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ロシア・イスラム国・中国と「力の空白」~西原正氏講演より

2015-06-12 | 日本のこと

ジャンルカテゴリを「海外ニュース」とするのに、適当なのがこれしかないとはいえ
モヤっとしてしまいました。
「海外」じゃなくて「国際」というジャンルを作ってくれんかなgooブログは。

西原正氏は現在、平和・安全保障研究所という平和と安全に関するシンクタンクの
理事長であり、かつて防衛大学校で教鞭をとっていたことがある国際政治学者です。
全国防衛協会連合会(仮名・地球防衛協会)で行われた講演の内容が、
今の国際情勢を「三行でいう」的なポイントでまとめられたものだったので、
それをさらに簡単にまとめて誰にでもわかるようにご紹介しようと思います。



先日、ドイツで行われたG7において、

「南シナ海で行われている力による現状変更は認めない」

という声明が出されました。 

ようするに中国を牽制したわけですが、現在の世界では、南シナ海を始め、
「力による現状変更」が意図され、その結果「力の空白」を生んでいる地域が3つあります。
それを企んでいる国と、その地域は次のとおり。

ロシア による クリミア併合

イスラム過激派 による 勢力拡大政策

中国  による 南シナ海、東シナ海 


この地域の現状についての総括がこの日の講演の主題でした。
それでは、まず各地域についてざっと今の状況をまとめると。

まずロシア。
ロシアはソ連となり、それが崩壊して周辺国が独立してしまいましたが、
現在のロシアはクリミア併合によって「ロシア帝国」を復活させようとしています。

イスラム。



昔この地域は赤の部分が「イスラム」だったのですが、



いわゆる「イスラム国」は、こんな感じに「イスラム王朝」を復活させたいわけです。
なぜスペインを飛ばしてポルトガル?という気もしますが(笑)
アフリカの上半分を乗っ取る構想にしているのは、

「アフリカは乗っ取るの簡単そう」

ってことなんですかね。(全然このへんの知識なしで言ってますので念のため)

ちなみに彼らは2014年に「カリフ制」を復活させました。
カリフというのは「後継者」という意味で、開祖ムハンマドの「後継」となる指導者のことです。

イスラムの考え方によると、カリフの治める「国」には国境が必要ではないそうで、
「イスラム国」なのにいったいどこの「国」なのか、と皆が思うのはこのせいだと思われます。


そして中国。
我々に関心の深い「現状変更の総本山」が中国で、ご存知のように海洋進出への野望を
全く隠すことなく岩礁を埋め立ててまで現状を変更しまくっているわけですが、
陸においては、こんなことを企んでおります。

 

新シルクロード、というのがこの構想のネーミングだそうですが、三つのいずれの地域にも共通するのは

「昔の夢よもう一度」

と、かつての栄光の時代の復権を狙っていることです。

(ここまで書いて、裸一貫の小国が当時の大国によって支配されていた世界のあちこちに進出し、
曲がりなりにもあれだけ領土を展開した例は、近代史においては大日本帝国だけではなかったか、
とふと思いついたのですが、他にそんな例があったらどなたか教えてください。)

シルクロードによって中国は政治、経済、安全保障を確立させるという狙いがあり、
福建省に自由貿易区を据えてシルクロードの拠点にしようとしているのです。



南極に中国人の観光客が押しかけてペンギンに接近するため顰蹙を買っている、
というニュースを先日読んだところですが、中国は北極もなんとかしようとしております。

2011年に海自の幹部学校にて作成された資料によると、ロシアはまず、
ここに最も意欲を示している国家で、北極点下にこっそり国旗を立てたそうです。
写真を見ると、国旗といっても海の中に立てるものなので、錆びない棒に
赤白青の三色のプレートをつないだ、アイデア賞受賞作品みたいな旗です。

カナダ・デンマークも近いので当然北極に関与している国ですが、それよりわからんのは
中国がなぜかここにも、取得のための布石を着々と打っているということです。

だいたいお前ら北極に近くもなんともないだろっての。

どの国も北極の資源と航路の獲得、領海の拡大をしたいわけですが、問題はこれらの国が
北極圏で軍事演習をしたりすることで、武力衝突の危険があることです。


さて、これらの3地域に共通して言えるのは、

現状変更を許す力の空白

が 生じてしまったことですが、その理由はなんでしょうか。


まず、ロシアの場合は、クリミアで住民投票が行われ、95%が

「ロシア編入に賛成」

という結果が出ました。
特にフランスが弱体したEUがここに至るまでロシアに抵抗しなかったこと、
そしてオバマでは動きを抑えることもできなかったということで、この力の空白に乗じて
ロシアはクリミア編入という現状変更を行ったのです。

アメリカは、

「住民投票はウクライナの憲法に反する。ロシアの軍事介入は国際法に違反するものであり、
そうした暴力や脅しの下で行われた投票結果を国際社会は認めない」

と遺憾を表明したのですが、
経済制裁など行っても効果は微々たるものですから、ロシアにとっては痛くもかゆくもありません。


イスラムでは、2013年にアメリカが軍を引き上げたところで力の空白が生まれました。
過激派の伸長の理由の一つに、イスラム国というのは電子戦略とでもいうのか、
映像において大変高度な技術を駆使し、それを宣伝に使ったり、SNS、
ソーシャル・ネット・ワーキングサービスで広報や勧誘などを行っていることがあります。

捕虜の処刑映像を世界中にネットで流すようになったころからこの傾向は顕著になりましたが、
最近ではその映像もまるで映画のような高画質の、しかも効果を加えたものが見られるそうです。

カリフ制が「国境のない国家」を標榜することと、EU によって国境概念が希薄したことは重なりますし、
1916年の「サイクス・ピコ協定」によって分割された元オスマン帝国領の中から、
昨今では、その欧米諸国の存在そのものが希薄になってきていたということも空白を生んだ理由です。


そして中国

「中華民族の偉大なる復興」

というのは習近平国家主席がよく演説に取り入れる言葉ですが、また

「アジアの安全保障はアジア人で」

というのも習近平のお気に入りの言葉です。
まあ、言い換えれば「日本からアメリカは出て行け」と言ってるわけです。

中国が覇権主義であることは世界中の皆が「知ってた」状態なのですが、それでも
西欧では対中依存が増大しているため、強く出られないどころか、ドイツなど
訪独を中国に遠慮してダライ・ラマを国に入れないなど、盛んに媚びているわけです。

自国の経済優先で、中国が侵略しようとしている地域の利益などは、はっきりいって
ヨーロッパの国々にとってはどーでもいいことだからですねわかります。

日本、アメリカ、カナダの蹴ったAIIB (アジアインフラ投資銀行)ですが、ヨーロッパ諸国の参加は
大した出資率ではないため、つまりこれも「媚中」のなせることだと言われております。

西原氏は国内で腐敗の闇が深い中国が中心となって、どうして腐敗しない組織が作れるのか
と言っておられましたが、わたしもあの国をなぜ信用する気になれるのか、
世界の参加国の皆さんに聞いてみたいくらいです。


話が逸れましたが、中国に対しては マーケットとしての中国に媚びる動きに加え、
オバマ政権の中国に対する弱腰姿勢、「声明」はだせども力出さずの態度を
すっかり中国がなめてかかってきた結果、力の空白がそこに生まれました。
カーター国務長官になって、ようやくアメリカは中国に対し強い姿勢をとるようになったのですが、
これももう少し早ければ中国の動きは南シナ海でもここまで素早くはなかったと言われています。

日本が民主党政権で尖閣の漁船衝突事件のとき、配慮するような態度をとったことも
中国に誤ったメッセージを与えることになってしまいました。





つまりこれらの「力による現状変更」を許す「力の空白」の原因を一言で言うと

西側陣営の弱体化とオバマ政権の指導力の低下

に尽きるということになります。
そこで、日本はこれにどう向き合っていくべきでしょうか。

ちょうど先日、わたしは防衛協会の席で武居海幕長にご挨拶した時、
既知の元海将のお噂を海幕長から伺ったのですが、その方は

Military Statemen Forum


という、いわば日米軍人賢人会議といったものに出席のため渡米しているということでした。

こちらからは、現統幕長を始め、歴代統幕長ら防衛省代表として赴き、アメリカ側も

歴代の統合参謀本部議長に元海軍作戦部長、太平洋軍司令官等々、錚々たる軍高官との
意見交換が行われたそうです。

この席でも、 さぞかし現状変更が現在進行形で行われている地域についての
情報交換が活発に行われたものと想像しますが、何よりも重要なことは、日米同盟が
世界の平和に貢献しているということを互いに確認しあったということだったのではないでしょうか。

(ということを出席した方から伺いました)


端的に言って日本のまず取るべき立場は、アジアに「力の空白を作らない」ことです。


もっとはっきりいうと「中国を暴走させない」ということでもあると思うのですが、
そのためには日米同盟の強化で、アメリカをアジアに引き止めることが必須となります。
そのことによって、パワーバランスは平衡を保つことができ、結果として抑止力が
平和を保ち続けるというわけです。

「日米安保なんて何の役にも立っていない、金の無駄だ」

と共産党などはよく言いますが、こういう左巻きなひとたちは
「何も起こらなかった」ことが日米同盟の効果である、ということになぜ思い至らないのでしょうか。

現に、南シナ海では遠慮なしに行動を起こしまくっている中国が、
尖閣には衝突船事件以来、表立った動きを見せていません。


これは誰がなんと言おうと

「米軍の存在によって力の空白が生じるべくもなかった」

ということに他なりません。

米軍がいなければ、憲法の縛りで身動きできない日本において、尖閣に1日で足場を作り、
一ヶ月で基地を作って乗り込まれていたことはまず間違いのないところです。


また、パワーという意味での経済力を言うと、GDPの1位と3位はアメリカと日本です。
経済力の29%を日米でしめているわけで、対して中国はまだ13%にすぎません。
たとえロシアと組んだところでロシアは全体に対してわずか2.4%のGDPしかありませんから、
日米がタッグを組んだところに中国が力で現状変更を行うことは「不可能」です。

この他、

日米豪印の協力を推進すること

日本の新安保法制と日米ガイドライン

日米豪とNATOとの連携を深める

などの、他国との連携を強化する対策。
このために今政府は安保法制を見直すための審議を行っているわけですね。

そしてインフラ投資によって中国が覇権を拡大しようとしている同じ地域、
アジア、中東、アフリカへの投資を積極的に行っていく、ということも重要になっていくでしょう。 


力による現状変更の何が悪いかというと、それが規模の大きな武力衝突のきっかけとなり得るからです。
日本には、今、大国として「力の空白を生まない」、地域のバランサーとなることが求められています。



(講演内容をもとにしましたが、随分私個人の見解が入ってしまいました。
演者の西原氏のご意見と違う点があるかもしれませんが、悪しからずご了承ください)

 


旅しながら淡々と写真を貼る~久美浜のオーベルジュを訪ねて

2015-06-11 | お出かけ

ふと思い立って日本海を見てきました。
例によってうちのTOが、お付き合いで立ち寄った久美浜のお洒落ホテルに
こんどは家族を連れて是非泊まりに来たいと思い立ち計画した一泊旅行。

行き先は京都府京丹後市久美浜です。
わたしは久美浜という地名に激しく聞き覚えがありました。
それもそのはず、久美浜というのは、京都府と言いながら兵庫県の真裏の日本海側にあり、
わたしは小さい時に家族旅行で何度か、そのときは車で海水浴に行ったことがあるからです。

TOの口から「久美浜」という言葉が出て、また行くことになったとき、
不思議な縁を感じたのですが、この度は家族は家族でもわたしの夫と息子と、
車ではなく新幹線で関東から向かうことになったわけです。



ニコンのカメラと望遠レンズを持ってきながらメモリーカードを忘れるという、
サザエさん的痛恨のミスに気がついたのは、京都駅から福知山で乗り換え、
豊岡という駅に着いて、二時間に一本しかない京丹後鉄道の電車を撮ろうとしたとき。

「メモリーカード忘れた。あの電車撮っといて」

息子が呆れながらiPhoneで撮ってくれたのが上の写真。
しかし、同時にわたしは、下手なカメラよりずっとマシなレンズ付きの
iPadairを、カード会社のポイント交換で手に入れたばかりだったのを思い出し、
この後からiPadを使って写真を撮りました。

なんだか気のせいか、あまりニコンと変わらない気がするなあ・・。




本当はこの前日京都に一泊して、翌日早くホテル入りする予定だったのですが、
息子の学校の用事が後からわかったため、TOに遅れて夜のチェックインになり(T_T)
ホテルの部屋を見て、もったいないことをしたと心から悔やみました。



階段を上っていくと、小さな扉があり、ここが部屋の入り口です。



はしゃいで踊っている人あり。

内部はこのようなヨーロッパの田舎風。

梁が出ていてまだ木のにおいも真新しい、このホテルは1年前に
大々的にこれらのコテージ風の客室が点在するタイプに改装したそうです。



どうですかこのおしゃれな水回り。

この会社は神戸のアパレル輸入会社で、この地に倉庫を持っていて、
最初は2部屋だけの小さな宿を経営していたそうですが、このたび規模を拡張し、
ついでに洗練されたオーベルジュとしてリオープンしたというわけ。

ユナイテッドアローズやトゥモローランドなどにも輸入した衣料を卸しているそうで、
おしゃれなのも激しく納得です。



水回りが完璧なのはホテルとしてポイント高し。
床の木材は滑らかで清潔、裸足で歩き回ってもまったくOK。
アメニティもAESOP(イソップ)のソープ類を使うなど、一味違います。




私たちの部屋の地下に、倉庫と洗濯場があって、そこに入っていけるのも
なんとなく日本離れ?していましたが、その地下の床になぜか入り込んでしまったらしい
サワガニがいました。

かわいそうに、食べるものがなくつい最近お亡くなりになったようです。



遅くに到着したのでさっそく夕食をいただきました。
この季節だというのに夜は寒く、また夜遅かったのでカフェインの入っていない暖かいものを、
と頼むと、バーベナの葉のハーブティーを出してくれました。



