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ウェストパックの大きなお婆ちゃん〜空母「ミッドウェイ 」アイランド・ツァー

2019-06-12 | 軍艦

 

サンディエゴの記念艦「ミッドウェイ」、念願の艦橋ツァーに参加できることになり、
十人くらいの見学者と一緒に艦橋に入っていったというところまでお話ししました。

乗艦に際してはボランティアの爺さんが各自持っているトランシーバーで

「次のツァー出発OK」「ラジャー」

みたいなかっこいいやり取りを行って(笑)後発が出発するという感じで、
きっかり何時に行われる、という形態ではありません。
おそらく人が多い週末や日中は、長蛇の列ができることになるでしょう。

わたしは最初から艦橋ツァーが目当てだったので、入館すると
脇目も振らずツァー出発地点に向かい、最初のツァーに参加できました。

階段を4つくらい(4段ではありません)上り最初に到達したデッキには、
このようにカメラを操作するシーマンが立っています。

 艦橋からの映像をここで撮影していたのはこの人?

今ではもちろん無人化されているでしょう。

このシーマンがいるところは外から見るとこんな風になります。

航空管制を行うデッキにやってきました。

おじさんの体で隠れている椅子は「エアボス」、隣の「MINI」がミニボスの席。

エアボスは飛行長、ミニボスは副飛行長のことで、エアボスは
艦長と同等の権限を持ち「ミッドウェイ」では同じ大佐職となっています。

ミニボスは中佐、艦によっては少佐のこともあります。


こういう座ってもいい椅子があると必ず座って写真を取りたがるのは、
子供、さもなければほとんどが中国人。

「ランチ・ステイタス」というのは航空機の状態を示すボードです。
どちらから見られ、視界を邪魔しないようにアクリルでできています。

書かれているのは「F-8」「F-4」「A-4」などの当時の艦載機、
パイロットは全員が士官です。

甲板が死角なく見える角度に窓は斜めになっており、エアボスの席は
さらに一段高いところから俯瞰できるように設えてあります。

左の出っ張ったところがエアボスたちの席のあるところです。

外から見るとこんな感じ。

航空管制室を出ると、デッキを通って階段を降りていきます。

そこにあるのはナビゲータールームです。

左の小さなモニターがついているのはナビゲーションシステム。
テンキーがついているのがアナログな感じですね。

昔ながらの航法を行うための用具も。

海上自衛隊でも、体験航海や観艦式で、チャートルームで
コンパスと定規を使ってチャートに向かう乗員(三尉が多い気がする)
の姿を見ることがあります。

どんなに航法システムがデジタル化されても、完全にAIとなっても、
基本その手助けを借りずに船を動かすことができるだけの備えをするのです。

ミッドウェイで使われていた六分儀だろうと思われます。

六分儀、という名前は(この写真では分かりにくいですが)その枠が
円周の6分の1の形をしていることからきています。

簡単にいうと、これで天体と水平線の角度を測ったり、月と天体の間の距離から
現在位置や現在時刻までがわかるという昔ながらのアナログ機器です。

wikiのアニメーションが分かりやすいので貼っておきます。

ナビゲーションルームにある本は、やはりチャートそのものとか、
「太陽の高度による航法」(つまり六分儀の使い方)など。

ソナーのトランスミッター。
横には「ソナーセットの取り扱い方」という説明が貼ってあります。

ナビゲーションルームを出てまた移動です。

この場所はちょうどホークアイの真上なので、お皿の上が観察できます。

最後に見学したのは巨大な空母「ミッドウェイ」の中枢であるブリッジでした。
「CO」と書かれた椅子はほかでもない艦長の席です。

ミッドウェイの艦長は1945年9月10日に就役した時の初代艦長、
J・F・ボルガー大佐から始まって、1992年の退役までの間40名。

40名の艦長がここでこの巨艦の指揮を執ってきました。

この47年間の間、艦長がいなかった時期が二回ありますが、
これはいずれも大改修の時であったと推測されます。

艦長席の横にあるスイッチ各種。
命令伝達をする際のスピーカーの切り替えかなんかでしょうか。

軍艦の艦橋はこのように二重構造になっていることが多いようです。
特に航空攻撃によって艦橋が狙われやすかった時代の戦艦「マサチューセッツ」などは
まるで日銀の金庫並みに分厚い二重構造になっていたのを思い出します。

