みなさん、こんばんは! そうだいです。みんな、元気ですか!? 私は元気です!
もうねぇ……つい昨日、12日の朝に見た「かぎりなく日常にちかい風景」がなつかしい心境になってまいりましたよっ! いや~な、実にいや~な歩幅で、「非日常」ていうか「非常事態」が近づいてまいりました。
犠牲者数、1万人規模。
この哀しい数字を、12日の私は、理屈では予想できてもどこかでどうしても信じられない感覚があったのですが……今日13日の私は、正直なところ、それくらいでおさえられたら、という考え方をしてしまうようになっています。
さいわいなことに、津波の危険性を心配する段階は越したという情報はあったのですが、それ以外はまったく予断を許さない状況、むしろじわじわとさまざまな物資やエネルギーの供給システムなどで悪い事態になりつつあるように見える、というのが13日日曜日を生きた私の実感です。
まぁ、千葉に住んでいる私は余震くらいの被害で済んでいることに感謝しなければならないのでしょうが……いつになったらおさまるんだ、こりゃ。
何度も言うように、私の家は完全なる「昭和モルタル フューチャリング増築」の古アパート。
なんとか居住するぶんにはなんの問題もない感じでもってくれているのですが、トイレの壁にはびっしーとヒビが走ってしまったし、下の階の部屋の方があわてて私の部屋にやってきて、
「うちの部屋の天井の一部が落ちたんで、気をつけてくださいねっ。」
と、おっしゃってました。Oh,it's タイトロープアパート!!
天気もいいですし、春も確実にちかづいています。でも、東日本に住む人びとの生活だけは、ひょっとしたら史上最大の緊急事態になるかも知れない危機感に満ちているのです。
大震災時に発生するデマ、というのも地味~におそろしいものですね。
私のケータイには、昨日12日の夕方に信頼できる知人の方からこういったメールが入りました。
「雨に注意という情報
千葉・首都圏の方へ
千葉の製油所・製鉄所の火災の影響で、千葉・首都圏では、化学薬品の含まれた雨が降ることが予想されます。
傘やレインコートの使用をお願いします!
広めてください! とりあえず広めて!
雨にあたらないようにしてください! ほんとに危ないみたい。
友達に回してあげて! 気をつけてください。」
広めるかァ!!
そんなわけないじゃないですか……どんだけでっかい工場なんだ、どんだけド根性な薬品なんだって話ですよ。
言われなくても、雨が降ったら傘はさしますよ。溶けはしねぇけどさ。『ロボコップ』のわるものじゃないんだから。
でもね、12日の夜に外を歩いていたらパラパラッと雨が降ってきたんですが、確実に不安になっている私もいたりしてね。
そのチェーンメールを送ってくれた知人も「判断は各自でお願いします。」とただし書きつきではあったのですが、デマはとにかく人の不安感をあおるだけでなんの意味もないものなんだな、と実感した経験でした。
今日の13日は、大震災の発生する前から、4月になって劇団を退団してからの私の身の割り振り方を仕事場の社長に話すというミーティングの予定が入っていました。
いちおう2人でお好み焼き屋に行き、食事をして話し合いはしたのですが、私のこれからというよりも、物資の流通や電力の供給が制限された状態に入るお店のこれからがどうなるのかがまったく読めない……という話になってしまいました。
ま、30代に入ってしまった私の未来もわからないんですが、それを軽くプチッと踏みつぶしてしまうバカでかさで東日本全体の未来がわからないというこのとんでもなさ。
お店の営業もどうなるか。この非常事態もいつまで続いていくのか。
とにかく、身体だけは健康な我が身と、制限こそあれ通常の社会活動ができている関東地方の現状はありがたく思わなければならないでしょう。
あとは、あったかくなっている千葉の気候ね! これはありがたいことですよ……被災地は東北地方なんですからね。本当に大変なことだと、他人ごとのようなことしか言えないのが自分でも嫌なのですが。
つい先週にはさぁ、「今年の春は花粉の飛散量がひどいらしいんだって。ヤだなぁ!」とか言ってたんですよ。ぜいたく言ってるんじゃないよって話でしたね。
いろんなことを考えるにつけて、2010年3月11日の午後に確かに大変なことが起きてしまった、そのことだけはひしひしと実感することができます。
しかし、それが具体的にどんな出来事だったのか。100年後の人々にどのように認識される歴史になるのか。
まずは明日、目が覚めた時にどのような世界になっているのかをしかと見届けることにいたしましょう。まずは、冷静に。
なんとなく、数日たったら「宇宙人モノ」やら「アイドル系」やら、平常の『長岡京エイリアン』の内容に戻すつもりでした。でも、大したことではないものの、千葉に住んでいる私のせま~い視点から見た日記を記録しておくことも、のちのち私が杖をついたジジイになった時に、村はずれにある大きな木のある広場で10人くらいのチビッ子たち(Tシャツびろびろ)にフォフォフォと語ることのできる大切な記憶になるかと思いますので、しばらくは様子を見ながら現実世界のことをつづっていこうかと考えています。
早く『ウルトラマン』の話もやりたいんですけど、今はSFよりもSFなこの「東日本大震災」のうつろいを見届けるべきだと。
っていうか、このブログをうってるだいたい2~3時間の間に、どんだけ余震が起きるんだよ! 10回くらいは起きてるんじゃないの?
もう、1回ガタガタッときただけで、放課後の文学少女のように震えていた昔がなつかしいよ。震えてねぇけど。
それじゃあみなさん、また明日、元気に生きていきまっしょ!