軽いコースの前菜はカツオのマリネや貝、キスみたいな魚のフライ。



オコゼのフライとアスパラガス。
このオコゼは絶品でした。



和牛のステーキ。
こうして写真に撮ると大きく見えますが、実寸は2㎝×4㎝×5mmくらい。
しかし味が濃厚で旨味のある肉は少しで十分でした。

アメリカ人なら少なすぎて暴れるレベルですが、こんな滋味溢れるステーキも、また、
アメリカではお目にかかることのないレベルです。



ディナーのメインディッシュはアクアパッツァ。
アサリは半分くらい残りましたが、二匹の白身の魚は柔らかくて味が濃く、都会のホテルで出される
「ソースは濃厚だけど身はパサパサで残念」な白身魚とは格が違いました。
味付けもガーリックをメインに、オリーブオイルと香草と塩だけ。



デザートは甘い甘いイチゴを使ったパンナコッタ。
クラムのシャリっとした食感が味を引き締めていました。

 

部屋に戻って一応インターネットを試してみましたが、まったく通じず。
当然ながら部屋にWiFiなど通っていません。

「これはインターネットは忘れて過ごせということね」

と肝に銘じ、おとなしく?iPadにダウンロードしてあった本を読みながら寝ました。
ちなみに今読んでいるのは「二つの祖国」(日系二世の記事を書くために読み直し)です。



明けて翌日。

改めて見る部屋の中は、わたしたちがボストンの郊外で泊まったことのある、

優に築150年は超えた民宿の部屋をそのまま現代に蘇らせたようでした。



カーテンも窓枠もないガラスの窓。
このあたりは現代風です。




外に緑が見えていますが、この向こう側は海だそうです。



これは息子のとったiPhone写真。
私のとった写真より、手すりの影の映り方が綺麗だったのでこちらを採用。



ここでのんびりお茶を飲むこともできます。
冷蔵庫には水と桑茶のペットボトルが人数分用意され、コーヒーや紅茶を
ラッセルホブスのケトルで沸かして飲むこともできますが、
部屋にあった注意書きによると、飲み物、とくにお酒の持ち込みは禁止されているようでした。
ちなみにワインボトル一本の持ち込みに1000円かかるとのことです。



部屋に続くエントランス。
くまさんのいるところで靴を脱ぎ、階段を上がると部屋の扉があります。




こういうインテリアはいかにもフランス風だなと思ったのですが、



さらにこの外観を見て、昔パリ郊外のトロワという街の、

Le Champ Des Oiseaux

というホテルに泊まったのを思い出しました。
今久しぶりにHPをみると、チューダー朝風とでもいうのか、ずいぶんこれとは違いますが、
レンガを重ねた感じと、古い建築によく使われる、建具の黒い金属の使い方などは同じです。

このホテルを造るにあたっては、主にドイツの建築を実際に見に行って参考にしたそうです。



ここの自慢は朝ごはんなのだそうで、メインはこの温野菜。
生野菜やパンなどはビュッフェ形式で取りますが、この温野菜や、



卵料理は運んできてくれます。
今回はホワイトオムレツは頼まず、普通のオムレツをいただきました。



食事をしていたら庭の柵の向こう側に雉がきていました。

「今晩のディナーはキジの料理?」


と息子。

昨夜、久美浜の駅からここに来るまでの山道(街灯などまったくなし)を走っていると、
道の脇にシカがいましたし、ヘッドライトの前をわざわざ横切るタヌキもいました。
もちろんイノシシなどもたくさんいそうです。



ガーデニングも大変力を入れているそうで、わたしたちが次にここを通った時、
従業員がラベンダーの花がら摘みをしていました。
向こうにはオリーブの木もあります。

山間地帯で湿度が低めなので、イギリス風のガーデニングも可能なのでしょう。



こういったスレートを積み重ねたものも、ドイツから仕入れてきたアイディアで、
この石は普通の石を薄く切り出して、それを何層にも重ねたものなのですが、
その作業は全て、当ホテルのスタッフが手仕事で行ったものなのだとか。



マキを積み重ねておくための小屋。



わたしたちの泊まった部屋の廊下部分。
この雨樋を見ていただければ、ヨーロッパ風を再現するのに細部までこだわっているかが

お分かり頂けると思います。




街中にいきなりある、内部だけ作り込まれた結婚式場の、あのハリボテ感など微塵もなく、
ここが京田辺市の山中であることを忘れさせてくれます。
しかし、それは自然も一体となったもので、決して日本を否定するものではありません。

いわば「こんなのも日本でできるんですよ」「これも日本なんですよ」といったコンセプト。
温泉もない、近くに海水浴場もない、ただ自然と料理とホテルそのものを楽しむホテル。

こういうオーベルジュ型のホテルが日本にも随分増えてきたと思いますが、
有名な観光地ではないところは、中国人の観光客がまず来ないのが大きなメリットで、

敷地内に中国語やハングルの文字を見ずにすむのはたいへんうれしいことです(笑)



まったくの山間部にあるこの一帯は、耳をすますと四方からいろんな鳥の声が聞こえます。

ウグイスがさかんにホーホケキョを聞かせてくれました。
テラコッタのバードバスにも鳥が水浴びに来るようです。



近くにはハイキングもできる遊歩道もあります。

これはホテル所有のハーブ畑。



ハーブ畑はホテルの道を挟んで反対側の山の斜面にあり、登っていくと
昔このホテルがレストランにしていた建物がありました。
ここも十分おしゃれで、今倉庫になっているだけというのはなんとも勿体無い気がします。



ここに設えられたテラスから久見浜湾を望む眺望はこの通り、絶景です。

久美浜というのは地図を見ていただければお分かりですが、日本海から深くくりこんだ、
まるで湖のような形の湾で、まるで江田島の江田湾のように、内海は波一つたちません。



こういうところから望む湾は、まるで山間の湖のように見えます。



景色を見ていると、建物のそばにいたネコが近寄ってきました。

すごく人懐こくて、尻尾を触っても嫌がりません。

シャム猫とキジ猫がミックスされた変わった毛色です。



わたしたちに近づいてきたのは彼女の時間つぶしだった模様。

まずはその辺の草を食べ(毛が抜ける時期なので?)、



その辺ですりすりして、




散々遊んでいるところを見せてくれていましたが、下の山道に車が来たとたん、

(わたしたちには見えていましたが、彼女には見えなかったはずなのに)
音だけで聞き分けたのか、時間つぶしをやめ、



さっさと下から続く道の方へ移動。




車から降りてきたのはホテルの従業員の方。




倉庫の前に歩いていくホテルの人に走ってついていきます。




なんと、このネコはホテルの「公式飼い猫」。
平日は専門で面倒を見ている人がいて、餌の時間も決まっているのですが、
この日はその人が休みなので、かわりの人がその時間にえさやりのためにここにきたのです。

9時20分という「餌やりタイム」に1分も違わず。


ホテルの人が袋から出しているのは獣医さんから処方されたおくすり。
最近このネコ、とらじろう(女の子なのに・・)は歯を抜いたため、
抗生物質を投与されているのですが、ドライのキャットフードが食べられなくなり、
缶詰の半生タイプを与えられているのだそうです。 



その辺の山を駆け回って自由に遊んでいるとらじろうですが、

ここでごはんがもらえるため、ほとんどこの辺りでうろうろしているそうです。

下に降りてくることはほとんどないのですが、牛肉を焼く匂いがするときだけ、
キッチンの外側に来て、もらえるのを待っているのだとか。

ネコのくせに牛食べるのか・・・。




お食事終了。
左にある小屋はとらじろうの邸宅で、冬は雪が多いこの辺りの気候のため、
毛布をかぶせた箱のなかに「ネコつぐら」を入れ、さらにはその下に
電気式の暖房シートを仕込んだ完璧な仕様です。
冬はずっとこのなかにいてご飯の時しか出てきません。

給水中。
さすがはおしゃれなホテルの飼い猫なので、餌入れもホーローのパンケース。
積み重ねたレンガの棚といい、こんなところも手を抜きません。



食事が終わったので満足した彼女はわたしたちの相手になってくれました。




例によって一番可愛がってくれそうな人(わたし)を見極めるや、

足元に寝転んで撫でてくれアピール。



ところでこのホテルは、ホリディホームといいます。
久美浜に行かれたらぜひ、というか、ホテルに宿泊する「だけ」に行く価値のあるホテルです。



ドイツ風の建築にはメルセデスがよく似合う。
ここには取引先、たとえばユナイテッドアローズやトゥモローランドの偉い人も泊まりにきます。

元々はそういう取引先の人たちを泊めるために宿泊できる施設を作ったのだとか。



歩いて5分ほどのところにキャンプ場があり、海岸に面していました。
向こう側は市役所や学校などのある久美浜町の中心部分。







ところで部屋のテレビ台になっていたこのタンス、どう見ても江戸年間のものです。

鍵のかかるバーが前に設えていることといい、



タンスの引き出しに「証書(旧字体)」「田」などのラベルがあることから、
昔、役所や銀行のようなところで使われていた書類入れではないかと思われました。



さて、ホテルをチェックアウトして久美浜の駅で電車を待っているわけですが、

ホテルには元々の本業であるアパレルのブティックもありまして、
記念にと横縞のTシャツと麻のスカート、ワンピースなどを購入しました。

ここが輸入しているストライプのシャツですが、元々はフランス海軍の
あの赤と白のセーラー服の内側に切るシャツを納入していたメーカー。
つまり、海軍御用達です。

そういうブランドならではの横縞Tシャツは、着心地がよくシルエットもそこそこタイトで、
元々持ってきたファリエロ・サルティのストールと合わせてもいけます。
帰りに駅まで送ってくださったホテルの女性従業員が、

「そういった大人っぽい着こなしをしていただけると嬉しいです。
たいていカジュアルに着られるので」

と褒めてくださいました。

この会社はビルケンシュトックなども輸入しています。



向こう側にやってきたカラフルな電車。

久美浜を通るこの路線は「京丹後鉄道」といい、JRではありません。
昔廃線になりそうになったのを、地元の第三セクターが買い取り経営しています。

2時間に1本の運行だそうですが、交通が前線バスになるというのも
地元の人たちにとっては不便になるということだったのでしょう。



ちなみに会社は北近畿タンゴ鉄道といいます。

タンゴは丹後とダンスのタンゴをかけて、あえてカタカナです。

私たちの乗る電車がやってきました。



ご覧の通り、まったく電車らしくないテーブル付きの席で、二両のうちこちらは

指定席、そして注文すれば食事もできます。
わたしたちはたった二駅だけなので飲み物だけいただきました。



豊岡駅にあっという間に到着。

西舞鶴方面まで行けば、長時間乗れるうえに天橋立も見られるのですが、
今日は時間がありませんでした。



豊岡というのは「カバンの街」だそうです。
駅のホームに「カバンの自動販売機」がありました。
1500円で、ケースに入ったエコバッグが買えます。




「コウノトリの郷」という駅名もあったほどで、この辺はコウノトリの生息地。
車窓から田んぼに降り立つコウノトリの姿をわたしたちも目撃しました。



というわけで、京都に到着したのは4時。
12時半の久美浜初の電車に乗って3時間半です。
お腹が空ききってていたので、駅ビルにある「はしたて」に車内から予約を取り、
このような「金目鯛つくし」のお膳に舌鼓を打ちました。
金目鯛の丼と、金目鯛のフライが乗った冷麺。

この日は京都に一泊してから翌日家に帰りました。

慌ただしい旅行でしたが、久美浜にいた15時間(たった15時間・・・)だけが、
まるで時間が止まったかのようなゆったりとした気分になれました。

わたしは結局三度目の久美浜となったわけですが、
民宿から水着のまま歩いて海岸に行った、昔の記憶を呼び起こすものは何もなく、
新しいコンセプトの癒しの空間が、ここを全く初めての土地のように感じさせました。



 


映画「海底軍艦」~ムウ帝国の最後

2015-06-10 | 映画



やっとのことに最終回にこぎつけた「海底軍艦」です。


この予告編、藤木悠が「鉄腕カメラマン」、高島が「正義の新聞記者」となっていますが、
彼らはカメラマンとその助手の間違い。
お調子者担当でほぼ何もしていない藤木が「鉄腕」というのもウケましたが、
海軍基地のシーンに、20年前は生まれていたかどうかも怪しい水兵さんがいるのも爆笑です。



ところで、わたしが知らなかっただけで、この映画結構その筋では有名だったらしく、

当時アメリカでも公開されたことが判明しました。



アメリカ公開時の「海底軍艦」予告編です。
なんか、DVDで観る元バージョンとまったく同じシーンなのに、
英語で解説されているせいかちょっとましな映画に見える・・・。

現代のデジタル化で、画質は昔に比べたら別次元レベルで良くなっているわけですが、
この「よくなった」というのもこの手の映画においては考えもので、画質がいいほど、
潜水艦を吊っている糸が鮮明に見えたり、模型であることが手に取るように分かったり、
つまり映画館の大きなスクリーンで、粒子の粗い映像を見ている分にはおおすごい迫力、
と感心していられたのが、CGに慣れた現代人にとっては文字通り子供騙しが嫌でも目につき、
当時の人とは違って大笑いしながらみるはめになるわけです。

おそらく映画公開当時映画館に足を運んだ人は、それなりにすごい!と思ったに違いありません。

そう思ったのは日本人だけではなかったという証拠に、アメリカではこの映画に

「ATRAGON」(Atmic とDragonの造語)

と独自のタイトルをつけ、おまけにこのコンセプトで「アトラゴン2」も
現地で独自に作ってしまったといいます。(観たい~)

そして、なぜかドイツでも公開され、その時のタイトルは

「U−2000」

やっぱりドイツ人は潜水艦というとUボートから離れることはできないんですね。
そしてわたしが畏れ多くもバカにしまくったこの海底軍艦のアイデアは、
よほど新機軸だったらしく日本では近年になって
「新海底軍艦」というアニメーションが制作されています。

新海底軍艦 OP


これも観たい~!

ただし、サイドストーリーはまったく別のものだそうです。そうだろうなあ。

それでは、100分耐久、海底軍艦マーチを聴きながら続きをどうぞ。




本作は「ゴジラ」の映画音楽を作曲した日本作曲界の大御所、伊福部昭が
音楽を手がけ、一度聴いたら忘れられない「伊福部節」が炸裂しております。



東京湾に現れたムウ帝国軍の石棺型潜水艦。
上から竜の形をしたものが出てきて、口から出す光線で次々と船舶を焼き払っていきます。



しかしそこに飛来したのは・・・・そう、海底軍艦「轟天号」でした。



「おのれ警告を無視しおったな、神宮寺!」

後ろの外人さん二人も横田基地の軍人さんかしら。



逃げるムウ帝国潜水艦を追いかける海底軍艦。
後ろで腕組みをしているのは警視庁の刑事。
轟天号基地のある南方まで飛行機で行って、
海底軍艦に乗って東京まで帰ってきたようです。
飛行機代が浮いちゃいましたね!