海戦における航空機の攻撃という形態が変わってきたので
その頃ほどではありませんが、それでもこの中のものを守るために
このような構造を取っているのかと思われます。

その「守るもの」とは・・・・もちろん操舵装置。

ブリッジから見た甲板と海軍基地(とプラウラー)。

中国本土から来たらしい一家。
最近はミッドウェイでも中国人観光客が激増しています。

ブリッジのステイタスですが、略語の意味わからず。

このステイタスボードも二重構造の内側にあります。

艦全体の現在状況を把握するための計器類だと思われます。
下の真ん中に「フロアアングル」とありますが、「ミッドウェイ」は
日本の技術者による「伝説の改装」を受けた後、ただでさえ揺れやすい艦体が
さらに揺れるようになり、ついに揺れ角24という最高記録を打ち立てて、
記念のTシャツが作られたという逸話を持っています。

その時、この計器は華々しく?24ディグリーを指し示し、
周りの乗員たちの注目を集めたはずです。

ちなみに、日本人技術者は、2年かかるはずの改修を半年で済ませましたが、
その設計がミスで、「ミッドウェイ」の揺れが酷くなると気づいていたそうです。

「ミッドウェイ」の方位磁針。別名羅針盤。

このチェアに座ると、「ミッドウェイ」の右舷側を一望することができます。
それではここにはなんのために座るんでしたっけ?

そう、英語でアンダーウェイ・リプレニッシュメントと称しているところの
洋上給油の監視ですね。

空母の場合、甲板の反対側、右舷と給油艦がホースで結ばれるので、
この椅子に座って右舷側の状況を監視するわけです。

この写真は真ん中が補給艦、右側で同時に補給しているのは
駆逐艦だろうと思われます。

「非常時における脱出について」とあります。

非常時になると短く6回ホイッスルが鳴らされる。
これを「ブレーク・イマージェンシー・シックス」といい、
給油をしていたらすぐに中止し、荷物を運んでいたらやめて、
次の行動に備えよ、という様なことが書かれていました。

「スキッパーは眠らない」というタイトルで書いたことがありますが、
艦長はいつ寝ているかわからないほどいつも人の目に触れています。

艦長用のちゃんとした寝室はアイランドの下の階にあるのですが、
ブリッジのすぐ横には艦長専用の個室があって、ここで
仮眠をとったり食事をすることもしょっちゅうなのだそうです。

ちなみに寝ないことにかけてはエアボスも艦長並みなのだとか。

当時は喫煙をする艦長も結構いたようですね。
おそらく今のアメリカ海軍では特に士官はほぼ喫煙率は0に近いと思われます。

枕元の本棚には「海上での指揮とは」(実用書?)の他に、
トム・クランシーの小説「パトリオット・ゲーム」があります。

確かジャック・ライアンがアナポリスの教官であるシーンから始まるんですよね。

アメリカのどの家庭にもある、扉の後ろが薬棚になっている鏡があり、
当時は最新型だったに違いないビデオ内臓の小さなテレビが供えてあります。

ここまでちゃんとしていたら、ずっとここで生活する艦長も多かったでしょう。

アイランドツァーをしてくれたのは、退役軍人のボランティアです。
飛行甲板からブリッジまで、狭い階段を48段(と言っていた気がする)
上って下りて、をするにはかなりのお年にお見受けしますが、
自分の経験を交えて「ミッドウェイ」の説明をすることを
きっと何よりも生きがいのようにしておられるのでしょう。

現役時代を彷彿とさせる眼光の鋭いおじいちゃまでした。

さて、というところで三年かけてやっと実現したアイランドツァー、
これで終了です。

ブリッジの階から48段の階段を下りていきます。

飛行甲板にたどり着きました。

Welcome Aboard 

' The grand Ole Lady of West-pac'

ウェストパックというのは今でも例えばアメリカの空母打撃群が
南シナ海での「自由の航行作戦」や北朝鮮への威嚇のために
アジアまでのツァーを行う際に使われます。

「ミッドウェイ」の艦歴はその全てが日本での勤務にあり、
バリバリの現役艦であった頃は、そのため

「剣の切っ先」

と呼ばれることもありました。

おそらくですが、この「大きなお婆さん」呼ばわりは、
彼女が600隻艦隊構想で延命措置を受けた頃のものではないでしょうか。

今、このお婆ちゃんは、その役目を終え、その歴史を後世に残すことを役目に、
静かにサンディエゴにその艦体を休めています。

 

続く。