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映画「ハワイ・マレー沖海戦」~開戦前夜

2014-01-11 | 映画

ふう。

主演の伊東薫や母親の絵はちゃっちゃと描けたのですが、
姉きく子役の、この原節子の絵にはかなり手間取りました。
いくら厳密に細部を拡大しても、なかなか絵が写真に似てくれないんですよ。
美人の絵は描き易いと思っていましたが、少しの線の狂いでいきなり老けたり、
受け口になったり、どこのおばさんだ?という下品な顔になったり。

つくづくこの原節子の顔というのは完璧にできていて、神様の設計の中でも
「少しでも狂ったらこうはならない」という紙一重の基準を
全て満たしている稀な例なのだと変なところで実感することになったわけです。

その苦労の割には大したことないな、と言う声も聴こえてきそうですけど。


さて、皆が東京弁をしゃべる日本のどこかの地方を郷里にもつ(笑)義一は、
「兄さん」と呼んで親しんだ村出身の海軍士官立花忠明から

「自分を無にし忠勇を尽くすことが大和魂である」

ということを「腹の性根」に据えることを説かれ発奮します。
そして、また任務へと戻っていくのですが、冒頭画像は
その弟の出立の支度を手伝いながら彼の身を案ずる姉。



「世間じゃ大戦争が起こりそうって言ってるじゃないの?」

姉の言葉に対して

「さあどうかな。俺たちには分からん」

と笑い飛ばす義一。
実際はどうでしょうか。
かれは艦攻のパイロットとして真珠湾に赴くという設定です。

真珠湾攻撃は浅海面での雷撃という、これまでにない攻撃法をとったため、
艦攻隊が鹿児島県の錦江湾で大規模な雷撃特訓をしており、鹿児島の人たちは
皆それを知っていた、というのは有名な話ですね。

この段階で、艦攻のパイロットである彼が「何もわからない」はずはないのですが、
勿論このときには後のミッドウェーと違い、海軍は徹底的に防諜網を張り、
情報が漏れないように細心の注意を払ったので、
当然のことながら攻撃目標がどこであるか、そもそも開戦するのか、
ということは直前まで知らされなかったものと思われます。

そもそも軍人が任務のことを家族に話すことを厳に禁じられていましたし。


さて、場面は義一乗組の母艦。
昭和16年晩秋、という設定です。



艦内では早めの大掃除・・・・・ではなく、戦闘準備が始まったのです。



艦内の絵画や家具など、インテリアの類いは運び出されます。
その代わりに積み込まれるのが医療器具、薬、食料。

皆さん。

「あの」愉快な戦争恋愛映画「パールハーバー」の「赤城」艦内では、
デスクの上に民芸調の小引き出しや、安定の悪そうな顔くらいの大きさの
机上マイク、さらには兵員の寝室にはトランクの上にお経やろうそく、
ドブロクのカメに携帯型マイ仏壇などなど、
戦闘態勢に入らずとも少し時化たら船内に散乱するであろうグッズが
盛りだくさんに飾られていたのを覚えていますか?

監督のマイケル・ベイが、この「ハワイ・・・」の円谷特撮チームが
プールを作ってそこに軍艦の模型を浮かべているのを本物だと思い込み、
それを「パールハーバー」の軍令部作戦シーンに採用したという有名な話がありますが、
どうやら連中は映画のメイキングだけを見て、この映画そのものは見なかったんですね。

この映画の戦闘に向けた重要な「お片づけシーン」を見たのにも係らず、
あのような「赤城」艦内の描写を思いつくはずはありませんから。
 





戦闘に向かう戦艦にとって重要な「台所」の用意も描かれます。
大根などの野菜がたくさん積まれていますが、
主計科にとっての戦争は「兵員の糧食を作ること」。



そして、「戦闘準備」としてなぜか給料の支給。

「一飛、山田太郎!」

などと、自分の階級を言い、受け取って中身を点検、敬礼。
下士官が自分のことを、たとえば水兵なら「一水」というのは知っていましたが、
飛行兵曹が

「一飛」「二飛」

などと言うことを初めて知りました。
しかし、どうして今から戦争に行くのに給料が配られるのか・・・。

それは、このあと待機しているランチで、内地へそれを送ってしまうため
でもあるようです。
これらの準備が終わるや否や、



爽やかに朝の挨拶を交わす左官たち。
「おはようございます」のはずなのですが、フネの上なので
海軍軍人はみな「おおす」とか「おはす」など、
極端に省略したあいさつをしております。



