というか、知的で運動神経もよく(中学校陸上部の走り高跳び選手)性格は冷静沈着、家は温泉旅館で普段は若女将の修行もこなすという非常に大人びた人格者です。たいてい、プリキュアになる人物はそれぞれの作品の中で「素直で正直者」、「知性派」、「能天気なご陽気者」、「天然ボケ不思議ちゃん」といったキャラクターのポジショニングがはっきりしているのですが、ちゆさんは典型的な知性派タイプで、キュアアクア(『 Yes!プリキュア5』など)やキュアマーメイド(『 Go!プリンセスプリキュア』)の系譜につらなる人物でした。この青キュア=水=知性派という関連づけは、プリキュアシリーズでもけっこう伝統的にみられる構図ですよね。まぁ、その枠にとらわれない例外もいますが……

 ところが、よりにもよって、そんなキュアフォンテーヌを演じていた依田さんがマジカルクリームーンとして、ガニ股になって「ぬぐぉおお~!!」とか「キィエェエエ~!!」と絶叫しまくる狂態をさらすというのは、プロの声優さんの芸の幅といいますか、やはり Eテレの「プリキュア何するものぞ」という攻めの姿勢を感じずにはいられませんね。要求するスタッフも、応じる依田さんも最高に狂ってるよ!!

 今回のクックルンのエピソードの内容に関しましては、もうレビューもへったくれもなく、いつものよう~にクックルンメンバーの前に新怪人としてマジカルクリームーンが出現し、男子のクリンが彼女にメロメロになって籠絡されかけて姉のヨモギがツッコミを入れ、年下のマメコが真似をしてクリームをひり出そうとして大騒ぎになるという展開になっていました。この、ノリとテンションで乗り切るアニメパートの3分半の時間、ほんとうにしあわせ。たぶん、今現在の日本の少年少女に「ジャズのノリ」を教えてくれる非常に稀有な教育番組だと思います。最近はもう、こんなハイクオリティな掛け合いを TVでやってくれるお笑い芸人も絶滅してるだろうし。

 まぁこんな感じで、脳みそをカラッポにしてただ観ているだけでも楽しいアニメパートなのですが、よくよく見てみるとこのマジカルクリームーンは対するクックルン3名のうちの実に2名を精神的に制圧して1名を戦闘不能に追い込み(マメコがレインボーキッチンに行けなかった)、なんと1名(クリン)からは母リンゴが変じたキャンディーを譲ってもらう承諾を得るという、ダークイーターズの刺客としてはかなりいいとこまでいっている戦歴を得ているのです。それにしても、いくら幻惑されていたとしても実の母親の身柄を敵組織に喜んで差し出すクリンのサイコっぷりは素晴らしいですね……将来有望!

 ここで、スペックはほぼ同じな姉マジカル☆クリーミーと妹マジカルクリームーンとのデザイン上の違いを比較してみたいのですが、

・マジカル☆クリーミー
 髪 …… 淡いミントグリーンのツインテール
 コスチューム …… 淡いピンクのメイド風で胸に水色のリボン
 ステッキ …… ピンクのリボンの付いたカップケーキ型

・マジカルクリームーン
 髪 …… ライトパープルの長髪を白ウサギの耳型のカチューシャでまとめている
 コスチューム …… 淡い水色のメイド風で胸にピンクのリボンと三日月のエンブレム
 ステッキ …… 水色のリボンの付いたカップケーキ型

 こんな感じで、ネット上に現存している画像を比較しても、けっこう違ったデザインになっていることが判ります。どっちかというと妹のほうが大人びて見えますよね。あと、残念ながら姉の方の映像資料を持っていないので比較できないのですが、踏ん張りに踏ん張った末に右耳の穴からクリームを一滴ひり出すのが関の山だった妹に比べて、姉の方が大量にクリームを出せていたような記憶がありますが……どうだったかな。

 こう見てみますと、姉妹どちらもかなりパステルな色調になっているのが特徴的で、ここらへんが髪色か衣装のどちらかで子どもに覚えてもらいやすいはっきりした色を配置しなければいけないプリキュア勢には見られない特徴となっています。この2人のパーソナルカラーはと問われれば、衣装から見て姉が「ピンク」で妹が「青(水色)」でよろしいのではないでしょうか。ただ、どちらも衣装がかなり白っぽいので、髪色でいくとマジカル☆クリーミーは「緑」、マジカルクリームーンは「紫」のイメージが強いです。
 あと、姉のほうは「生クリーム」と「メイド」と「カップケーキ」というデザインソースで構成されていたのですが、妹はさらに「三日月」と「ウサギ」という意匠がちりばめられていて、キャラクターに無駄に奥行きがついています。ほんと、無駄にてんこ盛り……余談ですが、依田さんのキュアフォンテーヌ付きの妖精キャラは「ペンギン」がモチーフで、同期にウサギモチーフの妖精を帯同させているキュアグレース(ピンク)がいます。

 こんな感じで、たぶん制作スタッフとしてもこの1回こっきりの登場にしておくとは思えない大活躍を見せたマジカルクリームーンですので、おそらく半年後くらいに、またひょっこりと再登場してくれるのではないかと思います。今後も、クックルンの展開から目が離せませんね!

 最後に、今回のマジカルクリームーンの登場は、放送のタイミングからして明らかにクリスマスシーズンを意識したものになっており、レインボーキッチンでクックルンチームが作った料理もサンタクロースの顔をあしらった「いちごのサンタミルクレープ」になっていました。めっちゃくちゃおいしそう! クリスマスに生クリームを使ったレシピをもってくるのは王道ですよね。

 ……と思っていたら、実は今回調べてみたところ、姉のマジカル☆クリーミーがクリスマスシーズンに登場した例はなんと一度もなく、7・9・6・2月と、なんか季節的に関連性の薄い時期に登場している回ばっかりだったんですよね。

 こういう意味でも、妹のマジカルクリームーンは、姉がついに果たせなかった「生クリームらしい季節の登場」という悲願をかなえてくれたのかも知れませんね。お姉さんも、きっと喜んでますよ。

 でも、まだまだ妹さんも、これからさらに頑張んなきゃね! だいたいひり出すクリームの量も少ないし、お姉さんの名前には「☆」がついてたのに、妹さんにはまだ「☽」がついてないですから!


 完全なる「魔法少女マジカル☽クリームーン」になる日をめざして、がんばれ、妹さん! 応援してるよー!!
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そんなんあり~!?超強引オチな欧米風『藪の中』 ~映画『断崖』~

2024年12月16日 20時08分07秒 | ふつうじゃない映画
 ハイどうもみなさまこんばんは! そうだいでございます~。
 いや~、気が付けば、もう年の瀬が近づいてますよ。師走! 別に師でもなんでもない私までもが忙しく駆けずり回る時期になってまいりました。今年もあっという間だったな……

 いろいろと忙しいんですよ、お仕事も遊びも。こんな時に、何の脈絡もなく昔の映画なんかのんびり観てらんないんですよ!
 それなのに、いつものこの企画をやってしまうというアンビレパンツ(©内田春菊)っぷりよ……うん、いつもの『長岡京エイリアン』だ!!


映画『断崖』(1941年11月公開 99分 RKO)
 『断崖』(原題:Suspicion)は、アメリカのロマンティックスリラー映画。夫に殺されるという疑念に取り憑かれた新妻を描く。 イギリスの推理小説家フランシス=アイルズ(1893~1971年)が1932年に発表した長編犯罪小説『レディに捧げる殺人物語』を原作とする。
 製作費110万2000ドル、配給収入は北米で130万6000ドルで海外では91万9000ドルとなった。
 第14回アカデミー賞でジョーン=フォンテインが主演女優賞を受賞した。
 本作は後年、アメリカの TVドラマシリーズ『 American Playhouse』(1982~93年放送)の枠内で1988年4月にリメイクされた(第7シーズン第11話)。
 ヒッチコック監督は、本編約46分51秒頃、村の郵便ポストに手紙を入れる帽子をかぶった男の役で出演している。

あらすじ
 1938年。ハンサムだがいい加減な性格の遊び人ジョニー=エイズガースは、イギリスの列車の中で眼鏡をかけた女性リナ=マクレイドローと出逢い、彼女を散歩に誘う。ジョニーはリナに接近するが、リナはそれを不愉快に感じ警戒する。しかしリナは、父である裕福な有力者マクレイドロー将軍が自分の結婚を考えていないことを知って傷つき、自暴自棄になった末に駆け落ち同然にジョニーと結婚してしまう。
 ヨーロッパでの豪華な新婚旅行を終えてジョニーが購入した新居に入ったリナは、ジョニーが仕事も収入もなく惰性的な借金生活を送っており、リナの父の脛を齧ろうとしていることに気づく。リナの説得を受けたジョニーは、彼の従兄の不動産業者メルベックの下で働くことになるが、そこへリナの父マクレイドロー将軍の死の知らせが届く。
 将軍の遺産がほとんどもらえないことを知ったジョニーは機嫌を悪くし、友人ビーキーと共に不動産会社を設立して景観の良い断崖にリゾート地を開発する計画を立て始める。そんな中、リナの脳裏にある疑惑がよぎる……

おもなキャスティング
リナ=マクレイドロー  …… ジョーン=フォンテイン(24歳)
ジョニー=エイズガース …… ケーリー=グラント(37歳)
イゾベル=セドバスク  …… オリオール=リー(61歳)
バートラム=セドバスク …… ギャビン=ゴードン(40歳)
ビーキー=スウェイト  …… ナイジェル=ブルース(46歳)
マクレイドロー将軍   …… セドリック=ハードウィック(48歳)
マーサ=マクレイドロー …… メイ=ウィッティ(76歳)
メイドのエセル     …… ヘザー=エンジェル(32歳)
ジョージ=メルベック  …… レオ=G・キャロル(49歳)
ホジスン警部補     …… ラムズデン=ヘア(67歳)

