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彼女が曳航される日〜空母「ミッドウェイ」博物館

2018-07-01 | 軍艦

空母「ミッドウェイ」シリーズの続きですが、皆様にお断りがあります。

艦内の見学がすっかり終わったと思って甲板に出てしまい、
ハンガーデッキのF-14のお話に移ってしまったのですが、
なんと、まだデッキの下部分が終わっていませんでした。

航空機シリーズが始まると思って楽しみにしていた方がいたら
大変申し訳ないのですが、もう一度艦内に引き返していただきたいと思います。

どこまで戻っていただくかというと・・・そう、告知板のお知らせ。
各種案内を読んで、「ミッドウェイ」の乗員気分になったところの続きです。



というわけで、冒頭写真の檻のある窓口、ここは艦内郵便局になります、
現金の受け渡しをするので、このようになっているわけですが、
ここを使用する人が基本全員海軍軍人で、しかも乗組員に限られているというのに、
割と人を信用していない雰囲気が漂う設計という気がします。

基本どんな団体も、内部に対して性善説では対処しない、
というのは日本以外の国ではスタンダードなのかもしれません。

「ミッドウェイ」から送る小包の仕分けをしている人あり。
ここの責任者のCPO(勤続15〜17年)の制服がかかっています。

海軍に入って郵便一筋!みたいなチーフなんでしょうか。
ちなみに仕分けしている人はダンガリーを着ているので水兵さんです。

「Letters on the sand」という映画ポスターのようなものがありますが、
同名の歌「砂に書いたラブレター」しかヒットしませんでした。

読みにくい文字をなんとか解読してみると、郵便局の宣伝で、
ハードカバーのパーソナルヒストリー」が作れるとかなんとか。
なぜ郵便局が個人伝記を作るのか内容に見当がつきません。

黒字以外はぼやけていて細部はわかりませんでした。

故郷に送る手紙、故郷からの手紙は海軍乗組員、特に「ミッドウェイ」のように
本国を離れた定係港に勤務する軍人にとっては何よりも嬉しいものです。

一体どんな経緯でここにあるのかはわかりませんが、横須賀時代に
乗員が家族からもらった手紙がここに飾ってありました。

これらのほとんどは横須賀や厚木から航行中の「ミッドウェイ」に出されたものです。

封筒を見ていただければわかりますが、切手が貼ってありません。
日本国内の基地からの郵便物は海軍の手で運ぶので切手がいらないのです。

ただしアメリカ本国からの郵便物には、国内郵送分(発送地から海軍基地まで)
の切手が必要となります。

ところでこの手紙や家族の写真など、乗員が送られたもののはずなのに
なぜこんなにたくさんここにあるのでしょう。

「ミッドウェイ」あてに届いたものの、受け取る人がいなくて、
大量に残されていた、とかいうのではないといいのですが。

 

ところで、「ミッドウェイ」は横須賀配備時代、一度も本国に帰りませんでした。

もちろん、乗員には異動がありますし、その間一度も家族に会えない人などいませんが、
いかに覚悟の上とはいえホームシックにかかるのが人間というものです。

今ではコンピュータがあり、SNSがあるので、当時ほどではないでしょうが、
「ミッドウェイ」現役時には皆数日に一度の「メールコール」を
心待ちにしたのだそうです。

郵便物が届けられるのは平均して数日に一度、運がいいと週2、3回、
「ミッドウェイ」がたとえ北アラビア海にいる時でも律儀に郵便物は届けられました。

郵便物は陸と空母の間を人員、物資、郵便を運んで行き来する輸送機、
「ミッドウェイ」の場合には固定翼機で運ばれてきます。

それは

C-2 (COD )

だったり、S-3(バイキング)

だったりします。
ちなみにバイキングは、ミス・ピギーと呼ばれていました。

ミス・ピギーといえば、「ザ・マペッツ」の豚の女優さんですが、
この「スターシステム」で、「セサミストリート」にも出演しています。

いわれてみればミス・ピギーっぽいノーズをしているような。

参考画像

郵便物が届く日は不定期ですが、前日の晩に配られる翌日の
フライトスケジュールのなかに、艦載機に混じってこの
「ミス・ピギー」やC-2が入っていると、郵便物が翌日には届くということで、
そのニュースはすぐにホームシックを患った乗員たちの知るところとなります。

 

そして翌日、いよいよ郵便物を搭載した機が到着しました。
こういうときにアナウンスするのはエア・ボスの役目です。

「今日のミス・ピギーは・・1500パウンドの郵便物で着艦!」

アナウンスでも「ミス・ピギー」って言っちゃうんだ(笑)
必ずその重さが発表されるのですが、それが重ければ重いほど、
比例して艦内に沸き起こる歓声は大きなものになります。

エア・ボスがもったいをつけて言うのももっともです。

ミス・ピギーとCODが両方同日に到着することもたまにあり、
そんなときにはもう艦内は大騒ぎの狂喜乱舞となります。

郵便物が到着すると、部隊ごとに仕分けが行われ、この写真にもある
「艦内郵便局」から

「メール・コール」

と言うアナウンスがあります。
すると、それぞれの部隊の郵便物担当者が郵便局までそれを取りに行き、
受け取った郵便物を今度はメインテナンス・コントロールまで運びます。