「ベント開け!」「ベント~開け」「深さ500!」「深さ~500!」

神宮寺の指令に乗員が復唱するその様は、今まさに帝国海軍が
国難に立ち向かう英雄として
完全に復活したことを物語っていました(T_T)



こちら海底のムウ帝国。
アメリカの潜水艦が水圧で潰れるような深海にあるにもかかわらず、
この人たちはまったく圧力に影響を受けておりません。
与圧装置完備かな?



そこにやってきたムウ帝国皇帝とその取り巻きの女官。
右側はエキストラの横田基地司令官の妻で、左は参謀の妻(適当)

海底軍艦を始動させたことにお怒りの女帝は、4人をマンダ(ペットの龍)
の生贄にさせようとします。



しかし女帝はSPをつけていなかったため、高島ごときに隙を取られ逆に人質となってしまいます。



というわけでここから脱出するため、みんな銀色の鱗を模った「気密服」を着ました。
嫌がる女帝を脅して無理やり拉致する一同。

しかしここは深海。どうやって地球まで帰るつもりなのか高島。




そこにムウ帝国の潜水艦が帰還してきました。



後をつけてきた海底軍艦。
米原子力潜水艦は水圧で潰れましたが、さすがは海底軍艦、びくともしません。



ぼうや~よいこだねんねしな~(BGM)

というわけでマンダ登場。



気密服を着た一同、そのまま海底へ・・・・・ん?
もしかしたら、ここが深海で米船がセンベイに(しゃれ)なったという設定は
すっかりなかったことになってないか?


とにかく、一同がハッチを開けたとたん、嗚呼そこに見えるは我が帝国海軍の海底軍艦。
海底軍艦の方も彼らを味方だと認め、救出口を開くのでした。

ムウ帝国の気密服を着て全身を隠しているのになぜわかったんだろう(棒) 
そして彼らはフィンもつけないでゆっくりと平泳ぎしながら潜水艦まで泳ぎ着きます。



そして乗艦。
ムウ帝国特製気密服は、深海を泳いでも濡れるどころかヘアスタイルすら乱れません。
ここで高島、神宮寺の娘に「お父さんだ」といい、
後ろからどん!というかんじで背中を押して父親の元に行かせます。

お前に言われなくてもお父さんであることはわかっとる。

ところでこの後ろには、旧帝国海軍ではそうなっていたということなのか、


「ハ3 天 サ−1507」

などとペンキで書かれております。

 

ここで娘が父に抱きついたのは、

「お願いした通り地球のために戦ってくださるのね!」

ってことだと思います。

 

そして最後に乗艦してきたムウ帝国皇帝陛下。
帝国海軍の皆さん、どんびきしてます。



皆が凝視する中、彼らの視線を跳ね返すように昂然と歩む誇り高き女帝。
(という設定だと思われます)



「神宮寺、無駄な抵抗はやめよ!ムウ帝国に勝てるつもりか」

「無駄な抵抗はあなたの方だ」

「たとえ余は殺せてもムウ帝国の心臓は滅びぬ!」

そこででしゃばり男の高島、

「心臓とはムウ帝国のエネルギー源とみられる神聖なところで地熱を利用した動力室です」

うーん、そういう意味で言ったのかな皇帝陛下は。



「和平に応じぬのならムウ帝国の心臓を攻撃してご覧に入れよう」

きっとなって神宮寺をにらむ皇帝。
神宮寺大佐が命令を下すたび睨みつけてますが、司令官のこんな近くに捕虜を置いとくなよ。



そのとき龍のマンダが襲いかかり海底軍艦に巻き付くも、高圧電流を流して撃退。

 

さらにノーズから「冷線砲」を出してマンダを凍らせてしまいました。
海水の中で噴射して対象物だけを凍らせる物質とは一体・・・?



そしてそのまま轟天号は海底を掘り進んで行き、ムウ帝国に突入。
なぜ海水が入ってこない(笑)



そこで挺身部隊が結成され、基地への潜入が試みられます。
真琴の護衛をしていた安藤兵曹がいるのは当然として、なぜここに高島や
警視庁の刑事が混ざっているのかは謎です。




突入した挺身隊員は手に棒を持っただけの丸腰のムウ帝国人を次々と殺めていきます。



それも、マンダを凍らせた零線で、次々とナイフを手にしただけの人々を石にしていくという残虐さ。
これはオーバーキルというか、虐殺というやつなのでは。

ちなみに右側の冷線使用後はイラストです。



そして心臓部に爆弾を仕掛け、壊滅を図るのでした。
ムウ帝国のすべての人々が一瞬にして海の藻屑になる強力な爆弾は、
周りをブリキ板でカバーした持ち運び簡単なものでライトな感覚の組み立て式です。



海底軍艦の零線砲で心臓部の動力を止め、あっという間に地表に到達。
なんども言いますが、ムウ帝国は潜水艦が水圧に耐えられないほどの深海にあります。

海面に浮上し、艦橋に皇帝を連れていく神宮寺大佐。

「ふははは、お前の帝国が滅びていく様をその目でとくと見るがよい!」

とは言ってませんがつまりそういうことですよね。
サディストなのか神宮寺大佐。



そのとき爆発音とともに二本の火柱が立ち上がります。
ムウ帝国がその無辜の民とともに地上じゃなくて海中から消え去った瞬間でした。

なんども言いますが、ムウ帝国は海深3000メートル以上の深海(略)



その様子をまるで花火大会のような気軽な様子で見守る海底軍艦の人々。



そこにムウ帝国の潜水艦が現れ攻撃してきます。




戦闘状態なのに外に面した艦橋に佇んだまま攻撃命令を下す神宮寺大佐。

「発射!」 

その命令を聴き「はっ!」と振り返る皇帝。



ムウ帝国潜水艦は凍ってしまいました(-人-)ナムー
ところで後ろで爆発している炎ですが、これどうやって撮ったと思います?


キャメラを上下逆にして、水槽に絵の具を落としたものなのだそうですよ。
やっぱりCGのない時代これだけのものを作れる円谷監督は偉大だったと思います。



それを見た女帝、艦橋から走り去り、海に身を投じました。




「死を覚悟で帰るのだ。帰してやろう」

武人の情けというやつですねわかります。



それを見てなぜか「しんいちさん!」(いつの間に・・・)と旗中に抱きつく真琴。
またもや待ってましたと抱き寄せる旗中。いやそこは父親だろう。



神宮寺大佐は当然ですが、楠見元少将が、軍人でもないのにいつのまにか
艦内帽着用の上、双眼鏡のストラップまで艦長仕様のものをかけているのに注意。

絶望的な目をして無言で顔を見合わせる海軍の男たち二人でした。




炎の海を抜き手をきって泳いでいき、大きく手を挙げたあと沈んでいく皇帝。
その様子を勝利し地球を守ることに成功したはずの轟天号の人々は、ただ粛然と見守るのでした。

地球は守れても、それは殺戮のあと、自動的に海に葬られて見ずに済んだにすぎない
ムウ帝国人の累々たる死骸のうえに築かれた平和(もの)だということを、人々は
女帝の自死によって思わずにいられなかったからです。(たぶんね)



ところでわたしの予想ですが、この勝利に対し、この後朝日新聞や左派、そして
中国韓国なんかもきっと、

「そこまでする必要があったのか」「ムウ帝国人だって同じ地球の仲間」
「日本の軍国化」「帝国海軍の軍靴の音が聞こえる」

などと喉元過ぎればで非難轟々、皆で日本を、何より海軍を抑えにかかることはほぼ確実でしょう。
だから豪天寺大佐の悲願であった「帝国海軍の復活」もおそらく実現はしない、に10ムウ帝国通貨。


 

というわけで終わりです。
てっきり無視されるかと思っていたのですが、意外な盛り上がりを見せた「海底軍艦」シリーズ、
その後のSFのある意味原型となっていたり、のちの作品に影響を及ぼしていたりしたこともわかり、
当ブログ的には大収穫でした。

「愛国心」が悪いことになっていたらしいこの時代、しかし地球を守るためなら戦いもやむなし、
とオチをつけてくれたことで、実はこの映画はこの風潮に一石を投じたのではなかったか?
などとも考えてみたのですが・・・・たぶん買いかぶりでしょうね。


糸冬


映画「海底軍艦」~神宮寺大佐の決心

2015-06-09 | 映画

 

CDのパンフにあった轟天号のメカデザイン。
これ、是非今の時代のCGで再現して欲しいですね。
(「インターステラ」のレベルであれば最高)
ムウ帝国の潜水艦は「石棺潜行艦」というのか。なるほど。



さて、今日こそは終わりまでこぎつけたいと思います。
最初から怪しかった週刊誌記者の海野魚人、ここで正体をむき出しに。
神宮寺大佐の一人娘、真琴を誘拐して、神宮寺大佐を脅迫するつもりです。
ついでに海底軍艦基地に爆薬を仕掛けたそうです。
爆発物をいつのまにどうやって調達したかは秘密。



カメラマンの旗中はこんな時に限って全く役に立たず、一緒に拉致られてしまいます。
いったい何のために真琴にまとわりついていたのか。



「司令!ドックに爆薬を仕掛けたものがいます!」

「何い?誰だ」

「従軍記者です!」

いやそれ従軍記者ちゃいますから。
そこに略奪したトラックで脱出を図る従軍記者。
人質が二人乗っているのに、皆でピストルを撃ちまくります。



さてこちらムウ帝国。
いよいよ皇帝が姿を現したのでした。



周りは国際色豊かに外人さんのエキストラで固められています。
特に左のおばちゃん、作り物ではないかというくらい完璧なアメリカ人体型。



この人たちはですね、なんと米軍横田基地に声をかけて、
在日米軍の軍人家族にご協力を仰いだのだそうです。
まるで昔のオランダの農婦みたいな人もいますが、



特に皇帝付きの女官役の人たちは「クレオパトラの映画みたい~」と
撮影現場ではきゃっきゃうふふと大喜びでいらしたということです。

この皇帝の周りを固めている二人は、横田基地の中でも司令官クラスの奥方に違いありません。
二人ともいかにも将官の糟糠の妻といった貫禄にあふれています。

・・・ということでこの真ん中がムウ帝国皇帝であらせられるわけですが、
衣装もメイクも若干22歳の女優である小林哲子が自分で工夫して行ったそうです。

「こんなのでどうでしょう」

と見せると監督はそれでいいです!と喜んで即OKが出たということです。



皇帝の前に引き出される真琴と旗中。
右は平田昭彦の23号で、左に従軍記者のふりをしていたのがいますね。
ちなみにまわりにいる人たちは「スクールメイツ」の人たちだそうです。

わざわざ捕まえて連れてきたからには何かの取引に使うのかと思ったら、皇帝陛下は彼らを

「マンダの生贄にせよ」

と仰せられます。捕虜なのに。
マンダとは、ムウ帝国の守護神である龍です。



従軍記者、じゃなくて週刊誌記者のふりをしていた工作員の実の姿。
平田昭彦とこの工作員を演じた佐原健とは私生活では親友同士だったということだったので、
この撮影は彼ら的には楽しかったというか、盛り上がったのではないかと思われ。



こちら海底軍艦のドックを爆破された轟天振武部隊。
艦体が破壊された鉄骨の下敷きになり
ハッチを開けることができず、鉄骨を焼き切る作業中。

 

その頃日本では。
三原山にムウ人が団体で(数えたら18人いました)現れ、とりあえず
大島小涌園なんかに観光に来ていた客を血祭りにあげました。

三原山の火口から現れたという設定上そうなったようです。



大島から脱出しようとする人たちの船を、これもとりあえず爆破。

 

そしてムウ帝国は世界に征服の告知を開始。

「海底軍艦を破壊し、速やかに植民地を返すのだ」

この世界各地の様子はなんと模型や書き割りだったりします。




東京湾の様子。
東京タワーだけがぽつねんと聳え立っているように見えますが、このころ東京は
数年以内に東京オリンピックの開催を控え、建築ラッシュでした。
今のような高層ビルだらけになるのはこの後すぐです。

それにしてもこの船舶の多さは何事?



ムウ帝国が行った今までの攻撃は「脅かし」にすぎず(そうだろうなあ)、
彼らはいよいよ本番として
ニューヨークの摩天楼と丸の内を本格的に攻撃することを宣言したのでした。

 

ここで陸自の榴弾砲が(一台だけが何度も映される)登場。

軍靴の足音が聞こえるう~~!

ただし、憲法の関係で、彼らは防衛のために各所に配備されることはあっても、
向こうが一発撃ってこない限り交戦権は認められないのです。

我が日本国はムウ帝国軍の攻撃によってすでに民間船の乗員始め、
自衛隊員や警察官、大島のフェリーの乗員など、
何人かの国民が犠牲になっているわけです。
犠牲者が出ているからにはもうムウ帝国軍を攻撃してもいいと思うのですが、
日本国としては頑なに憲法9条に忠実であろうとするのでした(ってことですよね)。


 ついでにこのとき、日米安保条約は署名されたばかりだったのですが、アメリカも
勝手に追跡して水圧でつぶれただけとはいえ、自分とこの原潜がやられてしまったりしたので
日本にまで手が回らず、第7艦隊も本国に帰ってしまい、(たぶん)
ここにおいて本土防衛は米国の手を一切借りず行われることになったのでした。 

 

「どこかの国はだめだけどムウ帝国ならやっつけてもいい」という理由で、
海底軍艦を出動させよ!と旧帝国軍人に無茶をいう周りの人たちですが、
ムウ帝国人だって、同じこの青い地球の仲間なんだぞー。




さてこちら轟天号。
艦体の上に被さった鉄骨を取り除き、中を点検したところ、

中身にはなんの損傷もありません。
そして、崩れた岩に埋もれたこの潜水艦、先端の掘削機が回転することによって
難なくこの場から周りに穴を開けて脱出してしまったのでした。

神宮寺大佐って天才?