おもなスタッフ
監督 …… アルフレッド=ヒッチコック(42歳)
脚本 …… サムソン=ラファエルソン(47歳)、アルマ=レヴィル(42歳)、ジョーン=ハリソン(34歳)
製作総指揮 …… デイヴィッド=O=セルズニック(39歳)
音楽 …… フランツ=ワックスマン(34歳)
撮影 …… ハリー=ストラドリング(40歳)
編集 …… ウィリアム=ハミルトン(48歳)


 はい、というわけでありまして、今日も今日とてヒッチコック監督の映画を観ていく企画なのでございます。いつも通り、後半の視聴メモでだいぶ字数がかさんでしまってるんで、ちゃっちゃといきましょう。

 いや~、おかげさまでこの企画もついにヒッチコック監督作品の「第27作」となる『断崖』まできました。感慨深いものがありますね!
 なんで感慨深いのかと言いますと、ヒッチコックが監督を手がけた長編映画って、全部で「53作」なんですよ。ということは、今回の第27作がまさに半分、「折り返し」をすぎた後半戦の最初ってことになるんですね!
 やっと半分を越えました……この調子でちゃんと最後の遺作までいけるのかしら!? まぁ健康第一でのんびりいきましょう。

 ちょっと、本題の監督第27作『断崖』にいく前に、その前の第26作『スミス夫妻』(1941年1月公開)に関して。

 この『スミス夫妻』ですが、我が『長岡京エイリアン』のヒッチコック企画では独立した記事にしないでスルーしちゃいます。
 その理由は、『スミス夫妻』がヒッチコックお得意のサスペンス映画ではなく純然たる「ラブコメ映画」だからなのですが、ヒッチコック監督が非サスペンス映画を撮るのって、けっこう久しぶりですよね。イギリス時代の『ウィンナ・ワルツ』(1932年)以来10年ぶりということになるでしょうか。私、この作品もしかしたら2005年のアクション映画『 Mr.&Mrs.スミス』のリメイク元とかなのかなと思ってたんですが、タイトルが同じだけで全く無関係だそうです。なんだよ……
 この作品は、当時ハリウッドでヒッチコックを雇っていた大物プロデューサー・セルズニックが映画会社の RKOに2作ぶんヒッチコックを職人監督として貸し出していたうちの一作で、もうひとつが今回の『断崖』ということになります。
 『スミス夫妻』は、主演の売れっ子女優キャロル=ロンバードを前面に押し出したコメディ映画で、ほんのささいなことから離婚するしないの大ゲンカになった夫妻のてんまつを描く他愛もない内容の作品です。はっきり言ってヒッチコックらしさがうかがえる演出はほぼ無く、すがすがしいまでに「キャロル=ロンバードを楽しむだけの映画」になっているのが、逆にヒッチコック作品としては異色ですよね。まぁ、アイドル映画みたいなものです。
 正直、役者が2人向かい合ってしゃべる画面ばっかりで悪い意味で演劇的だし、ギャグのクオリティも高いとは言えない(若い頃のドレスを着てお尻の部分が破れるとか、デートで屋根なし観覧車に乗ってたら停電で止まってどしゃ降りに遭うとか……)のですが、翌年に不幸な飛行機事故で33歳という若さで夭折してしまうキャロル=ロンバードの美貌と演技を楽しむのなら、まぁ見て損はないかなという感じですかね。別のヒッチコック作品に出てくる彼女が見たかった。
 当時この『スミス夫妻』もそれなりにヒットしたそうなのですが、その頃のコメディ映画を観たいのだったら、ふつうに『或る夜の出来事』(1934年 監督フランク=キャプラ)とかを観た方がよっぽどいいと思います。これはよくできてますよね。『スミス夫妻』よりも昔の映画なのに、比較するのもバカバカしいくらいハイレベルですよ!

 ただ、一つだけ言っておくのならば、この『スミス夫妻』での「会話ゼリフだけのお芝居映画」というつまらなさからの反省として、「大事なシーンになればなるほどセリフ演技が少なくなる」次作『断崖』が生まれたという意義はあるのではないかと思います。『スミス夫妻』はキャロル=ロンバード、『断崖』はジョーン=フォンテインということで、どちらもかなりの美人女優が出ずっぱりな作品ではあるのですが、全く対照的な作風になっているのが興味深いですね。

 ということで本題の『断崖』に入りたいのですが、本作はアカデミー主演女優賞(フォンテイン)を獲得した作品でありまして、実は賞レースにあまり縁のなかったヒッチコック監督のキャリアの中ではノミネートこそ何度もあったものの、オスカーをゲットできたのは作品賞の『レベッカ』と、この『断崖』だけだったのです。監督賞はついに獲れなかったという。
 でも、ここからわかるのは「賞とったとかホントどうでもいい」ってことですよね。だって今、ヒッチコックの代表作は?って聞かれて『レベッカ』とか『断崖』って答える人って、いますかね? いや、どっちも面白い作品ではあるんですけど、それ以上の大傑作がゴロッゴロしてますから!
 もう最近は、アカデミー賞をとったとかいう売り文句なんて屁のツッパリにもなってない感じ、しません? 昔はもうちょっと作品の質の担保になってる感じもあったような気がするのですが、今はもう、ね~。つまんないもんは賞とっててもつまんないし、そういうのに限って3時間くらいあるし! 「無冠の帝王」だっていいじゃないですか。トム・ブラウンに栄光あれ!!

 話を戻しますが、この『断崖』は、すでに有名だったイギリスの推理小説家フランシス=アイルズ(別筆名アントニー=バークリー 1893~1971年)の長編小説『レディに捧げる殺人物語』(原題 Before the Fact : A Murder Story for Ladies 1932年発表)を原作としています。
 キャリアの初期から有名な小説や戯曲を映画化することの多いヒッチコック監督でしたが、今作の原作者アイルズは、知名度の高さでいうのならば『巌窟の野獣』、『レベッカ』そして『鳥』の原作者であるダフネ=デュ・モーリア(1907~89年)とゆうにタメを張るのではないでしょうか。でも、私が一番好きなヒッチコック映画の原作になった小説はジョセフィン=ティの『ロウソクのために1シリングを』(1936年 ヒッチコックの『第3逃亡者』の原作)ですけどね! あの小説版の犯人にはほんとにビックラこきました。

 そんでま、今回の『断崖』は上の情報にもあります通り、純然たる犯罪サスペンス映画なのですが、ちょっと原作小説『レディに捧げる殺人物語』との違いもチェックしておきましょう。
 ちょうどね、今年の9月に創元推理文庫から復刊されてたんですよ! なんというグッドタイミング。『ピクニック at ハンギングロック』の原作小説とか、創元さんはいいとこを出してくれますよね~。大好き! でも、昨今はほんとに文庫本の値段が高くなり申した……

 映画『断崖』と小説『レディに捧げる殺人物語』とを比較してみますと、ヒッチコックの原作あり映画のご多分に漏れず、この場合も「原作に忠実率だいたい40% 」という感じで、共通しているエピソードもあるが映画化されなかった部分もだいぶあるという感じです。
 具体的にいうと大きな差異ポイントは2つありまして、ひとつはリナとジョニー夫妻の「恋愛的なパワーバランス」が原作でしっかり描かれているのに映画では極力あいまいにされていること、そしてもうひとつが「結末が全く違うこと」です。結末が違うのは……ま、なんとなく予想はつきますよね。

 一つ目の恋愛的なパワーバランスというのは、映画版のほうが「リナもジョニーも相思相愛」というほんわかした基本ルールは最初から最後まで変わらず、リナが動揺するのはジョニーの金銭感覚の崩壊っぷりや殺人者じゃないか?という別の問題に由来するものがメインです。
 ところが、原作小説ではリナが「28~36歳」というかなり生々しい年齢相応の変化をとげており、その中でジョニーと物を投げ合うような大ゲンカをして、ジョニーも買い言葉で「お前なんか資産目当てで結婚しただけだ」と放言したためにリナはロンドンの実家に帰って完全な別居生活を送り、その状況で年下の画家志望のロナルドという男性と交際するが、ジョニーほどにときめかないことに気づき再びジョニーのもとに戻る……といった、そうとうにドロドロしたリアルきわまりない時間の過ごし方をしているのです。これは……レディスコミックみたいに時間感覚がぼんやりした映画版の夫婦とはまるで違いますよね。こわい。
 ですので、原作小説と映画版とでは、それを楽しむ人々の種類というか「対象年齢」がだいぶ違うような気がするのです。小説版のリナのほうが、どうしてもジョニーにときめいた記憶を忘れられず、気が付いたら30代半ばという現実に直面してジョニーから逃れられなくなり、ついに……という「詰み状態」がじっくりと着実に描かれているのです。
 映画版はそこらへんの、中年にさしかかる女性の「あたしの人生これでいいのかしら?」的な焦燥感をできるだけカットすることでエグみを抜いており、かつリナを美人実力派女優のフォンテインが演じていることで、あくまでも「ウソ、わたしの夫が殺人者!?」というセンセーショナルな問題だけに絞っているのです。エンタメ映画の選択として、この単純化はうなずけるものですよね。人生どうこうは考えても答えがないから。

