メア・アイランド海軍工廠跡の博物館の一隅でわたしは足を止めました。
あの戦艦「インディアナポリス」が彼女の運んだ原子爆弾について、そして
彼女を轟沈した伊58潜水艦とともに紹介されていたからです。
それは73年年前の今日、1945年7月30日の出来事でした。
アメリカ海軍の戦艦を攻撃した帝国海軍の潜水艦長と、攻撃を受けて
沈んだ戦艦の艦長だった二人の指揮官について、お話ししようと思います。
戦艦「インディアナポリス」はニューヨークのカムデン生まれ。
開戦後ニューギニア始めアリューシャン、マリアナ諸島、フィリピンと
太平洋に派出されては次の任務まで、ここメア・アイランド海軍工廠で
オーバーホールを受けてきて、ここが「ホームグラウンド」でもありました。
メアアイランド海軍工廠に入渠時の「インディアナポリス」です。
この時工廠では白丸で囲まれた部分の換装が行われました。
って、これ艦橋全部ですよね。
メア・アイランド海軍工廠は、原爆投下のための重要な役割の一部を担っています。
ヴァレーホ在住で35年間メア・アイランドで艤装に携わってきた
エディ・マルチネスは、1945年、サイクロンフェンス(クリンプネットの鉄条網)
がある日工廠の北端にある武器倉庫No.627Aの周りに巡らされ、10日後には
犬を連れた海兵隊がフェンス周りを警備するようになったのを目撃しています。
何年かして当時の極秘資料が公開されたとき、マルチネスは原子爆弾のコンポーネント、
周辺器具がメア・アイランド経由で梱包され積み込まれたことを知りました。
資料によるとメア・アイランド海軍工廠は南方に輸送するために精密機器を扱うのに
特殊な技術を持っていて、それが評価されたということになっています。
そして単独の、独立した建物が御誂え向きに島の端にあったということでしょう。
2ヶ月後、建物と柵は撤去され跡形も無くなりました。
この写真は1945年7月10日、メア・アイランドを出航する「インディアナポリス」。
メインのオーバーホールをここで受けた後、彼女は「極秘任務」として
サンフランシスコ東海岸にあったハンターズポイント海軍工廠で、
核実験(トリニティテスト)を数時間以内にしたばかりの濃縮ウラン、
広島に投下予定の原子爆弾に搭載するための濃縮ウランを積み込み、
サンフランシスコからパールハーバーに7月19日に到着しました。
その後テニアンに向かい7月26日到着、「積荷」を降ろし、
28日にレイテに向かいました。
その航路途中、7月30日、橋本以行艦長率いる帝国海軍の伊号58潜水艦の魚雷を受け、
わずか12分(5分という説もある)で「インディアナポリス」は轟沈しました。
ここにある展示の説明は、
インディアナポリスがメア・アイランドのドライドックに入渠中、
戦争省は今まで一度も使われたことのない「爆弾」を運搬する船に
彼女を指名したが、その理由は彼女の速度であり、能力であった。
ニューメキシコのロス・アラモスで進められていた「マンハッタン計画」を
実行に移すことが決定したのは7月16日のことであった。
同日の早朝、厳重に秘匿されてはいるけれど多くの提督が、将軍が、
そして技術者たちが布で覆われた原子爆弾が「インディアナポリス」に
積み込まれるのを凝視していた。
とあり、これもまたwikiとは日付が違っていて困ったものです。
7月16日といえば、インディアナポリスは太平洋上を航海中だったはずなんですが。
いくつかの大きな木製木箱が好奇心をあからさまにする人の目から
隠されるように艦内に積み込まれ、艦内の一角に安置され数人の警備がついた。
映画「インディアナポリス」には、好奇心を隠せない水兵が、警備の海兵隊員に
「中身は?マッカーサー将軍のトイレの紙って聞いたけど」
と冗談をいって睨まれるシーンがあります。
ちなみに、この海兵隊員(生存)は水兵(生存)に
「なんでマリーンに来たの?」
と聞かれ、
「To kill people.」(人を殺すためだ)
とにこりともせずに答えます。
「インディアナポリス」総員の出港前記念写真。
こちらは映画の全員で写真を撮るシーン。
こういう写真では兵たちは砲の上、艦橋にくまなく乗って写っているものですが、
それをしなかったのは・・・後ろの戦艦がCGだったからかな?
