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平成27年度「練習艦隊壮行会」

2015-05-21 | 自衛隊

去年、平成26年度の海上自衛隊練習艦隊を晴海埠頭に見送り、
そして再び半年後に帰国してきた彼らを出迎えました。
艦上で行われたレセプションにも参加し、若い実習候補生の
覇気あふれる姿に接して心から頼もしく思ったばかりでなく、
南方で収集された旧軍将兵たちのご遺骨を、日本の埠頭に迎える光栄に浴したものです。

さて、本年度は、練習艦隊を見送る壮行会に参加してきました。

海上自衛隊の支援活動が大きな目的の一つである水交会では、旧軍の昔から
練習艦隊の出航に際して壮行会で彼らを励ます夕べを持つのが慣わしです。

というわけで当夜の様子をお伝えしていきますが、基本的に
候補生と自衛官の皆さんは写真の目隠しなしでアップしてあります。

 

さすがは海軍5分前の海上自衛隊。
時間ぴったりにアナウンスがあり、候補生が入場してきました。

入場とともに鳴り響いたのは「海をゆく」です。

海を守る わ~れ~ら~♪

というあの曲ですね。



水交会は広い宴会場などを持っていないのですが、この日ばかりは
ロビーを含めて全ての仕切りをぶち抜いて場所を確保してあります。

・・・・・が、初級幹部が入場してくる前ですら、立錐の余地もないといった感じ。
さらにそこにこうやって初級幹部が170人入ってくるわけです。
あんなところでどうやってパーティをするのだろうかと危ぶんでいましたが、
やっぱり大変な混雑になりました。 



わたしなどギリギリに行ったものですから、部屋の中に入ることができず、
廊下のところから彼らの入場を見ることになりました。

ちなみに前で拍手をしておられるのは元海幕長です。
この後後ろを振り向かれたので、ご挨拶をさせていただきました(笑)



行進してきたといっても奥に入れる場所など限られていますので、
この辺りの実習幹部は渋滞のため立ち止まってしまっていました。



なんとかかんとか皆がそれなりの場所に落ち着き、まずは
水交会の一番偉い人のご挨拶。

「年金生活の中からやりくりしたお金で皆さんのために催した夕べです。
どうか心して大いに飲み大いに食べ・・」

というセリフで会場はどっと受けました。

水交会側の出席者は4種類。
海上自衛隊、海軍、そして賛助会員と有志です。
海上自衛隊のOB、旧海軍出身者には年金生活者の世代が多いということですね。
わたしはもちろん「有志」という立場での出席で、名簿を見たところ女性の出席者は
ほとんどが「有志」となっていました。



廊下にあるドアの外で中を覗き込む場所に立っているので、
挨拶が行われているところは全く見えません。
というわけで、艦隊司令の挨拶は音声だけ聞こえてきましたが、
どの方が艦隊司令の中畑海将補なのかよくわからずじまいでした。

ただ、艦隊司令の、

「我々はやります!やってのけます!」

という力強いこれからの航海に対する決意表明は心に残るものでした。



この後、司令官始め、首席幕僚、群先任伍長、「かしま」「やまぎり」「しまゆき」の
各艦長と先任伍長始め、主要幹部の紹介が行われました。

狭いところにひしめき合っているので、名前を呼ばれた人はその場で
返事をして挙手、皆はそれに対して拍手という流れです。

わたしの立っていたところには実は偉い人たちが固まっていて、
この写真に見えているのは技本開発官、中央病院副院長、教育航空集団司令官だったりします。



法人賛助会委員の企業名も呼ばれました。
出版会社、艦船技術会社、ビール会社、生命保険会社、日立、三菱、IHI、
そして東郷会からも。

ちなみに名前を呼ばれて手をあげる時、自衛官は皆グーでした。

それがすんでから乾杯です。



人が移動しだしたのでようやく式次第の前まで来ることができました。



始まって数分でものの見事にこの状態である。
お寿司は一瞬にしてかき消えてしまった模様。



食べ盛りの皆さんがいちどきにテーブルを囲めば、
まるで吸引されているように食べ物は無くなっていくのだった。

若い人、しかも朝から規則正しく体を目一杯使っている人たちの食べっぷりは
見ていて気持ちがいいほどです。



会場の隅にはコック帽をかぶったシェフが三人ほどいて、カレーをサービス中。
このカレーは「海軍カレー」で、賛助会員の寄贈だそうです。
わたしはサラダとこのカレー一皿をいただいてこの日の夕食としました。



会場に人多すぎで負け出てしまった実習幹部か?と思ったら、

白い煙が立ち上っているので喫煙していると知りました。
水交会のロビーはタバコ好きの海軍さんが多いせいか喫煙可ですが、
今日は外でしかタバコを吸うことができないみたいです。