郵便物がメインテナンス・コントロールに着く頃は、すでに
それぞれのショップから一人ずつ、受け取りを待ち構えています。

ここで各ショップごとに仕分けされた郵便物は代表者に手渡され、
持ち帰られて送り主の元に届くというわけです。

 

郵便物搭載機が運んでくるのは手紙だけではなく、中でも「慰問品」は
皆が楽しみにしていました。

家族から個人的に送られてくるものもありますが、兵士の出身地の
町内会に相当する団体や教会が彼を励ますために送ってくる小包は

「ケアー・パッケージ」

といい、お菓子や雑誌、ローカル新聞などが詰まっています。
大の大人がお菓子しか入っていない故郷からの小包に大喜びするのは
きっとパッケージからは故郷の匂いでもしてくるのに違いありません。

この「ケアー・パッケージ」は特に1991年、湾岸戦争の頃は
アメリカ全土の見知らぬ人々が書いた何千通の励ましの手紙とともに
頻繁に送られてきたということです。

意外なことに「ミッドウェイ」艦内ではチューインガムは売っていないらしく、
ガムが入っているとありがたがられました。
かーちゃんの手作りクッキーなどは同室の皆で分け合います。

 

ところで、アメリカ本国に母港がある空母は、一般的には
「Deployment」(デプロイメント)と呼ばれる平均6ヶ月の長期航海が終わると、
次の長期航海は18ヶ月後となり、その間出航すらあまりしないのが普通です。

その間に出航するとすれば、それは艦の状態を調べたり調整するための航海、
そして長期航海が近づいてきたときに行う

CQ (Carrier Qualification )

つまり艦載機パイロットの離着艦訓練と資格取得のための航海で、
これはせいぜい二週間といったところです。

ところが、「ミッドウェイ」は横須賀を母港としていた時代、
18ヶ月の間に何回も出航していました。

我が海上自衛隊との訓練も何度か行なっていたわけですが、
当時が冷戦期間だったこともあって、日本海に出没するソ連艦を見張りに
しょっちゅう母港を留守にしていたということです。

しかし一番大きな理由は、日本政府との取り決めで、(地位協定?)

「ミッドウェイ」の一度の日本国内での停泊は30日以下にすること

となっていたから、という噂があります。

その結果、長期航海がない時も「ミッドウェイ」は一年の半分は
海に出ており、長期航海が終わっても1ヶ月で数週間の航海に出るといった具合。

「ロナルド・レーガン」がどうしているのかはわたしにはわかりませんが、
今でも30日以上の連続しての停泊を認められていないとしたら、
なんだかそれも随分ひどい話だなという気がしないでもありません。

 

冷戦時代、「ミッドウェイ」は日本にほとんどいなかったということですが、
それでは何をしていたのかというと、日本海に出かけていってはソ連軍と戯れていました。

当時のソ連空軍の最新鋭機はバックファイア爆撃機で、「ミッドウェイ」としては
ソ連軍を刺激してこいつが出てくるのを待ち構えていたのですが、
敵はせいぜい情報蒐集のための船を出してくるだけ。

しかもこの船、「ミッドウェイ」のあとをくっついてきてゴミを拾うのだそうです。

先日お話しした「深く静かに潜航せよ」で、ゴミに重石を入れたつもりが
日本軍に拾われて、乗員の名前まで知られていたというシーケンスがありましたが、
今時シュレッダーにかけない書類を捨てる海軍なんているわけないのに、
それでも熱心にくっついてきてせっせとゴミを拾うものだから、乗員は
かなり気持ちの悪い思いをしたということです。

それはともかく、ソ連軍が挑発に乗ってこなかった原因は、
この時期米軍側の暗号が解読されていたからかもしれません。

例えば海軍将校だったジョニー・ウォーカーなる人物は15年にわたって
ソ連側に暗号を渡していたと言われています。

ジョニー・ウォーカー氏死去 CNNニュース

 

時々はソ連軍もアクションを起こすことがあり、バックファイアではなく、
爆撃機ベアがなぜか「ミッドウェイ」にぶつかるのではないかと思われるほど
接近してきたときには、皆がカメラを持ち出し写真を撮って、
次の日には艦内にベアの写真が貼り出されていたということです。

アラートで発艦して行った艦載機部隊のパイロットはこれを見られなかったので
目撃者にベアーの話を子供のようにせがんでいたとか・・・。

 

このように、あまり日本にいなかったといわれる「ミッドウェイ」ですが、
こんな不思議な話が関係者の間に残されています。

1992年4月、サンディエゴで退役式を終えた「ミッドウェイ」は
ワシントン州のプレマートン海軍基地に曳航されることになりました。

出発の日、港を出てしばらくすると、
北に向かって曳航されていた
「ミッドウェイ」が、
突然海流に逆らって、日本がある西の方向に向きを変え、

曳航しているタグボートからもどんどん離れていったのです。

「ミッドウェイ」はまっすぐの位置でロックされていたため、
方向が変わるなどということは全くありえないこと・・のはずでした。

タグボートの乗組員は慌ててスピードを下げ、その後、彼女は
元どおり、北に向きを変えて何事もなかったように曳航されていきました。

それは彼女があたかも何らかの意思を示したように見えたということです。



(参考 スコット・マクゴー 『ミッドウェイ・マジック』)

 

 

続く。