平賀譲の立場はいったい。

っていうか、こんな兵科士官が一人でもいたら日本は戦争に負けてませんわ。



その神宮寺大佐、轟天号始動にあたってキリッと、

「じゃあ出かけますか」
「出かける?」
「考えてみたら錆び付いた鎧を着ていたようです。
脱いでみてせいせいしました」

 

「神宮寺・・・・・!」

「本部に連絡してください。
海底軍艦は只今よりムウ帝国撃滅のために出動します!」

神宮寺大佐は大局的見地に立って、日本海軍の再興より
ムウ帝国と戦うことが先決だとようやく納得したようです。

よく考えたら、国連からの依頼も出てるということだし、ムウ帝国と戦って勝った暁には、
旧帝国海軍が世界的に認められ、回り回ってその再興につながるかもしれません。

もちろん常識的に考えてつながらない可能性の方が高いとは思うけど、
今まではとりあえず、「再興」「再興」といっても具体的にじゃー誰と戦うの?
と聞かれた場合、おそらく本人たちにも答えられなかったと思うし。

というわけで、神宮寺大佐に取ってもこの出撃はうまい落とし所となったのです。



伊福部昭の「海底軍艦マーチ」が鳴り響く中、パニックの首都東京。
道は避難する人と車でもはや大変な混雑となっています。

しかしこんな時にも警察官が人を誘導し、皆それに大人しく従っています。
さすがは日本人、有事の時にも賞賛されるべき民度です(適当)



もしかしたら東芝がスポンサーだったのだろうか。
右の方には「イムペリアルホテル」がありますが、これはさすがに
帝国ホテルのことではないと思われます。



ひとところに固まっている陸空海幕長ら防衛庁制服組。
ムウ帝国の予告した時間は深夜1時です。
何を見上げているかというと、時計。
ムウ帝国が東京を襲撃すると予告した時間は深夜0時。
刻一刻とその時が近づいてきます。

爆音が聞こえ緊張する一同。

「ただいまの爆音、友軍機3機!」

この際、友軍、って言っちゃうんだ・・・。
今の自衛隊でも言うんでしょうねえ。




あくまでも「TOSHIBA」のネオンサインを見せる構えの陸自隊員たち。
静まり返った街はすべての照明も消されていますが、東芝のサインだけは
煌々と点滅を繰り返すのでした。(T_T)



と、そのとき。
TOSHIBAのネオンサインの真正面にあるマンホールの蓋が、
激しい蒸気に噴き上げられて吹っ飛びました。




次の瞬間、地面が崩れ、丸の内は地盤沈下。
TOSHBAのネオンサインが真っ先に崩れ落ちていきます。
スポンサー様のネオンサインをこんな風に扱っても良かったのか。

それはともかくなんとムウ帝国軍、地下から襲ってきたのです。
海底軍艦もないのにどうやってここまで掘り進んできたかは謎ですが、
海底人の国が地下から攻撃してくる可能性については十分予想されるべきでした。
これは防衛する側が、敵についてあまりにも知らなかったと言えましょう。

防衛はまず諜報、情報収集と、ごまかしのない兵棋演習から。


・・・ってことで(終わらなかったorz)最終回に続く。


 


映画「海底軍艦」~轟天号発進!

2015-06-08 | 映画


映画「海底軍艦」三日目です。
突っ込みだしたらきりがないので、少しテンポを早めます。
この映画の設定によると、ムウ帝国は米原子力潜水艦が圧力で潰されるくらい
深海に沈んでしまったということになりますが、そんな深海に人類が都市を築き、
高度な文明社会を営むことができたなど、誰が想像できたでしょうか。

まあ想像した人がいるからこんな映画ができてしまったわけですが、
それ以前にじゃあムー大陸って何なのよ、ということからいうと、
ムー大陸は、元イギリス陸軍大佐を自称していたジェームス・チャーチワードが、
今から約1万2000年前に太平洋にあった大陸とその文明であるとしたものです。
しかし、決定的な証拠となる遺跡遺物などは存在せず、海底調査でも
巨大大陸が海没したという
いかなる証拠も今のところ見つかっていません。

それどころかチャーチワードの陸軍大佐という経歴も詐称であることがわかっており、
(インターネッツがない時代なのでこういうハッタリがある程度通用したんですね)
つまり一人の詐話師の作り話、ということに今では落ち着いているようです。

が、ウェーゲナーの大陸移動説のように、多くの人々が信じたい、
まあなんというかロマンみたいなものが受け入れられてきた結果、

これだけ有名になってしまったということろかもしれません。

そのトンデモ話を、さらに文字通り深化させてしまったのがこの映画というわけです。



ムウ帝国では日本人が要職に就いているらしく、 公用語は日本語。
皇帝が日本人なら、長老(天本英世)も日本人。
ちなみに天本英世、映画撮影時38歳。

しかし印象に残るおじいさんのイメージと寸分違わず。



長老を警衛する兵士も茶髪の日本人の兄ちゃんです。
1962年当時は奇抜だった茶髪ですが、その50年後、日本が
こんな色の髪の毛の日本人だらけになっていようとは誰に想像できたでしょうか。



「ハーイ」

そこに帰国してきた工作員23号。インディアンのノリですか?
エジプト王朝の人みたいに半裸によだれかけ。

・・・もうね。
わたしこれを見た瞬間、平田昭彦に様をつける気がなくなりました。
「キスカ」や「潜水艦イー57降伏せず」での海軍軍医役、「さらばラバウル」での
若き戦闘機搭乗員役、「太平洋の翼」「太平洋の嵐」
での飛行長役があんなに似合っていた、
陸軍士官学校在籍、東京大学法学部卒の
インテリ俳優にこんな役をさせるんじゃない!

今にして思えば、「地球防衛軍」で、地球外生物のミステリアンの手先となり
地球侵略を幇助していた科学者の役をした頃から、東宝映画は平田昭彦に

妙な役割をさせるようになっていたような気がしますが、それが高じて結局
特撮映画の怪しげな博士役ばかりが晩年のイメージになってしまいました。
いかに本人が望んだこととはいえ、もう少し別の方向はなかったのか。

ちなみに工作員23号がご機嫌なのは、楠見少将たちが神宮寺大佐の元に行くことになり、
これで轟天号の根拠地が割れる!という目処が立ったためです。



「我らの苦しみを地上の奴隷どもに降らせ給え~」

何かと集まってはみんなで変なダンスをするムウ帝国の皆さん。
なんと、よく見たらウェーブになっています。

ちなみにここで歌われる歌は、なんと音楽担当をした伊福部昭本人によって
太平洋諸島の言語で歌詞がつけられたということです。
ありがたや~。


ところで、海運会社の重役である元海軍少将の楠見。
冒頭挿絵でも突っ込ませていただきましたが、そこここで

「敬礼はいいよ、軍隊じゃないんだから」

とかいった端から

「安藤兵曹!」「頑固だな貴様」

などと海軍軍人モード全開です。

戦後、元軍人たちは軍人であるということだけで「戦犯」と言われたり、

公職追放にあったりしてそのことに対し複雑な思いを持って生きてきましたが、
反面、「戦記ブーム」などもあって、多くの人々が媒体で体験を語ってきました。
特に海軍は「サイレントネイビー」が美徳とされる戦前からの風潮ゆえ、
戦中の体験について何も語らない人の方が評価されたりしています。

しかし中には

サイレントネイビーとして語らない」

と当初いいながら、色々なしがらみで結局あっちこっちでしゃべったことになって、
それなら最初からサイレントネイビーなどと公言しなきゃよかったのに、という人もいます。

本当のサイレントネイビーとは、死ぬまで自分の敵兵救助を誰にも話さなかった駆逐艦「嵐」の
工藤艦長や木村昌福(まさとみ)少将なんかのことを言うんじゃないでしょうか。
だいたい自分で「サイレントネイビー」ということ自体が考えればすごい矛盾よね。

話が逸れましたが、この楠見少将もまた、サイレントネイビーとして戦後20年、
自分が海軍軍人であることすら公言せず生きてきたわけですが(たぶんね)、
どういうわけか未だに海軍組織として機能しているらしい神宮寺大佐とその一派と
繋がりができた途端、すっかり”気分は少将”に戻ってしまったようです。

海軍軍人としての誇りはいっときも忘れたことがなかった、ってところでしょうか。(適当)

 

島に向かう船の上でも真琴にまとわりつくカメラマン旗中。
この男がカメラマンとして仕事をしていたのは最初のうちだけ。
国費で神宮寺大佐捜索隊に加えてもらい、そこで何をしているかというと、
こうやって暇さえあれば彼女にちょっかいをかけるだけ。
いったいこの男はなんなんだ~!なんのためにいるんだ~!

(えー、わたしは某所でやらかした高島忠夫とその嫁の悪行を、関係者から
昔聞いたことがあって、それ以来俳優としても大っ嫌いであることをお断りしておきます)

「どうして父はわたしに生きていることを言ってくれなかったんでしょう」

「それは古い愛国心、家庭を顧みるのは女々しきふるまいというわけですよ」

・・・・・違うと思う。
古かろうが新しかろうが、愛国心と家庭を顧みることは両立するぞ高島。
というか、何かにつけて愛国心愛国心とディスるために愛国心言うんじゃねーよ高島。




この船に乗っているメンバーの中で、さらになんのためにいるのかわからない
週刊誌記者の海野は、皆の隙を見つけてピンポン球を海中に投入。
その海面下にはムウ帝国の潜水艦が・・。

工作員として連絡を取っているんですねわかります。




そして島に到着し、密林をカヌーで下って行くとあら不思議。
そこはすっかり昭和20年以前の南洋の海軍根拠地。
下士官兵に誰何されながら天野兵曹の後をついていくと、



なんと岩に作られた司令室。

「轟天建武隊」

となにやら陸軍ちっくな部隊名が看板に書かれ、出てきたのは副長。



おおこれは紛れもなく帝国海軍。

舞台裏を明かすと、東宝ではこの時、同時にあの戦争映画「太平洋の嵐」、

そして「青島要塞爆撃命令」が制作されていたと言います。

この映画に出ている平田昭彦、田崎潤、藤田進、は「太平洋の翼」に、平田と田崎は
この三つのどれにも出演しており、さらに田崎はそのどれもが軍人役でした。


この「海底軍艦」の原作には海軍が海底軍艦を作るというストーリーはないそうです。
東宝の「海底軍艦」スタッフは、ちょうど撮影が行われている別の戦争映画の
ファシリティとか衣装とかが流用できるから、という理由でこの設定にしたのでは?
と今ふと思ってしまったのですが、実際のところはもう誰にもわかりません。



副長登場。

「お待たせしました。司令であります」



はっと緊張する一同。
特に真琴は写真以外で見たこともない父との初めての対面なのです。



神宮寺大佐、初登場。
安藤兵曹を日本に派遣して娘の様子を窺わせていたはずなのに、
娘を凝視するなり目をそらして楠見少将に敬礼。

「少将、お久しぶりです」

楠見はすっかりこのころにはその気になっていたので、
神宮寺大佐の敬礼も「少将」も否定せず、鷹揚に頷いてみせます。


「神宮寺の反乱行動を穏便に処置いただきまして感謝しております」

相変わらずなんのことだかわからない反乱とやらのことを言っておりますが、
ここでも全く説明がないのでなんのことだかわかりません。
さらに神宮寺大佐、娘を紹介されているのにガン無視。

ショックでふらつく真琴を待ってましたと旗中が抱きとめます。




なんだかアットホームな雰囲気の司令室だこと。
この和気藹々とした空間で神宮寺が重大発言を。

「明日海底軍艦『轟天号』の試運転をします。
我々が日本海軍のために立ち上がる時が来たのです」

ん?どこの国と交戦しようとしているのかなこの人は。

楠見少将はムウ帝国との戦いに海底戦艦を使わせてくれと頼みますが、

大佐はすげなくおことわりします。
この海底戦艦をもって、神宮寺は日本を、いや海軍を再興させるべく、
今日まで執念を注ぎ込んで建造に当たってきたのでした。
こんな南洋の島でどうやって?と思うわけですが、それより、
神宮寺は海軍を再興させるためにとりあえず何がしたいのでしょうか。
アメリカともう一度交戦?ソ連をやっつける?



「戦争は20年前に終わったんだ」

しかしこの当たり前のことを神宮寺大佐は受け入れません。

戦後ブラジルに移民していた日本人たちの間では、戦争に負けたことを

認める派(負け組)と認めない派(勝ち組)に分かれて激しく対立し、
ついには殺人事件まで起こるという騒ぎがあったのですが、
神宮寺大佐も頭では認めているがその信念が認めないという状態です。
たとえそうだったとしても、今から我々が何とかしてみせるという勢い。



そこでしゃしゃりでてくるこのでしゃばり男。

「せっかく訪ねてきた娘に優しい言葉一つかけない
戦争基地外とは話したくありません!」

おっと、決め台詞のつもりだろうがその言葉は放送禁止用語だ。

神宮寺「少将、あの男は?」

楠見「真琴を不幸にするような男でないことはわしが保証する!」

ちょ、なに言ってんですか少将。この男の何を知ってるんです少将。
街で見かけて車のナンバーを突き止めて追い回し、することといったら
ずっとお嬢さんの横にスタンバイしてベタベタ体を触っているだけなんですけど。



今から試運転が始まるそうです。



地下ドックの入り口を入っていくと、



合成画像丸出しの海底戦艦環境に立つ神宮寺大佐が。

 

これも合成画像丸出し。
海底軍艦のハッチに海軍式駆け足で入っていく乗員たち。

 

これが海底軍艦でーす。
掘削機が付いていてモグラを彷彿とさせます。
円谷英二は、このころ先ほども言ったように東宝で戦争映画が同時進行しており、
そのため特撮の撮影時間を通常3ヶ月のところ2ヶ月で仕上げたそうです。

道理で・・・・いや何でもない。



ドック内に注水され、海底軍艦「轟天号」は発進します。
そして浮上!


