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日本初の武器輸出

2017年04月12日 09時00分00秒 | 雷日記
こんにちは、落雷抑制の松本です。

日本陸軍の歩兵銃として有名な「三八式歩兵銃」。 明治38年(1905年)に陸軍で正式採用となり、「38式」の名称でよばれ、第二次大戦までの間、340万丁が製造されたそうです。 この銃が英国海軍に30式騎兵銃と合計で13万丁も輸出されていたそうです。 昭和になると、皇紀年号が使用されたので、有名なゼロ式戦闘機は、紀元2600年(1940年)に採用されたので末尾2桁のゼロでゼロ式と呼ばれています。 38式は明治時代なので、明治の年号で呼ばれています。

英国が輸入するくらいですから、当時のレベルとしては最先端であったのでしょうが、それを大きな改良をせずに第二大戦までの40年間も使い続けてしまうのは、よほどの名銃であったようですが、南方のジャングルでの戦いにはボルト・アクション式の単発銃では米軍の連射できる歩兵銃を相手には不利であったことでしょう。

日本と英国は、1902年の日英同盟で友好的でしたが、所詮、英国は対ロシア戦略の一環で日本を利用したかっただけで、白人優勢社会の中で心底では日本人を「東洋のサル」位にしか思っていなかったでしょうから、日本製の銃を輸入したのはよほどの事情があったのでしょう。 当時、日本は武器輸入国で、日本海海戦で活躍した戦艦「三笠」も英国からの輸入でして、これは1911年の戦艦「金剛」まで続きました。

古くは種子島に鉄砲が伝来したと言われる1543年。翌年には、リバースエンジニアリングによる国産が開発されていたそうですが、実戦の中で改良される兵器を発展させるには実戦経験が乏しいので、マネはできてもそれ以上のものは作れず、日本製の銃が英国に輸出されるレベルになるのに約360年が経過しました。 この間は、戊辰戦争/西南戦争まで、ミニエー銃/ゲベール銃/スナイドル銃/エンフィールド銃/ヤーゲル銃/スペンサ騎銃などの輸入物が活躍したということは国産の本格的な銃は、明治30年になるまでなかったのでしょう。

艦船では、1911年までは輸入にたよっていたのに、1941年には世界最大の「戦艦大和」を国産しているのです。 この間わずか、30年。 艦船においては、我々のご先祖様の努力は大したものです。

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