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トロフィーポイント〜アメリカ陸軍士官学校 ウェストポイント見学

2019-06-27 | アメリカ

 

アメリカ陸軍士官学校、ウェストポイントの見学ツァーは、チャペルに始まり、
将来の陸軍指揮官がゴルフやサッカーをしているスクールヤードまできました。

バスを停めたまま、ガイドの男性は皆をハドソン川の見える河岸に案内していきました。

ウェストポイントの象徴ともいえる石碑が見えてきました。
これは「バトルモニュメント」といい、南北戦争のあと、戦死者の顕彰を目的として
生き残った退役軍人などの出資で建立されました。

ハドソン川を臨む峡谷の上一帯を、「トロフィーポイント」と呼びます。
昔のまま残る芝の上、樹齢を重ねた大木が作る爽やかな日陰には、
ご覧のようにアメリカ陸軍が使用した大砲などが展示されているのです。

トロフィーポイントは、

「1812年の戦い」

「独立戦争」

「米西戦争」

などのエリアに分かれていて、各ゾーンには
その戦争で使用された武器などが置かれています。

看板に書かれた説明によると、大砲はほとんどが戦争で鹵獲したもので、
ここにある中で一番古いのは1812年の「サラトガの戦い」のものだそうですが、
残念ながらそれがどれかまではわかりませんでした。

独立戦争へと繋がっていく「アメリカ革命」の頃には、ここウェストポイントには
160もの大砲があり、武器研究に使われた後は候補生部隊が訓練のために使用しました。

ゾーンごとにいつの戦争の武器か決まっているということですが、
個体には何の説明もついていません。

この一帯を「トロフィーポイント」というのは、キューバ、フィリピン、
そして米西戦争で得たトロフィーが置いてあるから、という説明ですが、
ここでいう「トロフィー」というのが具体的にどれかはわかりませんでした。

第一次世界大戦以降のトロフィーは、この後見学したウェストポイント博物館に
全て展示されている、ということでしたが・・・。

アメリカの学校組織は同窓会を「クラスオブ〇〇年」と呼び、例えば
このモニュメントを寄贈した「クラスオブ1934年」はその年に卒業したという意味です。

入学した時からこの名称が付与されるので、今年2019年に入学した学生は
その瞬間「クラスオブ2024」と呼ばれることになります。

1930年に入学したこのクラスは、1984年、全員が70を超えて、
ここトロフィーポイントに記念碑を寄贈しました。

彼らはその後第二次世界大戦で、欧州に、そして太平洋で戦い、
少なくない指揮官が戦死したことでしょう。

この碑文中、「かつて我々が卒業したALMA MATER」
とありますが、このアルマ・マータとは、ギリシャ語由来で、
欧米では「自分を育んだ母校」という時に(主に文章で)使われます。

ここは米西戦争のエリアです。
この隣にあった説明を読んで、初めて「トロフィー」が何かわかりました。

「ここには三つのトロフィーがあるが」

つまり、戦闘で獲得してきた相手の武器をもって「トロフィー」と言っとるのです。

それを念頭に”trophy”をあらためて検索してみると、我々日本人のイメージ、
『コンテストなどでもらえるカップ』というのは一つの派生的な意味に過ぎず、

戦利品; 戦勝[成功]記念物 《敵の連隊旗,シカの角,獣の頭など》

こちらが第一義となる意味だったのです。

なるほどー、戦利品か。
俗に「トロフィー・ワイフ」などというあれは、こちらの意味なのね。

ご存知ない方に説明しておくと、トロフィーワイフとは、男性が社会的に成功してから
その地位なり財産なり名声なりを利用してゲットする若い美人妻のことです。

ちなみに日本ではトロフィーワイフのために糟糠の妻を捨てる男は
女性からはもちろん男の側からもあまり評価されないようですね。

女性に対しても「金と地位目当て」という眼が向けられるのは、これはもう
ご本人たちには気の毒ですが、致し方ないかなという気がします。

ということは、これはスペイン軍の大砲なんですね。

米西戦争は、キューバに侵攻したスペイン軍が現地でやらかしたのをネタに
アメリカがハーストなどのジャーナリズムを使って煽り、国民を焚きつけ、
まず世論を形成しました。

当時キューバとフィリピンに権益のあったアメリカの実業界は開戦を望んでいたのです。
ちょうどその時偶然()ハバナでアメリカの戦艦「メイン」が謎の爆発を起こしたので、
アメリカは、ここぞと、

「リメンバー・メイン!スペインを地獄に!」

を合言葉に戦争に突入しました。
(アメリカ史をご存知の方は、この『リメンバー』が真珠湾だけでないことを

よおおおおっく知っておられると思います)

ここは独立戦争のエリアです。

ここにはハドソン川を閉鎖するために使われた防鎖が展示されていて、
これがウェストポイントにとって独立戦争のシンボルとされています。

「ハドソンリバー・チェイン」とか「グレート・チェイン」と言われるこの鎖は、
イギリス軍のハドソン川帆走を防ぐために河に渡された文字通り「防鎖」です。

ここにチェーンが実際に渡されたわけです。

これが現在のウェストポイントとハドソン川。
ここに残されている以外にも、コネチカットのコーストガードアカデミーに
鎖のごく一部が展示されているのを見たことがありますが、
ほとんどは使用後、溶解されてリサイクル処分になったということです。