 

糸で吊られているのが丸見えの海底戦艦が浮上どころか空中に浮揚。
水陸どころか水陸空両用、じゃなくて水陸空鼎用?
しかし円谷くん、仕事が荒いよ仕事が。



試運転成功で宴会してるし(笑)



ここで少将が真面目に見ている観客に成り代わり、各種疑問を大佐にぶつけます。
それによると、

反乱の後基地を求めて逃走していた伊403はムウ帝国潜水艦に攻撃を受けた
神宮寺大佐ら乗員は伊号を囮にして脱出した
ムウ帝国潜水艦は誰も乗っていない伊号を拿捕したが、艦内に残された
海底軍艦の設計図を見て、その性能に驚きマークするようになった

つまり、伊号乗員は着の身着のままでジャングルに逃げ込み、そこで
海底軍艦のドックやら海底軍艦やらを裸一貫から造り上げたわけですか。
それはすごい。

しかし、自分たちを襲ってきた新型潜水艦がムウ帝国軍のものだと

神宮寺大佐はいつ、どうやって知ったのだろうか。

ここでまたもや二人の間に海底軍艦を使わせる使わせないの争いが起きます。 



「神宮寺は悠久の大義に生きる信念です!」
「馬鹿っ!」



ここに来てやっと娘と話し合う気になった大佐。
しかし真琴は

「夢で見ていた時の方が幸せでした。お会いしないほうがよかったわ」

と父を責めるのでした。

「この20年お前を人に預けてまで日本再興を考え続けた、その気持ちがわからんか」

「じゃお父様は私の気持ちがおわかりですか?
親に捨てられた子供の気持ちがわかっていれば世界のために働いてくれるはずです!」

ん?なんでそうなるの?
日本のために子供を捨てるのは許さないけど、世界のために働くなら許すってか?
とにかく真琴は

「お父様のお考えはムウ人と同じです。嫌いです、嫌い嫌い、大っ嫌いです!」

と叫んで行ってしまいました。
ムウ人と同じ考え、とは自分たち(日本)だけがよければいいという考えかな?


そこで集団的自衛権の行使ですよ。(以下略)



そこに真琴をつけてきて二人の話を立ち聞きしていたお節介正義面ストーカー男登場。

「海底軍艦は気違いに刃物です!
あなたは愛国心という錆び付いた鎧をつけている亡霊です」

この映画は全体的に戦後左翼や特に日教組のような戦後史観に貫かれており、

「国を守るために戦うという考えは間違いであり、愛国心というものは唾棄すべきである」

という意見を刷り込むため盛んに「愛国心」を俳優に連発させていますが、
その反面、武力が「日本」という国単位ではなく「地球」と「地球人」を守るためなら行使されるべき、
とどうも言いたいようなのです。


これってなんか変じゃないですか?
なぜ日本を守るとか日本を愛するはダメで、地球を守るとか地球を愛するならいいのか。
地球を侵略されるから戦うのはよくて、国を侵略される(つまり国益を侵される)はダメ?
襲ってくるのが地球外(地球内か)生物であるムウ人だからやっつけてもいい?




なんだか、牛や馬は食べてもいいけど鯨はダメとかいっている人たちの考えみたいです。



基地外と言われても神宮寺大佐はなぜか怒ろうともせず、
いきなり20年間肌身離さず持っていた娘の写真を、この何処の馬の骨ともわからぬ男に渡し、

「真琴をよろしく頼む」

と結婚を認めるかのような発言までするのでした。
うーん、神宮寺大佐、人を見る目なさすぎ。


続く。








 

 


映画「海底軍艦」~帝国海軍認識番号八五六一番

2015-06-06 | 映画

どんなネタ映画でも1日で終われないというのは考えものですが、
いちいち細かいことにこだわっているとツッコミも含めてやることが多すぎ、
相変わらずこの「海底軍艦」も二日目だというのにまだ4分の1くらいしか進んでません。

ここまでのあらすじを三行で書くと、

海に沈んだムウ大陸にはムウ帝国人が高度な文明を持つ海中都市を作り上げていた
ムウ帝国はこのたび地上の世界を征服し、すべての国を植民地にすることにしたが、
なぜか戦後帝国海軍の残党が作り上げた潜水艦「轟天号」を廃棄させることと、
無条件でムウ帝国の支配下に下ることを地球人に要求してきた

4行になってしまいましたが細かいことはよろしい。
まず海に沈んだ大陸の人間がいつどうやって海中で生き延びることができたのか、
という根源的な大疑問を無視しないと話が進まないということなのですが、
それをスルーしたとしても、なぜその人間が体を発熱させたりできるのかとか、
普通に日本語を喋っているのかとか、何万年もそうやって暮らしていたのに
今になってどうして地上に出てきたがっているのかとか、せめてもう少し
言い訳というか説明が欲しかった気がしますが、まあそれはともかく。



見えにくくてすみませんが、これがムウ帝国所属の潜水艦。



ムウ帝国は世界侵略の手始めに、日本の商船を攻撃することにしました。
同時に世界では各名所旧跡がわかりやすく壊滅させられていきます。
パナマ運河爆破、ベニス海底に歿す、香港廃墟となる・・・・。

国連は統合防衛司令部を組織しました。
(が予算の関係で国際会議をするシーンは割愛)

 

空自基地から次々と飛び立つ・・・これはF-4?
いやまてよ、映画公開の昭和38年当時日本にファントムはまだ配備されていなかったはず。
しかし基地がどう見ても百里みたいなんだけど・・・。



この人工衛星は「地球防衛軍」「宇宙大戦争」の宇宙基地の映像を流用しています。
イラストっぽいですが、ぐるぐる回っています。



そして無謀にもムウ帝国潜水艦に戦いを挑む勇者が・・。

アメリカ海軍の世界最新鋭原子力潜水艦、「レッドサターン号」に
不審なものが発見された海域での索敵命令が下されました。



敵潜水艦を発見したレッドサターン号、攻撃をせず後をつけて基地をつきとめることに。



急速潜行~。
ムウ帝国の潜水艦はどんどん深度をとって潜行していきます。
レッドサターンはそれに追随するのですが、深度の限界に。

限界やと部下が言うておるのに艦長が浮上を命じるのが遅いせいで
運悪く最新鋭潜水艦の浮上弁が故障。



ついには水圧で最新鋭原子力潜水艦はぺちゃんこになってしまい、
いとも簡単に海洋ゴミになってしまいました。 

おいおいおいおい。

これ、ムウ帝国の人全く悪くないし。

ところで北極海にはソ連時代から原潜が投棄されているって話がありましたが、
あれって地球に何か影響を及ぼさないんでしょうか。



防衛庁幹部(高田稔)という役名ですが、これは空幕長ですね。
一番偉そうにしてるから統合幕僚長かな。

「レッドサターン号でダメなら手の打ちようがない」

って、あなた、そりゃどんな潜水艦も深度が深過ぎれば持ちませんて。
それにしてもムウ帝国の人たちはもともと地球人のはずなのに、どうしてそんな
深海に住むことができて、地表に上がってきてもアンコウみたいにならないんだろう。

「水爆を辺り構わず打ち込むわけにもいかないし、
・・・・・・そこで頭に浮かぶのは海底軍艦だ」

いやちょっとお待ちください統幕長。
海底軍艦って、ムウ帝国人がビデオで壊せと言っていたあれですか?
海底軍艦を作っていると言われる神宮寺大佐の生死すら定かではないのに、
今のところ噂にすぎない怪しげな潜水艦の話がなぜ唐突に出てくるんです?

「ムウは海底軍艦をマークしている。恐れるだけの何かを持っているはずだ」

なるほど。それならわかります。
オスプレイに反対派が特に執着するということは、相手はオスプレイに
恐れるだけの何かを認めているっていうのと同じですよね。



「少将、神宮寺大佐に急遽連絡をお願いします。
海底軍艦出撃は国連の要望なんです」


何を言っておるのかね海幕長まで。
そもそも自衛官がナチュラルに「少将」「大佐」とか使ってんじゃねー。

だいたい「そこで頭に浮かぶのは」って空幕長が今言ったばかりなのに
いつの間に国連に要望されたことになっているのか。

それに、ここにいる全員、戦後20年にもなって、海軍がまだ存在し、
旧海軍軍人がどこかで旧軍の階級のまま潜水艦を作っているということに

何の疑問も持っておりません。

ちなみに小野田さんが南方のジャングルから帰還したのは1974年、
この10年もあとですから、「終戦を知らなかった」という設定ではないはずですが。

とにかく、ここで皆に詰め寄られ、意を決して話し出す楠見少将。

「よろしい。大佐の名誉のために、わしが今まで胸に秘めていたことを話そう。
大佐は反乱を起こしたんだ」

「反乱!」

息を飲む統幕長と海幕長。
ちなみにここには陸幕長もおりますが、影が薄いのでアップにしてもらえません。
楠見少将、それに続けて、

「この話はこれまでです」(きっぱり)

・・・それだけかい。


しかもどこで誰に対してなんの反乱を起こしたのか一切説明なし。
一同、黙って納得しています。いや納得するなよそこは。



さて、そこにムウ帝国人を捕まえたという警察からのお知らせが。
行ってみると小太りのおじさんが。
神宮寺大佐の娘の真琴の近辺をうろうろしていた人物でした。

「我々を襲った工作員23号はもう少し痩せていたな」

痩せてるとか太ってるとかじゃなくて全く別人なんですけど。

「それで、証拠は?」

「何を聞いても番号しか言わんのです。8561ってね」

工作員8561番だと思われたんですね。
皆が逮捕拘留された人間の黙秘権を行使する権利を全く無視して、
檻越しにいろいろと尋問するのを尻目に、楠見少将、


「待て!8561というのは日本海軍の認識番号だろう」

ハッと驚く8561号。
というか、なぜこの男はこの番号を警察で口にしていたのか。
そしてこの番号だけでどうして楠見は認識番号だと思ったのか。

「靖国神社の予約番号、兵隊達はそう言っとったな・・・。
わしは元海軍少将、楠見だ」

緊張してさっと気をつけする8561号。
真琴をつけ回していたからには当然楠見少将の顔も知っていたはずなんだが。

「よし。官姓名!」

「ハイ!海軍一等兵曹、天野三郎であります!」

嗚呼軍人の悲しい性、上官に軍隊口調で声をかけられると、つい反応してしまうのね。

「うん、わしを知っとるか」

「ハイ、神宮寺大佐からいつもお聞きしておりました!・・ハッ!」

上官からの質問なので反射的に神宮寺の名を口に載せてしまううっかり者の天野兵曹。
しばらく頑張って否定するのですが、ついには

「場所は申し上げられません。私がご案内します」

ぜ場所が言えないのに連れていくことができるのかそれが知りたい。



提供はパンアメリカン航空でお送りしております。



飛行機に乗って現地に向かう一同。
これはニューギニアあたりですかね。
8561号、じゃなくて天野兵曹はスーツを着せてもらっています。
そしてどういうわけか一介の警視庁刑事と、一介のカメラマンと、一介のカメラマン助手、
そして神宮寺大佐のことを嗅ぎ回っていたムウ帝国人っぽい名前の週刊誌記者、
海野魚人の分まで国庫から高い飛行機代が出されることになったようです。

記者を連れてきた理由というのがまたすごくて


「連れてこなかったらじゃんじゃん書き立てられて秘密が漏れるから」

そんなことのために・・・?
このころ、1ドルは360円で海外旅行なんて高嶺の花だったんじゃなかったっけ。

ところでこのカメラマン旗中という男、何をするでもなくいつも真琴のそばにくっついて、
抱き寄せたり抱きしめたり支えたりばっかりなのよ。
で、ニヤニヤしながら天野兵曹にこんなことを聞くわけ。

「海底軍艦の根拠地がどこの島にあるのか、教えてくれたっていいじゃないですか」

いや、今からあんたがたは神宮寺大佐に会いに行く、つまりそこは根拠地なのでは?
しかし、天野兵曹もなぜか

「軍の機密だ」

いや、天野兵曹が今から皆を連れて行くのはその根拠地なのでは?
ところが旗中のツッコミどころはそこではなかった。

「軍の機密?日本は戦争を放棄したんですよ?憲法でね!」(得意げ)

なぜその話になる(笑)

戦争を放棄したということより、まず終戦を受け入れていないらしい海軍軍人たちが
どこかに存在しているらしいということをどうして誰も驚いたり疑問に思ったりしないのか。

映画を見ていて一番モヤっとするのがこれなのですが、製作者はそんなことは

わりとどうでもいいらしく、この旧海軍の残党の話が出ても、なぜか

「日本は戦争を放棄したのに」

ということを登場人物に言わせるにとどまります。
なんか全く話が噛み合っていない人と会話しているような気持ちにさせられます。

ところでこのころの映画を見ると、特に戦争ものでは軒並みこのような新憲法ヨイショを
なり露骨に行っているものが多く、こういうところもまた戦後映画人たちが
戦中とは180度思想信条を転換させた変わり身の早さをうかがわせますが、のみならず、
「戦争を放棄した国」という日本の新しいタイトルは、映画人のみならず戦後日本人に、
当時かなりの期待を持って受け入れられていたのかもしれない、と思わされます。



このころは確かにそうだったんでしょう。このころはね。


そして不思議な御一行様はパンナムに乗って、”どこか軍機で言えない島”に到着したのでした。


続く。(あー疲れてきた)


 


映画「海底軍艦」~帝国海軍vs.ムウ帝国

2015-06-05 | 映画

本日挿絵を見るなり「何じゃあこりゃあ」と思われた方、
おそらくあなたの嫌な予感は当たっています。
戦争映画をウォッチングしてきて幾星霜、エリス中尉とんでもない映画を見つけてしまいました。
おそらくここでネタにするという下心がなければ購入はもちろん、レンタルすら
もったいなくて躊躇われるレベルの映画であることは、

「戦後20年、未だ存在していた帝国海軍部隊が、ムウ帝国に立ち向かう」

という内容を見ただけで察しがついてしまったのですが、ポイントは「帝国海軍」。
「太平洋の嵐」など海軍ものを手がけた本多猪四郎(変換してみて”いしろう”と読むことを知りました。
今の今まで”ちょしろう”だと思っていて本田監督ごめんなさい)の作品で、
しかも藤田進、平田昭彦、そして主役に田崎潤が出る?それなら観るしかない!と
ほとんど怖いもの見たさでDVDをしかも購入してしまいましたorz

原作は1900年に発表された押川春浪の「海底軍艦」なのですが、

「孤島で海底軍艦を作る」

という発想以外はまったくつながりはなく、オリジナルのストーリーだそうです。
で、観ました。

途中で何度「なんでそうなるかな」「いやいやいやいや」を思わず口にし、
何度モニターにお茶を噴きそうになるのをすんでのところで堪えたことか。

というわけで、ここでツッコむ以外にこの映画の存在価値は全くない、

くらいの勢いでエントリ登場となったわけです。本田監督ごめんなさい。


さて、押川春浪の原作では、海底軍艦「轟天号」はロシアと戦うことになっているそうです。


ロシア・・・・・だと・・・?