 そしてもう一つの「結末の違い」はといいますと、まぁ推理小説とサスペンス映画なので具体的な説明は控えるのですが、簡単に申しますと小説版はジョニーが「限りなくクロに近い」という雰囲気をただよわせつつ最後の最後の結論は出さずに終わるの対して、映画版はなんと「すべてはリナの勘違い! ジョニーはまっしろけっけっけ~!!」という、原作を読んで映画館に行った人が全員ずっこけるような締めくくりとなっているのです。もんのすごいウルトラC 的展開!
 実はこの違いにいたるまでも映画版は周到なジョニーのシロ化を進めており、実は小説版のジョニーはリナの父マクレイドロー将軍の死にも関わっているのでは……という重大な疑惑が生じているのですが、映画版ではそこは無関係にしてスルーしています。
 余談ですが、原作小説版のリナは両親に無断でジョニーと結婚という暴挙までには出ておらず、それなりに両親の理解を得るまでの交際期間を経て結婚していますので、将軍の死後もちゃんと毎年2千5百ポンド(現在の価値でいうと約2千万円)の手当てを受ける相続を得ています。映画版の5倍よ~! まぁ、だからこそ将軍の死にジョニーの影があるわけなのですが。

 そういう感じの原作版ジョニーなのにも関わらず、映画版ではジョニーが推理小説家イゾベルに接触してやたら毒物の調べものをしていたのは、実は……ということで、映画版は180°方向転換をするような新解釈をほどこしていたわけなのです。

 ここらへんの大きな改変に関しては、他メディア化された作品についてよく言われるような「原作への敬意がない」とか「原作を読んだ人でも楽しめるように結末をオリジナルにした」とかいう理由よりも、第二次世界大戦にアメリカが参戦するかしないかというかなりキナ臭い時代にあえて世に出すエンタメ作品ということで、「ハリウッドスターのケーリー=グラントが妻殺しの殺人犯役で、しかもその罪が裁かれないまま終わる映画が作られていいわけがない」という、世界に冠たるエンタメの王道ハリウッド映画としての、当時としては至極まっとうな判断があったのではないでしょうか。多分、当時もこの映画版の結末を観てビックリこそすれ、怒る人はそんなにいなかったのではないかと思います。むしろほっとしたという反応の方が多かったのではないでしょうか。

 こういう改変について考えてみますと、やはり思い出されるのは『レベッカ』の映画版と小説版との違いで、そういえばあれも「疑惑の夫」が登場して、映画版は原作小説よりも夫の罪が軽減されていましたよね。ですから、どちらもフォンテインが主演という共通点以上に、もっと深いところで表裏一体の双生児のような関係に、この『断崖』と『レベッカ』はあるのかもしれませんね。結果、『レベッカ』でそうとう遺恨の残ったらしいエピソードの散見されるフォンテインが、『断崖』で後半ほぼ独り舞台&オスカー獲得という大逆転をつかんだのはすばらしいことだったのではないでしょうか。やったぜジョーン!!

 なんか、フォンテインがいかりや長介で、「もしも夫がちょっとヘンだったら」というテーマの『ドリフ大爆笑』内のコントコーナー『もしもシリーズ』の中の2篇として『レベッカ』と『断崖』がある、みたいな妄想をしてしまいました。♪ふぁ~ん ちゃちゃら ちゃちゃちゃちゃ ちゃちゃら ふぁ~ん♪

 まとめにもなっていませんが、本来、ジョニーがほんとに毒殺犯なのかどうかをはっきり明確に描かない、芥川龍之介の『藪の中』みたいな描法をしていた原作小説を、思いきりマンガみたいなわかりやすい描線に変えて、結末もかなり無理くりハッピーエンドに仕立てた『断崖』は、そうとうおかしな作品になりかねない危険な賭けにでた作品だったと思います。いや、でも小説の映画もどっちにしろ『藪の中』に比べたらルートがだいぶわかりやすいのが、いかにも欧米って感じですけどね。

 それでも、映画版もこれはこれでアリかなという不思議な名作に仕上がっているのは、ケーリー=グラントとジョーン=フォンテインという現実離れしたスターの共演にした「大人のおとぎ話」化戦略と、あの伝説の「光る牛乳」に象徴されるヒッチコックの才気のたまものなのではないでしょうか。
 余談になりますが、映画版の方で非常に印象的なシーンの多くは、原作小説には無かったオリジナルなエピソードです。具体的には、冒頭の「列車の中でのめっちゃ無礼なジョニーとリナの出逢い」や「両親の会話を盗み聞きして憤慨した勢いでジョニーと初キスするリナ」、「感情がぐちゃぐちゃになって泣くリナを笑わせようとする、ジョニーとビーキーの赤ちゃんをあやすような激烈にムカつく対応」、そして「言葉遊びゲームで偶然に出る『 MURDER』の文字」。これぜんぶ、映画オリジナルなんですよ。でも、これらは「この登場人物だったらそうするかも」と思わせる、原作の人物造形をある程度尊重し敷衍させたやりとりかと思いますので、そんなに違和感は生まれないのではないでしょうか。「想像を楽しむ小説」と「視覚で楽しむ映像作品」との表現の違いの範疇だと思いますし、この映画『断崖』ではそれらが非常に奏功していると思います。わかりやす過ぎて多少、子どもっぽくもありますが。

 でも、やっぱりあの『レベッカ』の姉妹編的作品なだけあって、まだまだヒッチコック流全開という感じにまではなっていないんですよね! だって、お話の2/3がただのロマンス映画なんだもの。

 ということで、ヒッチコックらしさがハリウッドでついに余すことなく発揮される作品の到来は、また次回ということで!
 さぁいよいよ、おじさんの黄金時代がは~じま~るぞぉ~!!