二つの爆弾の「心臓」はウラニウム−235で、鉛で封印された
金属コンテナに収められ、アドミラルキャビンの中に滑り止めをつけ、
デッキに溶接された台に安置された。
ということはですね。
よく歴史の”if”で語られるように、伊58の攻撃がもう少し早く、
つまりテニアンに着く直前であったなら、間違いなく
原子爆弾は艦と共に海の底に沈んでいたということでもあります。
この原子爆弾二基のために、地球上に存在するウラン量の半分が
濃縮されたともいわれており、したがってさしものアメリカにも
追加で原爆を製造することは不可能だったのではないでしょうか。
原子爆弾の中身の図解がありました。
5番の赤い部分にあるのがウラニウム235で、
一枚26kgのリングが6個重ねてあり、先端の赤い部分には
38kgのリングが二枚内蔵されています。
8月6日の広島に続き、三日後の8月9日、「ボックスカー」から投下された
「ファットマン」が長崎に投下されました。
「ボックスカー」
しかし、その時には、原子爆弾をテニアンに運んだ「インディアナポリス」は
10日前に帝国海軍の潜水艦に撃沈され、もうこの世にはありませんでした。
「HIJMS」とは艦船接頭辞です。
帝国海軍を表すのにはIJN「Imperial Japan Navy」というのが一般的ですが、
英語圏の著述者には、たまにこの
「His Imperial Japanese Majesty's Ship」
を意味する略称を日本の軍艦を表す接頭辞に使用する人がいます。
それはともかく、ここで紹介されているI-58、伊号潜水艦58が
「インディアナポリス」を沈めました、と書かれています。
伊–58艦長橋本以行(もちつら)中佐の写真もありました。
ところで冒頭の絵は、映画「パシフィック・ウォー」(この邦題のセンスの無さよ)
を観て、わたしがどうしても描いてみたいと思ったシーン。
ニコラス・ケイジ演じる
が、「インディアナポリス」沈没の指揮責任を問われ、
裁判に出廷した後、橋本中佐と敬礼を交わした瞬間です。
一応参考までにこの映画を観た感想を検索してみたところ、
「CGがチャチ」「これは戦争映画じゃなくサバイバル映画」
などという理由で評価を低くしている人が多いようでした。
(確かにわたしも回天発進シーンでガクッとなりましたが)
しかしわたしはこの映画の「サメとの戦い」は、乗員の味わった苦難を
わかりやすく、かつ映画的またはドラマ的に観ている側に伝えるための
ツールに過ぎないと感じました。
でも、こんな煽り文句にしてしまう媒体もあるからねえ・・。
言っときますが、ケイジがサメと戦うシーンは一度もありません。
念のため。
この映画のテーマは、自らの国を背負って戦った彼我の軍人たちの、
人間としての弱さ、(サバイバルシーンにもみられた)醜さと相反する美しさ、
そして苦悩と後悔、許しであるとわたしは思います。
例えばそれは、回天戦を命令した橋本艦長が一人になった時に見せる表情、
「インディアナポリス」が沈没していく際の音声を聞き、父親(神道家らしい)
の幻影と会話するシーンなどに表れています。
よくあるアメリカ映画、たとえば「パールハーバー」などのように、日本軍を
わかりやすい悪として描くことなく、逆にここまで日本軍人の人間的な部分に踏み込んだ
戦争映画は、わたしが思い出す限りではこの作品が初めてかもしれません。
第二次世界大戦中、自艦を失ったことで軍事法廷で裁かれた軍人は
アメリカはもちろんのこと、世界でもマクヴェイ艦長ただ一人でした。
なぜ彼はアメリカ海軍から弾劾されなければならなかったのでしょうか。
表向きの訴追理由はこうです。
「インディアナポリス」がテニアンを出発してから航行中、
魚雷回避のためのジグザグ航行を行わなかったことが、
敵の攻撃を許し、自艦を沈没させる結果を招いたから。
この時、検察側はその重要な証言者として、伊58潜の橋本艦長を
ワシントンD.Cの軍事法廷に呼んでいます。
1945年の12月10日のことでした。
マクヴェイ艦長の起訴も異例でしたが、自国の軍人を糾弾するために
かつての敵国の軍人を証人に採用するというのは異例を通り越して異常でした。
検察側は、日本側に原子爆弾運搬の情報が漏れていた可能性を疑っていました。
おそらく海軍は当初、機密漏洩を艦長訴追の理由にするつもりだったのでしょう。
まず、橋本中佐(9月に中佐に昇任)にその件を尋問したのですが、
伊58が「インディアナポリス」遭遇したのは全くの偶然だったと彼は答えます。
ついで訴追されたのは艦長として彼が危険回避行動をとらなかったことですが、
マクヴェイ訴追に有利な証言をさせるためにわざわざ呼んだ橋本中佐は、
予備審で、
「インディアナポリスがたとえジグザグに航行していても我々は撃沈できた」
(つまりマクヴェイは悪くない)
と断言したため、検察側の当ては全く外れてしまいます。
これでは艦長を有罪にできないとして、検察は橋本を法廷に出しませんでした。
映画「インディアナポリス」では、橋本が出廷したという設定になっており、
実際の予備審での発言と同じ内容のことを証言させています。
実際の法廷で、もしこの証言がなされていたら、さしもの軍事法廷も
艦長を有罪にすることは難しかったのではないかと思われますが、
映画では史実通り、マクヴェイの判決は有罪ということになっていました。
しかし、第二次世界大戦で戦ったベテランの海軍軍人たちは、