1900年といえば、あの栄光の日本海海戦の4年前、つまりこのころは

仮想敵国としてロシアがすでに認識されていたということもあったんでしょうね。
「少年小説の先駆け」とされるこの小説で、当時早稲田大学(の前身の東京専門学校)
学生だった
押川春浪は、はたして「国威発揚」を意図していたのか・・・・?

その後帝国海軍は、ちうか日本はロシアに勝ち、アメリカに負けて終戦となったわけですが、
それから戦後さらに20年を経て、このころは再びロシアが「仮想敵国」になっていました。
なんたる偶然。

なら原作のままロシアと戦うことにしても良さそうな気もしますが、
撮影のために必要な大量のロシア人だとか、当時の世界情勢とかがネックになり、
(たぶん)映画スタッフは、ここで思い切って敵を「ムー帝国」にしてしまったというわけです。

もうこの時点でキワモノ決定となったことは否めないのですが、
かてて加えて、帝国海軍の軍人が総出演するというトンデモ設定にしてしまいました。

ちなみに当時はまだまだ社会の構成員のほとんどが戦争を知っている世代で、

実際に脚本を手がけた関沢新一は海軍軍人として南方に出征しています。

ムー帝国と海軍軍人と海底軍艦。

この三題噺のテーマのような要素を組み合わせていったいどのように辻褄を合わせるのだろう、
とわたしは見る前から不安でたまらなかったのですが(嘘)、ご安心ください。
本映画は、つじつま合わせなし、伏線回収なし、オチなし含みなしついでに意味もなし、
すべてのそんな瑣末なことは、ムー帝国の皇帝の化粧の濃さを始めあまりのインパクトに

消し飛んでしまったという意味で、大変大胆かつダイナミックな作品となっています。



それでは登場人物を紹介していきましょうかね。
こ、このお方は・・・っ!
わたしが軍人役の時のみファンの、平田昭彦様!

ん~?
なんだってグラサンして運転なんぞしているんだ?
しかも後ろの人は苦しんでる様子。
拉致か?ラチズムか?



あ~びっくりした(笑)

皆さん、北あけみという女優さんご存知でした?
フランスの女優パスカル・プティに似ているということで、モデルから
女優になった当時の「お色気担当女優」的な存在だった模様。
で、本編では夜中の埠頭でヒョウ柄のビキニを着て写真撮影をするモデルの役。

一瞬出てきて服を脱ぎ、海の中から不意に現れるムウ帝国人にキャーと驚く、
というだけのチョイ役ですが、これが見たくて映画を見たという人もいたようです(笑)



北あけみ扮するモデルのリマコ(なんちゅう名前だ)を撮影していたのは
本編の主人公、というかなんでいるのか最後までわからないカメラマン、旗中(高島忠夫)



助手の西部(藤木悠)。お調子者担当。



旗中が偶然見かけてモデルにするために追いかけ回す美女、神宮寺真琴(藤山陽子)
彼女が秘書として仕えているのは・・・・、



そう、上原謙演じる、楠見元海軍技術少将。
今は海軍ととりあえずちょっと関係ある海運会社の専務。
海軍会社の名前は「光国海運」といいます。「こうこくかいうん」ですね。

帝国海軍では艦政本部特別設計班班長をやっていたという設定。



そのことは楠見元中将を訪ねてくる週刊誌記者海野魚人(佐原健)によって明らかにされます。
もうこの名前で怪しい人決定なのですが、それはともかく、楠見は

「戦記物ブームのネタになるようなものは何もないね」

とつれなく追い返そうとします。
戦記物ブームは、1952年に「大空のサムライ」の元になった「坂井三郎空戦記録」が
出版されて以降の現象ですから、このころ(1962年)はブームが一般に膾炙し終わったくらい?



海野が出したのは伊号四〇〇型潜水艦の写真でした。
・・・じゃなくて、四〇〇、四〇一、四〇二に続いて建造されるはずだった
幻の潜水艦、伊号四〇三潜が存在するはずだというネタを持ってきたのです。

「伊403の艦長だった神宮寺八郎大佐の行方はどこなんでしょうね」

神宮寺大佐ならサイパン沖で終戦前に戦死した、と記者に言い放つ楠見。
秘書の神宮寺真琴は大佐の娘で、楠見が面倒を見ていますが、真琴に対しても
神宮寺は死んだということで押しとおしています。



20年前の出撃前夜、神宮寺が娘を頼むといって楠見に託した写真。
妻がいないという設定のようです。
戦争ゆえ娘を一人置いて出撃しなければならなかった父。
しかし真琴はそんな父の軍人としての行動が全く理解できません。
それもこれも大佐の愛国心のなせることだという楠見の説明に、

「愛国心?」

まるで外国語を聞くように、問い返す真琴。



その後二人で会社の車に乗って何処かへ出かけていくのですが、
運転手はどんどんと違う方向へ車を走らせます。



ありがちな話ですが、運転手はムウ帝国人でした。
二人をムウ帝国に連れて行って皇帝に忠誠を誓わせるそうです。
どうしてこの二人を連れて行くかというと、それは・・・・

・・・・・・う~~ん・・・・。

なんでだろう?
最初に拉致られた人も技術者だったというし、楠見が技術少将だったから?



この二人がどうしてここにいるかというと、それは旗中が
真琴をモデルにしようとしてしつこく後を追ってきたからでした。
通りがかりの女性の車のナンバーを割り出して相手を特定し、
追いかけてくるというのはかなり問題のある行動で、今なら
ストーカー防止法かなんかに引っかかりそうです。

というか、最初から最後までこの旗中という男にわたしは好意が持てないんだが。
二人が楠見と真琴を奪い返すために男に飛びかかると、男は



持った金属を真っ赤に熱してしまいました。
革の手袋はどうして燃えないのだろう。
しかし、案外弱っちくて、すぐに旗中に銃を奪われてしまい、



スーツのまま海に飛び込んで逃げてしまいます。
鉄を熱したり水に飛び込んだり忙しい奴だな。
体が火傷するほど熱いというのが目撃者の証言なのに、どうして
彼らは水に飛び込んでも湯気一つ出さないのか。
そしてムウ帝国人というのはかつて人間だったはずだが、いまはなぜ半魚人なのか。

それにしても寒そうな海にサングラスをしたまま飛び込む平田昭彦。
役者も大変です。

そして、半魚人、じゃなくて諜報員23号から取り上げた銃を

楠見は何のためらいもなく23号に向かって何発もぶっ放します。



ところでこの写真、当時の桜田門の警視庁ですね。びっくりしますね。
当時はこんなに周りがスカスカだったんですね。
周りに何もないのはピンポイントで米軍が建物を残したからなんですね。



ムウ帝国人に襲われたメンバーで警察に被害届を出しにきたのです。
刑事の伊藤(小泉博)は、銃を点検しながら

「発砲したのは楠見さんですね」

正当防衛でもないのに発砲したらこういうときには銃刀法違反?
でも映画だから普通にいいことになっています。

「しかも問題はこの物騒な人間が世界中に派遣されているってことですよ」

なんでそんなことを知っているのか旗中。



そこに送られてきた小さな包み。
宛先は楠見閣下で、送り人はムウ帝国工作員23号。
中から出てきたのは、おしゃれなプラスチックリールの8ミリフィルムでした。



早速関係者一同で鑑賞会。
前の方には防衛庁長官はじめ自衛隊の幕僚長、後ろの段には
陸上自衛隊の戦闘服を着た一団がいます。

で、真ん中に一介の警視庁刑事である伊藤がいるのも不思議ですが、
もっとわからないのは一介のカメラマンにすぎない高島がでしゃばって、
しかもいつの間にか彼氏づらして神宮寺真琴の横に席を占めていることです。
あんたなんでここにいるの?



始まり始まり。
ムー大陸は昔ここにありました。ってか?

 

でも今は地下に沈んだので、そこで文明を発展させてきたのです。
というわけで、東京ビックサイトで見たホビーショーのジオラマよりもチャチな、
ムウ帝国の高度な発展を遂げた文明が、これでもかと映し出されます。




ちょっとわかりにくいですが、カプセルのようなものは彼らの乗り物で、
空中だか海中だか知りませんが、ふわふわと移動しております。すげー!



「楠見さん見てください!」

と叫ぶ藤田進海上幕僚長・・・・じゃなくて役名は「防衛庁長官」、つまり今でいう
防衛大臣のはずなんですが、これどう見ても「制服組」だろっていう。
防衛庁長官は制服は着ませんのよ。

おそらく藤田幕僚長も海軍出身の海上幕僚長に違いありません。
なぜ彼が激しく反応したかというと、画面には、



これが写っていたからです。
伊号403潜水艦。
伊号400型というのは、小型の航空機「晴嵐」を搭載し、洋上で組み立てて
カタパルトで飛ばすことができたというくらい大きくて、カテゴリとしては
『潜水空母』というべきものでした。

大きさは全長122m、幅12m。
アメリカのガトー級の大きさを27m上回るもので、世界最高の航続距離を誇り、
理論的には、地球を一周半航行可能で、日本の内地から地球上のどこへでも
任意に攻撃を行い、そのまま日本へ帰投可能であったというものです。

いずれも十分な戦果を上げる前に終戦を迎えたため、連合軍は敗戦まで

その存在すら全く察知していなかったということです。

戦後になってこの艦体を見たアメリカ軍人は一様にその大きさに驚き、

Wonderful! Bigone!」

と喜んじゃったりしたそうです。
さすがアメリカ人、大きいことはいいことだったのね。 

さて、なんでムウ帝国に伊号403が飾ってあるのでしょうか。
それは、ムウ帝国人が放置してある伊号403を見つけて取得したのです。

ちなみに(ちなみにじゃねーw)伊号400は2003年8月、伊402は2005年に
投棄された海底が特定されているそうです。

神宮寺大佐が伊403を乗り捨てたのは、ムウ帝国の調べによると、
伊403に代わる強力な潜水艦、いや、海底戦艦を作っているからであり、
ムウ帝国としてはそれを


「中止させろ」

と言いたいわけです。
しかし、神宮寺大佐が海底戦艦を作ったって、ムウ帝国を侵略するどころか、
多分その存在も知らないんだし、なぜ海底戦艦を危険視するのか?

ふむ、これはつまり「いずも」が空母じゃないか!日本は軍拡している!
といって日本の防衛力増加を嫌がるどこぞの国とおなじような理由?

この国もそうですが、別に侵略したりどこかの島を盗ろうとか思っていないのなら、
日本がどんな武器を持っても何も心配することはないと思うんですよね。

はっ!

ということは、ムウ帝国も何か、地球に強力な防衛力を備えられては
都合の悪いことを計画しているっていうわけかな?

「ムウ帝国の地上復活のため、全世界をムウ帝国皇帝陛下に献上するのだ」

やっぱり・・。
つまり地下生活が窮屈になったので、地上で暮らしたいから場所を提供しろと。

んーと、まずね、高度な文明を持っていると自称するのならば、
伊403をただ飾っておかないで、自分たちでリフォームして強力な対抗武器を
作ってしまえばいいと思うの。提案だけど。

何人かの日本人技師を襲ったのは、多分拉致してそれをさせるつもりだと思うけど、
一人二人の技術者をさらってなんとかなることなら、おそらくムー帝国にも
頑張ればきっとできないことではないと思うのよ。



「みよ。我が民族の喜びの声だ」

人の話聞いとらんなこの23号は。
しかしこの、古代ローマとかアステカとか、そういう雰囲気の帝国、
やっぱり文明が高度だというのはハッタリかしら。

さて、この脅迫フィルムは世界中に出回っていて、ムウ帝国が
脅かしていたのは日本だけではなかったことがわかりました。

どうなる世界!

続く。




 


女流パイロット列伝~セシリア・アラゴン「空飛ぶサイエンティスト」

2015-06-04 | 飛行家列伝

今まで何人かの女流パイロットについてお話してきました。

その中には、ヴァレリー・アンドレのように、軍医としての活動のために
ヘリコプターの操縦をしていたようなインテリ女性や、
自らが自社化粧品の「イメージガール」として飛んだジャッキー・コクランのような
「商売上手」な女性、あるいは、映画界に誘われて女優をしていたルース・エルダー
このような、飛ぶだけが目的でないパイロットが何人もいたわけですが、
それらの人々と、今日お話しするセシリア・アラゴンが一線を画しているのは、
彼女が航空ショーを単独で開けるくらいの実力を持ったパイロットでありながら、
それとは全く別に、科学者であり大学教授の顔を持っている、

「正しい意味での二足のわらじ」

を履いた女性であることでしょう。


まずは、このyoutubeを見てください」。

 
Cecilia Aragon, aerobatic pilot

改めて見ると、アクロバット・パイロットというのはなにより、
三半規管の出来が違うんではないか、とまずそこに感心してしまいますね。


彼女の肩書は

コンピュータサイエンティスト

大学教授

曲芸飛行パイロットでチャンピオン

どれもそう簡単にはなれない「選ばれた人」の職業でしょう。
(真中は、まあ、大学のレベルに応じていろいろですが)


ちなみに彼女が行うアクロバティックエアショーのパンフレットによると、

セシリア・アラゴンは、今日最も熟練の曲芸飛行パイロットの一人である。
全米アクロバットチームのメンバーに二回なっており、1993年には全米選手権のチャンピオン、
(女性だけの大会ではない)1994年にもカリフォルニアのチャンピオンになっている。
1990年以来プロの曲芸パイロットとして活動しているが、全米、そしてヨーロッパで、
今まで週百万人の観客の前で彼女はスタント飛行を行ってきた。
そして、その飛行時間5000時間に、一度も事故を起こしたことがない。

ちなみに、アクロバティック競技について説明している
ウィキペディアの英語ページを見つけました。よろしければ・・・・。


航空の黎明期には、何度も説明したように「初の女性」というタイトルで
有名になる女流飛行家がほとんどでした。
「男性パイロットの操縦する飛行機に乗っていた」というだけで、
「初の大西洋横断に成功!」などt華々しく持ち上げてもらえた時代には、
ほとんどが「女性では」とそのタイトルにつけられていたのです。
アメリア・イアハートですら男女関係なく「初めて」のタイトルはごくわずか、
というのが女流飛行家の限界を物語っていました。

しかし、彼女は、女性であることが全く考慮されない選手権で
並み居る男性パイロットを抑えてチャンピオンになり、その後も
曲芸飛行の一人者として、今日もショウを行っているのです。

続いてショウのパンフレットから。


セシリアの駆る特別仕様のセイバーが滑走路に向かって急降下するときに
たてる轟音は、ショウの最初からあなたの心をわしづかみにするでしょう。
垂直S字に離陸し信じられないパワーを発揮するセイバーの駆動も必見です!


