去年の夏、西海岸に滞在中にインターネットで知り、
サンフランシスコの観光スポットであるフィッシャーマンズワーフの埠頭に、
大東亜戦争中日本軍と戦った潜水艦「パンパニト」が繋留され、
博物館となっているのを知り、行きました。
一度だけそのご報告に写真をアップしたのですが、その後帰国し、
秋のイベントラッシュにまぎれてすっかり続編を忘れていました。
降下始めのご報告が終わり、「ハワイ・マレー沖」シリーズも終了したので、
三月の再び予想されるイベントシリーズが始まる前に、
パンパニト見学シリーズをお送りします。
前は艦内に入る前に終わってしまったんですよね。
冒頭写真は後ろにサンフランシスコのコイト・タワーを臨むパンパニトの図。
8月の写真ですが、ご存知のようにサンフランシスコは夏でも寒く、
特にこのフィッシャーマンズワーフの付近は埠頭を渡る風が常に強く、
ここに来るときは市内にいるときよりも一枚多めに上着が必要です。
わたしはこの日、日本から来ていたTOと午前中買い物をしていたのですが、
色が気にいり購入したペールグリーンのダッフルコート(勿論冬用)を
包んでもらわずにそのまま着て来ていました。
8月の日本ではおそらく北海道でもこんな寒くはないというレベル。
チケット売り場の建物にこんなポスターが。
80人の男。75日間。シャワー無し。
なぜこんな苛酷な任務を終えた乗組員たちが笑っているのか。
その訳をぜひ確かめて下さい、ってところです。
左の入場料は、大人12ドル、子供6ドルなどと書かれていますが、
軍関係者はIDを見せれば4ドル、もし軍服着用なら無料。
見学前に「なぜ潜水艦が沈むのか」を図解で教えてくれます。
図の左上はメインバラストタンクに海水が入ったところで、
2番目は「セーフティ・タンク」。
潜行時に正の浮力を復元するためのタンクだそうです。
バラストタンクは一つの潜水艦に色んな役目を持って搭載されており、
パンパニートのバラストタンクはメインのものだけで7基あります。
甲板の上をまず見ながら、船首にある入り口から入っていきます。
ハッチは開けた状態で展示しています。
パンパニトは1970年に退役し、5年後からここに繋留展示されています。
誰も触らなくなって雨風に晒され40年経つというのにバルブのハンドルはピカピカのまま。
時刻を知らせる鐘は、もう鳴らないように固定されていました。
機銃の銃座を下から撮ったもの。
パンパニトは日本と戦うために1943年建造され即戦線に投入されました。
20ミリ機銃は竣工当初2機付けられていた、とwikiにはありますが、
これを見る限りこれが2機のような・・・。
潜水艦の甲板から向こうに繋留されている「ジェレミア・オブライエン」を臨む。
ジェレミアもまた艦内を展示している博物館です。
向こうにはあのアルカトラズ島。
刑務所となっていた建物が近くにはっきりとみえます。
囚人たちからは本土のクリスマスパーティや年越しのパーティの騒ぎも
風に乗って聴こえたそうです。
しかし、決して泳ぎきることのできない冷たく急な海流が、
アルカトラズからの脱出を不可能にしていました。
赤いフェリーは、アルカトラズへの観光フェリーです。
ハッチは至る所にあります。
展示のために開けっぱなしになっていますが、
サンフランシスコは雨期(12月~2月)以外はまとまった雨が降らないので、
開けっ放しでも問題はありません。
船首に向けて装備されている4インチ砲。
こちらは船首から繋留されている岸壁を臨む。
ここを住処にしているかもめさんに注目。
ブーディン、というのはサンフランシスコ名物のパン、サワドウー・ブレッドの
本家であるメーカーの名前です。
サワドゥーというのは酢で醗酵させた種を使うパンで、その名の通り
バケットより柔らかく弾力性のある歯ごたえで味は少し酸っぱいのが特徴。
丸いこのサワドゥーの中身をくりぬいて、中にチャウダーを入れ、
パンをボウルのようにして、最後は全部食べてしまう、というのも
サンフランシスコの名物のひとつになっています。
実は写真をアップする順番を間違えて、最後の部分です。
船尾から入り、中を一方通行で進み、船首のハッチから出てくるのですが、
出て来たところに4インチ砲がこちらを向いているというわけ。
というわけで、皆様にはコースを逆行して見ていただくことになりますが御了承下さい。
パンパニトには、魚雷の発射管が10門あります。
船首部分の魚雷発射室には、釣りベッドが。
潜水艦の乗員は、日米どちらもそうですが、魚雷と一緒に寝起きしていた訳で、
こういうのや、冒頭の男たちの写真を見ると
「可愛い魚雷と一緒に積んだ
青いバナナも黄色く熟れた
男世帯は 気ままなものよ
髭も生えます 髭も生えます 不精髭」
(轟沈)
なんて歌を思い出してしまいます。
おそらくわたしだけだと思いますけどね。
その「可愛い魚雷」ですが、包径21インチ。
今まで潜水艦の内部を見たのは、呉にある「てつのくじら館」で、
しかも魚雷発射室は非公開でした。
一体誰にどんな配慮をしてああなったの?