≪視聴メモで~っす≫
・本作の公開は1941年11月ということで、まさにアメリカが日本軍の真珠湾攻撃を受けて第二次世界大戦に参戦する1ヶ月前というとんでもないタイミングなのだが、当然ながら1932年発表の推理小説を原作とする本作に、戦争の気配はみじんも感じられない。嗚呼、前々作『海外特派員』の緊張感はいずこに……ちなみに作中での電報の日付から、この映画版は「1935年の3月はじめ」から物語が始まる設定となっている。
・若くはないものの、登場した1カット目から観客の目を奪う二枚目ハリウッドスターのオーラをだだもれにしているケーリー=グラントの別格感がすばらしい。失礼ながら、今までのヒッチコック諸作の男性主人公のみなさんとは比較にならないゴージャスさがある。その一方で、いくらおばさんくさい恰好をして地味なメガネをかけていてもその知的な美貌を隠すことができていないフォンテインもさすがである。
・列車での同乗者のタバコの副流煙で気分が悪くなったというていを装いながら上級の指定席に座り込み、それを車掌にとがめられ差額を請求されたら赤の他人であるリナに肩代わりしてくれとすがりつくというジョニーのクズさがハンパない。まぁ、でもケーリー=グラントだしな……と思わず許してしまいそうになる、この色男っぷり! ほんと、別の人がジョニーを演じてたら開始2~3分のこの時点で視聴をやめてたかもしんない。
・ジョニーはその甘い外見の通りに相当に名うてなハンサム紳士だが、彼が電車で乗り合わせたリナもまた、地元で知らない者はいない名門マクレイドロー家の令嬢だった。ジョニーの狩人のような眼が光る……! 演じるケーリー=グラントの魅力でワクワク感が高まる。嵐の予感!
・見た目もジョニーに対する態度もそっけなくツンツンなリナだったが、ジョニーはリナが読んでいた本の中に、しおり代わりに自分の写真が載った新聞記事の切れはしがはさんであるのを見てニヤリと笑う。「脈あり……!」意外と落ちやすいかも。
・ウキウキでジョニーたちと教会に行く娘リナの様子を見て不思議に思う母マーサを演じるのは、ヒッチコックのイギリス時代の最高傑作といっていい『バルカン超特急』(1938年)でのミス・フロイ役で有名なメイ=ウィッティ。今作ではあんまり出番がないのが残念。
・教会に行くというのは完全なる方便で、その途中でかなり強引にリナを連れて2人で誰もいない田舎道にしけこむジョニー。出会って数時間ほどの午前中の段階でリナの髪の毛はいじるは身体をベタベタさわるは……たぶん現代どころか1940年代当時でもアウトな所業におよぶクズっぷりに拍車がかかる。ほんと、ケーリー=グラントじゃないと映像化はムリですね。
・異様なまでに急接近してくるジョニーにドン引きしたリナは自宅に戻るが、そこで両親であるマクレイドロー将軍夫妻の「あいつ(リナ)は恋愛に奥手そうだし、結婚はしばらくはないだろ。」という発言を盗み聞きしてしまい、ついカッときてジョニーの唇を奪って交際を始めてしまう。ここで、ヘンなのがジョニーじゃなくてリナだというふうに立場が一瞬で逆転するスピード感がマンガのようである。レディスコミックだね~。
・リナの父で、女性問題だいかさまギャンブルだと浮ついたニュースの多いジョニーに悪印象しか持っていない頑固なマクレイドロー将軍を演じているのは、イギリスで「サー」の叙勲を受けている名優セドリック=ハードウィック(1893~1964年)。え! 「ハードウィック」!? そうなんです、このセドリック卿はグラナダTV 版『シャーロック・ホームズの冒険』シリーズ(1984~94年)の2代目ワトスン役でつとに有名な俳優エドワード=ハードウィック(1932~2011年)のご尊父なのです! そういえばエドワードもちょいちょいハリウッド映画に出ていたが、お父様もハリウッドスターだったのね。でも彼もまた、本作では出番がちょっとしかないのが残念。
・自分のことを恋愛ベタだと思っている両親にあてつけるかのように、ジョニーからきた電話に嬉々として出るリナ。しかしそれ以来1週間ジョニーからの連絡はぱったり止まり、リナはジョニーの写真を眺めたり自分から電話をかけたり郵便局の自分宛私書箱を調べたりと、いったん距離を置く「飢餓戦術」に見事にひっかかり、勝手にジョニー一途になっていく。ジョニー、恐ろしい男やでぇ!
・自邸でパーティがあっても「頭痛い……パーティ出たくない……」とうなっていたリナが、ジョニーからのパーティ行くヨという電報を読んだ瞬間にケロッと治ってニッコニコでドレスを選び出すという描写が、それを演技達者なフォンテインがやっているだけに余計に面白い。20代中盤という絶妙な年齢のわりに小娘みたいな挙動がバカっぽいけど、そこがチャーミングですよね。
・大好きなジョニーがパリッとした正装姿でパーティに来て、呆れかえる両親や友達連中を尻目に私と踊ってくれて、高級車でドライブに連れて行ってくれる。そして車の中で……というマンガみたいな展開が、まさにリナが見ている白昼夢のようで、始終酔っぱらったようなにやけ顔になっているリナがなんだか気の毒にすら見えてくる。だって、このまんまうまくいくわけないもんね、これ、ヒッチコック映画だから……始まってまだ30分も経ってないから……
・もう何回すんねんというくらいにジョニーとのキスを重ねるリナなのだが、そんな彼女を演じているのが、あの『レベッカ』で夫との冷え冷えとした新婚生活に苦悩するヒロインを演じたフォンテインなので、まるで本作が『レベッカ』のパラレルワールドのような不思議な世界に見えてくる。やっぱ、結婚するならしかめっ面のローレンス=オリヴィエよりこっちよね~!
・ついにリナは家を飛び出し、両親の許可を得ないままジョニーと結婚してヨーロッパのイタリア、フランスへと新婚旅行に出てしまう。ここらへんの経緯を2人のキャリーバッグに貼られたご当地ステッカーで説明する演出が非常にスマート。
・夢のような気分で新婚旅行を楽しみ、ジョニーが購入したというメイド付きの新居での生活を始めるリナだったが、ついにここで知りたくなかったジョニーの素顔を見てしまう。ジョニーはまるで生活能力のない無職の借金常習者で、新婚旅行の費用1千ポンド(現在の貨幣価値にして約800万円)も新居の購入費も、すべて知り合いからの借金で捻出したものだったのだ。一気に顔の青ざめるリナだが、ジョニーは「これからは君が用立ててくれればいいさ☆」と底なしの笑顔を見せる。こ、こわい……サイコ方面とは違うのだが、自分の置かれている、地獄に落ちる断崖の一歩手前のような状況に全く気づいていないジョニーの麻痺っぷりが恐ろしすぎる!! そんな現実、知りたくなかった……でも、これぞヒッチコック映画!
・マクレイドロー家から送られてきた結婚祝いの椅子セットにジョニーが閉口するくだりはちょっとしたコミカルなシーンだが、こういうところで「借金大好きで伝統に無関心なジョニー」と「借金を恥として嫌い伝統を重んじるリナ(マクレイドロー家)」という価値観の大きな溝をはっきりと提示してくれる脚本が非常に巧妙である。さて、現代においてはどちらのほうが正常なのか……
・ジョニーの親友で、リナにうっかりジョニーが競馬を止めていないことをバラしてしまう中年男ビーキーを演じるのは、フォンテインと同じく『レベッカ』以来のヒッチコック作品出演となるナイジェル=ブルース。この人いつもうっかりしてるな。ナイジェルといえば言うまでもなくベイジル=ラズボーン版シャーロック=ホームズシリーズ(1939~46年)での功罪相半ばする「うっかりワトスン」役なので、できればセドリック卿と共演してほしかった! ワトスン VS ワトスンの父!!
・両親が結婚祝いに贈ってくれた先祖伝来の椅子セットを、事前に断りもなく知らないアメリカ人に売ってしまったと語るジョニー。しかもくだんの椅子は、近くの町にある古道具屋のショーウィンドウに飾られていた……その発言が全く信用できないジョニーのふるまいにいよいよ心が離れそうになるリナだったが、競馬で2千ポンド(今でいう1600万円!)もうけたジョニーは椅子セットを買い戻し、リナは喜びの笑顔を見せるのだった……でも、それでええんかリナはん!? 今回たまたま結果オーライになっただけですよ……たまたま当たったから良かったけど、旦那さん1レースに200ポンド(160万円)賭けたって言ってるよ。
・その後もジョニーは「競馬はもうやめる」と言っていたが、平日の昼間に競馬場でジョニーを見たという友人のチクリから疑念を再燃させたリナは、ジョニーが勤務しているはずの不動産屋に行き様子を伺ってみる。すると、なんとジョニーは1ヶ月半も前に不動産屋の金2千ポンドを持ち逃げした疑いでクビになっていた……え? じゃあ、競馬で2千ポンド当てたっていう話も……リナの心はもうズタボロ!
・いよいよジョニーと別れようと心に決めるリナであったが、折悪しくリナの父マクレイドロー将軍が死去したとの報が届き、離婚の話はいったん保留となる。この時の電報の日付が「1938年7月」となっているので、つまりジョニーとリナの結婚生活は3年ちょっとは続いていたということになる。よく続いたもんだな!
・マクレイドロー邸での遺産相続発表の結果、リナには毎年500ポンド(400万円)の手当と将軍の肖像画が贈られることに。ゼロではないにしても、将軍の妹(リナの叔母)一家には計6千ポンド(約5千万円)の遺産が贈与されているので、これはもう事実上の勘当扱いであることに違いなく、ジョニーが失望を隠さず自暴自棄な態度になるのも仕方のないことである。でも生前から関係は最悪だったと思うので、何もかもジョニーの自業自得よ。
・不動産屋をクビになって間もないのに、ジョニーは性懲りもなく近所の海岸の土地をビーキーの出資で購入してホテルリゾートにすると言い出し、その意図をはかりかねるリナは再び不信感を再燃させる。そんな中、アルファベットの書かれた積み木を使った言葉遊びゲームでたまたま「 MURDER(殺人)」の文字を作ったリナは、土地の下見と称してビーキーを海岸の断崖に連れ出し、背後から突き落とすジョニーの姿を妄想して失神してしまう。映画も半分を過ぎてやっとサスペンスらしい雰囲気が漂い出す重要なシーンなのだが、ちょっとヒッチコックにしては妄想シーンが陳腐(落下するビーキーのバストショットくらい)なのが逆に珍しい。のちにさまざまな傑作で悪夢的妄想を映像化していくキャリアを考えると、かなり「らしくない」処理である。どったの?
・失神から目を覚ましたリナは、いても立ってもいられなくなり車をぶっ飛ばして断崖に様子を見に行き、悄然として帰宅する。ここのくだりは情緒不安定になったリナを描くだけのシーンなのだが、セリフ無しで約2分半ももたせる演出が、ヒッチコックがサイレント映画出身の職人であることをそうとう久しぶりに思い出させてくれる。でも、ここが面白いのは映像演出よりもフォンテインの表情の演技のおかげなんですけどね。一人でオープンカーを飛ばす思いつめた表情の横顔が、かっこいいのなんのって! ぷれいばっ、ぷれいばっ♪
・夫の殺意はわたしの勘違いか……と安心させておいてからの、唐突なビーキーのフランス・パリでの不審死。そしてそこには正体不明な「英語をしゃべる男」の影が……いよいよサスペンス映画らしくなってきたわけだが、ここらへんからいきなり寡黙になるジョニーと、セリフ無しの表情演技だらけになるリナとがつむぎ出す緊張関係がすばらしい。ここまでの1時間くらいの流れと温度差が違いすぎてカゼひく!
・映画の本筋とは全く関係ないのだが、ホジスン警部と一緒にリナを尋ねる郡警察の若いベンスン刑事(演ヴァーノン=ダウニング)が、リナの家の壁に掛けてある抽象的な静物画の前でいちいち立ち止まり絵を凝視する姿がミョ~に印象に残る。ヒッチコック監督、これにはどんな意味が……? なんか、ここだけ後年のデイヴィッド=リンチ監督の世界を連想させる「ふしぎな間」がただよっている。わけわかんないけど、面白いからヨシ!!
・目撃者の証言によると、ビーキーは飲み屋で「英語をしゃべる男」に無理にブランデーの一気飲みを強要された末に急死したという。その男が夫ジョニーではないかと疑うリナは、近所の女流推理小説家イゾベルのもとに相談に行くが、イゾベルもまた、ビーキーの死は意図的な殺人であると見ていた。ここでいきなりアガサ=クリスティみたいな味のあるキャラが前面に出てくるのがやや唐突なのだが(それ以前のシーンでちょっとだけ顔は見せている)、当然ながらこのイゾベルは、フランシス=アイルズの原作小説『レディに捧げる殺人物語』にも登場する。そういえばクリスティも、自身の「エルキュール=ポアロ」シリーズの中に女流推理小説家アリアドネ=オリヴァを登場させているので、「ご近所のおばさん推理小説家」という設定は推理小説にはうってつけのキャラクターだったのかも知れない。なんか、男の作家さんよりも話しやすいのかな。男だと松本清張とかいささか先生みたいだしね。
・イゾベルがリナに話す「リチャード=パーマー」という毒殺犯のモデルは、「19世紀で最も有名な犯罪者」「毒殺王子」と呼ばれたイギリスの犯罪者ウィリアム=パーマー(1824~56年)であると思われる。このパーマーは、まさに「酒飲み勝負」で相手を急死させたり競馬で借金した相手がパーマーの家で不審死したりと、本作のジョニーのキャラクター造形に大きな影響を与えた存在のようである。たぶん、当時この映画やアイルズの原作小説を読んだ人の多くも、パーマーの事件を即座にイメージしていたのではないだろうか。実録ヴィクトリア朝犯罪史!!
・ある朝、リナはついに、自分に相談もなしにジョニーがリナに多額の生命保険金をかけていることを知り、いよいよ疑念が確信へと変わっていってしまう。表向きは変わらず愛妻家でいるジョニーなのだが、ジョニーとキスをした時のリナの表情が、映画の序盤と今とでびっくりするほど違うのが、さすがフォンテイン、この作品でオスカーを掴むだけのことはある名演! 本作でのケーリー=グラントはヒッチコック作品史上最もハンサムな男性主人公だが、ジョーン=フォンテインは間違いなくヒッチコック作品史上最も知的なヒロインである。
・ジョニーへの不信から心身ともに衰弱しきったリナは熱を出して丸一日寝込んでしまう。見舞いに来たイゾベルと「絶対に検出されない毒」の話をした後、ジョニーが就寝前の牛乳の入ったグラスを持ってきてくれても、リナは全く手をつけることができないのだった……リナの疑惑を見事に象徴する挿話なのだが、ここで炸裂するのが、もはや世界映画史上の伝説となっている「光る牛乳」の演出である。すなはち、毒が入っているかもしれない牛乳の恐怖を映像化するために、ヒッチコックは牛乳の入ったグラスに豆電球を入れて光らせ、わざと電気を消した暗い家の階段をジョニーが牛乳を持って上ってくることで、漆黒の闇の中から真っ白な牛乳を持った黒い人影が迫ってくるという象徴的な画を作り出すことに成功したのである。まさしく、リナのイメージを現実の映像に変換するという表現主義的技法! ヒッチコックのキャリアの原点であるサイレント映画の世界に立ち返るような奇想である。でも、ほんとに牛乳の中にライトを入れたら光るのかな……こんど試してみよう! じゃあコーヒー牛乳は? 森永カルダスは? キッコーマンの豆乳は!? よし、これでこの夏の自由研究はきまりだ!!
・ジョニーとの2人きりの生活に耐えられなくなったリナは、カゼを理由に2~3日実家に帰ろうとするが、ジョニーは車に乗せていくと言って運転を申し出る。そして2人の車は、海岸沿いの断崖の道へ……ここらへんの流れるように断崖のクライマックスにつながっていくお膳立てが非常に小気味いい。観客の動悸を上げていくようなアップテンポな音楽もぴったりである。さぁ、ジョニーは本当に殺人者なのか? リナは助かるのか!? 衝撃の結末は……え~!? そんなん、あり!? よくぞまぁ、そんな感じのエンディングに持ってこれましたね! ハリウッド映画ならではの「力技」、ここにきわまれり!!
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全国城めぐり宣言 第52回 「武蔵国 赤塚城」資料編