この「垂直S字離陸」というのは原文では「vertical S right on takeoff」
となっていて、VTOL機でもないセイバーが垂直離陸するというのが全くイメージできませんでした。

たぶん、離陸するなりらせんを描くように上昇していくという意味ではないかと思うのですが。

セシリアはまったく息つく間もなく、極限のテクニックを駆使し、セイバーを操ります。
まさに目もくらむ速さで行う急降下と急上昇の繰り返しの連続には興奮せずにはいられません。
彼女の行うマニューバ(固定翼機の機動)には、

【テイルスライド】 
垂直上昇姿勢から空中に静止、そのまま元の経路を上向き姿勢のままバックし
後ろ向きにU字を描いた後、垂直降下する。

【ナイフエッジ】
90度バンクした姿勢での水平直進飛行、水平飛行を維持するため機首はやや上に向ける

その他、ローリングサークル、スナップロール、ロンセビアク、ネガティブGなどなど、
このほかにもたくさんが盛り込まれています。


これ、観てみたいですね。

さて、このように曲芸飛行の世界ではトップに君臨しているセシリアですが、
少なくとも1985年まで、コンピューターに張り付いている

高所恐怖症の

恥ずかしがり屋の女性が、こんな道を選ぶとはだれも想像だにしていませんでした。

「大きくなったら、科学者かアーティスト、どちらになろうかと悩んでいたの。
パイロットなるなんて、まったく考えもしていなかったわ

彼女はインディアナ州に生まれ、カリフォルニア工科大学を卒業後、
U.C.バークレーでコンピュータサイエンスを学び、プログラマ―として働くため
サンフランシスコのベイエリアに住んでいるとき、転機が訪れます。

彼女の同僚が、ある日、パイパー・アーチャーに乗ることを誘ってきたのでした。
小さな飛行機は危険だから怖い、とその誘いを断っていたのですが、
ある日ふと考えを変えて、乗ってみることにしたのです。

「わたしはそのとき天国にいたわ」

彼女は回想します。

「そしてこう言ったの。これがわたしの夢だったんだ。これだったんだ、って」

その足で彼女はレッスンを申し込み、多い時で週80~100時間のレッスン代のために 
二つの仕事を掛け持ちしていたこともあったそうです。

ということは休みの週には一日一番多い日で14時間乗っていた?ってことですか。
朝6時から初めても終わったら夜8時・・・。
まあ、ベイエリアは夏は9時まで明るいから可能だとは思いますが。


彼女は現在、アクロバティックも学べる自身の飛行スクールをバークレーに持っています。 

ちなみにそのレッスン代ですが、

ストール/スピン安全コース・・・・・2.5時間講義、1.5時間飛行・・・・・675ドル

乱気流からの回復コース、落下傘降下含む・・・・・飛行3時間・・・・・1395ドル

曲芸飛行コース・・・・17時間講義、10時間飛行・・・・・・・・・・・・4195ドル


ちなみに最後のコースは、インメルマンターンを含む「十種マニューバーセット」で、
パラシュートのお手入れも教えてもらえるお得なコース。
すべてこれ、セシリア・アラゴン先生が直接指導します。

 まあ、これを見ても分かるように、こんな特殊なことを学ぶのですから、当然
レッスン代は非常に高額につくわけですね。

かつて彼女が週100時間のレッスンにいったいいくら払ったのか、知りたいものです。



これだけの飛行家としての活動は、しかし彼女の生活の「一部」でしかありません。

コンピュータサイエンティストとしての実績も錚々たるもので、彼女は
ライムンド・ザイテル教授との共同開発で、ツリープ理論構築
乱択アルゴリズムを使用した平衡2分探索木の1つ)の発表により、
Presidential Early Career Award for Scientists and Engineers (PECASE)
という科学者が非常に早いキャリアのうちに出した業績に対して与えられる
最高の殊勲賞を授与されています。

そして、現在はシアトルのワシントン大学で教授として、
ユーザー中心設計(Human Centered Design)と、エンジニアリングの講座を担当。


しかし、こんな超激務&危険な仕事を兼務して、なおかつ事故一つ起こさず今までやってきた、
ということそのものが、彼女を評価するにもっとも賞賛すべき点ではないでしょうか。

とはいえ、これだけ多忙に自分の「夢」を追いかけているのだから、
きっと家庭生活などは
崩壊していたりして・・・、と世間は意地悪なことを考えるものです。
恥ずかしながらわたくしも、冒頭youtubeでは女の子しか出てこなかったので、
「うーん、やっぱり離婚しているのか」と思っていたら、HPによると、
彼女にはデイブという夫がいて、ダイアナという娘、ケニスという息子までいることが判明。


何もかも手に入れることのできる女性って、いるものなんですね。



 


海軍兵学校同期会ふたたび~「長門」が運んだスタインウェイ

2015-06-03 | 海軍

水交会で行われた海軍兵学校クラス会に出席した時の話をしています。

冒頭画像は水交会の廊下に飾られていた写真なんですが、わたしがこの写真を撮っていると、
付き添いできたらしい女性が、

「これ、なんなんですか」

と話しかけてきました。
航行中の潜水艦の前に見えるのは・・・・これ、イルカの群れですよね!

皆さんは海面を縦横無尽にイルカが飛翔しているのをご覧になったことがありますか。
わたしはモルジブでクルーズをしたとき、見渡す限り海面を埋め尽くしたイルカが
トビウオのように跳ねながら泳ぎ回っているのを見たことがあり、おそらくこのとき見たイルカの数は
人生でそれまで見たイルカの頭数を上回っていたというくらいなのですが、
彼らが跳ねながら移動する速さは大変なもので、それこそ潜水艦の航行する速さであれば
一緒に泳ぐのにちょうどだったのではないかと思われます。

そしてイルカが遊び好きで、人がいると近寄ってくるというのはよく知られた話です。


ラナイ島のフォーシーズンズホテルは海岸線に建っているのですが、
前面の海はイルカの遊びに来るスポットで、彼らが
群れでやってくるとホテルに館内放送がかかり、
海にいる人たちは
わざわざボディボードなどでイルカたちに近づいていくのでした。

わたしは部屋から眺めていたのですが、イルカたちは人間が近くにやってくると、
明らかに彼らに見せるために、盛んにジャンプしたりしてくれるのです。

おかしかったのは、遠目で見ていても明らかにあまりお上手でないジャンパーがいることで、

たいてい体が一回り小さかったりするのですが、そういう「ジャク」が飛ぶと、必ず次には大人の、
熟練ジャンパーが見事なジャンプ(回転あり)を見せ、
指導しているように見えたことです。

ハウスキーパーがそのときちょうど掃除に来ていたので彼女に聞いたのですが、
ホテルは彼らを呼び寄せるための餌撒きなどは一切していないとのこと。
ただ、イルカたちは「人間と楽しむためだけにここに来ている」ということでした。
つい、

「遊び」をせむとや生まれけむ、戯れせんとや生まれけん、
遊ぶイルカの声聞けば、我が身さえこそ動がるれ

などと心に吟じてしまったものです。

で、この写真ですが、おそらく潜水艦の前を航行している船の後甲板から撮られたのでしょう。

イルカは賢いので、これがクジラだと思っていたわけでもないと思いますが、
大きな潜水艦が波を切って進むのを面白がってでもいるのか、潜水艦を先導するようにジャンプをしています。

これを発見した先行の護衛艦は、潜水艦にイルカのことを伝えたでしょうか。
というか、潜水艦からイルカは見えていたのかが気になります。




イルカ、じゃなくて潜水艦の横にあった96式陸攻の写真・・・・・ではなく、
これは写真に見えましたが仔細に見ると線描画のようです。
人間爆弾と呼ばれた「桜花」を牽引して飛ぶ96式陸攻。

贈呈者は江副隆愛(たかよし)、という方ですが、調べてみたところ、江副氏はかつて
第十四期海軍飛行専修予備学生で終戦時少尉であった方とわかりました。
上智大学から学徒士官として艦爆乗りになった江副氏は、特攻にも志願していますが、


「昨日まで馬鹿話していた戦友が次の日いなくなるというような毎日を送るうち」

終戦になり、結局生き残って、戦後は新宿に日本語学校を設立しています。

元特攻隊員だけど何か質問ある?特攻隊員江副隆愛さんの場合




さて、講演会が行われた後パイプ椅子を片付け、中央にビュッフェ台が並べられた
元の会場に皆に続いて入ったわたしは、思わず少し笑ってしまいました。
部屋の三方壁際にずらりと並べられたパイプ椅子には、入っていた順にぎっちりと
元生徒さんたちがお行儀よく?並んで座っており、立食だというのに立っている人は、
後から入ってきて椅子のない人たちばかり。


「Sさん、大丈夫ですか(立ったままで)」

「だから立食、嫌なんだよね・・・」

同行の元生徒Sさんも、やはり座っていたい様子です。
Sさんは、同期のクラスメートの中でもずっと親交のある仲間で定期的に集まっているのですが、
必ずそういうときには席について食事ができるような集まりにしている、と言いました。



しかし、会が始まって乾杯の発声が終わり、食事をすることになると、
立ち上がって食べ物を取らなくてはいけないので普通にこんな感じに。

 
ところでわたしは会食の準備をロビーで待っている間、近くの元生徒同士の

「千葉だか群馬だかの朝市にいった」という会話を聞くともなく聞いていたのですが、
この会食会場でも、そのじいちゃんは別の元生徒にまったく同じ内容の話をしていました。

「朝市に行ったらね、新鮮な伊勢海老!鯛!貝がいっぱいあってね!」

どこの出身なのか、しんしぇんないしぇえび!という言い方と海産物の順番まで一緒で、
微笑ましく聞いていたのですが、宴たけなわになり、マイクの前に立ってスピーチをした人が
その「いしぇえび」のじいちゃんでした。

さすがは海軍兵学校に行っただけのことはあって、戦後は京大に進まれたようです。
スピーチでなぜか京大の先生が死んだということと(´・ω・`)、

「皆さんはこの歳になると、やはり足腰が弱ってくるから是非訓練だと思って歩いてほしい」

みたいなことを言っていたかと思ったら、私事ですが、と断ってから、

「わたしは先日茨城(だか千葉) の朝市に行ってきたんですが!」

と始まったので、あ、さっきから朝市の話をしていたのはこのじいちゃんだったのか、
と思う間もなく、

「しんしぇんないしぇえび!鯛!貝がいっぱいあありましてね!」

と全く同じ話が始まりました。
こんなことをいったらお年を召した方に失礼かもしれませんが、可愛いなあ、と思いました。

すると、よこでSさんが、例の「座って食べる少人数クラス会」の話を始め、

「あいつ(いしぇえびのじいちゃん)うるさいから呼ばなかったら、
『なんでこの間呼ばないんだ』 『今度いつやるんだ』って電話がかかってきて、
(ハブったのが)ばれちゃったから、来月来ることになっちゃった」

などとおっしゃいます。
此の期に及んで仲間外れしないで、元生徒同士仲良くしてください(´・ω・`)



そのとき、窓際に座っていた一人の元生徒さんがわたしを見つけて手招きしました。

「あなた、どこかでおあいしたことありますな」

「去年の江田島です。同じテーブルを囲んでご挨拶させていただいています」

「あああ、そうでしたそうでした。またお会いできて嬉しいですよ」

この方は現役のお医者様で、殿様分隊だった学習院卒の「セレブリティ生徒」です。
戦後も皇室とは縁が深くていらっしゃった模様でした。
わたしの手を両手で握り実に嬉しそうにおっしゃいました。

先生の肩越しに窓ガラスの外を見ると、ここに住み着いているらしいネコが
気持ちよさそうに昼寝をしているので後で一枚。



アップでも一枚。
実に気持ちが良さそうだにゃ。




そして、一通り食べ物をお腹に入れてしまうと、潮がひくように皆、
椅子に座ってしまうのだった(笑)

軍艦旗の隣では元海幕長が、次々と前に来る元生徒の話し相手をつとめています。
司会の生徒が「最初の10分くらいはゆっくり食べさせてあげてください」と言ったのですが、
すぐに誰彼となく話かけてしまい、結局ろくに食べられなかったのではないでしょうか。

わたしも前が空いたらご挨拶しようと思って様子を伺っていたのですが、
一向にお一人にならなかったので、結局この日はご挨拶できずに会が終わってしまいました。



宴たけなわとなったとき、去年の江田島で

「軍歌演習を行う!」

と音頭を取った元生徒さんが前に立ちました。

「どうするんですか」

答えはわかっていましたが、笑いを含んでわたしが尋ねると、

「ロビーでタバコ吸ってきます」

とSさんはそそくさと部屋から出て行くのでした(笑)
そのとき、他の元生徒がSさんに、

「あ、また逃げ出してる」

と声をかけました。
どうもSさんの「軍歌嫌い」はクラスには周知のことのようです。
おかしいのは、これだけ徹底してこういうことから逃げ回っているくせに、
Sさんは海軍兵学校にいたことを、やはり自分の中で大切にしているらしいことです。

自分がかつて海軍に籍を置いたということを片時も忘れたことがないばかりか、
二十歳の時にわずか1年半一緒にいただけの仲間と、90歳を目の前にする今日まで
生涯にわたる厚誼を結び続けるというのは、自身のいうところの

「軍が嫌い」

というのと矛盾するようですが、おそらくSさんの中では折り合いがついているのでしょう。
本当に海軍が嫌いで話をするのも嫌なら、そもそもわたしと会ってなんかくれないでしょうしね。


軍歌で思い出しましたが、Sさんは前にも言ったように音楽通です。
あまりにもピアノが好きすぎて、ピアノを弾く人まで好きになってしまい、
今では有名になってしまったあるピアニスト(クラシック界に詳しければ誰でも知っている人)
の駆け出し時代パトロンをしていたり、二度目の奥さんはピアニストだったりと(; ̄ー ̄)