「主計長、大変だったでしょうあなたのところは
片付きましたか」

この中国語字幕の「様」のつく敬称は、おそらく「主計長」が聞き取れなかったのでしょう。
なにが大変だったのかは分かりませんが、主計士官は元々軍人ではなく、
おそらくこの主計長も帝大出の短期現役士官なので、色々と

「娑婆へのけじめの付け方」

が軍人よりも厄介だったのではないか、と心配しているのでしょうか。



それに対して主計長は

「いやあ、もうきれいさっぱり、心の中まできちんとしましたよ」

と朗らかに答えます。
短現将校といえども本ちゃんの軍人のように、「覚悟」のうえで乗り組んでいた、
ということを言いたかったようです。

声をかけた将校(おそらく軍医長)はやたら朗らかに

「おお、従兵長気が利いてるなあ」



と、これは生けられた菊の花を指すのでした。

まあ、マイケル・ベイがこれを見なかったのは確実ですが、彼ならずとも、
日本人以外には理解できないシーンが多かろうと思います。
このあたりの描写もその一つで、今から戦闘に向かうにあたって
各人がいざという事態を想定し身辺整理をするのはわかるとして、
それをすませることががなぜ「きれいさっぱり」なのか。
少なくとも禅や仏教思想を理解していなければこれはわかりにくいかもしれません。

あるいは「死者のための花」である菊の花が軍艦に飾られているのをを見て
「気が利いてる」と喜んでみせる感性もそうでしょう。


アメリカの国策映画、たとえば「東京上空30秒前」などでは、
作戦を指示する「日本通」の将校が日本の想い出を語りついでに

「嫌な奴だった」

と笑えない冗談を言ったり「決して捕虜になるな」と日本人の残虐さを示唆したり、
つまり相手に対する敵愾心を煽ってやる気を出している様子が書かれましたが、
やはり日本人の感性は戦闘は『勝負」であって相手を憎むことではないんだなあ、
とこういう表現からも分かります。

「アメリカ人をやっつける」

というより、彼らに取って大事なのはまず「覚悟をすること」、そして
「自分の任務を果たすこと」であって、結果としてそれが
「アメリカ人を殺すこと」
ということになるのを、高邁な「国を守る」目的の向こうに置いているというか。

スピルバーグ&トム・ハンクスの「ザ・パシフィック」では、もういやになるほど
ジャップ!が繰り返され、繊細だった青年ですら戦地で過ごすうちに
日本人をひたすら憎み、人間とも思わず、残忍な殺戮に喜びを感じるようになる、
という戦争の極限におかれた人間の狂気が描かれていましたが、
日本の戦争もの等を見ていても、感情の発露が全て「敵への憎しみに向かう」
というメンタリティは日本人のものではないのかも、と思えます。

あくまでもそれは「同じ状況におかれたときの相対的な比較」に過ぎず、
後に、国内で連日空襲に何万人もの人々が死んでいくようになると、庶民ですら
「鬼畜米英」を口にし、降下したアメリカ人パイロットをリンチして殺してしまう、
ということが起こってくるわけですが・・。




下士官の部屋でも義一が「給料を故郷に送ったか」と聞かれ、

「送りました。取っていてもしょうがありませんから」

と答えています。
このときに下士官たちが今から会戦、を確信しつつも
どこに連れて行かれるかはわからず、皆で予想を述べ合います。

そして「早くやってくれんと待ちきれん」などと呵々大笑するのですが、
義一らこれが初陣となる若い飛行兵曹たちは神妙な顔つき。
中国戦線ですでに実戦経験のある下士官たちと違って、不安を隠せません。

 