この結果に大なり小なり疑問を持ったのではないでしょうか。
自艦を失ったことで艦長がその責任を問われなければならないのなら、
同罪に相当するアメリカ海軍軍人は一人や二人ではないはずです。
つまり、なぜ彼だけが、と誰しもが思ったことでしょう。
そのように考えたうちの一人にチェスター・ニミッツ元帥がいたため、
この大物の鶴の一声により、この裁判判決そのものが無効になりました。
彼は事実上無罪となって海軍に復帰し、1949年の退役時には少将に昇任しています。
しかし、一度有罪判決を受けたことによって、一部乗員遺族からの、
彼への非難と怨嗟の声はいつまでも止むことはなかったのです。
マクヴェイ少将がコネチカットの自宅でピストル自殺をしたのは
1968年11月6日、「インディアナポリス」轟沈から23年後のことでした。
近しい人々に、妻を癌で亡くし孤独に苦しんでいると打ち明けていた彼は、
また死の前日、遺族からの恨みの手紙を受け取っていたとも言われています。
彼の遺体は自宅の裏庭で庭師によって発見されました。
その手には彼が幼い時からお守りにしていた水兵の玩具が握られていました。
ところで今日は、冒頭にも書いたように「インディアナポリス」が
73年前に撃沈された日ですが、いかなる運命の皮肉か、この日7月30日は
チャールズ・バトラー・マクヴェイ三世の誕生日でもありました。
毎年巡りくる己の誕生日、彼はおそらく片時も頭から離れたことがない、
883名の部下の命日を、同じ日に迎えなければいけなかったのです。
何という戦後でしょうか。
さて、この時海軍側は、最初から、
マクヴェイ艦長にインティアナポリス撃沈の責任を負わせようとしていた
といわれています。
海軍たる大組織が、なぜここまでして一艦長に責任を負わせようとしたのか。
それが明らかになるのはそれから50年後のことです。
映画「ジョーズ」を観てこの事件に興味を持った小学校6年の少年、
ハンター・スコットが事件の背景を調べ、このような仮説を立てました。
当時の海軍は秘密行動中の「インディアナポリス」の位置情報を把握しておらず、
沈没してから4日間も救助をさし向けなかったため犠牲者が拡大した。
その責任を、上層部は全てマクヴェイ一人に負わせようとしたのではなかったか。
スコットは調査の段階で、「インディアナポリス」の生存者316名のうち、
150名に詳細な聞き込みを行ない、仮説の正しかったことを証明してのけたのです。
その聞き取りの段階で、様々な生存者の声が明らかになりました。
最初に沈没から生き残ったのは1,196名のうち約900名、
しかし初期の段階で助からなかった人の死因は、主にオイルの嚥下だったこと。
油を頭からかぶった状態で陽に炙られ漂流しているうち、目が見えなくなり、
海水に浸かったままの体からは体温が奪われ、極限状況に精神を蝕まれ、
暴力的になって互いに争ったり、また幻覚のアイスクリームやホテルを求めて
「永遠に」どこかに泳いでいってしまった人々のこと。
映画でも描かれていたPBY水上艇のマークス大尉も証言を行いました。
彼の水上艇が海面に着水して最初に拾い上げた男は、錯乱状態で、ただ、
「俺はインディアナポリスから来た」
と繰り返していたことや、映画で描かれたように、翼に乗せて収容した56名が、
その多くが取り乱して痛みに転げまわり、翼や機体を蹴飛ばしたりして穴を開けたため、
水上艇は二度と飛び上がることができなくなって、救助の艦艇が全員を収容した後、
機銃で沈めるしかなかったということなどを。
マークス大尉は救助するために漂っている人たちの体を引き揚げましたが、
多くの者が手足を失ったり、全身が酷く腫れていて、搭乗する事そのものが
彼らにとってゾッとする痛みを伴うらしいことを知ります。
海から遭難者を引き揚げるために腕を掴むと、彼の手に剥がれた肉が残りました。
海水でずっと洗われていた体から体毛はほとんどなくなり、
まるでイモリのように真っ白でツルツルした皮膚をした一団は
皆一様に啜り泣いており、マークスとクルーはその異様な姿に戦慄しました。
ハンター少年の提言がきっかけで、マクヴェイ艦長の名誉復権運動が起こった、
という話は日本にも伝わり、かつての伊58艦長橋本以行の耳にも達しました。
彼は早速、上院軍事委員会委員長のジョン・ウォーナーへ電子メールを送り、
その運動を熱心に支援したといわれています。
そしてついに2000年10月30日。
チャールズ・マクヴェイ艦長は
「インディアナポリス」の喪失に対して全く責任を問われない
ことが正式に認められ、彼の名誉回復がなされました。
その証書に当時の大統領クリントンが署名を行う僅か5日前、
橋本以行はそれを知ることなく91歳でこの世を去っています。
ところでこの映画、「USSインディアナポリス 勇気ある男たち」では、
冒頭画像にも描いたように、チャールズ・マクヴェイ3世と橋本以行、
現世では一度も相見えることのなかった二人の出会いが創作されました。
確かに、もしあの世というものがあって、そこで彼らが出会ったとすれば、
人間としての過ちを互いにを許しあい、堅く相手を抱きしめる代わりに
祖国の為に戦った軍人同士であらばこそ如是敬礼を交わしたに違いありません。
そんな二人の冥界での邂逅の姿を、この映画はラストシーンにおいて、
彼らを知る後世の全ての人々の眼に映しだしてくれたのだとわたしは思っています。