我が自衛隊の潜水艦の魚雷発射室、公開するべきだと思うけど・・・。
・・・・あ、もしかしたら軍機密にも少し関係するのかな。
そういえば「あきしお」見学のとき、中国人のカップルが解説員を捕まえて
日本語でさかんに質問していたけど・・・・・。
というわけで、本物の魚雷発射室を見るのはこれが初めてです。
このレールの上に魚雷を乗せ、滑らせて格納するようです。
「ローレライ」だったか、日本の潜水艦映画で、魚雷に潰されている人がいましたが、
あんなものいくら日本軍だって、人力で抱えて持ち上げ移動させるものでしょうか。
魚雷発射孔。
ここに魚雷を収め、ここから発射させます。
外の海につながっているので、そのつどハッチはがっちりと閉めます。
でも、そのかわりに入ってくる海水はどうやって出すんだと思います?
魚雷を発射すれば海水が流入すると同時に艦体のバランスが崩れます。
なので、この魚雷発射館の仕組みは大変複雑なものとなっています。
ここで、覚えておくとちょっと便利な、魚雷の発射の仕組みを。
1、魚雷発射管に魚雷を装填した後、管内にゆっくりと水を注入します。
2、管内への水の注入が終了したら、前扉を開きます。
3、圧搾空気で魚雷を押し出し、水中へ魚雷を発射します。
魚雷そのものについているはスイッチは、射出直後に始動を始めます。
なお、発射の際に用いた圧搾空気は、艦外に出ると海面へ浮上し艦の位置がばれるので、
全て艦内で回収するようになっています。
4、再装填にあたっては、前扉を閉め、管内の排水を行います。
5、1に戻る。
何にするのかまったくわからなかったもの。
ロープを巻き取るものに見えますが・・。
魚雷外側を外して、内部の仕組みが見えるようにしてくれています。
いわゆる潜水艦の艦橋を下から見たところ。
さて、ここからは居住空間です。
ここはキッチン。確か士官専用です。
ガラスの格子は飛散防止でしょうか。
キッチンに備えられた飲食スペース。
ヤングオフィサー、つまりガンルーム士官は二人一部屋です。
下の中尉の名前にご注目。
バーソロミュー。
・・・と言えば思い出すのが(わたしだけかな)大航海時代の大海賊、
バーソロミュー・ロバーツ。
義賊、とまでは言いませんが、筋を通す男らしいカリスマ船長だったそうで、
そのイメージは漫画「ONE PIECE」の「バーソロミュー・くま」に引き継がれています。
因みにそのくまがどんなキャラクターか、わたしは知りません。
稀代の海賊の名前を持ったこの中尉は、
もしかしたら潜水艦パンパニトのアイドルだったかもしれません。
ここは確か(見学してだいぶ経つので記憶が薄れている・・・)
士官用の寝室。
三人一組の部屋です。
狭い。狭過ぎる。
まあ、魚雷の上よりは寝心地はいいかもしれませんが。
こちらは4人一組。
下士官の寝室だったかもしれません。
やはり軍隊というのはどこも完璧な階級による待遇差がある、
とひしひしと感じるのが、こういう部屋を見るとき。
専用のシーツまで敷かれ、居室の中には机と椅子まである艦長専用室。
呂潜くらいになると、日本の潜水艦では艦長も皆と同じようなところで寝ていた
という話もありますが・・・。
これも士官用のコーヒー沸かし室。
アメリカ人はコーヒーを飲まないと死んでしまうからですね。
それにしても全ての什器器機、シンク、クロスの類いに至るまで