今時の若い男の人はあまり喫煙をしないというイメージがありましたが、
結構な数の初級幹部がタバコを吸っていました。



煙草飲みのおじさんたちと一緒に外で一服。

しかし、年配の方に声をかけられれば話し相手になるけれども、
実習幹部の方から会員に声をかけることはなく、仲間同士で固まって話している幹部が大方でした。

先日取り上げた映画「機動部隊」では士官候補生がアナポリスの教官の奥さんと
ダンスを踊ってお愛想の一つも言ったりしていましたが、そういう社交は
日本ではまず考えられません。(上官も奥さん連れてきてないしね)

これも先日取り上げた海軍兵学校67期の遠洋航海アルバムで、
候補生たちが壮行会のパーティで仲間同士集まっていたのを思い出し、
こんなところでも帝国海軍の伝統の継承を見る思いがしました(笑)




わたしは乾杯直後に近くにいた元海幕長が声をかけてきてくださったので

しばらく共通の知人のことなど話していましたが、息子のことを聞かれたので、ふと

「わたしとしては防衛医大なんかにいってくれると嬉しいんですが・・」

と漏らしたところ、即座に近くにいた防衛医大出身の海将を紹介しされてしまいました(−_−;)
いや、わたしはそう思っているのですが本人には全くその気はなくて・・・と言う間もなく、

「お住いの地域の地本に行けば受験の詳細がわかりますし、
もし連絡したら
自衛官が家まできて説明してくれますよ」

そ、そうなんですか・・・・(^◇^;)

このときにいただいた名刺を見ると中央病院の副院長。
前の防衛医大出海将も中央病院「副院長」だったし、そういうことに決まってでもいるのでしょうか。

この海将のお話がきっかけで愚息が防衛医大に行くなんてことになれば、
色々と美しいのになあ・・・。



一番右は呉でお会いした当時の幹部学校長。
その後今年になってからの人事で海将に昇進されました。
同時に下総の教育航空集団の司令官に赴任されたため、幹部学校から
ずっと一緒の学生もたくさんいるそうです。

驚いたのは、海将はP-3Cのパイロット出身なのですが、海将となった今でも
操縦を現役でするのだそうで、ご本人曰く

「やはり現場の空気にいつも触れていたいので」

ということでした。
誰でもそうなのかというとやはりそれはご本人の意向があるのだそうです。
そういった意向をちゃんと汲んでもらえるというのも海自ならではなのでしょうか。
しばらくお話をしたあと会場を回遊していたところ、海将がもう一度近づいてきて
この三人娘を紹介してくれました。

それぞれ艦艇志望と調達(だっけ)志望のお嬢さんたちです。
艦艇志望のコに

「末は女性艦長ですね」

というと、

「頑張ります!」

と元気に答えてくれました。頼もしいのう・・。
女性初の艦長だった東さんが初めて自衛官として初めて1佐になった感想を
お聞きすると、なんと彼女たちは知らなかったようで「そうだったんですか!」と・・・。

いや、自衛隊、特に初級幹部のころって「秘密の花園」みたいに外界の雑音が、
たとえ自衛隊内のことでも遮断されているらしいということがこの会話で垣間見えました。

さて、やはり若い女子なので「恋ばな」についても聞いてみますか。

「いません。仕事が恋人です」

「同期でいいなあと思う人いるでしょ?」

「えー・・それは」

「じゃ上官とか?」

「あ、それならいますねー」

そこでどういうきっかけだったかは忘れましたが、去年の艦隊副官、阿川大尉の話がでました。

艦娘A「わたしはお祖父さんの(阿川弘之の)本が好きなんですよ」

わたし「お父様(阿川尚之)も黎明期の自衛隊についての本を書かれてますよ」

艦娘A「知りませんでした。今度ぜひ読んでみます」

彼女と同世代でこんな話ができる女の子は今の日本に何人いるでしょうか(笑)

わたし「あの方素敵ですよね」

艦娘B「しゅっとしてますよね」

「しゅっとした」という表現はわたしが時々イケメンなどを表現するときに使うのですが、
彼女が普通に使っていたのでちょっと驚きました。



宴たけなわ。
元海軍のじいちゃんなども若い人に声をかけて楽しそう。



ここで廊下にある真珠湾攻撃の絵に気がつきました。
アメリカ海軍の軍人でフィリピン系アメリカ人のトロタ博士が寄贈したもの。
説明によるとトロタ博士は「稀に見る日本海軍の礼賛者である」ということで、
紹介したのは千早正隆千早正隆会員(戦後有名な海軍軍人ですね)だそうです。

この「礼賛」というのがどういう意味なのか興味ありますね。



うろうろしているうちに玄関まで来てしまいました。
ふと外を見ると、黒塗りの車の前に一人ずつベテラン海曹(運転手)が立って待っています。
いつ出てくるかわからない海将たちのために、パーティの間中ずっとこうやって待機しているのです。