もうねぇ……つい昨日、12日の朝に見た「かぎりなく日常にちかい風景」がなつかしい心境になってまいりましたよっ! いや~な、実にいや~な歩幅で、「非日常」ていうか「非常事態」が近づいてまいりました。
犠牲者数、1万人規模。
この哀しい数字を、12日の私は、理屈では予想できてもどこかでどうしても信じられない感覚があったのですが……今日13日の私は、正直なところ、それくらいでおさえられたら、という考え方をしてしまうようになっています。
さいわいなことに、津波の危険性を心配する段階は越したという情報はあったのですが、それ以外はまったく予断を許さない状況、むしろじわじわとさまざまな物資やエネルギーの供給システムなどで悪い事態になりつつあるように見える、というのが13日日曜日を生きた私の実感です。
まぁ、千葉に住んでいる私は余震くらいの被害で済んでいることに感謝しなければならないのでしょうが……いつになったらおさまるんだ、こりゃ。
何度も言うように、私の家は完全なる「昭和モルタル フューチャリング増築」の古アパート。
なんとか居住するぶんにはなんの問題もない感じでもってくれているのですが、トイレの壁にはびっしーとヒビが走ってしまったし、下の階の部屋の方があわてて私の部屋にやってきて、
「うちの部屋の天井の一部が落ちたんで、気をつけてくださいねっ。」
と、おっしゃってました。Oh,it's タイトロープアパート!!
天気もいいですし、春も確実にちかづいています。でも、東日本に住む人びとの生活だけは、ひょっとしたら史上最大の緊急事態になるかも知れない危機感に満ちているのです。
大震災時に発生するデマ、というのも地味~におそろしいものですね。
私のケータイには、昨日12日の夕方に信頼できる知人の方からこういったメールが入りました。
「雨に注意という情報
千葉・首都圏の方へ
千葉の製油所・製鉄所の火災の影響で、千葉・首都圏では、化学薬品の含まれた雨が降ることが予想されます。
傘やレインコートの使用をお願いします!
広めてください! とりあえず広めて!
雨にあたらないようにしてください! ほんとに危ないみたい。
友達に回してあげて! 気をつけてください。」
広めるかァ!!
そんなわけないじゃないですか……どんだけでっかい工場なんだ、どんだけド根性な薬品なんだって話ですよ。
言われなくても、雨が降ったら傘はさしますよ。溶けはしねぇけどさ。『ロボコップ』のわるものじゃないんだから。
でもね、12日の夜に外を歩いていたらパラパラッと雨が降ってきたんですが、確実に不安になっている私もいたりしてね。
そのチェーンメールを送ってくれた知人も「判断は各自でお願いします。」とただし書きつきではあったのですが、デマはとにかく人の不安感をあおるだけでなんの意味もないものなんだな、と実感した経験でした。
今日の13日は、大震災の発生する前から、4月になって劇団を退団してからの私の身の割り振り方を仕事場の社長に話すというミーティングの予定が入っていました。
いちおう2人でお好み焼き屋に行き、食事をして話し合いはしたのですが、私のこれからというよりも、物資の流通や電力の供給が制限された状態に入るお店のこれからがどうなるのかがまったく読めない……という話になってしまいました。
ま、30代に入ってしまった私の未来もわからないんですが、それを軽くプチッと踏みつぶしてしまうバカでかさで東日本全体の未来がわからないというこのとんでもなさ。
お店の営業もどうなるか。この非常事態もいつまで続いていくのか。
とにかく、身体だけは健康な我が身と、制限こそあれ通常の社会活動ができている関東地方の現状はありがたく思わなければならないでしょう。
あとは、あったかくなっている千葉の気候ね! これはありがたいことですよ……被災地は東北地方なんですからね。本当に大変なことだと、他人ごとのようなことしか言えないのが自分でも嫌なのですが。
つい先週にはさぁ、「今年の春は花粉の飛散量がひどいらしいんだって。ヤだなぁ!」とか言ってたんですよ。ぜいたく言ってるんじゃないよって話でしたね。
いろんなことを考えるにつけて、2010年3月11日の午後に確かに大変なことが起きてしまった、そのことだけはひしひしと実感することができます。
しかし、それが具体的にどんな出来事だったのか。100年後の人々にどのように認識される歴史になるのか。
まずは明日、目が覚めた時にどのような世界になっているのかをしかと見届けることにいたしましょう。まずは、冷静に。
なんとなく、数日たったら「宇宙人モノ」やら「アイドル系」やら、平常の『長岡京エイリアン』の内容に戻すつもりでした。でも、大したことではないものの、千葉に住んでいる私のせま~い視点から見た日記を記録しておくことも、のちのち私が杖をついたジジイになった時に、村はずれにある大きな木のある広場で10人くらいのチビッ子たち(Tシャツびろびろ)にフォフォフォと語ることのできる大切な記憶になるかと思いますので、しばらくは様子を見ながら現実世界のことをつづっていこうかと考えています。
早く『ウルトラマン』の話もやりたいんですけど、今はSFよりもSFなこの「東日本大震災」のうつろいを見届けるべきだと。
っていうか、このブログをうってるだいたい2~3時間の間に、どんだけ余震が起きるんだよ! 10回くらいは起きてるんじゃないの?
もう、1回ガタガタッときただけで、放課後の文学少女のように震えていた昔がなつかしいよ。震えてねぇけど。
それじゃあみなさん、また明日、元気に生きていきまっしょ!