2024年12月11日 23時06分57秒 | 全国城めぐり宣言
武蔵国 赤塚城とは
 赤塚城(あかつかじょう)は、東京都板橋区赤塚にあった城。現在、城跡は東京都立赤塚公園の一部となり、広場、梅林、桜並木などが整備されている。

 康正二(1456)年に、下総国の国府台城(現在の千葉県市川市)から移った千葉自胤(1446~94年)によって築城されたと伝えられる。ただし、それ以前に源頼朝が挙兵後に徳丸(現在の東京都板橋区)を通過した際に赤塚城を立ち寄ったという伝承もあり、正確な築城年代は不詳である。
 また、赤塚郷はもともと足利直義(1307~52年)の所領であったが、観応の擾乱(1350~52年)後に足利氏一門の渋川家に与えられ、その後、足利幕府第三代将軍・足利義満が造営した京の臨済宗鹿王院に寄進された。ところが、享徳の乱(1455~83年)に際して堀越公方・足利政知の補佐として関東地方に下った渋川義鏡(生没年不詳)が武蔵国内での勢力拡大をはかり、下総国での内紛で生き残った千葉自胤が武蔵国に逃れた際に、赤塚郷を兵糧調達の名目で接収してから自胤に与えた。これに対して鹿王院は幕府に提訴し、幕府も寛正三(1462)年に自胤に退去を命じているが黙殺された。
 赤塚城は、真北にある荒川の渡し場を一望し、また武蔵国北部から南部の下赤塚、江古田に至る鎌倉道(埼玉道)を押さえる、陸運・水運を掌握する要衝であった。赤塚城の千葉家は戦国時代には北条家の重臣として活躍したが、天正十八(1590)年に豊臣秀吉の小田原征伐で北条家が滅亡すると、千葉家も所領を没収され赤塚城は廃城となった。

 現在、城跡の周囲は都立公園として整備されている。本丸跡を示す石碑の他には土塁、横堀、竪堀、水堀、堀切、切岸など、江戸城を除く東京都23区内の城跡の中では最も多くの遺構が残っている。天守構造は無い。

 赤塚城は中世の平山城だが、実際には砦と呼ぶべき規模であったようである。本丸は武蔵野台地北東端の段丘上に築かれており、城の北側は徳丸ヶ原と呼ばれる湿地帯だった。ふもとのため池は赤塚城の内堀だったとされるが、周囲の開墾が進んだ明治時代以降は農業用水として使用され、現在は板橋区立赤塚溜池公園となり、釣りの楽しめる池として親しまれている。現在、城域には板橋区立郷土資料館、板橋区立美術館が隣接する。
 アクセスは、都営地下鉄三田線・西高島平駅から徒歩15分。
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全国城めぐり宣言 第51回 「武蔵国 練馬城と古城の塔」資料編

2024年12月10日 23時19分40秒 | 全国城めぐり宣言
武蔵国 練馬城とは
 練馬城(ねりまじょう)は、東京都練馬区向山にあった室町時代の日本の城である。東京都指定旧跡。
 城跡は、1926~2020年に営業していた遊園地「としまえん」を経て、2023年5月に都立練馬城址公園が開園した。

 築城年代は不明であるが、14世紀末に豊島家が石神井城の支城として築いたものと考えられている。また、この城にはかつて「矢野将監」という人物がいたため(時期不明)、「矢野屋敷」や「矢野山城」とも呼ばれていたという。そのほか、「海老名左近」という人物がその後に練馬城またはその北側の谷に居を構えたという伝説も残されている。なお、『豊島名字之書立』(年月日不詳)には豊島家の人物として「ねりまひやうこ(練馬兵庫)」や「ねりま弥次郎」の名が記されているが、練馬城との関係は詳らかではない。

 豊島家は文明八(1476)年に勃発した長尾景春の乱において、長尾景春に同調して関東管領の山内・扇谷両上杉家と戦った。この乱において、上杉方の江戸城と河越城の中間に位置していた練馬城は、近隣の豊島家の石神井城とともに、江戸・河越城間の連絡を遮断する役割を果たした。
 翌文明九(1477)年四月十三日、扇谷上杉家の家宰・太田道灌資長は江戸城を出撃し、練馬城とその周辺に攻撃した。これに対して練馬城主の豊島平右衛門尉泰明は、石神井城にいる兄の豊島勘解由左衛門尉泰経に連絡を取り全軍で出撃し、江古田原で合戦となった。この結果、豊島方は平右衛門尉泰明が討死し、生き残った勘解由左衛門尉泰経と残兵は石神井城へと敗走した。練馬城がその後どのようになったかは明らかとなっていないが、城主の討死や兵の石神井城への敗走により無人状態となり、そのまま廃城したものと考えられる。

 練馬城は、石神井川の南岸に位置する丘陵を利用して築かれた平山城である。城域は石神井川に流れ込む湧水が形成した侵食谷によって東西を刻まれ、南北に伸びた舌状台地を利用している。台地を東西に断ち切る石神井川の急崖をもって城の北の守りとしており、台地続きの南側を防御正面としていたと推定される。かつては南方の台地付け根部分に大きな空堀が存在したとされるが、現存していないため詳細は不明である。
 1927年刊行の『東京近郊史蹟案内』によれば、内郭(本丸)の規模は東西約110m、南北約95m であったとされる。北東部には75平方m 程の平坦部があって物見櫓跡と推定されており、以前には鬼門を守る「城山稲荷」が奉られていた(現在は移築されている)。土塁の幅は10~15m で高さは約3m、土塁頂上は通路として利用されていたという。また南方では馬出の跡も確認されている。城は、太田道灌との緊張関係が高まる中で石神井城とともに「対の城」として、大掛かりに改修された可能性が高い。遺構は近年まで若干残されていたが、1989年の「としまえん」内のプール施設などの建設により完全に消滅した。建設前の発掘調査では、最大で幅約10m・深さ約4m の空堀や土塁跡などが検出されている。
 かつては、練馬城を囲むように土塁と空堀が築かれていたとされるが、地表に遺構はほとんど残っていない。

 現在、城跡は「練馬城址公園」として段階的に整備されており、としまえん時代の2003年から開業した温泉施設「庭の湯」は営業を継続し、石神井川の北側区画では「ワーナーブラザース・スタジオツアー東京 メイキング・オブ・ハリー・ポッター」が営業している。
 アクセスは、西武池袋線・豊島園駅から徒歩5分。


古城の塔とは
 1926年のとしまえん開園時から存在している建築物。設計は、初期としまえんの設計者である戸野琢磨(1891~1985年)。イギリスの古城を模した建築物で、当初は食堂として使われていたいたが、イベントホールや喫茶店など用途が変わり、近年は年間フリーパス「木馬の会」の運営事務所として利用されていた。
 2020年のとしまえん閉園後に解体される予定であったが、地元団体や日本建築学会関東支部の要望により保全が検討され、2024年現在も結論は出ていない。現在はコスプレイヤーの撮影スポットとしても知られ、JCF(ジャパンコスプレフェスティバル)で「最大の人気スポット」として紹介されている。
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スマホとブッシュがおいでおいでするグラン修羅場ギニョル ~城山羊の会『平和によるうしろめたさの為の』~

2024年12月09日 20時45分38秒 | すきなひとたち
 みなさま、どうもこんばんは! そうだいでございます。
 いや~、山形はいきなり寒くなってきましたよ! 朝夕のキンキン感がハンパない……雪もちらほら降ってきましたしね~。この冬は、どうやらクリスマス付近から雪かきの恐怖におびやかされる、冬らしい冬になりそうです。早起きヤダ~!