この映画の映像は、特撮と実写を組み合わせていて、白黒のせいもあって
どこが実写でどこが模型なのかが判然としないのですが、
この二つの写真はどうも本物ではないかと言う気がしました。

とくに右側、空母の砲座がはっきりと映っていますし、
セットにしては細密すぎること、そして映っている甲板の二人がやたら本物っぽい。

そして何と言っても、どちらにも海面に航跡がはっきり映っています。

これはこのときスタッフが唯一つ取材を許された「鳳翔」のものである可能性大。



しかし、義一の勤務している「赤城」であろうと思しきこの空母のですが、



これは艦橋が左舷にあるらしいのでそのように判断した次第。
左舷に艦橋があった空母は「赤城」と「飛龍」だけです。

普通フネというものはどんな形や大きさであっても、接岸は左舷で行います。
しかし空母の慣例的に艦橋は右に寄せることになっており、
航空母艦は右舷接岸することも多いということです。
そういえば、わたしが観艦式で乗った「ひゅうが」も右舷接岸してたな。
航空母艦じゃないけど。


空母の設計で最も大変なのは「煙突をどうするか」です。
煙突の排煙がデッキにかかっては、飛行機の発着に支障を来すからですね。
そこで、日本海軍は煙突の形を下向きに、舷側から出すようにしたわけですが、
一般的な接岸面である左舷にそれをするわけにいかんので、右舷側につけます。

するとどうなるか。
フネのバランスは右舷側に傾いてしまいます(笑)

「赤城」「飛龍」建造の頃には、大型機が次々と艦載されるようになり、
フックを使う着艦はともかく、発艦に要する甲板の長さがより要求されるようになりました。
このため、艦橋を煙突と反対側の左舷、着艦に邪魔にならぬよう真ん中におく、
というのが最もいいんでないか?と設計者は考えたわけですね。

ところが実際やってみると、艦載機のパイロットからは、煙突と艦橋のせいで
後方の気流が乱れ、着艦し難い!とクレーム続出。
赤城と飛龍の搭乗員たちには「そんなもの、軍人精神でなんとかしろ!」
とばかりに放置。(だってもうどうしようもないし)

以降の空母にはその貴重なご意見が反映され、結果「赤城」と「飛龍」だけが
左舷に艦橋を持つことになったのでした。どっとはらい。




この空母の模型はなんと実物大。
前回着艦訓練の様子の写真を挙げましたが、
こういったシーンのために野外に空母の実寸大模型を作ってしまったということです。

対空砲座しか作らないのでそこばっかり写していた「男たちの大和」
のスタッフが聞いたらきっと羨ましがるでしょう。


ただし、模型制作にあたって海軍はスタッフに実物の空母を見せませんでした。
見ることが許された「鳳翔」はそのときすでに旧式艦に属するもの。
後年、山本監督も円谷特撮監督も、この海軍の仕打ちを恨みつらつら述懐しております。


しかたがないので「ライフ」に載っていたアメリカの空母を真似したら、
試写会でこれをある皇族(たぶん『あの方』だと思われ)が見て激怒し、
あわや上映中止となりかけ、両監督「はらわたが煮えくり返った」と・・・。

全ては海軍の「活動屋なぞ信用できない」という蔑視から来たことですが、
戦後の映画関係者に左翼思想が多いのはもしかしたら
こういうことも関係あったかも、と考えてしまうのは穿ちすぎでしょうか。






さて、ようやくおもむろに出てくる当艦艦長大河内伝次郎
背は低そうだけどさすがの大物、この男っぷりが艦長の貫禄十分。
まず、総員で皇居に向かって遥拝をします。

そしてその後、初めてハワイを急襲することが、
艦長から総員に対し命令として発せられます。

「武人の本懐何物かこれにすぐるものあらずや」

これはこのとき真珠湾に向かった海軍の軍人の総意であったことでしょう。
このとき、この訓示の中に「乾坤一擲」という言葉が出ますが、
字幕がそのまま「乾坤一擲」でした。