清潔で磨き上げられているようにこざっぱりとしているのには驚きます。
閉ざされた空間で、シャワーも浴びない生活を強いられるからこそ、
居住区は極限まで整理整頓された清潔な空間であるべし、というのが
世界共通の潜水艦の不文律となっていたのだろうと思われます。
清潔でいること、というのは最低限の人間の尊厳に必要です。
こういったことを考えると、人間の生理的なことを二の次三の次にし、
とにかく沈めばいい、という切羽詰まった実戦に投入された
陸軍潜水艦の「まるゆ」は、乗員の人格をあまりに否定しており、
これがゆえに非人道的であったと断言されても仕方がなかったかもしれません。
いくら死ぬのが当たり前の戦争でも、肉体的苦痛(生理的なもの含め)は、
兵隊の士気を著しく低下させます。
こんなことじゃ戦争に勝てませんよ。
って実際勝てなかったんですけどね。
アメリカ軍のようにどんな状況でもコーヒーが飲める、とまではいかずとも、
せめてトイレくらいは装備してあげて欲しかった・・・・・。
タイプライター室。
黒い液体はおそらくインクであろうと思われます。
すごい。極限まで整頓された部屋。
というか全てのものは引き出しにしまわれてロックされるんですね。
そういえは「あきしお」の整頓ぶりもすごかったな。
「彼らがなぜ笑っているかその理由は・・・」
はい、これですね。
その理由は、戦争が終わったから。
我々日本人に取ってはつまり「負けた」ってことで、
この日から色々と大変だったんですけどね。
アメリカという国が色んな意味で一番輝いたのが、この「日本に勝った」瞬間で、
このあとはずんずんと世界のあっちこっちの戦争に顔を突っ込んでは負けたりして、
経済も文化も、それから移民問題や内政や・・・、
つまりアメリカっていつまでも世界一じゃないかもしれないなあ、
みたいな翳りに向かってまっしぐら、って感じですよね。どう見ても。
だから、このときの勝利はアメリカ人に取って、今にして思えば
「最後の完璧な勝利」だったんですね。
今のアメリカの姿を知っていると、タイムマシンに乗ってこのときのアメリカ人に
「まあせいぜい喜んでいたまえ。
君たちはすぐにその相手の日本に経済で脅かされ、次いでは中国の台頭に手を焼き、
自分で仕掛けたイラクはもう泥沼で、おまけに大統領はアフリカ系になるんだから」
と言ってやりたいようなヒトの悪い気持ちが芽生えないでもありません。
パンパニトは、1970年まで現役で就航していました。
終戦後は予備役艦となっていましたが、海軍の練習艦として余生を過ごし、
そして現役引退の後、ここで博物館として一般に公開されるようになったのは
1986年からのことです。
勿論、戦後それなりに仕事をして来たのですが、戦時中は結構な激務で、
ときには自分の国の捕虜を多数乗せた日本船を撃沈し(笑)
自分自身で海に漂う同胞を回収するなどのトラウマも経験しています。
ですから、本当の現役終了は終戦時であった、と考え、
展示も「終戦で仕事を終えた」という風に仕立ててあるのでしょう。
ですから「ピース」の新聞をわざわざ置いてあるのも「演出」ですし、
艦長の部屋で目についた机の上の・・
肖像写真。
これも一種の演出として置いただけのものなのかもしれません。
勿論、最後の艦長、フランク・フェンノ艦長の、
評判の美人妻であったかもしれない、と考える方が何となく楽しいですけど。