 私の住んでいる山形盆地で本格的に雪が降ったのはつい数日前の土曜日からだったのですが、実は私、その日からいつもの感じの強行軍スケジュールで、東京に行っておりました。って言っても車でなく新幹線を使っての旅だったので、ずいぶんとのんきなもんですが。
 そこでまぁ、意気揚々と都内にある城跡を3ヶ所めぐりまして、土曜の夜には最大のお目当てとして、いつものあの方々のお芝居を観てまいった次第です。

 いや~、歩いた歩いた! そりゃまぁ城めぐりで歩いた分が主なんですが、この土日だけ、私のスマホの歩数計のグラフがぐーん!ってなっちゃいましたよ。でも、夜は雨が降ったんですが、日中はほんとにカラッと晴れたお天気で良かったです。石神井公園も練馬城址公園も、休日の行楽を満喫する老若男女やコスプレイヤーでにぎわっておりましたね。へいわ~!! 今度はハリー・ポッターのスタジオツアーにも行きてぇなぁ。豊島園駅周辺どころか、西武豊島線沿線がハリポタ化してました……みなさん楽しそうで何より。


城山羊の会プロデュース第26回公演 『平和によるうしろめたさの為の』(2024年12月4~17日 下北沢・小劇場B1)


 きましたね、今年もこの季節が! 一年の終わりが近づいていることを告げる、城山羊の会さんの不謹慎すぎる笑いの饗宴!! 私は、こっちのスタジオツアーのほうが断然大好きです。魔法はないけど、オトナのドロドロすぎる情交イリュージョンパレードが堪能できます。

 私、城山羊の会さんの公演を毎回観ているわけでもないので大きな口はたたけないものの、昨年の公演がそうだったように、城山羊の会さんのお芝居といえば「三鷹市芸術文化センター星のホール」のイメージが強かったんですよ。でも今回は下北沢ということで、私も久しぶりにかの「演劇の都」へとおもむきました。

 思いきり脱線するのですが、私、千葉で一人暮らしをしていた時代から、「下北沢に行くときは必ず渋谷駅から歩く」というルールを押し通していまして(たった数百円の電車代をケチって京王線を使わなかった故事にちなむ)、今回もそのならいにより、渋谷駅から駒場を通って下北沢へ行くルートを徒歩で行ったんですよ。時間は30分前後くらいかかりますかね。
 それで、だいたい4、5年ぶりに同じ道を歩いたのですが、今回はまぁ~何がショックって、昔たいへんお世話になった駒場の小劇場が、今年5月いっぱいで閉じちゃってがらんどうになってたんですよね。
 いや~、まさか、あそこが閉まるとは……いつも、必ず何かの公演をやってるその劇場の横を通り過ぎて下北沢に行っていたのですが、劇団員さんもお客さんもだぁれもいない、薄暮の町の中にたたずむ暗い建物になっていたのは、非常に心にせまるものがありました。時はうつろいますね。

 その一方で、スタート地点の渋谷とゴール地点の下北沢の喧騒は相変わらずと言いますか、むしろさらに増えてんじゃね!?という恐ろしいもので、おまけにゃどっちも駅舎がむちゃくちゃ変貌していたので、まるで知らない街に来たようで大いに戸惑ってしまいました。街は生きている!! 下北沢の老舗スーパーのピーコックストアさま、たいへんお疲れさまでございました。

 街は生きているというのならば、今回の公演が行われた小劇場B1も、2014年開場ということで下北沢の中では比較的新しくできた劇場でして、上階の北沢タウンホールのトイレはよく借りていたのですが劇場自体には私は特に思い出はありません。そんな中でも、客として初めて入った公演が、やはり2016年に上演された城山羊の会さんの『自己紹介読本』(初演版)だったんですよね。それももう、8年も前の話なんですねい。

 そうそう、そういえば今回の作品は、その舞台設定(近くに工事現場のある公園)が『自己紹介読本』に非常に似ていました。とはいえ、ある意味で『自己紹介読本』の内容を象徴するアイテムとなっていた「故障中の小便小僧像」が今回は無くなっているので全く同じ公園でもなく、まるでパラレルワールドのような「似て非なる空間」となっており、城山羊の会のお芝居を何回か観ている方だったら「ここ、どこかで観たような……」という気がしてしまう不思議な舞台となっているわけなのです。劇場も同じですしね。

 それで今回の作品の内容についてなのですが、1回しか観ていないといううろ覚えっぷりをご寛恕いただきつつ申しますと、


観る者の「うしろめたさ」をクローズアップし、そして開放する唯一無二のひみつの花園、におうが如く今盛りなり!!


 といった感じになりますでしょうか。わっかるかな~、観なきゃわっかんねぇだろうなぁ~。

 あのですね、もう、面白いのは当たり前なんです。でも、城山羊の会さんの提示する「面白さ」というものは、絶対的に子どもが見ても笑えるという性質の「味つけのしっかりした料理」や「爆弾」みたいにはっきりした存在ではなく、いわば観客の顔を映す「鏡」のような、相対的な存在なのです。
 つまり、城山羊の会さんのお芝居を観て思わず笑ってしまうのは、そこでの登場人物たちのやり取りや悲喜こもごもに、過去に自分自身が経験した失敗や気まずさを観て「これ、あの時は全然笑えなかったけど、はたから見たらこんなにバカみたいな話だったんだなぁ。」と反芻したり、「こんなに悪いことがあれよあれよと言う間に積み重なっちゃったら、もう笑うしかないよなぁ。」と諦念したりする没入感があるからだと思うのです。なんか、この人たち不倫してるみたいだな、この女の人ヤバいな、この男の人そんなにエロいんだ……と、公園の一角で繰り広げられる定点映像をのぞきこんでいる内に、いつの間にか、「このヒヤヒヤする関係が壊れたら目も当てられなくなるんだろうなぁ。でも、壊れるの見てみたいなぁ、自分は関係ないから。」という、対岸の火事から目が離せなくなるような危険な心理状態におちいってしまうわけなのです。

 でもそこ、本当に対岸ですか? もしかして、鏡に映ったあなたの家が燃えているのかも……ギャー!!

 言っておきますが、たぶん、そこに「ほんとに不倫した人にしかわからない」とか「ほんとに肉親と恋人を取り合った人にしかわからない」というようなニッチな条件は必要ありません。だって、それだったら城山羊の会さんの公演がこんなに毎回大入り満員で、お客さんがほとんど黄色い声のような歓声を上げて舞台上での修羅場を喜色満面に見届ける状況など生まれるわけがないからです。
 ほんの少しの、「知り合いにやましいことをした」経験、「ちょっとした隠し事があって咄嗟に嘘をついた」思い出……それさえ、その、本人さえもがすっかり忘れ果ててしまったかのようなちっぽけな「支点」さえあれば、城山羊の会さんの「力点」は、私たち観客の脳髄の中にある「作用点」をスポポポーン!!と笑いの成層圏にまで打ち上げてしまう異次元の射出能力を持っていると言わざるを得ないでしょう。

 でも、今回の作品で本当に私が感服つかまつってしまったのは、今回の脚本ほど、その「力点」が簡素なものになっている作品はいまだかつて無かったのではなかろうかという点だったんですよね。
 ほんと、今回の作品って、いかにも演劇的な「不思議なこと」っていうのが起きないんですよ。淡々と、事実が推移していく、だけど考えうる限り「最悪」なほうに。それだけなんです。それだけなのに面白いのです!

 今までの城山羊の会さんの作品だと、そこに凄惨な殺し合いが起こったり、明らかにふつうの人ではない存在が介入したり、意図的に TVバラエティっぽい効果音と共に女優さんがなまめかしいアッピールをかましたりする、いかにもエンタメっぽいアクセントが入っていたような気がするのです。まぁ、フィクションであることを利用した展開ですよね。

 それが、今回は極限まで、ない! そういった、観客の注目や違和感を比較的簡単に集められる安パイに逃げず、ただひたすらに、公園で起こってもおかしくない範囲のやり取りだけが連続するのです。まぁ、その中には法に触れる行為も多少はありますが……
 ふつうですよ。そんなに大したことは起こらないんです。それなのに、あんなに面白いのは一体全体どういうことなのだろうか……
 これはもう、ひとえにお話の完成度がとてつもなく高いと言うしかないのでしょう。極限までシンプルで、極限までいじわる! だがそこがサイコー!!

 あえて逆の言い方をしますが、もし!もしですよ、この作品を観て「なにが面白いかよくわからなかった」という方がいたら、それは登場人物に共感できなかったということだと思いますので、自分の汚点を隠すためについたウソがばれるかも知れないという恐怖を人生の中で味わったことのない人なのではないでしょうか。ある意味、めっちゃうらやましい……不貞はするな!とか、ウソは絶対ダメ!!とかいうわかりやすすぎるお題目で世の中が回ってたら世話ないのよね。夢見る子どもじゃいられない現代人が大都会の片隅にある暗い空間で楽しむ秘密の娯楽集会、それが城山羊の会さん!!
 特に、今回の作品は先ほども申したように、物語上のわかりやすい飛び道具がほとんどないので、過去作品よりもいっそう笑いの難易度が高いような気もするのですが、それでも観客は充分に満足できるというクオリティがしっかり担保されているのが本当にすごいところだと思います。

 これは完全に私の思い込みなのですが、私の観た回に関して、クライマックスの乱闘シーンにおいて、私はあの名優・岡部たかしさんが若干コントっぽいオーバーでコミカルな挙動を見せていたのが、ちょっと岡部さんらしくないなと感じてしまいました。
 でも、おおそれながら俳優さんの身を想像してみますと、たぶん岡部さんは「今回のお芝居の面白さ、伝わるかな……」という直感を持っていたので、おそらくそういったサービスをしてくれたのではないでしょうか。
 いや、ぜんっぜん大丈夫です! 面白さ、ちゃんとわかりますよ!! 安心して千秋楽まで堂々と演じていただきたいと存じます!