初級幹部ではありませんが、胸の体力徽章に目を留めてお話を聞きました。
去年の実習幹部たちも何人かがこのバッジを胸につけていましたが、
体力テストであるレベル以上いくとその次の年はこれをつけることが許されます。
彼は「水泳でとった」とのことでした。

「そんなに速くないです。50m26秒ですから」

女子の日本記録くらいの線はいっているのでなかなかのものだと思います。

この後わたしはひとりでいた女子にも声をかけてお話を聞きました。

彼女は操縦、それも固定翼機志望であるとのこと。

「狭き門なのですが・・・」 

女性だから難しい、というより、男性でも女性でも操縦に必要な適性は同じなので、
やはり体力の劣る女性はその点で何かと不利になってくるのだそうです。
わたしは彼女を励ますつもりで、回転翼機のパイオニアであるジーン・ティンズリー
(このあいだ当ブログで取り上げた”ウィリーガール”です)のように、80歳でも
現役で飛んでいる女性がいるのだから、などと話したところ、彼女は目を丸くして

「そんなすごい人がいるんですか」

と言いました(が、これ、励ましになったかな?)

この彼女のようなチャレンジ精神のある女性がこれからどんどん増えていって、女性海将や
女性のパイロットも増えていくんでしょうね。

ぜひこの彼女にも頑張って欲しいと思います。 



このあたりで実習幹部代表の決意表明。
彼はクラスヘッドですかね。 




続いて元海幕長が締めの挨拶。

「えー、もらった給料30万円、東京で飲んだり食ったりして散財せず(皆笑)

ぜひ海外で交流を深め自分を高めるために使ってください」

・・・30万円って本当ですか。



ばんざーい。



そして練習幹部たちは退場となりました。
がっちり手を組み合う・・・向こうは統幕学校副校長で、海将補同士です。



おそらくこの方が練習艦隊司令官、中畑海将補。




おそらく艦長。



練習艦隊の退場は「軍艦」に乗って行われました。
「軍艦」が終わった時、ちょうど最後の一人が玄関を出て行き、
さすがは時間に正確な海上自衛隊、と感心しました。



懇親会で会話した水交会会員を見つけて握手をする実習幹部。



体力徽章の金バッジを持っている人がいますね。
さっきの人は水泳で取ったとのことですが、金バッジは
「体力」(走る飛ぶなどの基礎体力)「水泳」どちらも1級をとった印です。

「たいしたことない」と先ほどの自衛官は言いますが、体力検定1級は


腕立て伏せ制限時間2分82回以上

腹筋80回以上(制限時間2分)

3000m走10分38秒以内

走り幅跳び5m10以上

ソフトボール投げ60m以上

懸垂17回以上


というとんでもない規定をパスしなければなりません。
体力自慢の多い自衛隊でもめったに金色がいないのも当然です。
しかも、1年後の検定で基準値に達しなければバッジは召し上げです。



海自には珍しくものすごく大きな人。

船や潜水艦に乗るのにあまりに大きいと大変だから、大きな人は陸に行くようなイメージがありましたが。

ところで、さきほど自衛隊のHPで「あなたの適性を知る」というのをやってみたら、
わたしは「空自」職種は気象・航空管制、なぜか警備という答えが出ましたorz



ところで、水交会の会長は挨拶の中で

「今年の練習艦隊はマゼラン海峡に挑む」

ということに触れたのでそのことを初めて知りました。

マゼラン海峡は南北アメリカをつなぐあたりにある海峡で(適当)
その発見者のマゼランの名前が冠されています。

マゼラン海峡

マゼランは初の世界周航者として、歴史に名を残しながらその一生は不遇でした。
功績を横取りされ、一家はその後断絶、そして本人も非業の最期を遂げています、

なにより自分の名を冠したマゼラン海峡が、あまりにも危険な場所ゆえに、
後の世にうとまれ、無用のものとされ、パナマ運河が開通するとともに忘れ去られてしまいました。



というくらいマゼラン海峡は難所だというのですが、今回の練習艦隊は
そこを抜けるということなのです。 

「帆船が通れたのだから君たちができないはずはありません」

といって水交会会長は場内の笑いを誘いました。
現在のマゼラン海峡は対岸を結ぶフェリーが普通に運行しているくらいですから、
帆船時代はともかく現代の船であればそう難しいことではないと言いたいところですが、
現在でも大型船の難所であることはまちがいなく、熟練した経験者でないと
ここを通過するのには苦労するといわれています。

日本国練習艦隊がここに挑むことは初めてなのだそうで、
彼らがここを通過する6月後半から7月にかけては、ぜひ艦隊動向に注目しましょう。


本日晴海埠頭から出港する日本国練習艦隊の皆さん、
この航海で多くのものを得て帰ってきてください。