全体的に綺麗すぎるので、砲筒以外の部分はレプリカかもしれません。

ハドソン川を臨むポイント付近では業者がメインテナンスを行なっていました。

見学客に「グレートチェーン」の説明をしているツァーガイドは
退役軍人で、かつてここで訓練生活を送っていた人です。

アメリカでは軍人恩給があるのでリタイア後は悠々自適ですが、
ボランティアとしてツァーガイドを引き受ける人は多そうです。

ガイドに案内されて、ハドソン川を臨むビューポイントに近づいていきます。

この一帯は1812年戦争のエリアのはず。

1812戦争とは、アメリカとイギリスの間に起きた戦争のことです。
米英が奪い合った土地がネイティブインディアンの土地でもあったことから、

アメリカ対イギリス・カナダ・インディアン連合軍

の戦いとなりました。
くのインディアン部族は虐殺され、その土地はアメリカの植民地になります。

先ほどフィールドに舞い降りたヘリは、陸軍の偉い人が用事をしている間、
ここでひっそりと帰りを待っている模様。

かつてチェーンが張られたポイントを一望できる高台に展望所があります

「イギリス艦隊は二度とウェストポイントに接近することも
鎖を突破することを試みることもしようとしなかった」

1938年に卒業したクラスの生存者によって建造された岸壁の碑文には

「祖国のために戦い傷つき、あるいは捕虜となって死亡した旧友の魂が
この自然美に囲まれた神聖な我々の魂の故郷にとどまらんことを」

対岸は「コンスティチューション島」。
島というより突き出した半島ですが、根元が水路で絶たれているので一応島です。

ここに見えている家屋は、グーグルマップで確認する限り廃屋のようです。
ついでにグーグルマップには同じポイントのこんな瞬間が捉えられていました。

船着場近くの簡易トイレを待つ候補生たち。

解説を受けている間に近づいてきたのはカリブ海のイギリス連邦、
アンティグア・バーブーダ船籍の貨物船です。

クラスツリーとして、記念植樹をするクラスもあります。
1981年に卒業したクラスが卒業記念に植えました。 

 独立戦争で交戦したイギリス軍が降伏した時に召し上げた戦利品の一部。
1779年7月16日という日付がかろうじて読み取れます。

AMPHITHEATERとはローマの円形劇場のことですが、ここにもそれがあります。
野外コンサートが行われるようです。

バトル・モニュメントを近くで見ました。
南北戦争が終わってから、戦死者を顕彰するため1897年に建てられました。

「長い灰色の線」にも登場します。
「星の降るクラス」の卒業式で証書をもらうアイゼンハワー。

日本と開戦が決定してすぐに士官に任官するクラスの「宣誓式」もここで。

根本にある大砲には、南北戦争での有名な戦いの名前がつけられています。

「長い灰色の線」で、上級生がプリーブ(新入生)にいきなり質問する慣習が
描かれていますが、このバトルモニュメントについての質問も定番で、

"How are they all?"

(彼らは全員どうしている?)

"They are all fickle but one, sir."

(一人を除いていなくなりました)

"Who is the one?"

(その一人とは誰か?)

"She who stands atop Battle Monument,
for she has been on the same shaft since 1897;" 

(バトルモニュメントの上に立っている彼女であります。
彼女は同じ円筒の上に1897年からずっと立っています)

というやりとりがされたものだそうです。
『たった一人ずっと経ち続けている彼女』とはもちろんモニュメントの上の女神のこと。
今はそういう「問答」そのものが行われなくなったらしいですが。

これで構内ツァーは終わり。
出口のウェストポイント博物館までバスで移動です。

車窓からは士官候補生が戦闘服で移動している姿を見ることができました。
今見えている二人は男女ですが、ウェストポイントは学内恋愛は奨励されないがOKだとか。

降りる時にツァーガイドにチップを渡すとたいそう喜んで相好を崩し、

「チップは大歓迎ですよ」

アメリカ人は意外とこういう時お金を出さない傾向にあります。

帽子をかぶらずに私服で歩いているのは一般人だと思われます。

この中世の城のような校舎の佇まいにも見覚えがあります。

マーティ・マーがアイルランドからウェストポイントにウェイターとして就職する最初のシーン。
胸に値札のようなものをつけていますが、これは当時の「入場証」だと思われます。

いろんな事務所が入っているビルです。

「スタッフ・ジャッジ・アドボケートオフィス」

候補生の処罰などを判定する事務所?

「クレームなどの法律センター」

「一般市民のアドバイザリーセンター」

「ソルジャー・フォー・ライフ」

「運送関係オフィス」

などなど。

一棟全部がボウリングセンター。

 

さて、これで見学を終わり、次に連れて行ってもらったのは
ウェストポイント博物館でした。

 

続く。