 ただ、確かにそんな根拠もない邪推をしてしまうほど、今回の作品は非常に高度で先鋭的で、無駄なものがいっさい無いのです。まるで F1カー、『新古今和歌集』、タルコフスキー監督の映画、麻生祐未の表情筋!!


 今回のお話をおさらいしてみますと、とある、ドリル工事の騒音が時折けたたましく聞こえる公園の一角。そこには数台のベンチと、人間が1~2人隠れることができそうなブッシュ(しげみ)があり、ベンチの一つに男(演・古舘寛治)と増淵夫人(演・笠島智)が並んで座っているところから物語は始まります。
 増淵夫人は男に「愛してる」と言うように懇願しますが、男は先ほどの夫人との情交からの疲れを隠さず、「言わなくても分かってるでしょ……」とはぐらかして明言を避けます。夫人はその態度に失望しつつも、愛している証拠をこの場ですぐ示せと男にせまり、ちょうどそこに長身の青年・添島(演・中島歩)が現れたにも関わらず、強引に熱い接吻を交わします。一見、2人とは何の面識もない赤の他人のように見えた添島なのですが、男が公園を去った後、夫人は添島と親しげに会話を交わし、ただならぬ関係にあったらしい過去がこの2人にもあることが暗示されます。昔のよしみからか、夫人は添島から煙草を借りて一服吸うのですが、そのやり取りを、添島と待ち合わせをして遅れてきた彼女のアキ(演・福井夏)が目撃してしまったことから、公園の一角はきな臭い雰囲気をただよわせ始めます。
 アキは添島と夫人の間に何らかの関係があると怪しんで問いただしますが、2人は「無関係の他人同士で今たまたま煙草を貸し借りしただけ」と口裏を合わせてしらばっくれます。しかし微妙な違和感を拭いきれないアキはさらに疑念を強めていくのですが、そこに夫人の夫である増淵(演・岡部たかし)や、添島をまじえて会食するために来たアキの母(演・岩本えり)も現れ、複数の男女関係が入り乱れる悲喜こもごもの事態は、さらにその粘度をあげていくのでした……


 ざっとお話の流れをまとめると以上のようになるかと思うのですが、私は本作の面白さの根本となる重要なポイントは2つあると見ていまして、1つ目は「ウソをつく人とつけない人のすれ違いの妙味」、そして2つ目は「うしろめたさの為の演劇って……?」ということになるかと思います。


1、ウソをつく人つけない人

 城山羊の会さん作品のご多分に漏れず、今作でも様々なカップリングが現れては、狭い公園の一角で毛糸か有線イヤホンのコードのごとく無惨に混線してゆくのですが、混乱の原因はことごとく、「軽い気持ちでウソ」をつくか、逆にそれをつけなかったから。それに帰結するのではないでしょうか。相手の思いとの間に決定的な亀裂が生じるきっかけというものが、全てこの「ウソをつくタイミング」の失敗にあるような気がするのです。

 例を挙げれば思いつくだけでも、「愛していると言え」と言われて咄嗟にそう言えない男、妻には仕事だとウソをついて外出し増淵夫人と真昼間から3ラウンドもいたす男、公園のベンチにいる増淵夫人と男に出くわし瞬間的に赤の他人のふりをする添島、見知った仲なのかとアキに聞かれて口裏を合わせたかのように「初対面の他人同士だ」とウソをつく増淵夫人と添島、増淵から公園の隅にいる男と知り合いなのかと言われて返答をはぐらかすアキ、増淵夫人の喫煙の話から感じたことをフィルターなしでずけずけ言う増淵、自分の夫である男がどこで誰と何をしようが全然かまわないと断言して添島に露骨なモーションをかけるアキの母……
 このように、本作は「男と増淵夫人」、「増淵夫人と添島」という2つのカップリングを隠そうとする3人のウソと、そこをなあなあにせず素直に「なんで?」と追究しようとする周囲の3人とのせめぎあいが、見る見るうちにさらなる修羅場へと延焼してゆくという、まるで台所を再現した屋内セットでほっといた天ぷら鍋から火柱があがる過程を定点カメラでひたすら眺める火災防止啓発映像のような物語となっております。おかーさん長電話してる場合じゃないよー!!

 ただ、ここで重要なのは、必ずしも「ウソつきが悪」で「正直者が善」というわけでもなく、「ウソつきが賢く」「正直者がバカ」というわけでもない事実が指摘されている点なのです。
 おそらく、この作品を見て観客の多くが感情移入してしまうのは男・増淵夫人・添島のウソつきチームの方なのではないでしょうか。なぜなら、この3人がウソをつくのは「現在好きな相手(男にとっての増淵夫人、増淵夫人にとっての男、添島にとってのアキ)」と「過去に好きだった伴侶(男にとってのアキの母、増淵夫人にとっての増淵、添島にとっての増淵夫人)」との、どちらとの関係も平穏無事であり続けるという意味での「平和」を希求するがゆえだからなのです。要するに、視野が非常にミクロというか、はたからすれば自分勝手すぎるというエゴイズム満点な話ではあるのですが、この3人は純粋に平和主義者なのです。しかし、そのためにつくウソはめちゃくちゃ打算的で計画性もへったくれも無いものなので、ご覧の通りの惨状となってしまうわけですが。
 ところが、それに対するアキ・アキの母・増淵の正直者チームの方はどうなのかと言いますと、まずもって「現在」と「過去」それぞれの存在をてんびんにかけるという考えがないので、ウソつきチームの八方美人な態度がまるで理解できず、ただひたすらにウソをつく相手を追求しては「なんで? なんでそんなウソつくん!?」と攻撃するか、もう知らんわと突き放すことしかしないわけなのです。

 この関係……ウソつきが非現実的かつ純粋かつ理想主義的なもので、正直が現実的かつ視野狭窄かつ排他的なものだという対立構造は、はっきり言って世間一般的な、学校で教わってきたような道徳的な観念から見ればかなり異様で危険なものであるかのように見えます。でも、実はウソが人間の思想として周囲へのまごころあふるる(けど整合性はない)聖性から生まれるもので、正直さがとげとげしく俗っぽいものであるという感覚は、やはりどことなく太宰治を彷彿とさせる視点があるような気はしますね。まさに城山羊の会さん印の作品であるわけです。

 そういう意味で、そもそも不倫をしていることが間違いの元凶であるとはいえ、終始苦虫を噛み潰したような表情で苦悩し、挙句の果てにゃ公園のブッシュに立たされて日本一恥ずかしいところを実の娘に目撃されてしまう男のたたずまいは、この世の汚濁をすべて一身に引き受けた受難者っぽくもありますし、ラストシーンで2人にはさまれたあの人が浮かべていたあの表情も、男から確実にその「受難の相」を継承しちゃったな、というオチを明示しているのではないでしょうか。あ~、次はこの人が人柱になるのか……みたいな七人ミサキ感ですよね。男はつらいよ!!

 そうそう、このお話は以上のごとく、男がこれまで築きあげてきた家庭の崩壊から、新たな波乱が招来する予兆までの流れを淡々と観察してゆくのですが、終始登場人物たちの人間模様をつづっているようでいて、どこかしら、この信じられないくらい悲惨な状況が積み重なってしまう不幸のピタゴラスイッチの原因が、人間の言動がどうのこうのという人災を超えた、この「公園という場所」にある目に見えない存在が引き起こした天罰のような空気も感じさせるものがあります。なんとも、21世紀の現代科学でさえ解明不可能な、もう「悪所」としか言いようのない不気味な土地がむいた牙……そこに来る人々を一人残らず不幸にする、内藤正敏の写真の闇のような黒さをたたえたブラックホール。そこらへんの吸引力を象徴するのが、公園のベンチの後ろにあるブッシュであり、いったん公園から離れたはずの増淵夫妻を超強引に引き戻してしまう増淵夫人のスマホなわけなのです。まるで、増淵夫人が煙草を地面に押し付けてもみ消したことがトリガーになったかのような、町の中にあるなんでもない場所の「復讐」……ま、これは理屈もへったくれも無い非合理的な想像ではあるのですが、この物語が、「動物園での家族客の何気ない行動が、そこにいたゾウかキリンを怒らせて大変なことになっちゃった」みたいな解釈もできそうな、そんな不気味な可能性もあるんですよね。おもしろいなぁ。

 話を戻しますが、この作品の中での「ウソつき」と「正直者」との印象の逆転現象に関してとっても重要な役割を担っているのが岡部さん演じる増淵でして、この人の正直さが増淵夫人を不倫にまで追い詰めた元凶だったという事実が判明する後半の展開は、かなりインパクトが大きかったですね。
 この作品を最初から観ている観客は、明らかに不倫をしていて、しかも相手の男にかなりしつこく愛していると言えと迫る増淵夫人を見て「ヤバいなこの人……」と感じてしまうと思うのですが、そんな夫人と増淵とのやり取りを見て、アキが「旦那(増淵)のほうがヤバい!」と即断してしまうのは、アキの感性がいかに鋭敏で正確なものなのかを如実に示していると思います。ま、具体的に増淵がどうヤバいのかについては、お芝居を観た人だけのヒミツということで説明は控えておきますが、女性からしたら絶対にヤですよね、こういう男との結婚生活なんて……
 ただ大事なのは、それほどヤバい増淵が「禁煙できない人」や「レストランが作ってくれた食事をすっぽかす人」を真剣に非難して、迷惑をかけた相手に対しては手土産まで用意して謝罪するという、ごくごく常識的な人間であるということなのです。近頃は、自分のことは棚にあげて全く公開しない無名の人々の振りかざす「正義」が、かなりオーバーキルな力を持って名前のある誰かを猛攻撃する現象が SNSのいたるところで見られますが、本作の増淵というキャラクターは、そういう意味で非常に現代的な存在なのではないでしょうか。なるほど~、今の悪役ってこういう感じなのかも。

 また、相手の非を秒で指摘する目ざとさと舌鋒の鋭さこそ脅威な増淵ではあるのですが、意見が決裂して乱闘が始まってしまうと異様なまでに腕っぷしが弱くあっという間にねじ伏せられるというアンバランスさも、ここで作者の山内さんが仮託している現代悪の正体を看破しているようで面白いです。ここ、別にギャグで増淵が弱っちいわけじゃないんですよね。あそうか、だから本作には岩谷健司さんがいないんだ!