乾坤一擲、ってもしかして中国成語の四文字熟語だったんでしょうか。



以前、甲板での軍歌行進の写真を見たことがあり、そのときも
やはりこのような四角い円陣?を組んでいたので、

「この隊形で行進するのは大変だろう」

と思ったものですが、何のことは無い、フネの上の軍歌行進は
その場足踏みで行うことがこれを見てわかりました。

中国語の翻訳者にはこの軍歌がなんであるかわからなかったようですが、
わたしにもわかりませんでした。

因みに、この「軍歌行進」ですが、自衛隊でも教育隊のうちはするんですってね。
行進はしないし、歌うのも「軍歌」とは言わず「隊歌」というそうですが。
ただし「軍国主義」といわれるのを異様に恐れる自衛隊は、

「どこかの国に行って戦う」

ことを想起させる歌詞は決して歌わせないとのことです。
たとえば「歩兵の本領」の、

「千里東西波超えて」

の入る4番はカット。
波超えて行けばそこは外国で「侵略」という言葉にピリピリしているから、
こういう配慮をしてしまうんですね。
で、

「散兵戦の花と散れ」

こういうのは絶対ダメだと思っていたけど、なぜかおkなのね。
とにかく、このシーンで真ん中に立ち、歌を歌っているのも大河内伝次郎です。



場面は変わり、仏印基地。
こちらはマレー沖海戦となるストーリーの始まりです。

仏印というのはフランス領インドシナのこと。
ここでひたすら待機する海軍第22航空戦隊の皆さん。



無聊を慰めるべく和やかに会談。

「待つ身は辛いなあ」
「子供のときのお正月のような気分ですね」



クレジットが無いのでこのイケメンがだれかわかりませんでした。
ただ、



この、肩にお猿さんを乗せた谷本予備少尉(柳谷寛)だけは、
士官が名前を呼んだので判明。

コメント欄に前もってこの俳優についてのその後について、
特撮ものに多く出演したということを教えていただきました。

「独特の演技をして才能を発揮。
朴訥とした雰囲気を持つ個性派の脇役俳優として活躍した」(wiki)

この映画の中で最も「キャラが立ってる」役が、この「坊さん」である

谷本予備少尉でしょう。
索敵のことを

「亡者を捜すのは商売です」

と言ったり、あるいは

「航空隊に坊主の一人くらいおっても無駄にはならんでしょう」

とブラックジョークをかまして場を和ませます。
ポスターによってはこの谷本予備少尉がバーン!とアップになっているバージョンもあり、
後半のマレー沖海戦ではこの人物が大活躍するという設定です。

 

場面は再び真珠湾に向かう空母の艦橋。
少し休むことを進言された佐竹艦長。
端正な顔をわずかに和ませ、

「全く、天佑神助というよりない」

とつぶやきます。
しかしここのところの中国語訳が酷い。

「看来天候没有好転的跡象」 

これって、わたしのかすかな中国語の記憶による翻訳でも

「天候が好転しないようだなあ」

じゃないですか?(どなたか中国語できる方、そうですよね?)
おそらく「天」という言葉と「全く」「ない」を聞き取り、
当てずっぽうで意味を当てはめたんだと思いますが、この
「天佑神助」って、中国人には理解不可能の四文字なんでしょうか。

もっともこの後、艦長は

「出るときには天気がよかったのに近づくにつれて悪くなった。
敵の哨戒機も飛んでこない。
しかし、目的地では晴れる予定だ。全く天佑神助の他にない」


と、悪天候がこちらに利したことをいっているので、
そこから類推したのだとは思われますが。

まあ、この頃と違い現代日本語では使わないものね。「天佑神助」。

とにかくここで大河内伝次郎、決め台詞を。

「もう勝ったよ。これではっきり見極めがついた」

・・・くーっ、かっこいいなあおい。

男が一生のうち一度やってみたい仕事のひとつに軍艦の艦長、
というのがあると思いますが、男ならばこれは是非言ってみたいセリフ
・・・・・なんだろうなあ。たぶん。

もっともこの映画、真珠湾攻撃が成功を収めて一年後に作られたので、
大河内艦長も外れる心配なく大見得を切れたわけですが。

なんて言っちゃ意地悪かな。



続きます。