なぜそこまでピアノが好きになったかというと、S家の応接間には、なんと!
スタインウェイのピアノがあって、姉妹が弾いていたからだということでした。

「スタインウェイが、昭和初期の家庭に?!」

わたしがびっくりして聞き返すと、さらに驚くべき返事が。

「親父がね、上海か青島か、外地で買って軍艦で運ばせたんですよ。
当時はいいかげんだったから、そんなことも艦長ならできたんだろう」

ぐ、軍艦て、もしかして「長門」ですか。

「長門」がスタインウェイのピアノを運んだということなんですか。



自衛隊員が引越し荷物を飛行機に載せて運んだとか運ばなかったで
大騒ぎになった、という話を昔このコメント欄でしてくれた方がいましたが、
確かにそれが本当なら、さすがは海軍、そのころはゆるゆるだったってことなんですね。


Sさんは、応接間の美しいピアノが弾けるようになりたくてたまらず、
こっそり練習していたところ、父上の中将にある日それを見つけられ、

「男がピアノなんぞ弾くもんじゃない」

と言われたため、止めざるを得なかったということです。

「そんなものを弾くのなら大きくなったら尺八を教えてやる、っていってましたが、
教えてもらったことは結局ありませんでしたね」

「ピアノはその後どうなったんですか」

「空襲で焼けてしまいました」

「勿体無い・・・・・」


もったいないといえば、戦後困窮のなかで、S家は勲章を売ってお金に変えたのですが、
金鵄勲章は取っておいたのに、満州皇帝溥儀にもらった勲章(!)は、

「満州なんてもう無くなったから、この勲章にもあまり価値はないだろう」

などという独自の解釈(−_−;)で売ってしまい、今になって

「金鵄勲章なんて世の中にいくらでもあるのに、満州国皇帝からもらった勲章なんて、
歴史的にも価値のあるものを、二束三文で売ってしまってもったいなかったなあ」

とおっしゃっています。
たしかにそれは勿体無いですが、当時は色々としかたないですよね。


S中将の自宅(実に立派な門構えの写真を見せてくれた)は戦災で焼けましたが、
ちょうど隣の一角から向こうにはB-29は全く焼夷弾を撒かず、無事だったそうです。
やはり自宅を焼かれてしまった近所の奥さんに、

「御宅が軍人さんだからこの地域が狙われて焼かれた」

と母親が文句を言われたらしい、とSさんは話してくれました。



軍歌演習はまず、「江田島健児の歌」。
スマホに海軍シールを貼っている元生徒さんは皆の歌っているのを撮影中です。

しかし、去年江田島で、元海軍兵学校生徒と一緒にこの歌を歌うなど
おそらく最初で最後だろうと思い、ここでもそのように書いたのですが、
あまり日を分かたぬうちに、再びその機会が来てしまいました。



江田島健児が出たら、ちゃんと機関学校の校歌もやります。
この白髪を後ろで束ねた陶芸家みたいな生徒さんは機関学校卒である模様。

ちなみに機関学校の校歌は

暁映ゆる青葉山 野は紫に山青く 

綾羅の色に染めなして 天地こむる朝ぼらけ

みよ舞鶴の湾頭に 我らが根城はそそりたつ」

というものなのですが、この冒頭の「青葉山」が、前にもお話しした、

江田島の「古鷹山」→重巡「古鷹」

横須賀の「衣笠山」→重巡「衣笠」

に同じ、命名基準は「海軍軍人に馴染みの深い山シリーズ」の

重巡洋艦の「青葉」に命名された舞鶴の青葉山です。



そして、最後に「同期の桜」が・・。

わたしはちょうどこのとき、こうなることを予想して廊下でイルカの写真を
撮っていたのですが(笑)案の定廊下から部屋を覗くと、みなさんこのように
肩を組みあって「同期の桜」熱唱が始まりました。

Sさんがこういうときにいつも逃げ出してしまうのも、わからないでもありません。
思想以前に、どうにもこういうのが面映いというか、照れくさくもあるのでしょう。
わたしも、Sさんが肩を組んで同期の桜を歌っているのが想像できません。

もしSさんが逃げ出していなければ、わたしもSさんと肩を組んで「同期の桜」を歌うことになるわけで、
なんだかそれもなあ、という構図に思われるので、正直、Sさんがそんな人で助かりました(笑)


 
さて、というわけで終了した海軍兵学校クラス会。

実は今回、わたしはクラス会の世話人会長さんとご挨拶をしたついでに、
兵学校とはなんの関係もないのに、このクラス会の会員にしていただきました。
もちろんわたしが頼んだわけではありませんが、なんとなく話の流れで・・。

これ、名刺に書いてもいいのかな?

「また何かあったら来てください。皆も喜ぶので」

そう言っていただき、恐縮しながら水交会を辞したわたしでした。





 


海軍兵学校同期会ふたたび~「最後の一兵まで」

2015-06-01 | 海軍

元海幕長の講演会が終わり、出席者一同は会食の準備が行われるため
一旦部屋を出て皆ロビーでしばしの間待機となりました。
わたしが前々回ご紹介した山本五十六の書や大和の絵画などは、
全てこのとき時間つぶしに撮ったものです。

このとき、ガラスケースの中に自衛隊編纂による水交社発行の冊子(というより大全?)
があるのに気付きました。



「海上自衛隊 苦心の足跡」というシリーズで、正直このタイトルは
わたし的にはあまりイケていない気がしないでもないのですが、内容は

船務・航海 水雷 回転翼 掃海

とそれぞれに関係者(その任務に携わった自衛官)の証言を網羅した、
興味のあるものにとっては大変貴重な書籍です。

特に掃海についてはこういうちゃんとした記録を是非欲しいと思っていたので、
わたしはこれが購入できるかどうか事務局の方に尋ねてみました。
すると、水交会の会員でないとそれはできないとのこと。
水交会会員とは、海軍軍人か自衛隊員、またはそのOB、遺族に資格があり、
ただ海軍海自に興味があるという程度の部外者は普通なれないものなのですが、
唯一、抜け穴(といったら人聞きが悪いですが)があって、
現役会員の推薦を受ければ会員になることができます。

本を購入するためではありませんが、たまたまその前に、Sさんが

「もし会員になるんだったらわたしが推薦人になりますよ」

と言ってくださっていたので、それではぜひ、という話になったばかり。
これは渡りに船、とばかり、会員手続きと本の購入を同時に申し込みました。

「え、これ全部買うの?」

とSさんは目を丸くして苦笑しておられましたが、確かに全く中身を見ずに
これだけの本をポンと買うなんて(しかも自衛隊員でもないのに)、
水交会にとっても、おそらくまれに見る変わった人だったに違いありません。

すぐには用意できないということだったので会合が終わったら取りに来ることにして、

水交会を辞去するときには事務局の方が車まで段ボール箱に入れて運んでくださいました。

帰って早速目を通してみると、「掃海」は、戦時掃海を海兵46期の田村久三氏
(掃海関係者なら知らない人はいないという名前ですね)がまず回想しているのに始まり、
先日お話しした朝鮮戦争の頃の日本掃海艇の出動にまつわる思い出、
時代は現代になってペルシャ掃海に参加した自衛官たちの随筆、水中処分のあれこれ、
後半には伊勢湾台風にはじまり近年の災害派遣について、と大変濃い内容となっています。

皆様方にとっても大変興味深い内容であると思われるので、またこの中から
自衛隊の「苦心の足跡」をご紹介していくつもりです。



さて、先日この会合で行われた元海幕長の講演会の内容に私の意見を加え
一項を割いてお送りたわけですが、会合の最初からもう一度レビューします。
全員がそろってからまず、開会の辞、そして軍艦旗敬礼(写真)が行なわれました。

水交会なのでそういう音源には事欠かないらしく、ちゃんと敬礼ラッパが鳴り響きました。

ほとんどの元生徒は写真のように軍艦旗に対して敬礼を行っていたわけですが、
わたしやわたしの前にいた豹柄のブラウスの女性はもちろん行いません。
そして案の定(笑)、
わたしの隣のSさんも。


そのあと、解散して同時に結成された「クラス会」について、世話人会長に
押し上げられた(というか押し付けられたという方がいいかも)元生徒が、
要約すると、

「引き受けたは引き受けたが、わたしとしてもこういう歳であることだし、
お引き受けしてもどうなるかわからず、自信がないので、水交会の協力を仰ぎ、
一年ごとに活動内容を修正、継続可否を検討しながら進めることにした」

というようなことを説明したのち会計収支報告を行いました。
まあ、平均年齢が86~7歳とあっては、この腰の引け方慎重さも納得できるというものです。

最後の一兵まで継続を維持したいという気持ちはあるものの~」

というところで、会場から失笑が漏れました。
その後講演会が行われ、元海幕長の講演が終了したというわけです。




講演中元海幕長は自分のPCから写真や資料などを投影していたので、
それらが終わった一瞬、コンピュータの画面がスクリーンに写し出されたわけですが、
・・・・・どこかで、すごくよく見た覚えのある形の護衛艦が・・。

当ブログのアイコンは1.74の「ちびしま」ですが、これは174の「きりしま」と同じ
「こんごう」型の1番艦、「こんごう」です。
元海幕長は操縦出身なのですが、P-3Cでなく護衛艦をスクリーンにしておられると・・。

そういえば、講演会のなかで海幕長は、

「軍艦(護衛艦ではなく、軍艦と言った)一つを動かすための指令系統、
そのために必要な職種は社会の仕組みを反映していて、それは人間社会の縮図ともいえます。
そして軍艦は美しく、機能的で技術の粋が集められた文化の結晶なのです」

みたいなことを力説しておられましたっけ・・。
わたしが「ネイビーブルー愛好家」である理由の一端が言い表されているかもしれませんね。
さらに、海の上独特の「儀礼」「礼式」の美しさに対する憧れというのもまた、
わたしを海軍ファンにしている情熱の大きな原動力でもあります。



ところでこんな話の後に何ですが、わたしはこのとき、
画面に現れた元海幕長のパソコンのスクリーンを見て、ふと、
先日ある大学で教授が、講義のためにスクリーンに自分のパソコンの中の
決して人に見られてはいけない画面を映し出してしまって、
大騒ぎ・・・ではないけど少なくとも大恥をかいたという事件を思い出しました。

産経新聞ニュース

> 教授は画像を消し、そのまま授業を続けた。

(何事もなかったかのように)と付け加えられそうな文章ですね(T_T)
 
 

わたしの斜め前に座っていた方は、熱心にスマホで写真を撮っておられました。
名刺入れ兼用らしいスマホケースには、さりげなく海軍旗と錨のマークのシールが。

もしかしたら戦後自衛隊にいたことのある方かもしれませんが、いずれにせよ、
海軍の「釜の飯」を食ったという経歴は、たとえそれがたった1年半のことでも、
少なくともここにいる90名の人々の人生にとって、大きな意味を持つものなのかもしれません。

敬礼をせず軍歌演習のときには逃げている「軍嫌いの」Sさんにとってもです。
なんだかんだいいながら、戦後の兵学校の集いには必ず出席して来られたのですから。



懇親会の会食はなんと立食でした。

わたしは食事が出ることをまったく聞いておらず講演会だけだと思っていたので、
Sさんに「お昼ご飯出るんですか」ととぼけたことを聞いてしまったのですが、
この日の参加費を、Sさんはいつの間にかわたしの分も払ってくれていたことが判明しました。

Sさんは何人かの顔見知りに顔を合わすたびに、わたしのことを誰とも説明せず、

「僕より海軍のことに詳しい秀才でね」

などと、どんな顔をしていたらいいのかわからない紹介をしてくださったのですが、
横にいていろんな人に引き合わされているうち、だんだん、Sさんでも
ここにいる全員を知っているわけではないらしいとわかってきました。

「ご存じない方もたくさんいるんですね」

「顔だけ知ってるけど名前は知らないとか、話したことないとかそんな感じ」

60年もの間、ずっと顔を合わせていながらまったく話もしない人がいるというのも
なんとも人見知りする日本人の集団らしいと思ってしまったのですが、この日、Sさんは
今まで「顔だけ知っていた」人と、わたしをきっかけに初めて話をすることになりました。




一人でいたとき、元生徒さんが、胸の
名札を見ながら「◯◯のご親族ですか」と聞いてこられました。
どうも、わたしと同名の元生徒がいたようです。

「違うんです。ご縁があって去年の江田島にご一緒させていただきまして」


次に声をかけて来られた方にもそのようにここにいるわけを説明したところ。

「ほう、江田島といえば、ぼく、皆が見学している間ね、一人で抜け出して
古鷹山頂上まで登ってきたんですよ」

と仰ったので、思わず身を乗り出してえっ?!と叫んでしまいました。
この学年ということはどんなに若くとも80代後半、四捨五入で90になろうかという老人が、
おそらく、今のわたしなら息を切らすこと必至のあの峻険な山を登ってきたと。

なんでもこの方は11年前にも同じような機会に「裏の(本当の裏?)門を抜けて」
古鷹登山を敢行しておられるのだそうで、

「あのときは自分の体調が当日に良かったら登ろうと思って、そういう靴で来てました」

この日構内をほとんどバスで移動していながら、いっぱい歩かされて疲れた、
と文句を言っていた()Sさんにこの話を教えて差し上げたところ、

「え?古鷹山に?それはすげえなあw』

といってから会場を見回し、

「それどの人?」

わたしが指した方をご覧になるも、顔は知ってるけど話したことはないとのことです。
会合が終わった時、受付に名札を返す段になって、その方がテーブルの前にいたので
ご挨拶すると、わたしの代わりにSさんとその方が話し始めたというわけです。
わたしは水交会の入会書類を記入しなければいけなかったのでその場を離れましたが、
向こうの方で、その方がSさんに

「娘さんと一緒にこられてるのかと思いましたよ」

と言っておられるのが聞こえました。
Sさんはその人生で二回結婚をされています。
若き日はご本人も仰っていましたが「プレイボーイで」、かなりのMM。
やっかいなことにそれにKのつく「MMK」の方だったようで、60歳を過ぎてから
再婚した二度目の奥方とも結局は
別れた、という波乱バンジョーのジョーです。
(”25歳も違ったらうまくいくわけないですよね”とのこと。いやそれは人による略)

というわけで今はお一人のSさん。
若い時にそれこそもてすぎて困るほどいっぱい恋愛したのだから、
我が人生一点の悔いなし、なのかと思いきや、わたしがTOの話をすると

「(仲が良くて)いいなあ」

と羨ましそうにおっしゃるので、なんだかそういう話は憚られてしまいました。


とりあえず同期会では三番目の奥さんと間違われなくてよかったです(´・ω・`) 



 

続く。