2、平和からうしろめたさが生まれる?

 本作の序盤で、男が「世界では残酷非道な戦争や深刻な差別・迫害がはびこっているというのに、我々はこんなこと(不倫)をしていていいのか……」という主旨のことを増淵夫人につぶやく場面があります。
 それ自体は、増淵夫人から「愛していると言ってくれ」とせがまれた男が困惑する中でひねり出した言葉なので、まぁ話題をそらすための方便とも解釈できますし、だいたい男だって好きで増淵夫人と蜜会しているわけなのですから、その男がどの穴から世界の危機を憂いた妄言を吐いとんねんという話なのですが、問題は、その男が見る見るうちに家庭崩壊へのレールを猛進していくために、男の「平和」に対するリアリティが秒速で変容していくというところなのです。

 つまり、このお話の最初と最後とで、男からみた「平和な日常」との距離感がどんどん遠くなっていき、それと反比例して平和というもののありがたさが克明になっていくのです。こんなに恐ろしい話があるでしょうか……平和なときに平和はわからず、平和でなくなったときに平和は理想に満ちた光り輝くその姿をあらわにするのです。んもう、いじわる!!
 しかし、平和という環境は非常に退屈なものである一面もあり、男がそうであったように、平和に倦んだ一部の人は、外部に刺激を求めてさまよい出るという挙に出ます。刺激というのは男にとっては「増淵夫人との火遊び」であり、「外国の戦争や差別衝突を憂うこと」であったわけなのですが、それらから逆に「ごく普通の平穏な家庭を築いている自分」の身を振り返って、「いいのかな、俺だけこんなに平和で。」とうしろめたく感じること。これこそが、男の唯一無二の愉しみとなっていたのではないでしょうか。

 平和とうしろめたさとの関係は、この男に関してはこれほどに表裏一体、どちらが無くなればもう片方も無くなるという密接なものであったのです。そして、この作品の中、どこかの公園の片隅で繰り広げられた約2時間の物語をもって、男の「平和」と「うしろめたさ」は、どちらもバサバサバサーッと男の元から飛び去ってゆき、ラストシーンでベンチの真ん中に座ったあの人の肩にとまることとなった、という流れなのではないでしょうか。
 あの……つまり平和っていうのは、周囲の不幸とセットでないと感知しえないものなんですかね。そういうの、昔から日本では「ざしきわらし」と言っていたのでは……昔の人の感性はやっぱすげぇ。

 また、この作品で徹底しているのは、登場する人物たちの中で男に共感してくれる人が一人もいないというところなのです。男は家庭では、妻からも娘からも、娘の彼氏との会食に誘われない程つまはじきにされており、一方の愛する増淵夫人も、実は酔狂で男と不倫しているのではなく、猛烈に嫌な存在である増淵とその実母の拘束から逃れるために男を利用していたという実情が明らかになるのでした。自分が築いた家庭の中で自分をリスペクトしてくれる人がどこにもいないという事実をもって、果たしてあなたはあの男のように「平和だ」と感じることはできるでしょうか……でも、男はあえてこの状況を平和だと思い込んでいたのです。自己暗示か、麻痺か、それともたんなる超ドM なだけなのか。あっ、あの縄……山内さん作品の伏線は、こんなところにも周到に!!


 ……とまぁ、今回もここまで何の脈絡もなく思いついた限りのたはごとをつらつら述べてまいりましたが、要するに今年も、城山羊の会さんの定期公演は非常に面白かったと、それだけのことなのでございます。
 ただ、今回の作品の質感は、明らかに昨年までの諸作とは異なり1段階以上ちがう次元に上がったような印象を受けました。面白さを感じる観客側の精神状態の熟度も必要というか……正直言って、20歳前後の大学生だった頃の私がもしこの作品を観たら同じように楽しめていたのかどうか疑わしいという感じなのですが、私も本作を楽しめるくらいの人間になれたのかなということで安心しております。間に合ってよかった。

 平和とは、いったい何なのか。思えば、こうやって毎年東京にいそいそとおもむいて、物語の中で他人の平穏な人生がドンガラガラと音を立てて不幸のズンドコへと転がり落ちてゆくさまを観て爆笑できるわたくしのこの状況こそが、平和なのかも知れません。はたから見たらどうなのかはわかりませんが……

 でも、私の今回の東京行に関してかえりみてみますと、このお芝居の前に練馬の石神井公園を意味もなくほっつき歩いたのですが、別に何でもない、あたたかい陽光の下で談笑しながら散歩する人々がいて、遊具で歓声を上げながらあそぶ子ども達がいて、水面を親子ですべる水鳥の群れがいて、ギャハギャハ笑いながらスワンボートをこぐ詰め襟学生服の修学旅行生がいるという光景を眺めることができていることが、今の私にとってのかけがえのない平和なのかなと、お芝居を観た後に夜の下北沢を宿(すぐそこのカプセルホテル)へと急いだときにしんみり思いました。すっっっごく平和な風景だったな、石神井公園……

 余談ですが、1980年代生まれの私にとって、「練馬の石神井公園」という地はある種のユートピアと言いますか、「ほんとにあるのかわかんない理想郷」のような存在にまで神格化されておりまして、なんでかっていうと、少年時代の私が愛読していたマンガ誌『月刊コミックボンボン』(講談社)の中の佐藤元先生のギャグマンガ『爆笑戦士!SDガンダム』(1987~92年連載)で、ことあるごとに登場キャラたちや元先生っぽい人物が「練馬の石神井公園」と言っていたからなのでした。スタジオがそこにあったんですかね。
 『爆笑戦士!SDガンダム』は単にガンダムの作中ネタだけでなく、明らかに当時首都圏の TVで放送されていたとおぼしき CMをパロッたギャグも頻出していたのですが、当時「民放 TV局が2局」(1989年まで 現在は民放4局)という戦時中の情報統制に近いメディア制限下の山形で育った私には元ネタがほぼわからず、「このねりまのしゃくじいというどごさいったら、どだなギャグも笑えるんだど。夢もかなうんだど。苦しみも消えるんだど……」といった感じで、どっちかというとガンダーラに近い心の中のエル・ドラドオと化していたのでした。

 それでまぁ今回、少年時代からいだいていた30年以上ものの宿願が果たされたわけだったのですが……まぁ普通の町でした。ふつうにすてきで、ふつうに平和な町。でも、本当に幸せな気分になりました。

 思えば、私にとっての理想郷・石神井公園に行けたその日に、今回の城山羊の会さんの平和に関するお話を楽しむことができたのも、運命が導いてくれた最高のカップリングだったのかも知れません。いつも長旅に出る前にお参りしている薬師如来さまに、今回も大感謝! また明日から頑張って生きていこう。


 最後にもう一つだけ蛇足を。私、下北沢で城山羊の会さんのお芝居を観た後に、約10年ぶりくらいになると思うのですが、そうとう久しぶりに近所の有名なスープカレー屋さん「マジックスパイス」に行ったんですよ。
 そしたら、隣のお客さんがたった今まさに同じ公演を観たばかりだという見ず知らずの方で、偶然だったので本当に2、3言しかお話をせずに失礼してしまったのですが、やっぱ、城山羊の会さんの公演は観た直後に感想を言い合える誰かと楽しんだほうがずっといいですね。まぁ、デートとしては相当難易度が高いほうかとは思うのですが、ちゃんとした関係だったら、仲が険悪になるようなことは絶対に無いと思います。おもしろいんだもん!

 いやぁ、隣のすてきなお客さんと話ができるとわかってたら、スープカレーも見栄を張って辛さのレベル上げときゃよかったよ! 前回に行ったときは若かったし、仲間内のネタで辛さレベル最高の「虚空」(辛度7)にしてたんですが、今回はむっちゃくちゃひよって「覚醒」(辛度1)にしちゃってました……歳とったなぁオイ!! そういえば、昔はワクワクして買い物できてたヴィレッジヴァンガードとかディスクユニオンも、今はこんな感じか~ってなもんで食指は動かなかったな。もうまごうことなきおっさんだよ~!!

 またマジスパさんに行って、辛さで気合を入れ直してもらわないとね。あと、現状、日本のお城旧跡の中でいちばん行きたくない「渋谷城跡」(東京都渋谷区の宮益坂わき金王八幡宮内)にも、いつかは必ず行かなきゃなんねぇし……人ごみヤダー!!

 城山羊の会さんの公演を観て、いよいよ2024年もおしまいに近づいたという実感がわいてきました。来年の公演も、どうやら年末ではないようなのですが、変わらず楽しみにしております! そのために身体も健康第一でがんばっていきます!!
 平和なんてものは、要は一人一人のアンテナの問題なのかも知れませんしね。やっぱりメンテは大切だ。しみじみ。
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